18.恋はもうこりごり
アナスタシアが図書室の隠し部屋に行くと、そこにはすでにブラントがいた。
本を読んでいたブラントは、顔を上げてアナスタシアを見る。そして整った顔を曇らせた。
「……アナスタシアさん、何かあったの?」
「どうしてですか?」
「足に土がついている」
言われて、アナスタシアは自分の足を見てみる。払ったつもりだったが、少し土が残っていたようだ。
「ああ……これは……」
「もしかして、キーラ?」
どう説明しようかとアナスタシアが迷っていると、ブラントから犯人の名前が出た。
アナスタシアがはっとすると、ブラントはそれを肯定と受け取ったようだ。剣呑な光がブラントの瞳に宿る。
「やっぱりそうか……どうも様子が変だと思ったら、アナスタシアさんに危害を加えようとしたのか。仕方がない……潰すか」
「い……いえ、たいしたことじゃないので、大丈夫です」
物騒なことを言い出すブラントを、アナスタシアは慌てて押しとどめる。
キーラのことは敵だと思っていたが、潰すほどの恨みはまだない。
「……何をされたの?」
「ええと……何だかわけのわからないことをごちゃごちゃ言ってきた後、【埋没】を使われました」
有無を言わさぬ口調で問われ、アナスタシアは素直に答える。
「【埋没】? それ、場合によっては命に関わるだろう。やっぱり潰そう」
「い、いえ、術式を奪ってそのまま返してあげたので、本当に大丈夫です。土がついたのは、どれくらいのものか様子を見ていたからで……その気になれば発動前に術式を潰すこともできましたし、とにかく相手にもなりませんので、気にしないでください」
どうしても物騒な方向に行きたがるブラントを引き留めるべく、アナスタシアは正直に説明する。
すると、ブラントの瞳から剣呑な光が消え、代わりに驚愕が浮かび上がってくる。
「……キーラは性格に難ありといっても、実力は本物だよ。それを相手にもならない、か……。しかも、あっさり術式を奪ったっていうけれど、そんなこと学院じゃ教えないよ。教師でもできないんじゃないかな」
「そうなのですか……?」
ブラントに言われ、アナスタシアは術式の奪取を学院では教わらないということに驚く。前回の人生では学院に二年生までしか通っていなかったので、最高学年になればそれくらい教わるだろうといった意識だったのだ。
だが、よく考えれば術式を奪う方法は、魔族の知識から得たものだったことを思い出す。
魔術を使う相手との戦いでは、持続効果のある魔術は書き換えられないようにしておくのが当たり前だったので、つい失念してしまっていた。
「術式を奪うやり方、俺は知っているよ。でも、学院じゃなくて、母から教わったものだ」
「ブラント先輩のお母さまから……?」
「うん、母は魔術師だったらしくてね。教わったときはまだ幼かったから、今になってようやく使えるようになってきたものばかりだけれど。でも、学院で魔術を教わって、それが母から教わったものと違うと気がついたんだ」
ブラントの話を聞いて、アナスタシアの頭に真っ先に浮かんだのは『魔族』という言葉だ。
アナスタシアの扱う高等魔術は、魔族から得たものばかりだ。そして、ブラントの魔術も同じ系統のものが多い。
ブラントが彼の母からアナスタシアの知る魔術と同じ系統のものを教わったというのなら、彼の母はもしかして魔族ではないだろうかという疑念が浮かんでくる。
だが、ブラントは魔族に対して憎しみを抱いているようだった。安易に疑問を口に出すのは、はばかられる。
「俺の両親は駆け落ちしたらしくて、出身がどこかもよくわからないんだ。でも、アナスタシアさんの魔術を見ていたら、もしかしたら母は同じ一族なのかもしれないなと思って」
さらに続く言葉に、アナスタシアはびくりとする。
まるでアナスタシアが考えていた疑問に対して、答えを与えられているような気になってしまう。
だが、魔族の扱う魔術と古代魔術は似ている。ブラントの母は古代魔術の使い手だったのかもしれない。
「……ブラント先輩のお母さまは、今は……?」
内心の焦りを隠すべく、アナスタシアは話題を少しそらそうとする。
「亡くなったよ。俺がまだ幼い頃、魔物たちに襲われてね。両親は俺をかばって、二人とも亡くなったんだ。そのとき、魔物たちを率いていた奴には、赤黒い翼があった。だから……俺はいつか、そいつを倒そうと決めたんだ」
返ってきた言葉に、アナスタシアは愕然とする。
ブラントが彼の母から魔術を教わったのが幼い頃だったという話で、察しておくべきだった。
他のことに気を取られて、無遠慮な質問をしてしまったと、アナスタシアは後悔する。
そして同時に、ブラントが魔族に対して憎しみを抱く理由もわかった。赤黒い翼を持ち、魔物を率いているなど、魔族以外考えられない。
「ああ……気にしないで、もう昔のことだし。重い話をしちゃってごめんね」
アナスタシアの顔色を見て、ブラントは安心させるように微笑みかけてくる。
そして話を切り替えるように、ぽんと手を叩く。
「元はと言えば……キーラの話からこうなったのか。やっぱり、潰そうか」
「……そんなに潰したいんですか?」
思わず、アナスタシアは呆れて尋ねてしまう。
キーラがブラントに対して特別な感情を持っているのは明らかだ。それなのにブラントの態度が冷淡すぎて、キーラが少し気の毒になってくる。
「まあ……思い込みが激しくて、ちょっと疲れるよね。話も合わないし……学院を卒業するまでの辛抱か……。悪いけれど、彼女の期待には応えてあげられないな」
うんざりしたようなため息を漏らすブラント。
確かブラントはファンクラブがあるくらい、女子生徒には人気だ。それなのに、こうして隠し部屋に入り浸っているということは、恋人はいないのだろう。
キーラのことは好みではないにせよ、他に誰か気になる相手はいないのだろうかと、アナスタシアはふと疑問が浮かぶ。
「……ブラント先輩はどういう相手が好みなんですか?」
「アナスタシアさん」
何気なく尋ねたが、一瞬で返ってきた答えに、アナスタシアは絶句する。
嫌われてはいないだろうと思っていたが、まさか面と向かってこのようなことを言われるとは予想外だった。
もちろん、アナスタシアもブラントに対しては好意を持っている。だがそれは、優しい先輩であり、魔術を語り合う仲間でもある相手に対するもので、こうした場合はどうすればよいのだろうか。
アナスタシアは、頭の中がぐるぐるして考えがまとまらない。
「あの日、この隠し部屋に現れたときから、俺はアナスタシアさんのことが気になって仕方がないよ。古代魔術に詳しい人なんて初めてだったし、まともに語り合える相手なんてそれまでいなかったから、運命だと思った」
「あ……そういうことですね……そうですよね、古代魔術について話せる相手なんて、なかなかいませんものね……」
続く言葉で、アナスタシアは冷静さを取り戻しながら、乾いた笑いを浮かべる。
つまり、同志として好みの相手ということだろう。
勘違いした自分を恥ずかしく思いながら、同時にほっとしていた。
前回の人生での、恋人と信じていた相手に裏切られたことが、アナスタシアの心の奥底に恐怖を刻んでいた。もう裏切られたくないと臆病になった心は、その原因を遠ざけてしまえばよいと思っている。
恋なんて、アナスタシアはもうこりごりなのだ。






