賭けの行方
本編完結直後の、脳筋領地のメイド視点です。
露店の立ち並ぶ市場を、領主屋敷のメイドであるミアはすたすたと歩いて行く。
肉や野菜などの食品や日用品、そして武器や防具まで様々な商品がずらりと並び、行き交う人々に向けて店主たちが声を張り上げている。
活気にあふれた市場には、ミアのように買い出しに来た住民たちだけではなく、そこはかとなく浮き足だった観光客も多く、賑やかだ。
そして、どこを見ても目立つのが、屈強な男たちだった。
「大迷宮の二十階層で、古代の遺産が出たって本当か」
「ああ、凄い守りの効果がある魔道具だって話だな」
あちこちで、こういったハンター同士の会話が交わされている。
この辺りはもともと荒れ果てただけの地だったというが、一年ほど前に巨大なダンジョンが発見されたことにより、変化を遂げた。
地下へと潜っていくタイプのダンジョンはあまりにも広く深く、まだ踏破されていない。最深部は五十階とも百階とも噂され、大迷宮と呼ばれている。
ときおり古代の遺産が出てくるという珍しいダンジョンで、一攫千金やダンジョン踏破を夢見るハンター、古代研究家といった人々が集ってくるのだ。
そして、ハンターたちが集まれば、それを目当てに商売を行う者もやってくる。
こうして短期間でめまぐるしく成長し、好景気の真っ盛りであるのが、ここブランシア大公領だ。
「なんだ、てめぇ! ふざけてんのか!」
「あぁ!? やんのか、コラァ!」
目当ての物を買って帰路に就くミアの側で、怒声が響く。
一瞬だけぴくりと動きを止めたミアだが、すぐに再び歩き出す。
荒くれ者たちが集まっているだけあって、喧嘩は日常茶飯事だ。
「おう、じゃあ行くぞ!」
「あとで吠え面かくんじぇねえぞ!」
睨み合っていた屈強な大男たちは、二人で連れ立ってどこかに消えていく。
決められた場所以外での喧嘩は禁止されている。この二人はおとなしくルールを守って、喧嘩場へと移動していったのだ。
ちなみに喧嘩場は誰でも見物することができ、野次馬が集まって賭けの対象になることも多い。
荒っぽさが漂う街ではあるが、無秩序ではなく、意外と治安は良い。
領主であるブランシア大公は、荒くれ者たちから恐れられている。
ダンジョンが発見されてハンターたちが集まり、揉め事が多くなってきたときに、大公本人が大立ち回りを演じ、多数の負傷者を出したことがあるという。
また、開拓中の街を襲ってきた竜を一人で倒したなど、大公にまつわる武勇伝は事欠かない。
領主屋敷に勤めるミアではあるが、まだ大公の姿を見たことはない。
大公は結婚を控えていて、その準備のために王都にいるという。
大公妃という新たな女主人を迎えるので、使用人の数が増やされた。
ミアも新募集で増えた使用人の一人であり、もともとはジグヴァルド帝国に近い国境沿いの町から流れてきたのだ。
この地に来てからもまだ日が浅いため、知らない事ばかりで、少しずつ街に慣れてきたところだった。
「あ、ミア。あんたも賭けに参加しない? いつ別居するか」
買い出しを終えて領主屋敷に戻ると、ミアは同僚のメイドから声をかけられた。
ミアと同じく新募集で使用人となった小柄な女性で、彼女も勤めてから日が浅い。
「……いつ別居するか?」
「新しくやってくる大公妃さまが、ここに耐えきれなくなって出ていくのが、いつになるのかっていう話よ」
ミアが首を傾げると、同僚のメイドは薄笑いを浮かべながら説明する。
大公妃となるのは、この国の王女だという。
伝統あるセレスティア聖王国の王女として生まれ育った高貴な女性が、このような荒くれ者たちの街に耐えられるはずがない。貴族女性は、か弱いことが美徳であるとすらされているのだ。
かといって、貴族や王族は基本的に離婚できないという。折り合いの悪い貴族の夫婦は、片方が領地で暮らし、片方が王都で暮らしていることも多いそうだ。
そのため、どうせ政略結婚で嫁いでくる大公妃もすぐに我慢の限界となり、王都に逃げ帰るだろう。
「で、別居するまでの期間がどれくらいかで、賭けになっているのよ。今のところ、最短は一か月で、最長は一年ね。ミアはどう?」
そう結んだ同僚のメイドは、ミアに問いかけてくる。
そのような内容を賭けの対象にしてもよいものだろうかと、ミアがあっけにとられていると、他にも同僚のメイドたちが集まってきた。
「王女さまって、美人だけれど我がままなんでしょう? すぐに文句を言い出すわよ」
「病弱だっていう話も聞いたわよ。この街の雰囲気に耐えきれないんじゃない?」
「その辺にいる荒くれ者を近くで見てしまったら、失神してしまうかもしれないわね」
同僚のメイドたちは口々に噂するが、誰も王女について詳しく知っている者はいない。
これまでに聞いたことのある噂話と、一般的な高貴な女性のイメージから勝手に想像しているだけだ。
王都出身者であれば少しは知っているのかもしれないが、あいにくとここにいるメイドたちは全員、良い暮らしを夢見て田舎から出てきた者だった。
「でも、大公さまって凄い美形なんでしょう? 王女さまが王都に戻るとき、領地のことなんて放っておいて一緒に来いって言うんじゃない?」
「じゃあ、別居じゃなくて、ここから逃げ出すのがいつになるのかっていうほうがいいのかしら。まあ、あんまり変わらないけれど」
「ええー、大公さまも王都で暮らすのは困るわ。ここを力で締め上げる人がいなくなったら大変よ。それに、王女さまが逃げ帰れば愛妾の地位が上がるのに、肝心の大公さまがいないんじゃあ……」
「あんた、まさか愛妾の座を狙っているの? 図々しいわねぇ」
ケラケラと笑いながら、同僚のメイドたちは好き勝手なことを言い合う。
「あんたたち! だべってないで、さっさと仕事しなさい!」
そこに年配のメイド長からの怒鳴り声が響く。
同僚のメイドたちは諦めたように、はーいと返事をすると、散らばっていった。
ミアも解放されたとほっとしながら、仕事に戻ろうとする。
「……で、ミアはいつに賭ける?」
しかし、最初に声をかけてきた一人が、決して逃がさないとばかりに問いかけてくる。
不敬ともいえる賭けに参加したくはないのだが、避けられないようだ。
「じゃあ……」
仕方なく、ミアは一言だけ答えると、あっけにとられる同僚のメイドから逃げるように仕事に戻っていった。
王都で結婚式を挙げた大公が、豪華な馬車で新妻を連れて領地に戻ってきた。
下っ端のメイドであるミアは遠目に見ただけだったが、大公妃となった王女はセレスティア女性にしては背が高く、長身の大公と並ぶとお似合いに見えた。
街は結婚を祝う祭りで賑わい、大公妃を歓迎する催しも開催されている。
「歓迎のメインイベントが武術大会っていうのが、この街よね」
「お姫さまを歓迎するんだから、普通は舞踏会とかじゃないの?」
「そんな血生臭いイベント、いっそ嫌がらせよね。もしかしたら、この街の上層部も大公妃さまをさっさと追い出したいんじゃないかしら」
賭けに参加したメイドたちが、ひそひそと囁いている。
結婚を祝うメインイベントは、武器も魔術も制限なしの無差別武術大会なのだ。
大公妃杯と名付けられた大会は、優勝賞品に貴重な魔道具があることもあり、参加希望者が殺到しているという。
相手を殺せば失格というルールはあるが、何せ武器も魔術も制限なしだ。運悪く命を落とす者は出るだろう。
そのような殺伐とした大会が、大公妃を歓迎するために催される。
ミアにも、本当は大公妃を歓迎していないのではないだろうかと思えた。もしかしたら手荒い洗礼なのかもしれない。
大公妃が一か月以内に逃げ出していくと賭けた者は、武術大会の開催を歓迎しているようだ。
このイベントで心が折れるか、それともまだ持ちこたえるか、賭けに参加したメイドたちは息をひそめるように様子をうかがっている。
「早く出ていってくれないかしら。そうしたら、どうにか大公さまに近づいて、愛妾の座を……」
「あんたなんか、大公さまが相手にするはずがないでしょ。遠目に見ても、大公妃さまはお綺麗だったわよ」
「いくら美人だって、この街に耐えられないんじゃ意味がないわよ。それなら、全部わきまえている女のほうが良いに決まっているわ。それに、前は大公さまも別の女と一緒に街を歩いていたっていう話も聞いたし、可能性はあるわよ」
中には、賭けだけではなく、他の目的がある者もいるようだ。
ミアがこの地にやってきてからは大公の姿自体を見たことはないが、以前は街の中を普通に歩いていたらしい。
美しい女を連れていたという話はミアも聞いたことがあったが、それが誰かまではわからなかった。
ただ、身分の高い女性が外から屋敷を訪れたことはないそうなので、おそらく後腐れのない遊び相手なのだろう。
「ああ、ミア。あんたに特別な仕事を頼みたいんだ」
様々な思惑の絡む武術大会の本戦を翌日に控え、ミアはメイド長から声をかけられた。
首を傾げながらミアはメイド長についていく。
すると、勤めて日が浅いミアが普段は決して立ち入ることのない、屋敷の奥まで連れていかれた。
「失礼いたします。おっしゃっていたメイドを連れてまいりました」
とある部屋にたどり着くと、メイド長は扉を叩いて中に入っていく。促され、ミアも緊張しながら続いた。
「ご苦労さま」
奥から涼やかな声が響く。
ミアは頭を下げることも忘れ、ただ呆然と声の主を見つめることしかできなかった。
銀色の髪と紫色の瞳を持つ、同じ人間とは思えないような、繊細な彫刻のように整った顔立ちの青年だ。まだ二十歳になるかならないか程度の若さに見える。
青年は作り物めいた顔に何らかの色を浮かべることもなく、ミアに視線を向けた。
「……ミア」
メイド長に小声で促され、ミアは慌てて頭を下げる。
明らかに身分の高い相手だ。今まで噂に聞いた容姿と合致することから、おそらくブランシア大公ブラント本人だろう。
下っ端のメイドに過ぎない自分が何故この場に呼ばれたのか、ミアはさっぱりわからずに震えそうになる。
「うん、ちょうどいいんじゃないかな。じゃあ、よろしく」
だが、ミアの困惑をよそに、ブラントはそれだけを言うと二人の退出を促す。
メイド長はミアを引き連れて部屋を出ると、別の部屋に移動した。
「単刀直入にいうよ。あんたには、明日の武術大会で大公妃さまの身代わりになってほしいんだ。背格好が大公妃さまと似ているからね」
「えっ……?」
切り出された話に、ミアは唖然としてメイド長を見つめる。
「事情があって、大公妃さまは明日の武術大会を観覧できないんだ。だから、その間あんたが変装して、大公妃さまのふりをしていてほしいんだよ」
説明された内容に、ミアはそういうことかと思い始めた。
今日も武術大会の予選が行われているそうだが、本戦は明日だ。大公夫妻が観覧するのは、本戦だけとなる。
おそらく、高貴な大公妃は血生臭い武術大会など見たくないのだろう。そのための影武者というわけだ。
ミアはジグヴァルド人の血が流れているためか、セレスティア人にしては身長が高い。大公妃も身長が高かったようなので、選ばれたのだろう。
大公妃の髪の色は銀色で、ミアは薄い茶色だが、髪や顔を隠せば遠目にはごまかせるのかもしれない。
「武術大会の間、大公さまの隣で座っていればいいだけだから、難しいことはないよ。もちろん、特別手当も出る。どうだい?」
メイド長から問いかけられ、ミアは戸惑いながらも頷いた。
いちおう問いかけの形ではあるが、断れる雰囲気ではない。
引き受けるのも少し恐ろしくはあるのだが、断ったときにどうなるかという不安と、特別手当の前には些細なことだった。
街の闘技場で武術大会本戦が開催され、ミアは貴賓席でじっと黙って座っていた。
ヴェールで顔と髪を隠し、シンプルな水色のドレスを纏って、大公妃の替え玉として座っているが、居心地はとても悪い。
隣にいるのは整った顔に何の表情も浮かべていない大公だ。大公妃の役割を演じているとはいえ、所詮身代わりでしかないミアには近寄りがたい。
そして、最も居心地の悪さを高めているのは、後ろに控えるメイドたちだ。
ミアと同僚のメイドたちで、賭けに参加していた者ばかりがずらりと並んでいる。
同僚のメイドたちに囲まれながら大公妃の身代わりをするという状況に、ミアの緊張は高まっていく。
しかも、この顔ぶれを見ると、もしかしたら賭けのことが発覚したのかもしれない。
何かお咎めがあるのだろうかと、ミアの心は重たくなっていく一方だ。
「まだ働き始めて日が浅いきみたちにも、この街のことをよく知ってもらおうと思ってね。しっかりこの大会を見ておくといいよ」
口元にほんのわずかな笑みを浮かべながら、大公はそう言った。
集められたメイドたちも、顔ぶれから賭けのことには思い至っているだろう。だが、そのようなことなど忘れて大公に魅入ってしまう者が多い。
大公は優れた魔術師でもあるという話だが、声や容姿にも魅了の魔術がかかっているのだろうかと思えるほど、ミアも目が離せなくなってしまう。
「さあ、始まるよ。……一対戦目からいきなりか」
大公の声によって、ミアやメイドたちは舞台に目を向ける。
何やらぼそりと大公が呟いたようでもあったが、隣にいるミアにもよく聞こえなかった。
武術大会本戦はトーナメント式で、予選を勝ち抜いた選手たちが競い合う。
出場選手のほとんどはハンターだという話で、中には高名な者もいるらしい。
一対戦目の選手たちは、一人は筋骨隆々の大男という、この街にふさわしい者だ。
だが、もう一人はか弱そうな銀髪の女性だった。思わず、ミアは見間違いではないだろうかと身を乗り出しそうになってしまう。
女性にしては長身だが線が細く、対戦相手の大男から比べれば小柄といってもよいだろう。目元を隠す仮面をつけているため、顔はよくわからない。
本戦に出ているということは予選を通過したのだろうから、弱いということはないはずだ。
どう見ても殴り合いをしそうな風情には見えないので、魔術師なのかもしれない。
観客たちも戸惑っている様子の者が多いようだ。
魔術も制限なしとはいえ、通常は魔術を展開するまでにある程度の時間を要する。その間に距離を詰められたとすれば、魔術師などあっけなく負けるのが常識だ。
この舞台上の開始位置では、戦士と魔術師なら戦士が有利だろう。
魔術師が戦うのならば、いかに距離を取って魔術を発動させられるかが鍵となる。
本当に彼女が魔術師なのかはわからないが、対戦相手にあっさり殺されてしまうのではないだろうかと、ミアは恐ろしくなってくる。
「よく見ておくといい」
ところが、大公は薄く笑みを浮かべたまま、舞台を眺めていた。
残酷な場面を楽しむ性質があるのだろうかと、ミアはぞくりと身を震わせる。
開始の合図が響き、ミアは目を背けたくなる気持ちを必死に抑えつけて、舞台を眺める。
すると、細身の女性が一瞬で距離を詰めて、筋骨隆々の大男を殴りつけた。
大男は吹っ飛ばされ、大きな放物線を描いて地面に墜落すると、動かなくなる。
「……え?」
自分の目が信じられず、ミアは思わず戸惑いの声を漏らしてしまう。
大公妃を演じているのにしまったと思ったが、後ろのメイドたちも舞台上の出来事に度肝を抜かれているようで、ミアのことなど気にしている余裕はないようだ。
観客たちも静まり返っている。
「……勝者、アナ!」
気を失ったらしい大男の状態を確かめた審判が、勝者の名を告げる。
その途端、場内が爆発しそうな声援に覆われた。
悠々と舞台袖に引っ込んでいく勝者の姿を見送りながら、ミアは呆然としたまま、彼女はアナという名なのかとだけ思う。
今のはいったい何だったのだろうか。
肉弾戦などするような外見には見えなかったが、とんでもない力だった。
いきなり殴りつけるのは、あまりにも予想外だ。
ミアが大公の様子を伺ってみると、彼は満足そうな笑みを浮かべて舞台を眺めていた。
どうやら大公は、今の勝者のことを知っているようだ。
しかし、ミアにそのことを大公に問いただす勇気などない。
ただ黙って、次の試合が始まるのを待つことしかできなかった。
後ろに控えるメイドたちも、戸惑っているようではあったが、何かを口にする者はいない。
それからも、アナという選手は圧倒的な強さで勝ち進んでいった。
他の選手たちも、決して弱くはない。中にはミアも名を聞いたことがあるような有名なハンターもいたが、彼女は軽々とねじ伏せていった。
しかも、か弱そうな外見に反して、拳で殴りつけるという暴力的な戦い方だ。相手が武器を持っていようが、拳だけで戦っている。
彼女は一度も相手の攻撃を受けることなく、決勝戦まで勝ち上がった。
「さて、決勝か。きみたち、彼女をどう思う?」
決勝の舞台に上がってきたアナを指し示し、大公はメイドたちに向けてそう問いかけた。
メイドたちは突然の問いかけに驚き、誰も言葉を返せない。
しかし、大公は返事がないことに気を悪くした様子もなく、にこやかな笑みを浮かべていた。
そしてすぐに決勝戦が始まり、問いかけはうやむやになる。
決勝戦も、一方的だった。
対戦相手もこれまでの戦いでは強さを見せつけてきたのだが、アナの前にはまるで子ども扱いだ。
あのアナという選手はいったい何者なのだろう。
そう考えたところで、ふとミアは大公妃の名前がアナスタシアだったことに気付く。
絶対にありえないだろうという思い込みにより、頭から抜け落ちていた名だ。
まさかと思ったところで、勝敗が決着した。
余裕を持って優勝者となったアナは、会場の声援に応えるように片手を上げると、もう片方の手で目元を覆っていた仮面をはずす。
そこに現れたのは、怜悧な美貌だった。絶世の美形とすら呼ばれる大公と並んだとしても、見劣りしないくらいだ。
会場の声援がいっそう高まる。
「優勝は……はい?」
優勝者の名を告げようとした審判だが、そこに一人の係員がやってきたため、口をつぐむ。
係員が審判に何かを告げると、審判ははた目にもわかるほど動揺して、何かを問い返していた。
だが、係員は頷いて舞台袖に引っ込んでいく。
「ゆ……優勝は、ブランシア大公妃……アナスタシア殿下!」
やけになったような審判によって彼女の本当の名が叫ばれ、会場の声援は驚愕の叫びに変化する。
やはりそうだったのかと思いつつ、それでもミアは信じられない気持ちで、呆然としていた。
メイドたちも信じられないといったように固まっている。
「え……どういうこと……?」
「あの、とんでもなく強いのが大公妃さま……?」
「そんな……嘘でしょう……?」
ややあって、メイドたちが驚愕の呟きを口々に漏らす。
大公の前であるということも忘れ去るほど、衝撃的だったようだ。
「ミア、だったね。もうそれを取ってもいいよ」
大公から声をかけられ、ミアは反射的にびくりと身をすくませる。
だが、何を言われたのかを理解すると、わずかに震える手でヴェールを取った。
メイドたちの驚きの視線がミアに集中して、ミアは逃げ出したくなってくる。
「余興に協力してくれてありがとう。……さて、あの舞台に立っているのが俺の愛する妻、アナスタシアなんだけれど、この街から逃げ出しそうに見えるかな?」
にこやかな大公から、メイドたちはいっせいに視線をそらす。
やはり賭けのことを知っていたのかと、ミアもいたたまれない気持ちでいっぱいだった。
大公妃杯と名付けられた武術大会の優勝者は大公妃本人という、脳筋領と囁かれるこの地にふさわしい結果となった。
賭けに参加したメイドたちは、口頭での注意で終わった。
解雇になってもおかしくないようなことを仕出かしたにしては、あまりにも軽い処罰だ。
だが、メイドたちは二度と、このような賭けなどしないだろう。
今までは大公妃のことをよく知らず、ただのか弱くわがままなお姫さまだと、どこかなめていたのだ。
本当の大公妃の強さを知った今では、恐ろしくて不敬を働くことなどできるはずがない。
「王都から来た、大公妃さまの侍女に笑われたわ……」
「大公妃さまって、魔族三人を同時に相手しても屠るような化けもの……いえ、お強い方だそうね……」
「大公さまとも政略結婚じゃなくて、恋愛結婚だって……」
次々ともたらされる真実に、メイドたちは何と愚かな賭けをしてしまったのだろうと、恥じ入るだけだ。
ちなみに以前、大公が連れて歩いていた美しい女というのも、大公妃だったらしい。
大公夫妻は優れた魔術師で、魔術で転移することができるという。
普通の貴族のように馬車で訪れるのではなく、転移して直接来ていたため、外部からはわからなかったようだ。
愛妾の座を狙っていたメイドは、すっかりうなだれて口をつぐんでしまった。
そして、大公妃がいつ逃げ出すのかという賭けだが、そのようなことはあり得ないとなりながらも、没収とはならなかった。
せっかくだから賭金を払えと大公が言ったためだ。
ミアは大公妃の身代わりを演じたが、それは背格好が大公妃と似ているためだけではなく、おそらくはミアが賭けた内容にもよるのだろう。
「……ミアはうまいことやったわね」
同僚のメイドたちによる、恨みのこもった視線を受けながら、ミアは賭金を受け取る。
不敬ともいえる賭けに参加したくなかったミアは、どうしても参加をせまられて仕方なく、『逃げ出さない』に賭けたのだ。
実のところ、本当にそう思ったわけではなかったが、結果として当たった。
それに賭けた者はミアだけで、一人勝ちの大儲けだ。
大公妃の身代わりをしたことによる特別手当と、一人勝ちの賭金で、懐はとても暖かい。
これで故郷の弟妹たちに仕送りもできるだろう。
全て、大公妃のおかげだ。ミアは感謝しつつ、よくお仕えしようと誓った。






