36.学院ダンジョン
その後、とんでもない勘違いをしてしまったレジーナは、土下座する勢いでブラントに謝罪した。
苦笑しながら、ブラントは許していた。もともとその土台を作ってしまったのはブラント本人なので、強く言うこともできないようだ。
まだ休暇中だったため、廊下で起きた騒ぎではあったが、目撃者はいなかったらしい。
ただ、遠くから一部の声を聞いた者はいたようで、ホイルのことを生温かい目で見る生徒が増えたと、ホイルが頭を抱えていた。
かわいそうだったが、どうすることもできないので、アナスタシアは気にしないことにした。
そうしたちょっとした騒ぎを最後に休暇は終わり、学院は後期が始まった。
普段通りの授業が始まる一方で、アナスタシアには学院ダンジョンに入る許可が与えられたのだ。
レジーナとホイルも複数名で行くことという条件付きで許可が出た。
この時期に許可が出るのは最短ということになる。条件なしで与えられたのは、ここ十年程度ではブラントとアナスタシアだけらしい。
早速、アナスタシアとレジーナ、ホイルは三人で学院ダンジョンに行ってみることにした。
受付では一年生三人ということで驚かれたが、条件は満たしていたので、通してもらえた。一年生が初めて入る場合は、上級生と一緒のことが多いらしい。
「学院ダンジョンというのも、普通のダンジョンとあまり変わりませんのね」
内部に入っていくと、周囲を見回しながら、レジーナが感想を漏らす。
学院ダンジョンは地下に潜っていく、石造りの迷宮となっている。普段よく行く初級ダンジョンは土壁の洞窟タイプだが、雰囲気は似たようなものだ。
「ここもダンジョンだからね。奥の部屋には試練の番人がいて、それを倒すと【白火】を授かれる装置があるはず」
アナスタシアは前回の人生で、すでに経験済みである。
番人も、一般的な魔術学院二年生程度が数名いれば、問題なく倒せる程度の強さだ。
「確か、ここの魔物って弱いんだろ? 軽い怪我をする奴はいても、重傷になることは滅多にないって聞いたことがある。初級ダンジョンよりも楽かもな」
緊張感のない様子でホイルが呟く。
実は、魔物自体の強さは初級ダンジョンと同じくらいだ。だが、魔物たちは大きなダメージを与えるような攻撃をしてこない。こちらが後ろを見せて逃げ出したとしても、追いかけてくることもなく、見逃してくれる。
ふと、アナスタシアは『吸血の塔』のことを思い出す。
あのダンジョンの魔物たちも、何故か止めを刺してこないという話だった。アナスタシアたちが行ったときは例外だったようだが、本来は死人が滅多に出ないという。
生かさず殺さず搾り取るといった、意図的な悪意を感じたものだ。
学院ダンジョンはそれとは趣旨が異なるが、何らかの意図は感じる。
「あ……魔物ですわ。わら人形……?」
レジーナが魔物を発見する。
通路の向こう側から、成人男性ほどありそうな大きさのわら人形が現れたのだ。
この学院ダンジョンは、こういった無生物系統の魔物が多い。
「燃やせばいいんじゃねえの?」
言うが早いか、ホイルが炎の魔術を放つ。
初級魔術なのだが、熟練度が上がった今では、以前の中級ほどの威力がある。
わら人形はあっさりと燃え上がり、灰となって崩れ落ちた。
後には、小さな魔石が転がっていた。
「ここの魔物にも魔石がありますのね。いつも見るものより小さいようですけれど」
すでに初級ダンジョンに何度も行っているレジーナは、今さら珍しくもないようだ。魔物にも慌てていない。
初めて学院ダンジョンに入ると、それまでダンジョンを知らなかった生徒は緊張してしまうのだが、レジーナもホイルも慣れたものだ。
「なんか、いっつもダンジョンに行ってるメンバーだから緊張感ねえな。まあ、先輩はいないけど」
「そういえば、結局ステイシィはブラント先輩とうまくいきましたの?」
「え? う、うん……その……お付き合いすることに……」
突然、話を振られてアナスタシアは戸惑いながらも頷き、か細く答える。
すると、ホイルが驚いたように振り返った。
「先輩と……? いや、そうなるとは思ってたけどよ……そうか……そうなんだ……」
しかめっ面をしながら、ホイルは一人でぶつぶつと呟く。
「……いいのか? 先輩、結構意地が悪いだろ。あのとんでもない噂だって、増長させるように悪ノリしてくるし……すげえ嬉しそうに人殴ってくるんだぞ。もっと貧弱だと思っていたのに、騙された……」
どうやら、ホイルは格闘で負けたことをまだ引きずっているようだ。
穏やかなようで実は好戦的なことはアナスタシアも知っている。
「細く見えるものね。実際はしっかり筋肉ついていて、引き締まっていたけれど」
「え……? お前ら……もう、そんな関係になってんの……?」
何気なく答えたアナスタシアだったが、ホイルが愕然とした顔で問いかけてきた。
「ち……違うから! 魔力回路を見せてもらっただけだから! 直接触れる必要があるから、そのときに上着を脱いでもらって見えただけだから!」
慌ててアナスタシアが否定すると、ホイルはさらに驚きを深くして、言葉を失っていた。
レジーナも、ホイルと似たような表情をして固まっている。
「魔力回路って……ええ……そっちのほうが凄くねえ……?」
「……初対面の相手と一夜の関係を持つなんていう話はありふれていても、初対面の相手に魔力回路を見せるなんて、絶対にありえませんわよ。そこまでの関係になっていただなんて……」
ホイルもレジーナも、信じられないといった様子でアナスタシアを見つめている。
確かに、魔力回路を見せるというのは、魔術師としての命を相手に委ねているようなものだ。信頼関係がなければ、絶対に見せられない。
「そ……それよりも、先に進もうよ! 早く、試練の番人を倒してしまおう!」
アナスタシアはごまかし、歩き出す。
魔力回路を見せてもらったのは治癒のためだったので、必要あってのことだったのだが、それは言うことを避けた。
詳しく話してしまえば、あのブラントが魔力回路を損傷するなんて、いったいどういう事態だと不安にさせてしまうだろう。
やや釈然としない様子ではあったが、レジーナもホイルも歩き出した。
それからも魔物がちらほら出てきたが、どれもあっさり倒して進む。
やがてたどり着いた試練の部屋では、剣を持った甲冑が待ち構えていた。中に誰かが入っているわけではなく、甲冑自体が動いているのだ。
「こいつが試練の番人か……さすがに今までの魔物とは違うんだろうな……」
試練の番人ということで、ホイルが緊張をにじませる。
「そうですわね……まずは、様子見で……」
レジーナも同意すると、小手調べといったように風の魔術を放った。
風の刃が幾重にも甲冑を襲い、切り裂かれた甲冑がバラバラと崩れていく。
そして床に落ちた甲冑の破片は動かなくなり、淡い光と共に消えていった。後には魔石だけが残される。
「……え?」
レジーナもホイルも、あっけにとられている。
アナスタシアだけが、こんなところだろうと冷静だった。
すでにレジーナもホイルも、一年生の枠を超えた実力を身に着けている。この程度の練習用の敵では相手にならないだろう。
アナスタシアは床に転がる魔石を拾い、部屋の奥にある台座に乗せた。
すると、強い光が一瞬、部屋全体を埋め尽くした。
「あ……これが……【白火】ですの……?」
「……頭がくらくらするな……」
頭を押さえるレジーナとホイル。どうやら、無事に【白火】を授かったようだ。
アナスタシアには何も起こらなかった。やはり、すでに習得済みなので何もないようだ。
まだ不思議そうに己の手を眺めたり額を押さえたりしている二人を眺めながら、アナスタシアは学院ダンジョンについて考えてみる。
ここは明らかに、育成用のダンジョンだ。
このダンジョンは古代の遺産と言われているが、ダンジョンとは魔族が作り、支配しているもののはず。
魔物をもたらすのも、魔族の仕業だ。
それなのに、魔物を効率的に倒す術を与えてくれるとは、どういうことだろうか。
古代魔術は魔族の魔術とよく似ている。
もしかしたら、両者は同じもので、魔族が古代の支配者だったのだろうか。
「……ステイシィもぼんやりしてしまっていますわね。頭の中に直接何かを焼き付けられるような感覚、変なものですわね」
レジーナに声をかけられ、アナスタシアは思索から引き戻される。
どうやら、アナスタシアも【白火】を授かった感覚に戸惑っていると思ったようだ。
「うん……じゃあ、もう【白火】も授かったし、戻ろうか」
否定せず、アナスタシアは頷く。浮かんでいた考えは、いったんしまっておくことにする。
このダンジョンは【白火】を授かってしまえば終わりのはずだ。
前回の人生でも、ここで【白火】を授かった後、訪れたことはない。
あっさりすぎるとは思いつつ、アナスタシアたちは元の道を引き返していった。






