160.天人教団の巫女
さほど待つことなく、グローリアが巫女を連れて戻ってきた。
巫女は身長がアナスタシアよりもやや高めくらいの長身で、細身な体に見合わないほど立派な二つの膨らみを持っている。
思わずアナスタシアは奥歯を噛みしめたが、すぐに気を取り直して、平然と振る舞わなくてはと己に言い聞かせる。
顔を白いヴェールで隠した巫女は表情が窺えず、アナスタシアの様子をどう思ったのかはわからない。
控えている従者役のエリシオンが、完全に気配を遮断した。
かなり強く意識しなければ存在を認知できないほどで、普通の人間が使うようなやり方ではないだろうと、アナスタシアはつい苦笑してしまいそうになる。
もっとも、このエリシオンの態度で、今現れた巫女がエリシオンの苦手とする魔族であることがはっきりしたといえるだろう。
「お待たせいたしました。私が天人教団の巫女でございます。お話はお伺いいたしました。妹君のことでお悩みだとか……」
しっとりと落ち着いた声で、巫女は穏やかに口を開いた。
アナスタシアはその声を、どこかで聞いたことがあるような気がする。
だが、いつどこで聞いたのかがすぐに出てこない。おそらく、最近のことではないだろう。
表面上には出さないように気をつけながら、アナスタシアは心に警戒を張り巡らせておく。
「はい……もう手の付けようがなく、ほとほと困り果てております」
しおらしく、アナスタシアは答えた。
本当に困っているので、演技の必要はない。
「……王女殿下はかなりの治癒術の使い手とお見受けいたします。それでも手の施しようがなかったとおっしゃいますか?」
「はい、もうお手上げです。巫女さまには可能でしょうか?」
一瞬でアナスタシアの力量を見抜いたことに内心驚きながらも、アナスタシアは平静を装って問い返した。
「狂気……でございましたね。一瞬で完治はまず無理でしょう。しかし、時間をかけて治療を施せば、可能性はあるかと存じます」
「本当ですか……!?」
思わず、アナスタシアは本気で食いつく。
時間がかかっても、ジェイミーが改善される可能性があるのならば、試してみる価値はあるだろう。
「どのような状態かを拝見するまで断言はいたしかねますが……一度、お伺いいたしましょう。そして、治療が可能であれば定期的に訪問して、治療を施していくということで、いかがでしょうか?」
「はい、よろしくお願いいたします」
アナスタシアは嘘偽りなく、心から頷いた。
本来の目的ではない、口実の目的ではあるが、深刻な悩みなのは確かだ。解決できるのなら、それに越したことはない。
安堵を覚えながら、アナスタシアは内心で首を傾げる。
巫女の話し方は穏やかで知性を伺わせ、内容にもおかしなところなど何ひとつとしてない。
今のところは、アナスタシアも巫女に対して好感を持っている。
いったいエリシオンは何がそれほど苦手なのだろうか。
「ところで……私は王女殿下に興味がございます。そのお力……普通のものではございませんね」
今考えていたことに対する答えのように、巫女がねっとりとした声を出した。
アナスタシアはぞくりとして、巫女を見つめる。
ヴェールに覆われた巫女の表情はよくわからなかったが、奥から爛々と光る目がのぞいているようで、まるで獲物を狙う蛇にも見えた。
そして、滑らかに這うような動きで、巫女がアナスタシアに近づいてくる。
「あなたのこと、もっと知りとうございますわ……二人きりで」
アナスタシアの顔を覗き込み、巫女がヴェールを上げて顔を晒しながら囁く。
その顔に見覚えがあると思ったのも一瞬で、すぐにアナスタシアは魅了を使われたのだと気づいた。
かなり強力で、事前に警戒して抵抗力を高めていたアナスタシアだが、飲み込まれそうになってしまう。
「何も怖いことはありませんのよ。痛くなどしませんし、あなたはただ身を委ねているだけでよいの。それだけで夢心地のまま、快楽の園に遊べるのよ……」
艶っぽい囁き声が、アナスタシアの耳に心地よく響く。
ぼんやりと身を委ねたくなってくる気持ちを必死に抑えつけ、アナスタシアは目を閉じて魅了に抗う。
それでも、泥沼の底に引きずり込まれていくようで、自分が自分でなくなる恐怖にアナスタシアは苛まれる。
アナスタシアの手首を飾る腕輪の石が、赤く輝いていた。
「アナスタシアさん!」
そのとき、ブラントの声が響いて、アナスタシアは引き戻される。
「あら……従者のくせに、躾がなっていないようね。ん……?」
不機嫌そうな巫女の声が響く。
だが、何かに気づいたようで、巫女は訝しそうにブラントに近づいていった。
そして、ブラントが咄嗟に反応できないほどの素早さで、ブラントの被っていたフードを払う。
露わになったブラントの顔を見て、巫女が息をのんだ。
「……!? エリシオンさま……? いいえ、違う……」
愕然と巫女が呟く。
その瞬間、巫女がブラントに気を取られたためか、魅了の力が弱まった。
これまで魅了に抗っていたアナスタシアは、この隙を逃さずに魅了の力を打ち払う。
前回の人生で、この魔族とは戦ったことがある。
旅の終盤に出会った、相当強い魔族だった。
魔王がエリシオンという名だということも、この魔族から知ったのだ。
だが、天人教団の巫女だったとは知らなかった。
当時は出会い頭にグローリアを攻撃し、戦闘不能に陥らせていたのだが、もしかしたらそのためだったのかもしれない。
当時の記憶を引っ張り出し、アナスタシアはこの魔族が特殊な呪法を使っていたことを思い出す。
外部装置のようなものを使って、魔力を増幅させていた。
手加減できるような相手ではなかったため、どうにか倒しはしたものの、その正体を突き止めることはできなかった。
だが、今のアナスタシアならば、それが何か見当が付く。
アナスタシアは身をよじって、巫女の大きな胸の膨らみをわしづかみにした。






