29.町への帰還
先ほど、『貴様も、魔王の因子を持っているとでもいうのか』と魔族は言っていた。アナスタシアがそんなものを持っているかどうかはともかく、ここで気になるのは、貴様『も』というところだ。
つまり、他に魔王の因子を持っている者がいるということだろう。
そしてそれがブラントだとすれば、魔王と顔が似ていることにも説明がつく。
さらに、ブラントは母親に生き写しだったそうで、魔族もブラントの母のことを重要視していたようだ。
もしや、ブラントの母は魔王と血縁関係のある魔族だったのではないだろうか。
仮にそうだとすれば、『所詮は半分の混じり物』という言葉も納得できる。魔族はブラントの父のことは眼中にないようだったので、おそらく人間だったのだろう。
魔術学院においてブラントが学院始まって以来の天才といわれていたことも、膨大な魔力量を持つことも、母から教わったという魔術が魔族の術式だったことも、全て辻褄が合う。
アナスタシアは己の考えに衝撃を受け、唖然とする。
「ブラント先輩……」
どう声をかけたらよいものか迷いながら、アナスタシアはぽつりと名を呼ぶ。
そのとき、塔が揺れた。
ダンジョンコアが破壊されたことを思い出し、アナスタシアははっとする。
「この塔は崩れます! 逃げましょう!」
ここがダンジョンであり、ダンジョンコアを失った以上、後は消えていくだけだ。
完全に機能を失うまで時間がかかるところもあれば、すぐに崩れてしまうところもある。
おそらく、ここはすぐに建物ごと崩れていくタイプだ。
しかし、すでにアナスタシアは、ブラントを運んで【転移】を使うほどの魔力は残っていない。
ブラントはわずかに回復したとはいえ、依然として魔力切れの状態で、まともに歩くことすら難しいだろう。
だが、ブラントはふらつきながらも、ダンジョンコアのあった台座を調べる。
「……あった、非常口」
台座の下には扉があり、そこから傾斜の急な狭い道が、下に向かって伸びていた。
できれば避けたい道ではあったが、今の状況でそのようなことを言っていられない。
「ここから滑り降りていけば、すぐに外に出られるはず。俺が前を滑るから、アナスタシアさんは後ろからつかまって滑って」
そう言ってブラントは非常口に体を滑り込ませる。
アナスタシアも言われたとおり、ブラントにつかまった。ブラントの背中に密着することに気恥ずかしさはあったが、戸惑っているような余裕はない。
しっかりとアナスタシアが腕を回したことを確認すると、ブラントは入り口をつかんでいた手を離し、中に潜り込んだ。
滑るというより、落ちるといったほうが正しいような勢いだった。
アナスタシアは思わず目を閉じ、ブラントにしがみつく。
ぐるぐると回りながら下降していくのを感じていると、やがて叩き付けられるような衝撃と共に、止まった。
どうやら着いたらしい。アナスタシアの下でブラントが潰れていて、アナスタシアは慌ててどける。
「だ……大丈夫ですか!?」
「うん……つらいのは、魔力切れのせいだから……アナスタシアさんは大丈夫?」
おろおろしながら、アナスタシアはブラントを助け起こす。
明らかにつらそうだったが、ブラントはアナスタシアの心配をしてきた。
「私はブラント先輩のおかげで、大丈夫です。でも、ブラント先輩のほうが傷ついているのに……」
ブラントがクッションになってくれたおかげで、アナスタシアはさほど大きな衝撃はなかった。
しかし、アナスタシアは疲労しているだけで、傷ついてはいない。それに対して、ブラントは魔力切れの上に内傷があり、さらに魔力回路まで傷ついている。
アナスタシアがクッションになるべきだったと、心が痛む。
「ここの非常口が急なの、知っていたからね……そんなところ、アナスタシアさんを先に行かせるわけにはいかないよ……せめてこれくらい、意地を張らせて……」
話すのも苦しそうだったが、それでもブラントはわずかに微笑んだ。
そして、ゆっくりとだったが、自分の足で歩き出す。
アナスタシアはブラントに寄り添い、支えながら一緒に歩いた。
「そこの扉を出れば、すぐ外だよ……そういえば、今日はあまり汚れていなかったな……」
言われて、アナスタシアは自分たちがさほど汚れていないことに気づく。
非常口は糞尿まみれになるということで覚悟はしていたが、服が少し黒っぽくなった程度だ。
何故だろうと思ったが、それは外に出るとわかった。
「おい、塔が崩れ始めたぞ! どうなってるんだ! 今日はやたらと非常口からの撤退者が多かったが……何が起こってるんだ!?」
崩れていく塔を見て、番人が半狂乱になっている。
叫んでいる内容から、アナスタシアたちよりも先に非常口から逃げ出した人々が多かったため、彼らの体で掃除されたのだろうと推測できた。
おそらく、難易度が上がっていたことから、早めに撤退する者が増えたのだろう。十階で出会ったパーティーも、非常口から撤退すると言っていたはずだ。
「ああ……あんたたち、無事だったか!」
そこに、通りかかった荷馬車の御者台から声がした。
アナスタシアが見てみれば、御者をしている男は、塔の十階で出会ったパーティーの一人だった。
その声で、幌のかかった荷台から、魔狼との戦いで命を失いかけていた男も顔を出す。そしてブラントを見て、顔をしかめた。
「……そっちの兄さん、かなり顔色が悪いな。魔力切れか? これからラッセルの町に戻るところなんだが、一緒に乗っていくか?」
男はそう申し出てくれた。どうやら彼がリーダー格らしい。
ありがたく受け、アナスタシアとブラントは荷台に乗せてもらう。
「狭くてすまないな。寝かせてやりたいところだが、そこまでの余裕はないんだ」
「いや……乗せてもらえただけで十分だ……助かる……」
ブラントは異次元袋から、小瓶を二本取り出す。
異次元袋を見せてしまって大丈夫なのだろうかとアナスタシアは思ったが、出した物が小さく、通常の袋であっても収納可能だったためか、不審に思った者はいないようだった。
「アナスタシアさん、これ魔力回復薬」
ブラントは小瓶をアナスタシアに一本渡し、もう一本の小瓶の中身を自分で飲む。
魔力回復薬は、魔力の回復を早めるものだ。ただ、安静にしている必要があるため、安全な場所でなければ摂取しても無駄となってしまう。
アナスタシアも小瓶の中身を飲んだ。苦い味が口の中に広がる。
少しだけ体が楽になったような気がした。ブラントの顔色も、少し良くなったようだ。
「……馬車を持っているなんて、凄いな。高ランクのパーティーなのかな?」
落ち着いてきたのか、ブラントが問いかける。
「俺が三級、他の三人は四級だ。馬車はたまたま中古を譲り受ける機会があったからで、たいしたものじゃないさ。それより、あんたたちこそ、いったい何をやってきたんだ? 塔が崩れたことと、何か関係があるのか?」
「……魔族が出たんだ」
「魔族? 上級ダンジョンで現れたという話は聞いたことがあるが……あの塔は中級ダンジョンだろ? いや、でも、あのときは中級の難易度を超えていたしな……」
リーダー格の男は考え込むが、ややあって首を横に振った。
「……俺が考えたってわかるもんじゃねえな。ハンターギルドでも調査するだろ。多分、今日塔に行っていた奴らは事情を聞かれると思う。あんたたちも、今日は休むとしても、明日か明後日にはハンターギルドに行ったほうがいいぞ」
「そうしておくよ」
そこで塔に関しての話は終わりとなり、後は自己紹介や雑談となった。
彼らはラッセルの町を拠点として、周辺の中級ダンジョンを探索しているパーティーだそうだ。リーダー格の男の名は、サムという。
アナスタシアとブラントが魔術学院の学生だと言うと驚いていたが、首席ということで納得もしていた。
「三年の首席と一年の首席? 何から何までお似合いだなあ」
そうやってからかわれもしたが、アナスタシアは単なる冗談だと、本気で取り合わなかった。
やがて荷馬車はラッセルの町に到着する。
その頃にはブラントの顔色も大分良くなっていた。礼を言って荷馬車から降り、彼らと別れた。
「今日は、どこかに泊まってもう休もうか……」
魔力切れの状態は良くなったようだが、ブラントはまだつらそうだった。
アナスタシアも魔力は多少回復したものの、疲労がのしかかっている。
二人は、ハンター向けの宿のひとつに向かった。ブラントによれば、そこそこ高級な部類に入るそうで、主に中級以上のハンターが利用するらしい。
宿に到着すると、ブラントが宿泊手続きをした。
アナスタシアとブラントでそれぞれ一部屋ずつで、隣部屋になる。
支払いは前払いだったが、ブラントが済ませてしまった。アナスタシアは自分の分を払おうとするが、ブラントは首を横に振る。
「……俺のせいで、アナスタシアさんに迷惑をかけてしまった。これはその迷惑料ということで……この程度じゃ足りないだろうけれど」
「迷惑なんかじゃありません。ブラント先輩が竜を倒してくれたから、私も魔力が残ったんです。それがなかったら……負けていました」
自分で言いながら、アナスタシアはぞくりと身を震わせる。
あの魔族は強かった。もし、アナスタシアがもう少し魔力を失った状態で挑んでいれば、今頃はここにいられなかっただろう。
「……とにかく、今日はもう休んで、後からゆっくり話そう。じゃあ、おやすみなさい」
ふらふらと、ブラントは自分の部屋に入っていった。
アナスタシアも自分の部屋に入り、ベッドに倒れ込む。
まだ気がかりなことや解決していないことはあったが、何にせよ無事に町まで戻ってきたのだ。
生きていることを噛みしめながら、アナスタシアは目を閉じた。






