124.失いたくない
「……神龍はまだ目覚めたわけではない。魔王として、どうにか抑えてみよう」
強大な力が伝わってくる方向を見据えながら、エリシオンが呟く。
はっとして、アナスタシアはエリシオンを見つめる。
重傷ではないものの傷を負い、翼を出せずに本来の力を発揮できない状態で、神龍を抑えることなど可能なのだろうか。
「だが、もし神龍が目覚めれば、すぐに以前そなたたちに与えた部屋に逃げろ。儂が死んでもしばらくは結界が保たれる。あの場なら神龍の浄化も及ばない」
続く言葉とエリシオンの真剣な表情で、勝算が極めて低いことをアナスタシアは悟る。
ブラントも愕然とした顔でエリシオンを見つめ返している。
「……この瘴気は、内部から外部への転移も阻害するようだ。そなたたちでは転移は難しいやもしれぬ。いざというときは、これを使うがよい」
そう言って、エリシオンはブラントにぼんやりと輝く透明な玉を渡す。
どことなく温かみが漂い、まるで力を秘めた卵のように感じられる。
それがまっさらなダンジョンコアだと気づき、アナスタシアは思わず息をのむ。
「そやつが先ほど使ったのと同じ手だ。何も蓄えられていないダンジョンコアだが、砕けば一瞬、周辺の瘴気を打ち消して転移することくらいはできるであろう。だが、その前に……できることなら、こやつを倒してからにしろ」
エリシオンはギエルに一瞬だけ睨みつけるような視線を向けてから、アナスタシアとブラントに言い放つ。
「こやつのことだ、生き残る算段くらい立てているのであろう。このまま生かしておけば、何を企むかわかったものではない。ここで息の根を止めろ」
「……はい」
アナスタシアとブラントは、エリシオンの言葉に頷く。
神龍を抑えるのは、魔王としての務めだけではなく、ギエルを討つ時間を作るためでもあるのだろう。
おそらく、本当に神龍を抑えきれる可能性はほとんどないはずだ。
「では、儂は湖に向かう。……あの部屋のある一画の奥に、儂の知識を蓄えたダンジョンコアがある。儂が死ねば扉が開くはずだ。もしものときは、それを引き継いでくれ」
遺言のような言葉を残し、エリシオンは姿を消す。
【転移】で湖に向かったのだろう。
アナスタシアもブラントも、一言も返せないまま行ってしまった。
「……神龍を抑えるなど、無駄なことを。万全の状態であればまだしも、今の状態では時間稼ぎにしかならないでしょうに。でも、良いことを聞けましたよ。魔王さまのダンジョンコアの場所がはっきりしたのは、大きな収穫ですね」
これまで何も言わずにエリシオンの行動をただ見ていたギエルが、口を開く。
「イリスティア姫の息子とはいえ、翼を出すこともできぬ半端者。そしてセレスティア姫の血を引くものの、すでに血は薄まり、腕が立つだけのただの人間。お二人は、ダンジョンコアの扱い方など、わからぬでしょう?」
見下したように、ギエルが問いかけてくる。
どうせダンジョンコアを扱えないのだから、転移することもできず、ここで死ぬだけだと言外に含まれているようだ。
ブラントはギエルを睨みつけるものの、その表情にはわずかながら焦りも浮かんでいる。
ダンジョンコアの扱い方など、ブラントは知らないだろう。
だが、アナスタシアは前回の人生でダンジョンコアをいくつも砕いてきた。
本当の意味での扱い方は知らないにせよ、エリシオンが言ったとおりの使い方くらいはできる。
「ブラント先輩……ダンジョンコア、私が預かっていてもよいですか?」
「……うん、お願いする」
アナスタシアの申し出にブラントは頷いて、まっさらなダンジョンコアを渡してくる。
そしてブラントは前に進み出た。
「お前も両親の仇だ。この手で倒す!」
「……魔王さまのお若い頃はこのような感じだったのでしょうね。でも、あなたは魔王さまではない。ただの半端な混ざり物だ……!」
ブラントとギエルが、互いに攻撃魔術を放つ。
咄嗟に、アナスタシアは障壁を張る。
放置されたまま、腰が抜けたのか動くこともできずにいるドイブラー伯爵たちにも、いちおう障壁を張ってやった。
麻痺させた状態で転がしていた、黒い狼の姿をした魔物たちは、二人の攻撃魔術に巻き込まれてしまい、魔石を残して消滅したが、そちらはまあよい。
二人の戦いを眺めながら、アナスタシアは加勢するタイミングを見計らう。
ギエルもブラントの両親の仇なのだ。できることなら、ブラントが倒すのが好ましい。
しかし、ギエルは下位魔族とはいいつつ、魔物化したためか、十分に上位魔族並みの力量があるようだった。
それでも、どちらかといえばブラントがやや優位に進めているようだ。
通常であればこのまま見守っていても、いずれ倒せる可能性が高い。
しかし、今は時間制限がある。
エリシオンが神龍を抑えている間に、ギエルを始末する必要があるのだ。
「でも、その後は……?」
ふと、アナスタシアは恐怖に駆られながら呟く。
仮に無事ギエルを倒したとしても、いずれエリシオンは神龍を抑えられなくなるだろう。
そうすれば、神龍は目覚める。
結局のところ、神龍による破壊は防げないのだ。
アナスタシアとブラントは、エリシオンが言ったように魔王城の部屋に転移すれば、おそらく助かるのだろう。
だが、それ以外は全て失ってしまうのだ。
魔術学院という場所も、そこで得た友人のレジーナやホイルも、失ってしまう。
せっかく歩み寄ることができたはずの父との親子関係も、誰にも顧みられなかった日々が過ぎ去って認められたことも、全てが無になってしまう。
前回の人生では敵だった魔王エリシオンも、本当は人間の敵などではなく、孫思いのちょっと抜けたおじいちゃんだとわかったのに、また命を落とすことになってしまう。
前回の人生では得られず、諦めていたことが、今回の人生では手に入った。
それらを失ってしまうなど、前回の人生で全てを奪われて息絶えたときよりも、つらい。
ただ、最も大切なブラントは失われない。
それだけでも幸いと思えと、心のどこかで囁く声がする。
だが、以前は全てを諦めていたアナスタシアは、もう諦めたくない。
今度こそ、アナスタシアは全てを失いたくないのだ。
アナスタシアはぐっと拳を握り、何かできることはないのかと、奥歯を噛みしめる。
そのとき、アナスタシアの全身をふわりと温かいものが包んだ。
何事かと思えば、今度はアナスタシアが持つダンジョンコアが穏やかな光を放ち始める。
(ダンジョンを生成しますか?)
アナスタシアの頭の中に、無機質な声が響いた。






