163.心の友
「……ええと、チェイスのことは実験で、黒い翼の魔王の件とも関わりがないというのなら、セレスティア聖王国を裏から操ろうといった意図はないのですか?」
気まずい雰囲気を打ち消すように、アナスタシアは一番聞きたいことを問いかけてみる。
「ないわ。アタシは、強くなりたいだけよ。エリシオンさまの隣に立てるくらい、強くなりたいの」
ララデリスは迷いのない声で、きっぱりと答える。
名を挙げられた当の本人は、眉根を寄せながら苦い表情を浮かべていた。
先ほどのような変態じみた態度を改め、今のような振る舞いをしていれば、おそらくエリシオンもララデリスをそこまで苦手としないだろう。
ままならないものだと、アナスタシアは額を指先でそっと押さえる。
しかし、アナスタシアは前回の人生でのララデリスの忠誠心を知っている。
虚無となった魔王エリシオンに勇者の剣が届くのをわずかでも防ぐべく、己の命を投げ出していた。
それを思うと、エリシオンの態度が冷たすぎて、ララデリスが気の毒になってくるのだ。
「その……そうして、普通に振る舞っていればいいと思います。あなたがエリシオンさまのことを想う心が本物であることはわかりますが、表現方法が……」
「……あなた、アタシの気持ちをわかってくれるの? アタシの想いが本物だって言ってくれるの?」
いたたまれず、アナスタシアが助言めいたことを言いかけたところで、ララデリスが震える声をアナスタシアに投げかけてきた。
ヴェール越しに、アナスタシアをじっと見つめているのがわかる。
「ええ、それは疑いようがありませんし……」
前回の人生で、実際にその証を目の当たりにしたのだ。
アナスタシアは、まっすぐにララデリスを見つめ返して頷く。
「……初めてよ……いつも、ふざけているとか、頭がおかしいだけのようにしか言われたことがなかったのに……アタシはいつでも真面目なのに……」
呆然と呟くララデリス。
ヴェールの下から一筋の雫が伝い、床に零れ落ちる。
「……ありがとう、アナちゃん! あなたは心の友だわ!」
ララデリスは感極まったように叫ぶ。
ヴェール越しなのに、キラキラとした眼差しを向けているのがわかる。
魔術による束縛がなければ、飛びついてきていたかもしれない。
「アナちゃん……」
思わず、アナスタシアは苦笑が浮かび上がってくる。
こういったところが、ふざけていると言われる所以ではないだろうか。
「そろそろ、この束縛を解いてくれないかしら? お友達に危害を加えるようなことはしないわ」
ララデリスにそう言われ、アナスタシアとブラントは顔を見合わせる。
だが、すぐに大丈夫だろうとアナスタシアが頷くと、ブラントが全ての魔術を解除した。
解放されたララデリスは立ち上がり、ヴェールをはずす。中から現れたのは、艶のある黒い髪を後ろで束ね、切れ長の黒い目を持つ、整った顔だ。
「グローリアは……気を失っているだけね。じゃあ、このままでいいわね」
部屋の入り口近くで倒れ込むグローリアを確認すると、ララデリスはそのままにしてソファーに腰掛ける。
「彼女のことが大切ですか?」
ふと気になり、アナスタシアは尋ねてみる。
前回の人生では、ララデリスは出会い頭にグローリアを攻撃していたが、使用したのは麻痺針だった。
もし致死性の毒を使用していれば、勇者パーティーの一人を葬れたはずだ。
それをしなかったということは、グローリアのことも大切に思っていて、魔族としての立場との間で板挟みになって悩んだのかもしれない。
「ええ、まあそれなりにね。この子は教祖一族の子で、何ていうか面倒を見ている子供のような感覚かしら。教祖に天人教団を作らせたのはアタシだから、責任を感じているのよね」
「天人教団を作ったのは、あなたなのですか?」
アナスタシアは、驚きながら問いかける。
「アタシのことはララでいいわよ。それで、作ったというよりも、作る手助けをしたというほうが正しいかしら。まあ、アタシの力がなかったらこんなこと、できやしなかったでしょうけれど」
「どうして、魔族のあなた……ララが天人を崇める教団なんかを……?」
途中で悲しそうにじっと見つめてこられたので、アナスタシアは名前を言い直す。
「そんなの、エリシオンさまを崇めるために決まっているじゃない!」
一切のためらいもなく叫ぶ声に、エリシオンがそっと額を手で押さえていた。
本当に崇拝対象はエリシオンだったのかと、アナスタシアは乾いた笑いが浮かぶ。
「……アタシは両親が黒い翼で、生まれたときから黒い翼なの。でも、エリシオンさまは銀色でしょう。怨念を力とすることによって翼が黒く染まるのなら、感謝の念を集めれば銀色に染まらないかと、試してみたのよ」
ぼそりと呟くララデリスの言葉で、本当にエリシオンのことが行動基準になっているのだなと、アナスタシアは感嘆の念を覚える。
天人教団はうさんくさいところはあるものの、実際に救われている人たちがいるのは間違いない。
だが、前回の人生の記憶では、ララデリスの翼は銀色ではなかったはずだ。
「結局、ちょっとは薄くなったけれど、濃い灰色ってところね。でも、続ければいつかもっと銀色に近づけるかもしれないわ。そうしたら、きっとエリシオンさまとも普通にお話しくらい……」
「いや……儂は、翼の色でどうこうということはないが……そこではなく……」
しんみりとするララデリスだが、困ったようなエリシオンの呟きが響く。
「ええと……さっきの巫女として接しているときのように節度ある態度でいれば、エリシオンさまも普通に話してくれるんじゃないかと……」
アナスタシアが助け舟を出すと、エリシオンも無言で頷いている。
「……あんな、取り繕った面白みのない態度で? そんなことで?」
本気でわかっていない様子で、アナスタシアは戦慄を覚える。
いつでも真面目だと言っていたが、感覚がずれているのかもしれない。
アナスタシアも人付き合いが得意なほうではないが、ララデリスはそういった領域を逸脱している。
「変態行為を強要してきたり、いかがわしいことを言いながら迫ったりしてこなければ、儂だって普通に接するから、そうしてくれ……」
疲れ切った様子でエリシオンもたたみかける。
すると、いまいち納得していないようではあったが、ララデリスは渋々頷いた。
「わかったわ……巫女プレイをすれば、エリシオンさまもお話ししてくれるのね」
何かがずれているが、もう面倒なのでアナスタシアは頷く。
エリシオンもこれ以上わかってもらうのは無理と諦めたのか、何も言わなかった。
「それで、アナちゃんのご用は他にないのかしら? 妹の病気を診てみるのはこれからとして、まだ何かあるかしら?」
ララデリスから問いかけられ、アナスタシアは最も大切なことを思い出す。
しかし、それはすでに希望が潰えて絶望したばかりだ。
それでもアナスタシアは一縷の望みをかけて、口を開く。
「胸を……成長させる呪法は……ありませんか……?」






