122.真の魔王
宙に浮いたままのギエルが、魔術を放とうとする。
だが、術式構成が途中で解除された。
エリシオンが魔力をぶつけて、打ち消したのだ。
細く凝縮した魔力を一瞬だけ叩きつけるような精密さで、アナスタシアにもどうにかわかった程度だった。
唖然とするギエルだが、今度は宙に浮いていられなくなったのか、慌てた顔をしながら落下してくる。
どうやら、エリシオンはギエルの術式を打ち消しただけではなく、飛ぶ力も奪ったようだ。
地面に向かって落ちてくるギエルに向け、エリシオンは拳を放つ。
アナスタシアのように拳に魔力を込めているわけではないが、単純な威力だけで相当なものだ。
ギエルは地面に叩きつけられ、転がる。
すでに出血しているようで、地面に血が滲む。
「そ……そんな……何故、瘴気が効かない……」
愕然としながら、ギエルは掠れた声で呟く。
「いや、効いておる。ろくに力が出せぬ。だが、貴様ごときを倒すには十分だ」
拳を軽く振りながら、エリシオンはギエルを見下ろす。
アナスタシアの前回の人生では、エリシオンは翼を出すことなく、勇者シン率いるパーティーと戦ったのだ。
そのときは虚無となり、殺されることを望んでいたようですらあったエリシオンだが、その状態でさえ勇者パーティーはやっとのことで倒した。
いくら力を出せないといっても、下位魔族ごときが敵う相手ではないだろう。
「まさか……これほど……この瘴気の中では私の力も増すのに……」
「儂を誰だと思っている。貴様のような僭称ではない、正当な魔王だ」
信じられないといったように呻くギエルに向け、エリシオンはつまらなさそうに言い放つ。
「貴様は魔王という呼び名を栄誉としか捉えていないようだが、魔王とは単なる名誉称号に非ず。魔を統べる者という、世界の管理者の一人としての役職名なのだ。貴様などには務まらぬ」
そう言って、エリシオンはギエルを踏みつける。
骨がきしむような音が響き、ギエルから悲鳴が漏れた。
その姿を眺めながら、アナスタシアは少々複雑な気分になる。
ギエルは弱者として虐げられ、それを頭脳によって打開する方法を見つけた。
それでも満たされず、凶行に走ってしまったことは許しがたいが、かつて弱者だったアナスタシアには、己が重なる部分もあるように思えた。
一度は全てを失い力尽きて、過去に戻って目覚めたときにアナスタシアが行ったことは、逃げることだ。
勇者と二度と会いたくない。
妹たちから逃げるため、魔術学院でずっと過ごしたい。
魔王を倒そうとしたのも、勇者との出会いから逃げるためだった。
勇者が現れたのが魔物の大量発生に対抗するためだったというのなら、それよりも先に魔王を倒してしまえばよいという対策法だ。
そのために、前回の人生の知識を利用して、色々と変えてきたのだ。
結果としてアナスタシアの立場は大きく変わった。
ひっそりと身を潜めていた魔術学院では堂々たる首席となり、ブラントという恋人までできた。
誰にも顧みられなかった名ばかりの王女だったのが、称号を与えられた第一王女として認められている。
かつては見抜けなかった呪いや、知らずに犯してしまった過ちも回避できているはずだ。
最初に立てた目標がだんだんと意味をなさないものになるほど、良い方向に変化している。
しかし、これがもし逆の方向に進んでしまって、満たされていなかったとしたら、どうなっていたのだろう。
アナスタシアもギエルのように、おかしくなってしまったのだろうか。
「……アナスタシアさん、大丈夫?」
自分の考えに沈み込んでいたアナスタシアに、ブラントから声がかけられる。
エリシオンは相変わらずギエルを踏みつけ、じりじりとダメージを与えているようで、悲鳴が響き続けていた。
もしかしたら、そういう残酷な場面にアナスタシアが心を痛めているかもしれないと、ブラントは思ったのかもしれない。
まったくもってそのようなことはないのだが。
「大丈夫です……ちょっと考え事をしてしまって」
アナスタシアは今までの思いを打ち消し、微笑みながら答えた。
もしものこと、ましてうまくいっていなかった場合のことを考えたところで、どうしようもない。
それよりも、今はまだ問題が解決したわけではないのだ。
これからのことに集中するべきだと、アナスタシアは前を見据える。
「さて……イリスティアの死に関わった奴は全員、翼を引きちぎってやろうと決めておってな。楽には殺さぬよ」
酷薄な声で言い放つと、エリシオンはギエルを踏みつけたまま、黒い翼に手をかける。
そしてゆっくりと根元から翼を引きちぎっていき、耳をつんざくような悲鳴が響き渡る。
聞いていて気分のよいものではないが、アナスタシアは止めに入る気などないので、黙って見守ることしかできない。
ブラントはアナスタシアの様子を心配そうに窺っていたが、残酷な場面に関しては何の哀れみも同情もないようだ。自分の両親の仇ともいえる相手なのだから、当然といえば当然だろう。
忘れられた状態になっているドイブラー伯爵たちは、地面にへたり込んだまま、ガクガクと震えていた。
やがて片翼がギエルの背から完全に切り離されそうになる。
エリシオンが最後に力をこめると、ぶちりという音と共に、上空へと突き抜けるような爆発が起こり、エリシオンとギエルを飲み込んだ。






