夢見石
アナスタシアが魔術学院二年生の後期休暇の話です。
ベラドンナと、208話で出てきたアナスタシアの母関連です。
「こんなところにゴミが転がっていると思ったら、あんただったの。……ああ、ゴミだなんて悪かったわね。せめて、ゴミを片付けた後の掃除用具にするべきだったわ。その薄汚れた灰色の髪、掃除用具の成れの果てっていう感じよ」
魔力切れでうずくまるアナスタシアを見下ろし、ベラドンナが嘲笑う。
「ほら、さっさと立ちなさいよ。本当に使えないんだから」
ベラドンナはアナスタシアを蹴り飛ばす。
本気で蹴ったわけではなく、体への衝撃はたいしたことがない。しかし、アナスタシアの心が抉られる。
勇者のパーティーメンバーにおいて、一番の役立たずはアナスタシアだ。
元暗殺者で実力のあるベラドンナは、アナスタシアよりも上の存在である。
「……私が役立たずだから……私が悪いから……仕方がないの……」
涙を流しながら呟いたところで、アナスタシアは夢から覚めた。
「……ひどい夢をみたものだわ」
朝の支度をしながら、アナスタシアはぼそりと呟く。
何故、いまさらあのような夢を見たのだろうか。
今やアナスタシアはセレスティア聖王国の第一王女として認められ、魔術学院でも首席として三年生への進級を控えているのだ。かつては身分違いだったブラントはブランシア大公となり、卒業後には結婚することになる。
すべてが順調に進んでいるはずだ。
「お姉さま、どうかしました? 顔色があまりよくありませんわ」
そこに声をかけられ、アナスタシアは身をすくませてしまいそうになる。
声の主は、夢でアナスタシアを虐げていたベラドンナだったのだ。
「……悪い夢を見ただけよ。いじめられていた頃の夢」
「まあ! お姉さまをいじめるなんて、なんて恥知らずなんでしょう! そんな奴は処分してしまえばいいんです!」
憤慨するベラドンナの言葉に、アナスタシアは苦笑する。
処分対象が自分だとは気付いていないようだ。もっとも今のベラドンナと、夢に出てきた前の人生でのベラドンナは別人といえる。気付くほうがおかしい。
「そんな悪い夢のことは忘れて、髪をとかしてしまいましょう」
ベラドンナは慣れた手つきで、アナスタシアの髪をとかし始めた。
「お姉さまの輝く髪は、本当にお美しいですわ。深みのある銀色で、落ち着きがあって上品ですわ」
夢ではアナスタシアの髪をけなしてきたベラドンナが、同じものを褒めてくる。
かつて勇者のパーティーメンバーの一員だったベラドンナは、今はアナスタシアの侍女として仕えていた。
成り行きでそうなったが、よく考えてみれば、どうして今のような事態になっているのだろうか。アナスタシアは首を傾げる。
「そういえば、お姉さまとパメラ王妃の近くをネズミがうろついていたので、処理しておきましたわ」
さらりと、ベラドンナが口にする。
元暗殺者であるベラドンナは密偵としても優秀なのだ。
「そう……ありがとう、ご苦労さま」
アナスタシアが礼を述べると、ベラドンナは顔を輝かせる。
どうしてか、今のベラドンナはアナスタシアのことが大好きらしい。
本当に、何故こうなったのかとアナスタシアは不思議で仕方が無い。
「後期休暇で久しぶりに瑠璃宮に泊まったら……って、そういえば」
呟きながら、アナスタシアははっと気付く。
夢に出てきたのは、前回の人生で今くらいの出来事だったはずだ。十六歳になるかならないか程度の頃だったので、時期はほぼ一致している。
「時期が同じくらいだったから、夢に出てきたのかしら……」
「あ、夢といえば、こんなものをもらったんです」
アナスタシアの呟きを拾い、ベラドンナが懐から何かを取り出す。
手のひらに載る程度の大きさで丸みを帯びた、おぼろげな白い石だった。
「夢見石といって、この世のものではなくなった人と夢で会えるとか。でも、昨日は枕元に置いて寝たんですけれど、夢も何も見ませんでした。まあ、夢で会いたい人なんていないからかもしれませんね」
「……そんな石があるのね」
感心しながら、アナスタシアは呟く。
そして、この石がベラドンナをたどってアナスタシアに夢を見させたのではないかと、ふと思う。
だが、アナスタシアはすぐにその考えを打ち消す。その石の効能自体が眉唾ものだ。単なる偶然だろう。
「そうだ、お姉さまに差し上げますね。会いたい人ゆかりの品を一緒に置いておくと良いらしいですよ」
ベラドンナは石をアナスタシアに押しつけてくる。
別にいらないと思いながらも、何故か突き返せずにアナスタシアは石を受け取った。
夜になり、アナスタシアは寝台の横に夢見石を置いてみた。
そして少し考え、その横に赤い石のブローチを添える。母ファティマがかつて身に着けていたというブローチだ。
建国祭での事件で、次元の狭間から戻る際に一瞬だけ母と会った。
王家の霊廟で祈る母と、目が合ったのだ。
もう少し時間があれば、今の自分が幸せだと伝えたかった。
「本当に効果があるのなら……一言だけでいいから、伝えさせて」
アナスタシアはそっと囁くと、目を閉じる。
眠気はすぐにやってきて、うとうとと意識が薄らいでいく。
「ここは……」
気が付けば、アナスタシアは果てしなく広い場所にいた。
まるで、以前迷い込んでしまった次元の狭間のようだ。
「まさか、また迷い込んでしまったのかしら」
以前は勇者シンと一緒に迷い込んだ。だが、今は誰も見当たらない。
どうしようかと思っていると、空間がぐにゃりと歪んだ。
「え……ええ……!?」
歪む空間に巻き込まれ、アナスタシアはぐるぐると回り始める。
吐き気と不安に苛まれていると、どこかに放り出された。床にうつ伏せに倒れた状態で、解放される。
ひとまず難は逃れたようだと、アナスタシアは一息ついて身を起こそうとする。
「あ……あなた……誰……?」
すると、怯えた声が上から聞こえてきた。
アナスタシアは顔を上げ、そして固まる。
自分によく似た女性が、驚いた顔を向けていたのだ。かつて次元の狭間で見た、母ファティマの姿だった。
「……あ」
驚愕のあまり、まともに言葉が出てこない。
もし会ったら色々と話したいことがあったはずだ。せめて一言だけでも、自分が幸せだと伝えたいと思っていた。
それなのに、いざその場面になると、アナスタシアは何も言えなくなってしまう。
いや、もし本当に母の前に現れたのだとしたら、明らかな不審者だ。
あなたの娘ですと言ったところで、頭がおかしいと思われるだけだろう。
一部だけ妙に冷静になった頭で考え、アナスタシアは焦る。
「もしかして……アナスタシア? いえ、そうでしょう? 成長したアナスタシアなのでしょう?」
ところが、アナスタシアの予想を裏切り、ファティマは震える声でそう問いかけてきた。
その途端、アナスタシアの中で何かが弾けた。涙があふれ出してくる。
まともに会うのは初めてのはずなのに、そうは思えない。生き別れになり、ずっと求めていたところに再会したかのようだ。
「お母さま……!」
アナスタシアは起き上がり、ファティマに抱きつく。
それを受け止め、ファティマも涙を流しながらアナスタシアを抱き返した。
互いに何も言葉が出ないまま、温もりを実感する。
「……私、今とても幸せです……色々あったけれど、幸せになりました……」
「そう……よかったわ……本当によかった……あなたを残していくのが心配だったけれど……幸せになったのね……よかった……」
しばらくして、ようやくアナスタシアは口を開いた。ファティマは頷き、二人とも泣きながら喜び合う。
アナスタシアは生まれて初めて、母に甘えた。物心つく前に亡くなった母だが、まるでずっと見守ってくれていたかのように、身近に感じる。
優しい手がアナスタシアの頭を撫でるのが、ブローチから感じた温もりと重なった。
しばし抱き合って感動を分かち合った二人だが、やがて互いの姿が薄れていく。
再会の時間に終わりがきたようだ。
「会えてよかったわ……ずっと祈った甲斐があった……アナスタシア、体に気を付けるのよ。あと、毒物にも気を付けるのよ。移動するときは魔物にも気を付けて、それから……」
薄れゆくなか、ファティマはひたすらアナスタシアの身を案じる。
「大丈夫です、お母さま……! 毒物は防ぐ魔道具がありますし、魔物なんて殴れば簡単に討ち取れますから……!」
アナスタシアはこの空間から消えゆく己を感じながら、母を安心させようと、必死に声を張り上げる。
すでに半透明になっていた母から声は返らず、ただ微笑んで頷くのが見えた。
その微笑みが少し引きつっているようだったのは、きっとアナスタシアの気のせいだろう。
アナスタシアは心を満たす温もりに包まれながら、目を覚ました。
母との邂逅は、しっかりと記憶に残っている。
「お母さま……」
夢だったが、本当に過去の母と繋がったのだろう。
アナスタシアは母の優しい微笑みを思い出し、口元をほころばせる。
夢見石は本当に効果があったようだ。
「……あら?」
寝台の横に置いた夢見石に視線を移し、アナスタシアは思わず驚きの声を漏らす。
夢見石が割れていたのだ。寝る前は綺麗なつるつるとした石だったはずなのに、今は真っ二つになっている。
もしかしたら、力を使い果たしたのかもしれない。
「……ありがとう」
アナスタシアは割れた夢見石を布で包みながら、幸福なひとときの思い出を噛みしめていた。
新連載『暗殺令嬢は標的の王太子に溺愛される~欲しいのは愛ではなく、あなたのお命です~』を始めました。
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