207.次元の狭間
アナスタシアの拳が、ジェイミーの心臓を捕らえた。
ありったけの魔力を込めて、アナスタシアは一撃で心臓を破壊しようとする。
それをジェイミーは唖然としたまま見つめていた。
とっさに何か対抗するだけの余裕もないようで、アナスタシアの魔力が心臓に届いたとき、ジェイミーはようやく視線を動かす。
だが、ジェイミーが視線を向けた先はアナスタシアでも、自分の心臓でもなく、遠い方向だった。
そして、心臓を破壊されたジェイミーの体は、灰となって崩れていく。
「こんなことなら……あのとき、一緒に……」
最期まで一点を見つめたまま、ジェイミーは灰となって消えていった。
宣言通り、一撃で心臓を破壊したので、さほど苦しまなかったはずだ。
アナスタシアは安堵と虚しさが入り混じった気持ちで、ジェイミーが消えていくのを見送る。
そのとき、爆発音が響いた。
灰になるまでずっとジェイミーが見つめていた方向だ。
何事かと思ってアナスタシアが視線を向けると、炎の鳥が空に昇っては急降下するのを繰り返していた。
炎の鳥はいつかブラントが操っているのを見たことがあるので、おそらくブラントがシンに向けて放っているのだろう。
しかし、三連続の爆発を受けても、シンは生きていた。
アナスタシアには聞こえなかったが、ブラントとシンは何かを話しているようだ。
何かあれば対応できるよう、アナスタシアは術式の準備をして様子を窺う。
「……え?」
すると、突然シンが自分の胸に聖剣を突き立てた。
アナスタシアは思わず戸惑いの声を漏らしながら、駆け寄っていく。
どうやらブラントも困惑しているようだ。
シンに刺さった聖剣が、淡い光を放つ。
光は徐々に強くなっていき、シンも光で包み込む。
そして、光は粒となってふわふわと立ち上っていった。
聖剣とシンは、光の粒となって消えていく。
「これは……何……?」
何が起こっているのかわからず、光の粒を眺めるしかないアナスタシアの元まで、一粒の光が飛んできた。
その途端、アナスタシアの目の前が急激に暗くなっていく。
「アナスタシア……!?」
ブラントの声がかすかに聞こえてきた気がしたが、確かめることもできず、アナスタシアの意識は闇に閉ざされた。
アナスタシアが気付くと、ぼんやりとした何もない空間が、目の前に果てしなく広がっていた。
灰色の滑らかな床らしきものはあったが、その上には何も見当たらない。
ぐるりと全方向を眺めても、何も発見することはできなかった。
「ここは……」
アナスタシアが漏らした声が、反響する。
果てしなく広い空間のようでありながら、狭い部屋に閉じ込められているようでもあった。
「……どうしてこんなことになってるんだよ」
後ろから声が響いて、アナスタシアはびくりと身をすくませる。
誰もいなかったはずなのに、アナスタシアが後ろを振り返ると、そこにはシンの姿があった。
胸に刺さっていたはずの聖剣はなく、傷を負っている様子も見当たらない。
「どうして……自分に聖剣を突き立てたはずじゃ……」
愕然としながら、アナスタシアは呟く。
「そうだよ。リセットしたつもりだったのに、こんな中途半端な場所に来るなんて……余計なのが交ざったせいかな」
苛立ったようなシンの声で、アナスタシアははっと身構える。
もしかしたら、戦いはまだ終わっていないのかもしれない。
「おっと、待ってくれ。もう争うつもりはないんだ。きみだって、ここから抜け出せないのは困るだろう?」
焦ったシンの言葉で、アナスタシアは準備しかけた術式を引っ込める。
確かに、こんな場所にずっと閉じ込められたままなのはごめんだ。
シンが脱出方法を知っているというのなら、怒りや恨みといったものはいったん飲み込んでおいたほうがよいだろう。
「……ここは、どこなの?」
「多分、次元の狭間。迷い込んじゃったみたいだ」
ため息をつきながらシンは答える。
シンの持っているわけのわからない知識には頭を悩ませたものだが、今はそれが頼りだ。
「脱出方法はわかるの?」
「確か、感情が鍵になるはず。最も確実なのは、愛の力で道を見つけることだったと思う」
「……それだったら、永遠に道を見つけられそうにないわね」
アナスタシアは苦笑する。
愛とはいうが、シンとの間にそのような感情はもはや起こらないだろう。
それしか方法がないのなら、本当にお手上げだ。
だが、最も確実なのがそれだというのだから、成功率は低いのかもしれないが、他にも方法はあるのだろう。
「うーん……そういえばパーティーメンバーで、きみだけには手を出さなかったんだよね」
「……はい?」
思わず、アナスタシアは間抜けな声を漏らしてしまう。
何を突然言い出すのかという驚きと、ベラドンナとグローリアには手を出していたのかという衝撃だ。
だが、前回の人生でベラドンナとグローリアがアナスタシアをいじめてきた理由の一端に触れたような気もする。
表向きはアナスタシアが恋人だったのは、禁呪を使わせるためだけではなく、セレスティア聖王国の王女という身分のためだったのだろう。
ベラドンナとグローリアも、身分を持ち出されては納得せざるを得ない。
アナスタシアの悪口を言いながら、あれはお飾りで本当に愛しているのはきみだとでも囁いていたのだろうかと、頭が痛くなってくる。
それでいて最後はジェイミーと結婚しようとしていたのだから、救いようがない。
二人のことは妾扱いだったのだろうか。
「ベラドンナとグローリアのことは、それなりに愛着があったんだよね。だから、きみのことも抱いてみれば愛情がわくかもしれない。試しに一回やらせてよ」
恥もためらいもなく、シンは平然とそう声をかけてくる。
これほど最低な誘いの言葉があるだろうか。アナスタシアは冷え切った心に、怒りを通り越した感動すらわきあがってくるのを感じていた。






