141.絶壁の侍女
吹き飛ばされたときにネイサンが少し怪我をしていたので、アナスタシアは治癒術で癒した。
直接殴ったわけでもなく、さらに手加減もしたが、大して鍛えていない相手には厳しかったようだ。
ネイサンがアナスタシアを見る目が、人外を前にしたような、畏怖の念が滲んだものになっている。
「……ええと、モリス伯爵家に婚約解消をしてもらえるよう、説得しましょう。向こうの弱みがあればよいのだけれど……まずは令息について何かないかしら」
気まずい雰囲気を変えようと、アナスタシアは口を開く。
伯爵令息であるチェイスは女好きだというのだから、弱みは色々とありそうな気がした。
身分や拳で殴りつけるという手もあるが、まずは平和的な解決を目指したい。
「伯爵令息の絵姿でしたら……」
おずおずと、ネイサンが伯爵令息チェイスの描かれた絵を差し出す。
アナスタシアとレジーナはその絵をのぞき込む。
金髪碧眼のいかにも貴公子然とした青年が描かれていた。ネイサンが美形と言っていたとおり、確かに整った顔をしているようだ。
「……ブラント先輩ほどではありませんわね」
絵姿というのは大抵が実物よりも良く描かれているものだが、それでもレジーナはそう感想を漏らす。
「ブラント先輩はちょっと特殊事例だから……」
アナスタシアも同感だったが、苦笑しながら答える。
「それと、伯爵令息が最近気に入って通っている喫茶店があるという話を、先日聞きました」
「喫茶店……」
ネイサンの言葉に、アナスタシアは考え込む。
モリス伯爵家に直接殴りこむよりも先に、まずはチェイス本人に会っておいたほうがよいかもしれない。
その喫茶店に行って会えるかどうかはわからないが、とりあえず行ってみようかと、アナスタシアとレジーナは頷き合う。
場所を聞くと、さほど遠くない場所にあるという。
王家の紋章入り馬車は目立ちすぎるので、アナスタシアとレジーナは歩いて行くことにした。
目当ての喫茶店はすぐに見つかり、二人は中に入ってみる。
すると、華やかな内装の店内にはちらほらと人がいて、金髪碧眼の青年が女性店員を口説いている姿が目に入ってきた。
先ほど絵姿で見たとおりの姿だ。
実際に目の当たりにすると、絵姿よりも軽薄さが目立ち、美形なのは間違いないが軟弱そうでもあった。
とはいえ、運よくモリス伯爵令息チェイスと会うことができたのだ。
口説かれていた女性店員がさらりとかわして、豊満な胸を揺らしながら去っていくのを眺めてから、アナスタシアとレジーナはチェイスに近づいていった。
「失礼いたします。モリス伯爵令息チェイスさまでいらっしゃいますか?」
アナスタシアが穏やかに声をかけると、チェイスは振り向いた。
そして、アナスタシアの平坦な胸をじっと眺めた後、大きなため息を吐き出す。
「……美しい僕とお近づきになりたいのはわかるけれど、きみのことは女として見られないな。もう少し育ってから出直しておいで」
つまらなさそうにそう言うと、チェイスはアナスタシアから視線をそらす。
一瞬、アナスタシアは何を言われたのかわからなかった。
徐々に意味が染み込んでくると、怒りや腹立たしさ、屈辱といったものが胸に渦巻き、アナスタシアは俯いて拳を握り締める。
そのようなアナスタシアの様子には一切構わず、チェイスは続いてレジーナの豊かな胸を見て、それから顔へと視線を上げた。
「きみは、どこかで見たような気もするが……誰だっただろうか。こんなに美しいお嬢さんのことを忘れてしまうなんて、僕はなんて罪深いんだ。どうか、お名前を聞かせてもらえないだろうか、美しい人」
恥ずかしげもなく、チェイスはレジーナに熱い視線を送りながら囁く。
「……人違いですわ」
顔を引きつらせながら、レジーナは素っ気なく答える。
「照れなくてもいいんだよ、美しい人。隣にいるのは、きみの侍女かな。そんな絶壁の侍女のことなど放っておいて、僕とお話ししよう」
「絶壁の侍女……」
ぷるぷると震えながら、アナスタシアは言われたことを低い声でなぞる。
「ステイシィ、行きましょう……!」
レジーナはアナスタシアの手を引いて、店を出ていく。
「なんて失礼な奴なのかしら! しかも自分に酔っていて気持ち悪い!」
憤りを露わにするレジーナ。
だが、アナスタシアは未だに俯いたまま、顔を上げられなかった。
「こ……これから成長しますわよ。まだ成長期ですもの、大丈夫ですわ」
慰めてくれるレジーナだが、アナスタシアは知っている。
前回の人生では十七歳まで生きたが、そのときも胸は大して成長していないことを。
考えれば考えるほど、アナスタシアは落ち込んでいく。
前回の人生では不細工だと言われ、容姿に関しては至るところをけなされていたので、多くの欠点のひとつでしかないと、さほど気にしたことはなかった。
しかし、今は重大なことに思えてしまうのだ。
呪いが解けて、美人といわれることにも慣れてきたせいだろう。
傷だらけの玉にひとつやふたつ傷が増えたところでどうということはないが、綺麗な玉にひとつ傷があれば、目立つものだ。
「アナスタシアさん、どうしたの?」
ここにいるはずのない声が響いて、アナスタシアは驚いて顔を上げる。
すると、ブラントの整った顔が心配そうにアナスタシアをのぞき込んでいた。
「ブラント先輩……? どうして……?」
目を見開きながら、アナスタシアは問いかける。
レジーナもアナスタシアと同じく、驚いているようだった。
「心配だったから様子を見に来たんだ。日程は教えてもらっていたし」
「……心配性ですわね」
ブラントの答えに、レジーナが呆れたような声を漏らす。
「俺よりももっと心配しているのがいるよ。ほら」
そう言って、ブラントは建物の影を指し示す。
すると、そこからばつの悪そうな顔をしたホイルが現れた。






