34.二人の未来
レジーナからも背を押され、アナスタシアは自分の本当の気持ちを伝えるべく、ブラントを探し始めた。
手分けして、レジーナも探すのを手伝ってくれている。
学院はまだ休暇中なので、人の姿はまばらだ。
図書室の隠し部屋をのぞいてみるが、誰も見当たらない。図書室にはちらほらと本を読んでいる生徒たちがいたが、その中にもブラントはいなかった。
廊下を歩きながら、男子寮に行ってみるべきだろうかと、アナスタシアは考える。
だが、学院の用事でもないのに女子生徒が男子寮を訪れるというのは、噂の種をばらまくようなものだ。
ブラントに迷惑がかかるのではないかと思うと、アナスタシアの足は鈍ってしまう。
「あ……」
うろうろしていると、廊下の向こうからブラントが歩いてくるのが見えた。
ブラントもアナスタシアに気づいたようで、気まずそうな表情を浮かべる。
無言のまま二人は近づき、向かい合って立ち止まった。
「ブラント先輩……」
間違いなく、ブラントに誤解させてしまっている。
早くその誤解を解かなければと、アナスタシアは口を開きかけたが、何を言ってよいのかわからなくなってしまう。
ブラントのやや上気した顔と、少し乱れた服が目に入ってきて、彼の顔立ちが整っていることや、上半身の服を脱いだときの引き締まった体のことが頭を埋め尽くし、さらにアナスタシアは混乱する。
「大丈夫……?」
怪訝な顔を向けてくるブラントだが、アナスタシアはそれに答えることさえできない。
口をぱくぱくとさせながら、まるで酸欠になってきたように、意識が薄れていく。
「……ステイシィ!」
そこに、レジーナの声が響いた。
何があったのだと驚き、アナスタシアの意識が引き戻される。
先ほど、優しく相談に乗ってくれたレジーナは、鬼のような形相を浮かべてアナスタシアのところに駆けてきた。
「少し、遅かったようですわね……」
レジーナは、アナスタシアとブラントの間に割り込むと、ブラントを睨みつけた。
「ブラント先輩のことは見損ないましたわ! ステイシィから色よい返事がなかったからといって、ホイルとの爛れた関係に逃げるなんて……! そんな方に、ステイシィは渡せませんわ!」
状況にまったくついていけないアナスタシアを抱きしめながら、レジーナはブラントに敢然と立ち向かう。
「え? ちょっと待って、それ何? ホイルくん? 爛れた関係? 俺、何したの?」
ブラントも混乱しているようで、困り果てながら疑問をいくつも口にする。
「とぼけないでくださいな! わたくし、確かに聞きましたのよ。つい先ほど、ブラント先輩とホイルが空き教室から出てきて、いかがわしいことを話していたのを!」
「いかがわしいこと……?」
「服は着乱れて熱を帯びた顔で、無理をさせたが体はつらくないかとか、魔術だけじゃなくそっちも凄いんだなとか……口にするのも汚らわしい……! しかも、こんな昼間から学院内で関係を持つなんて……不潔ですわ!」
興奮してまくしたてるレジーナに圧倒されていたブラントだったが、やっと腑に落ちたというように、目を伏せて大きく息を吐き出した。
「それ……格闘術の相手してもらっただけだよ。ちょっと体を動かしたくて、ホイルくんも格闘術の心得があるっていうから、魔術抜きで軽く戦っただけ」
冷静に、ブラントは説明する。
怒り狂っていたレジーナが、ぴたりと動きを止め、固まった。
「……さっきから何を喚いてるんだよ、てめえは!? 向こうまで聞こえてきたぞ! いかがわしいのは、てめえの頭だろうが! 脳みそ腐ってるんじゃねえのか!」
そこに、憤りを浮かべたホイルまで走ってやってきた。
レジーナは顔色を失っていき、アナスタシアを抱きしめていた腕の力も緩んだ。
「その……格闘というのは、本当の意味での格闘ですの……?」
「それ以外の意味での格闘なんてあるのかよ! 魔術抜きなら勝ち目があると思ったら、ボロ負けしたんだよ! ふざけるんじゃねえよ!」
おろおろとするレジーナに、ホイルは怒鳴りつける。
もはや八つ当たりも含まれているようだったが、レジーナにそれを気にしている余裕はないようだ。
「そ……そんな……わたくしの、勘違い……?」
「どうしたらそんな勘違いができるんだよ! 欲求不満なのか!?」
「なっ……あなたこそ、そんなことを大声で叫ばないでくださいます!?」
「あ? 図星か!?」
「そのようなはずがないでしょう! ふざけないでくださいな!」
いつの間にか、いつものようにレジーナとホイルの言い合いになっていった。
アナスタシアが呆気にとられながら眺めていると、そっと手を引かれた。
「……向こうに行こう」
ブラントからそう言われ、アナスタシアはレジーナとホイルを残してこの場を立ち去る。
二人は無言のまま、図書室の隠し部屋までやってきた。
「ええと……本当に、ホイルくんには格闘術の的になってもらっただけだから。その……無性に何かを殴りたく……いや、何も考えずに体を動かしたくなってね」
苦笑しながら、ブラントはそう口を開いた。
弁明しているようだが、冷静さを失っているのか、本音が漏れている。
だが、そういう状態になったのも、おそらくアナスタシアのせいなのだろうと思うと、心が痛い。
「ブラント先輩……昨日はおかしな態度を取ってしまって、ごめんなさい。本当は、私もブラント先輩のことが、す……好きです……」
勇気を振り絞り、アナスタシアは声が尻すぼみになってしまいながらも、どうにか最後まで言い切った。
ブラントの目が大きく見開かれ、信じられないといったように固まる。
「……本当に?」
「本当です……」
震える声で問われ、アナスタシアは恥ずかしさに俯きながら答える。
しかし、それだけではあの態度はいったい何なんだということになるだろう。
かといって、フォスター研究員がいずれ命を落とすことになることを知っていたからだとは言えない。
「ブラント先輩、私の生まれについて聞いてもらえますか……?」
そこで、アナスタシアは自分の生まれについて語ることにした。
レジーナがアナスタシアに家関係のしがらみがあると思ったように、自分で相手を選べない立場にあるというのは、とてもわかりやすい理由だ。
実際に、アナスタシアにもそういったしがらみがあるのは間違いではない。
前回の人生では婚約者も決められていた。今はまだだが、もう少しすれば今回の人生でもその話が出てくる可能性は高い。
アナスタシアは淡々と、自分の生まれについて語った。
腹違いの妹がいて、彼女と比較され続けてきたことや、政略結婚の駒となる可能性が高いことも。
ブラントは黙ったまま、じっと話を聞いていた。
やがてアナスタシアが語り終えると、ブラントは長く息を吐き出した。
「……ある程度予想はしていたけれど、思ったより凄かったね。それは、平民の俺とでは身分違いだ」
眉根を寄せながら、ブラントは静かに呟く。
アナスタシアは、びくりと身を震わせる。
納得はしてもらえたようだが、それは同時にアナスタシアのことを厄介な相手として認識させてしまうことにもなる。
面倒ごとはごめんだと、ブラントが離れていくかもしれないことに、アナスタシアは今さら気づいた。
だが、フォスター研究員絡みのことを抜きにしても、こちらもいずれ問題となるだろうことだ。隠しておくわけにはいかない。
「やっぱり、宮廷魔術師になったほうがいいかな。そっちのほうが身分は得られるだろうから。でも、それでもまだ不足か……」
アナスタシアが不安に苛まれていると、ブラントはぶつぶつと考え込み始めた。
「ブラント先輩……いいんですか?」
「アナスタシアさんが俺のことなんて嫌だっていうのなら仕方ないけれど、そうじゃないのなら諦めるわけがないよ。望む未来が得られるよう、動いていくだけだ」
おそるおそるアナスタシアが問いかけると、ブラントはきっぱりと答えた。
思わず、アナスタシアの瞳に涙がにじむ。
一人で死神の足音に怯えていただけの自分を恥ずかしく思う。
アナスタシアは一人ではない。ブラントと一緒に、未来を切り開くのだ。






