19.それでよいのか
その後、特に変わった出来事もなく、日々は流れていった。
学院で授業を受け、放課後は図書室の隠し部屋でブラントと話したり、レジーナと買い物に行ったりと、充実している。
キーラやその取り巻きたちとは会うこともなかった。廊下で遠くから見かけたことはあったが、キーラはアナスタシアに気づくと、逃げるように遠ざかって行ったので、近づきたくないらしい。
ただ、女子生徒とすれ違ったときに、睨まれることが多くなった。
相手は二年生や三年生が多かったが、たまに一年生もいる。だが、よく知らない顔ばかりで、まともに口をきいたことのある相手はいない。
気分はあまり良くなかったが、睨むだけで何かしてくるわけではないので、アナスタシアは放置していた。
「今日の依頼は……あ、光蘚の採取依頼がある」
休日にはダンジョンに潜るのが習慣になりつつあった。
まるでパーティーでも組んでいるかのように、メンバーも一緒だ。
ホイルは月末にハンター昇級試験を受けて無事合格し、シャノン魔術王国における五級となった。
アナスタシアとレジーナは実績が足りず、昇級試験を受けられないため、六級のままだ。
ブラントも四級のまま、変わらない。
今日も四人でダンジョンに向かう。
いつも行くのは、日帰りできるダンジョンだ。今日は光蘚の採取依頼があるので、ちょうどよい。
「レナが毎回ダンジョンに行くようになるとは思わなかったな」
最初はハンターに対する偏見が窺えたレジーナだが、ここのところはむしろ楽しそうにダンジョンに向かっているようだ。
思わずアナスタシアが呟くと、レジーナもくすりと笑った。
「わたくしもこうなるとは思いませんでしたわ。でも、魔術の腕が上がっていることを実感できますのよ。そうなると、だんだん楽しくなってきましたわ」
レジーナはアナスタシアに教わりながら、ダンジョンの魔物を実験台として魔術の練習をしていた。
基礎的な能力はもともと高かったため、目に見えて上達している。
「……縦ロールのくせに、なかなかやるよな」
ぼそりと、やや悔しそうにホイルが呟く。
ホイルはあまり上達が見られていないのだ。もともと中級魔術も扱えて、威力は高かったのだが、そこから伸び悩んでいる。
「ホイルくんは自分の保有魔力に頼りすぎだと思うよ。効率の悪いやり方でも、力技でできてしまうからね。きちんと理論を学ぶと、どうしてそうなるのか仕組みがわかるから、より魔術の質を高めることができるよ」
「理論か……苦手なんだよな……でも、実際に見てみると、確かにそうなんだろうな……」
ブラントに諭され、ホイルはため息を漏らす。
理論をしっかり学んでいるレジーナの上達速度を見て、思うところがあるようだ。
実戦が大事で、理論など机上の空論のように言っていた最初の頃から考えると、大幅な進歩だとアナスタシアは感慨深くなってくる。
「前期試験が近づいてきているけれど、大丈夫かい? 実技でも筆記でも、赤点だと補習で長期休暇が潰れるよ」
「……はあ!? なんだよ、それ!」
ホイルが大声で叫ぶ。どうやら知らなかったらしい。
だが、騒いでいるのは彼だけだ。
「お前らは知ってたのかよ!」
平然としているアナスタシアとレジーナに、ホイルは噛みついてくる。
「もちろん。でも、関係ないだろうし……」
「実技も筆記も、赤点なんてありえませんわね」
アナスタシアもレジーナも、実技と筆記の両方とも問題ない。
赤点どころか、首席争いだ。
「ちっ……そういえばそうだったな……ちくしょう……俺だけか……」
愕然として、ホイルは俯く。
「いっそ、補習でじっくりと理論を学んだほうがよろしいのではありませんの? そうすれば、鳥頭といえども少しは身につくでしょう」
「……長期休暇は国元に帰るつもりだったんだよ。弟や妹たちが待ってるからな」
レジーナの嫌味に返す気力もないようで、ホイルは素直に答える。
「そうだ! 先輩! 先輩も俺と同じ平民だったはずだ! だったら、ろくに教育なんて受けてないよな! それで首席なんだから、何か抜け道とかあるんだろう!? 教えてくれ……ください!」
希望を見出したらしく、ホイルはブラントにすがりつく。
だが、ブラントは苦笑するだけだ。
「いや……俺、一回学んだらすぐ覚えるから。一年の頃から普通に実技も筆記も首席だったよ」
「……ちっくしょおぉぉぉ!!」
地団太を踏みながら、悔し涙を流すホイル。
最後の希望も絶たれたようだ。
彼の中ではすでに赤点は確定しているようで、アナスタシアも苦い笑みが浮かび上がってくる。
「うーん……そうだ、良いことを考えた。俺がホイルくんに試験対策を教えてあげようじゃないか。一年の前期の試験傾向くらい知っているから、まず赤点は免れることができると思うよ」
ぽんと手を叩いて、ブラントが明るい笑顔を浮かべる。
アナスタシアにはその笑顔がどこか胡散臭くも見えたが、ホイルは目の前に投げかけられた助けに飛びつく。
「……せんっぱいぃぃぃ!」
「ただ、条件があるよ。場所は図書室。周りに見られるから、俺と一緒にいることを何だかんだと言われると思う。それでもいいというのなら」
「いい! いい! 三年首席に一年の雑魚が教わってるのは生意気だとか言われるんだろ? それくらい、赤点回避できるならどうってことない! それに、俺だっていずれ学院トップを目指してるんだしな!」
何度も頷きながら、ホイルは高揚して叫ぶ。
先輩が後輩に勉強を教えるという、微笑ましい図のはずなのに、アナスタシアには何故か、ホイルが悪魔の取引に手を出しているように見えてしまった。
それから、図書室で勉強するブラントとホイルの姿が見られるようになった。
最初は周囲がざわめいていたが、図書室という場所もあってすぐに収まり、やがてちらちらと様子を窺われるだけになったようだ。
アナスタシアの周辺も、彼らの勉強会が始まってから変わった。
睨んでくる女子生徒の数が減っていき、勉強会開始から一週間も経つ頃には、すっかりなくなってしまったのだ。
それまで何回も睨んできて顔を覚えてしまった女子生徒も、今ではアナスタシアを見かけると気まずそうに視線をそらす。
「……今日は、ブラントさまがホイルくんの髪についたゴミを取って差し上げていたのよ」
「まあ……素敵ね。昨日は……」
そのようなとき、女子生徒たちがひそひそと囁いているのを聞いてしまった。
いったいどういうことだろうと思い、アナスタシアは授業が終わった直後、ホイルにそれとなく聞いてみる。
「なんか……先輩が妙に優しくて、ちょっと怖いんだよな。いや、怒らないで丁寧に教えてくれるし、わかりやすいし……ありがたいんだけどさ……。あと、生温かい笑みを浮かべながら俺を見てくる奴──特に女──が増えて、それも怖い……寒気がするんだよな……」
ホイルはどことなく疲れ果てた様子で答えた。
いったい何が起こっているのだろうと、アナスタシアは恐怖がわきあがってくる。
すると今度は、レジーナがアナスタシアを教室の端に引っ張っていき、神妙な顔で耳打ちしてきた。
「……ブラント先輩が、ホイルと付き合っているという噂が流れていますのよ」
「ぶっ……!」
思わず、アナスタシアは噴き出してしまう。
口の中に何も入れていなかったことを、心から感謝する。
「前はステイシィとの噂が流れていたのですけれど、それはきっとホイルと同じパーティーメンバーだったからで、おまけだったのだろう、と……」
「は……はあ……」
それで睨んでくる女子生徒がいなくなったのかと、アナスタシアは納得する。
まさか、本当にブラントはホイルに気があって、それで勉強を教えるなどと言い出したのだろうか。
「……別に俺は、ホイルくんに恋愛感情なんてないからね。ただ、アナスタシアさんに不快な真似をする連中が多いみたいだから、視線をそらそうとしただけだよ」
突然、斜め後ろから小声で囁かれ、アナスタシアはびくりと身を震わせる。驚きのあまり声も出ず、心臓が早鐘のように打つ。
何故か、ブラントがそこにいたのだ。
「さあ、ホイルくん。迎えに来たよ。今日も勉強しようじゃないか」
爽やかな笑みを浮かべてブラントが声をかけると、教室内に残っていた生徒たちがざわめく。
三年首席のブラントが、わざわざ教室までホイルを迎えに来たのだ。
きっとこれも、噂をしていた女子生徒たちの良いエサになるのだろうと、アナスタシアは冷静な部分でぼんやり思う。
「お、おう……」
気圧されたような顔をしながらも、ホイルはおとなしくブラントの後をついていく。
二人の後ろ姿を見送りながら、アナスタシアは唖然と立ち尽くす。
どうやら、アナスタシアのことを睨んでくる女子生徒たちをけん制するためだったようだ。
だが、ホイルとの恋愛関係を匂わせるというのはどういうことだろう。
生け贄にされたホイルは、よいのだろうか。
それに何故、アナスタシアのことは睨んできた女子生徒たちが、ホイルのことは生温かく見守っているのだろうか。
何より、ブラントは自身にそんな噂が立って、本当によいのだろうか。
疑問は尽きず、アナスタシアは頭痛を覚える。
レジーナと顔を見合わせると、レジーナも同じように珍妙な顔になっていた。
「……気晴らしに、買い物にでも行きましょうか」
「うん、そうだね……」
現実逃避気味のレジーナの提案に、アナスタシアも頷いた。






