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02.新たな目覚め

 小鳥のさえずりを聞きながら、アナスタシアは目を覚ました。

 これまで常に体を苛んでいた苦痛は消え、息苦しさもない。身を起こしてみるが、重たくて動かなかった体は軽く、あっさりと起き上がることができた。

 天の国に召されたのかと周囲を見回すが、そこは見覚えのある部屋だった。

 アナスタシアが以前通っていた、ラピス魔術学院の寮と同じだ。


「これは、いったい……」


 口から漏れた呟きは、張りのある声だった。魔王との戦い後の、苦痛に苛まれながらやっとのことで吐き出していた、しわがれた呻き声ではない。

 部屋の鏡を見てみれば、灰色の長い前髪から青色の瞳がかすかにのぞく、野暮ったい顔が映っていた。肌には艶があり、頬がふっくらとしている。

 慣れ親しんだ、元気だった頃の自分の顔だ。


「そんな……治ったというの……? いえ……ちょっと違う……」


 思わず呟きながら、まじまじと顔を見てみる。

 すると、記憶にあるよりも少し幼いような気がした。三、四年ほど前のようだ。

 確かその頃は魔術学院に通っていたはずだと思いながら、アナスタシアは窓を開けてみる。

 すると、紺碧の城壁が遠くにそびえていた。魔術的な防御壁でもある、学院都市の名物だ。青を基調とした建物が並んでいるのも見える。

 かつて何度となく見た景色だった。


「まさか……本当に魔術学院……?」


 今度は部屋の中を見回してみる。

 机の上に日記があったので開いてみると、そこにはアナスタシアの記憶よりも三年半前の日付が記されていた。十四歳で魔術学院に入学したばかりの時期だ。

 最後に記されたページには、基礎の授業を受けているが、明日からは実技が始まるといった内容があった。

 その後のページをめくっても、何も書かれてはいない。


 まさか過去に戻ったとでもいうのだろうか。

 書かれている日付が正しければ、勇者と出会う一年半ほど前の、まだ世の中が平和だった頃だ。

 それとも、もしかしたら今までのことが夢で、本当はアナスタシアは勇者などと出会っておらず、ただの魔術学院一年生なのかもしれない。


 混乱したまま、アナスタシアは日記を閉じる。

 すると、日記の横に赤い石のブローチが置いてあったことに気づく。ほのかに魔力が漂っていて、どうやら守りの石らしい。

 記憶にないブローチだったが、特別珍しい品というわけでもない、ちょっとしたお守りのようだ。

 少し考え、アナスタシアは制服のポケットにブローチを入れる。


 すぐにブローチのことは意識から消え去り、アナスタシアは身支度を整えて部屋を出た。

 寮の食堂で朝食をとるが、食事の味や熱も感じられる。

 魔王との戦いで体を壊してからは、このように温かい食事などしたことはなかった。野菜と細切れの肉が入ったスープにパンという簡素なものだったが、心に染み入るほど美味しく、涙が出そうだ。

 じっくり味わって食べていると、アナスタシアの近くを通りかかった学生の一人が足を止めた。


「まあ、このようにみすぼらしい食事でも、感動するほどなのかしら。田舎の貧民というのは、とてもお気の毒なのねえ……。でも、これから頑張って学べば、毎日食事をとれるようになりますわよ。精進することですわね」


 金髪をまるで武器のような鋭い縦ロールに巻いた少女が、哀れむような表情を浮かべて、そう声をかけてきた。

 確か、同じクラスでレジーナという名だったはずだ。

 アナスタシアが死ぬ前の記憶によれば、彼女は一年生の首席だったが、当時はほとんど接点はなかった。ただ、よく高笑いをしていて、自信にあふれていたような記憶がある。


「は……はあ……」


 貶められているのか、励まされているのか、判断に迷う内容で、アナスタシアは間抜けな声を漏らすことしかできなかった。

 レジーナは特に気にする様子もなく、縦ロールを揺らしながら去っていく。

 どうやら何か勘違いさせてしまったようだが、たいしたことではないかと、アナスタシアは気にしないことにした。


 それよりも、もうすぐ授業が始まる。

 アナスタシアは食事を終えると、かつて通っていたはずの教室に向かった。そこにもやはり自分の席があり、ややあって現れた教師もアナスタシアを当然のものとして受け入れているようだ。


「今日から、実際に魔術を発動させる実技を行う。このクラスは魔力量の多い者ばかりのクラスだ。念のため、魔術障壁のある場所で行うことにする」


 教師に率いられ、クラスの生徒たちは中庭に移動する。

 すでに仲の良い相手を見つけ、連れ立って歩いている生徒たちもいるが、アナスタシアは友達と呼べるような相手はいない。一人で歩いていると、大柄な男子生徒が近寄ってきた。


「お前が筆記試験でトップだった奴か? でもな、そんなの所詮は机上の空論なんだよ。魔術師に求められているのは、実戦で魔術を放つことだってわかってんのか? 頭でっかちのお嬢ちゃんは引っ込んでろよ」


 男子生徒は鋭い目つきでアナスタシアを見下ろしながら、剣呑な声をかけてくる。

 そういえば以前、同じことを言われたとアナスタシアは思い出す。確かに彼は魔力量が多かったはずで、ホイルという名だった。

 そのときは脅されているようで怯えてしまい、実技にも身が入らなかったのだ。しかもこの経験がトラウマになってしまい、しばらく魔術を使うのには苦手意識がつきまとうことになり、実技の成績も奮わなかった。


 しかし、今のアナスタシアは魔物たちと渡り合い、魔王すら倒した記憶を持つ。

本物の実戦を幾度となく経験しているのだ。

 それらから比べれば、彼など子犬がキャンキャン鳴いているようなもので、微笑ましさすら感じられる。

 思わず、口元に微笑みが浮かんでしまった。すると、ホイルがむっとした顔になる。


「あ? 筆記ができるからって、実力があると勘違いしてんじゃねえよ。でもまあ、それも俺の魔術を見るまでだ。格の違い、ってやつを見せてやるぜ。自分がどれだけちっぽけな存在か、思い知るんだな」


 びしっと指を突きつけて言い放つと、ホイルは離れていった。

 かつてなら恐怖に震えたかもしれないが、今となっては敵視していることを隠そうともせず、堂々と喧嘩をふっかけてくるあたり、好感すら持てる。

 本当に恐ろしいのは、好意を持ったふりをして近づいてきて、笑顔で奈落の底に突き落としてくるような相手だ。


 そうしているうちに、中庭に着いた。

 中庭全体を魔術障壁が覆っていて、奥に木の人形が立っている。どうやら木の人形にも防御を高める魔術が施されているようだ。


「では、一人ずつ的に向かって魔術を放ってもらう。まずは練習だ。うまくできなくても気にすることはない。気楽にやるんだ」


 教師の指示により、一人ずつ木の人形に向かって魔術を放っていく。

 ほとんどの生徒はどうにか発動させた程度の軽めの威力だった。使用しているのは初級魔術だが、術式をうまく扱えていない。

 その中で縦ロールをなびかせながら風の初級魔術を放ったレジーナは、頭一つ抜けた威力だった。幾重もの風の刃が木の人形を切り裂いていく。

 それでも木の人形はそのまま立っているので、かなり魔術に対する防御力は高いらしい。

 やがてホイルの番が来ると、彼は自信満々に炎の中級魔術を放った。


「おおーっ!」


 クラスメイト達からどよめきが上がる。

 木の人形全体が渦巻く炎に包まれ、持ち上がったのだ。天を目指して炎が駆け上がっていくが、魔術障壁に阻まれた。しばらくそのまま燃え上がった後、やがて炎が薄れてくると、木の人形も落ちてくる。

 これまで無傷だった木の人形が、わずかに焦げていた。

 言うだけあって、なかなかの魔力量だとアナスタシアは感心する。制御が甘く、術式に無駄も多く見られるが、魔術学院に入学したばかりとは思えない威力だ。


「どうだ、これが魔術ってもんだ」


 ホイルは得意げにアナスタシアを見ながら、胸を張る。

 次はアナスタシアの番だった。

 クラスメイト達から、これだけの威力の後に順番が回ってくるとはついていないと同情の視線が浴びせられる。


 アナスタシアは自らの魔力回路に意識を向ける。

 かつての全盛期よりは弱く、頼りないが、傷ついているわけではない。しっかりと魔力の流れは感じられる。

 魔術を放つこと自体に問題はないだろう。ならば、術式はどれほどのものが扱えるのだろうか。

 前回の人生の、この時点では決して扱えなかった魔術の知識が、今のアナスタシアには残っている。魔族との戦いの中で得てきた、人間からは失われた知識だ。


 今の力の見極めをしてみようと、アナスタシアは術式を編み上げていく。

 使用するのは【点火】の魔術だ。指先に小さな火を灯すだけの魔術だが、周囲の魔素を取り込みながら、これを圧縮する。

 本来ならば攻撃にもならないような、威力の低い魔術であるそれを、木の人形に向かって放つ。


「あー……」


 指先ほどのごく小さな火の玉が、ゆらゆらと木の人形に近づいていくのを、クラスメイト達は生温かい目で見つめた。

 やっぱりこの程度だろうなという視線だ。これまでの生徒たちの大半は似たような威力だったので、ことさら蔑むことはないが、落胆が混ざっているのは否めない。

 勝ち誇った顔をしながら、ホイルが鼻で笑う。


 ところが、小さな火の玉が木の人形に届いた途端、耳をつんざくような爆発音が響いた。炎と煙が巻き起こり、爆風で吹き飛ばされそうになるのを、アナスタシアは魔術障壁を張って防ぐ。

 木の人形の破片らしきものが空中から降り注いでくるが、魔術障壁に阻まれる。

 しかし、中庭に元からあった魔術障壁に罅が入っていた。ピキリ、と甲高い音が響く。

 これはまずいと思い、アナスタシアは慌てて中庭の魔術障壁を強化する。すぐに罅は塞がり、続いて炎も消せば、後にはバラバラの残骸が転がるだけで、何事もなかったかのような静けさが戻ってきた。


 威力は全盛期より落ちるが、それでも術式の扱いに問題はない。反動もなく、これくらいならば連発しても大丈夫だろう。魔力回路の弱さは、魔素を取り込む術式で十分カバーできるようだ。

 魔術障壁も不具合はなく、既存の術式を強化することも可能だった。

 現時点でこれだけの威力があるのならば、魔力回路を鍛えていけば、かつての全盛期を超えられるのは間違いない。

 アナスタシアは分析しながら、もう二度と使えないと思っていた魔術を再び扱える喜びに酔いしれる。


「な……なんだよ、これ……おかしいだろ……そうだ、何か仕掛けがあるんだろ! 卑怯な手を使いやがって!」


 あっけにとられ、ぽかんと固まっていたクラスメイト達の中から、いち早くホイルが立ち直ったようで、騒ぎ始める。

 その声で、アナスタシアは我に返った。

 魔術を本当に使えるのか、またどれほどの威力で使えるのか、確かめたい気持ちばかりがはやってしまい、やりすぎたようだ。


「……なあ、卑怯な手を使ったんだろ? そうに決まってるよな? そうだと言ってくれよ……」


 泣きそうな顔でぶつぶつ呟いているホイルを見て、悪いことをしてしまったと、アナスタシアはそっと目をそらした。

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