174.打ち明ける決意
「そうか、俺は……アナスタシアさんがここに連れてきてくれたんだね。ありがとう」
状況を理解したらしく、ブラントが礼を述べる。
顔色もすっかり良くなっていて、アナスタシアはほっと息をつく。
二人はソファーに隣り合って腰掛けながら、話をすることにした。
「露店で買った黒い魔石が、やっぱり魔物化を促すものだったそうです。それを持った状態で魔族殺しのナイフで傷つけられたため、魔石を取り込もうとして拒絶反応が出たと言っていました。でも、取り除いて治療したので、問題ないそうです」
「そうだったんだ……情けないところを見せてしまったね。心配させてしまって、ごめん。アナスタシアさんのほうが、よっぽど倒れそうな顔色をしているよ」
アナスタシアが説明すると、ブラントは決まり悪そうにそう言って、気遣わしげに眉根を寄せた。
「い……いえ、タイミングが悪かっただけですので。こうして無事だったんですから、大丈夫です」
慌てて、アナスタシアは言い繕う。
顔色が悪いのは、間違いなく勇者シンのことを考えていたためだろう。
「……気を失う前に、誰かがあの襲いかかってきた男を倒していたような気がする。小柄な、少年のような……何か言っていたような気がするけれど、よくわからなかったんだよね……アナスタシアさんは何か聞いた?」
ブラントは思い出しながら問いかけてくるが、その内容にアナスタシアはぞくりとする。
まさか勇者シンのことを覚えているとは思わなかった。
勇者シンはアナスタシアよりも少し年上だったはずだが、小柄でアナスタシアよりも身長は低く、おまけに童顔だ。
「確かに、少年みたいな誰かがあの男を倒して、男からナイフを奪って立ち去っていきました。それで……ええと、その……ブラント先輩って、魔力回路を損傷していますか?」
殺す必要はないと言っていたことが真っ先に頭をよぎるが、それは口にするには恐ろしすぎる内容だ。
それとは別に、勇者シンはブラントが魔力回路を損傷していると決めつけていた。
そのようなはずがないと思ったが、もしかしたらアナスタシアの知らないところで、損傷していたということもあるのかもしれない。
疑問に思い、アナスタシアは尋ねてみることにした。
「え? 何、それ。損傷なんてしていないけれど……そんなこと言っていたの?」
しかし、返ってきたのはブラントの訝しげな顔だ。
「はい……魔力回路を損傷しているから、無理したら危ないと……」
「うーん……もしかして、あのナイフにそういう効果でもあるっていうことなのかな……でも、別におかしなところはなさそうだけれど……」
ブラントは考え込みながら、自分の魔力回路を探りつつ、呻く。
それを聞いて、アナスタシアは急に不安に襲われる。
魔族殺しのナイフという、ご大層な名前がついているのだから、魔力回路を損傷させる効果くらいはあったかもしれない。
「本当に大丈夫ですか?」
「うん、多分……見てみる?」
言うが早いか、ブラントは素早く上半身の服を脱ぎ出す。
突然の大胆な行動にアナスタシアは固まり、止めることもできないまま、ブラントの引き締まった上半身が露わになる。
「さあ、どうぞ」
ブラントは落ち着き払って、アナスタシアを促す。
以前、吸血の塔でブラントが魔力回路を損傷した後、アナスタシアが魔力回路を治療したことがある。
そのときにも同じように、ブラントが潔く上半身の服を脱ぎ捨てて戸惑ったものだが、魔力回路の状態は背中から見た。
魔力回路の状態を見るためには、心臓の近くに直接触れる必要があるが、正面からではなく背中からでも可能なのだ。
しかし、ブラントはアナスタシアに正面から向き合ったままで、背を向ける様子はない。
「あ……あの……背中を向けてもらえますか?」
「いや、不安だからアナスタシアさんを見ていたいんだ」
アナスタシアの願いを、ブラントは笑顔でしれっと拒絶する。
不安だなど絶対に嘘だろうと、アナスタシアは苦笑してしまう。
だが、ブラントの言い訳をひっくり返すような理由も思いつかず、アナスタシアは仕方なく向かい合ったまま、心臓の近くにそっと触れる。
思ったよりも硬い手触りと、伝わってくる温もりに、アナスタシアは自分の心臓が跳ね上がるのを感じる。
手からブラントの規則正しく脈打つ鼓動が伝わってくるが、それよりも自分の心臓が跳ねる音のほうが騒がしく感じるくらいだ。
「え……ええと……魔力回路を見てみますね……」
動揺を押し隠し、アナスタシアは魔力を流して内部を探ってみる。
しかし、損傷らしきものは見当たらない。
むしろ以前見たときよりも、魔力回路が強化されているくらいだ。
「大丈夫ですね……良かった」
ほっとしながら、アナスタシアは魔力を流すのを止めた。
だが、そうなると今度は、何故勇者シンは魔力回路の損傷などと言い出したのか、疑問が浮かんでくる。
今回の人生でブラントが魔力回路を損傷したことはあったが、それはアナスタシアを助けるために無茶をしたせいだ。
前回の人生ではアナスタシアとブラントに接点はないのだから、同じ理由で魔力回路を損傷したということはあり得ない。
アナスタシアの知らない何かがあるということだろう。
現時点でアナスタシアにとって勇者シンは、限りなく『敵』に近い存在として認識されている。
前回の人生の記憶を持っているという点ではアナスタシアも同じだが、勇者シンはそれ以上に様々な事情を知っているようだ。
どこからその知識を得たのかはわからないが、情報量では間違いなくアナスタシアが負ける。
勇者シンはブラントを殺す必要はないと言っていたが、だからといって安心はできない。
彼が何を企んでいるかわからない以上、鵜呑みにするのは危険だ。
さらに、もし前回の人生のようにダンジョンコアを砕いて回るというのなら、それも阻止する必要があるだろう。
勇者シンを止めねばならないのだ。
だが、本当に自分にそれができるのかと、アナスタシアは不安にかられる。
何を企んでいるかもわからず、自分よりずっと多くの知識を持っているであろう相手の真意を見抜き、いざとなれば止めるなど、どうすればよいのだろうか。
「アナスタシアさん……何か一人で抱え込んでいるだろう? 震えている」
ブラントの声で、アナスタシアはずっとブラントに手を触れたままで、しかもそれが震えていることに気付いた。
勇者シンとの出会いは、自分で思うよりもずっと心に負担をかけていたらしい。
手を離そうとするアナスタシアだが、その手をブラントが両手で包み込む。
「不安なことや気になることがあったら、何でも教えてって言ったよね。何かあっても一緒に乗り越えていけるって。だから、アナスタシアさんが抱えている重荷を、俺にも分けてほしい」
真摯な眼差しを向けられ、アナスタシアはブラントを見つめ返したまま、言葉を失う。
ブラントはいつでも、アナスタシアに真剣に向き合ってくれる。
これまでずっと張り詰めていた何かが、崩れていくのをアナスタシアは感じる。
もう隠すのはやめようと、強張っていた力を抜く。
たとえ頭がおかしいと思われても構わない。全てブラントに打ち明けてしまおうと、アナスタシアは吹っ切れたように微笑む。
「こんなことを言って信じてもらえるかわかりませんが……私は今から約二年半後にあたる世界で、死にました。そして気が付いたら、魔術学院一年生の入学当初に戻っていたんです」
アナスタシアが語り出すと、ブラントは息をのんで驚愕の表情を浮かべる。
だが、何か口を挟むことはなく、じっと耳を傾けていた。






