129.母の肖像画
「ど……どうか……せめて、ひと思いに……」
「何でも言うとおりにするから……」
エドヴィンの拷問処刑発言に、怯えながらドイブラー伯爵たちが口を開く。
「アナスタシア姫はセレスティア聖王国の王女であり、さらに我が帝国の皇帝陛下にとっては姪にあたる方だ。そのような方を暗殺しようとして、楽に死ねるなど思っておらぬだろう?」
酷薄な笑みを浮かべてエドヴィンが言い放つと、ドイブラー伯爵たちは顔色を失って震える。
その様子を見ながら、エドヴィンは何やら考える素振りを見せた。
「……そうだな。このような輩でも、我が帝国の臣下だ。アナスタシア姫、今回の件の処分は私に任せてもらえぬだろうか」
痛ましそうな顔を作りながら、エドヴィンはアナスタシアに願い出る。
だが、先ほど拷問処刑のことを言われたとき、アナスタシアが良い顔をしなかったことは、エドヴィンも気づいているはずだ。
この流れは、エドヴィンの描くシナリオなのかもしれない。
「……マルガリテスが早く返還されるのでしたら」
少し考え、仕方がないといったようにアナスタシアは答える。
「もう反対などしません!」
「早く返還するべきです!」
すると、手のひらを返してドイブラー伯爵たちはアナスタシアの機嫌を取ろうと叫ぶ。
だが、もう用は済んだとばかりに、イゾルフによってドイブラー伯爵たちは外に連れていかれた。
「……彼らを、どうするつもりですか? まさか無罪放免にはしませんよね?」
エドヴィンの企みがよくわからず、アナスタシアは問いかけてみる。
実のところ、彼らの処遇にはあまり関心はない。
暗殺者を放たれたとはいっても、難なく撃退できたのだ。しかも、それがきっかけで神龍を目覚めさせようとする企みに、早くたどり着けたということもある。
ただ、それでも狙われたのは確かなのだから、無罪放免にされてはたまらない。
「まさか。この際だから利用させてもらうが、彼らが表舞台に立つことは二度とない。そうだな……働き次第では安らかな最期を迎えられるだろう」
口元に笑みを浮かべて答えるエドヴィンを見て、アナスタシアはやはり生粋の皇子は名ばかり王女とは違うと、自分との差を感じていた。
この安らかな最期というのも、寿命を全うするといった意味ではないだろう。
やはり自分には女王など務まらないだろうと、アナスタシアは実感する。
「ところで、あと数日で準備ができるだろうから、せっかくなので皇城にも来てもらえぬだろうか」
「……お伺いしたいところではあるのですが、学院を欠席中なので、なるべく早く戻ろうと思っています」
今は休暇中ではなく、通常の授業が行われているのだ。
レジーナにも心配をかけたままなので、アナスタシアはなるべく早く学院に戻りたかった。
「そうか。残念だが、仕方がないな。ところで、いつ戻るのだろうか?」
エドヴィンも無理に引き留めようとはせず、あっさり引いた。
おそらく、それほど重要ではなかったのだろう。
「明日の朝、戻ろうと思っています」
「早いな。だが、私もこれから忙しくなる。マルガリテス返還は可及的速やかに行おう。では、時間ができたら、ぜひ皇城に来てほしい」
エドヴィンはそう言って、去っていった。
すると、部屋の外で様子を窺っていたベラドンナが入ってくる。
「お姉さま、学院にお戻りになるのでしたら、ぜひあたしもお側に……ペットとしてでもいいので……!」
「……寮は生き物を飼うのは禁止だから」
意気込むベラドンナに、アナスタシアは苦笑しながら答える。
学院の寮に住めるのは学生や教師など、学院関係者のみだ。侍女や護衛といった者を一緒に連れていくことはできない。
動物を部屋で飼うのも基本的には禁止である。許可を取れば可能だが、人間をペットとして飼うなど、許可が出ないだろう。
「……わかりました。まだまだ功績が足りないということですね……お姉さまに認めてもらえるよう、頑張ります。何かご用命はありませんか?」
「ええと……無事にマルガリテスが返還されるまで、こちらの様子を窺っておいてもらえるかな。イゾルフさんとの連絡係でもいいかな……」
殊勝なベラドンナの態度に寒気を覚えながらも、無碍にすることもできずに、アナスタシアは必死に何かないかと絞り出す。
「はい! 彼らの動向に注意を払っておけということですね! しっかり見張っておきます!」
元気に答えるベラドンナ。
少々意図が違って伝わっているような気もしたが、もう疲れ切っているアナスタシアは何も言うことなく流した。
翌朝、ぐっすり眠って魔力も回復したアナスタシアは、帰る準備を始める。
とはいっても、持ってきたものなどほとんどないので、身支度を整えたらそれでおしまいだ。
ブラントもすでに準備が終わっていて、アナスタシアはイゾルフに挨拶して、ベラドンナを適当にこき使ってくれと押し付けると、魔術学院に戻ろうとする。
「……アナスタシア姫! 間に合ったか……」
そこに、息を切らせたエドヴィンが駆け込んできた。
何か不測の事態でもあったのかと身構えるが、エドヴィンは小さな肖像画をアナスタシアに渡してくる。
「ファティマ叔母上の肖像画だ。持ってこられそうなのがあったのでな。今のアナスタシア姫と同じくらいの年頃のものだろう。よく似ていると思って、見せたかったのだ」
どうやら、アナスタシアの母の肖像画を持ってきてくれただけのようだ。
肖像画を見てみれば、言われたとおりにアナスタシアとよく似ている。
薄い金色の髪をそのまま流し、切れ長の目はアナスタシアと同じ青色だ。少女のあどけなさと愛らしさを残しながら、どこか冷めた大人のような、もの悲しさが口元に漂っている。
初めて見る母の姿に、アナスタシアは胸が詰まる思いだった。
「……あれ? このブローチ……」
肖像画の中の母がブローチを身に着けているのを見つけ、アナスタシアは見覚えがあるような気がする。
今回の人生で目覚めたとき、部屋にあったブローチだ。
アナスタシアは、ポケットからブローチを取り出す。
お守りとして、ずっとポケットに入れていたのだ。着替えるときも、何となく入れ替えていた。
「おや、それは……アナスタシア姫に受け継がれていたか。守りのブローチだったはず」
エドヴィンがアナスタシアの持つブローチを見て、呟く。
やはり肖像画の母が持っている物と同じ物のようだ。
肖像画とブローチとを見比べると、ブローチからふわりと温かいものが漂う。
これまでも時折感じた、優しい温もりだ。
もしかしたら、母が見守ってくれているのだろうか。
だが、前回の人生ではこのブローチの記憶がない。
不思議だったが、今度こそはと力を貸してくれているのかもしれないと、アナスタシアは肖像画とブローチをじっと眺める。
「その肖像画は持っていってくれて構わない。それでは、また近いうちに会えることを願っている」
「……ありがとうございます」
忙しなく去っていこうとするエドヴィンに、慌ててアナスタシアは礼を言う。
こうして不思議な余韻を残しながら、アナスタシアとブラントはジグヴァルド帝国を後にした。






