120.ドイブラー伯爵一味
「今のは……」
「元気そうな悲鳴だったな」
アナスタシアが悲鳴の聞こえてきた方向を見ながら呟くと、エリシオンも頷く。
悲鳴なのだから元気も何もないだろうと思いかけたが、ドイブラー伯爵たちが手を出している人身売買では、処分する奴隷をマルガリテスに連れてきていたということを思い出す。
おそらく弱っているだろう奴隷が、元気な悲鳴などあげられるのだろうか。
悲鳴の聞こえてきた方向に向かって、エリシオンを先頭に歩き出す。
エリシオンを中心として張られた結界が、まるで暗い洞窟内を照らす明かりのように、周辺の靄をかき分けていく。
足下はところどころ崩れた石畳で、かつては整備された道だったのだろう。
だが、打ち捨てられた道によくある雑草は見当たらない。見える範囲を見渡してみても、草や木が生えている様子は窺えなかった。
瘴気のせいで、草木も生えないのかもしれない。
やがて、ざわめきや悲鳴が近くなってきて、走ってくる足音が響いた。
「た……助けてくれ……!」
「人間……? 頼む、金はいくらでもくれてやる! 助けろ!」
あちこちに細かい傷を作った五人の男たちが、エリシオンを先頭とした三人の姿を見つけて駆け寄ってくる。
纏っている服は切り刻まれていたものの、元は上等な仕立ての服だったようだ。
この瘴気の中でよく普通に動けるなとアナスタシアは思ったが、彼らが首から提げている飾りから魔力が漂っているので、瘴気を遮断する魔道具なのかもしれない。
「……もしかして、ドイブラー伯爵ですか?」
身なりの良さから、もしかしてと思ってアナスタシアが声をかけると、男たちの一人が頷いて前に出てきた。
これで助かると思っているのか、顔に安堵を浮かべている。
「おお、私のことを知っているのか。助けに来たということだな。少し遅いが、寛大な私は許してやろう。早速……」
「初めまして、あなたが暗殺者を放って殺そうとしたアナスタシアです」
尊大な態度で口を開いたドイブラー伯爵だが、アナスタシアがにっこりと笑いながら自己紹介をすると、言葉を失った。
ドイブラー伯爵は愕然とした表情で、震えながらアナスタシアを見つめてくる。他の男たちも、怯えた顔をして立ち尽くしていた。
すると、ドイブラー伯爵たちの後ろから唸り声が響く。
黒い狼の姿をした魔物たちが、迫ってきていた。
「ひっ……!」
前にアナスタシアたち、後ろからは魔物と、ドイブラー伯爵たちは逃げ場を失ってガクガクと震える。
「さて、どちらを始末する?」
「どちらも放っておいて、先に進むという手もありますよ、おじいさま」
エリシオンとブラントがのんびりとした会話を交わす。
心情的にはアナスタシアも放っておいて先に進みたいところだが、いちおう話くらいは聞いておくべきだろう。
「始末はいつでもできるので、とりあえず話くらい聞いてみましょう」
アナスタシアはそう言って、魔物たちに向けて【麻痺】の魔術を放ち、動きを止める。
本当は【魔滅】でも使って始末してしまえばよいのだろうが、この瘴気の中で魔物を倒した場合、どうなるかがわからなかったため、動きを止めるだけに留めた。
「さて、どうしてあなたたちがこの場にいるのですか?」
アナスタシアが問いかけると、ドイブラー伯爵たちは迷いを浮かべた。
自分たちが助かるための算段をつけているのか、どう答えるべきか戸惑っているようだ。
「話してくれないのなら、魔物たちを元に戻して、先に進みます。喋る口がないのでしたら、いてもいなくても同じですから」
「ま……待て……話す……話すから……」
冷淡な声でアナスタシアが言い放つと、ドイブラー伯爵が慌てた様子で口を開いた。
「そ……その……暗殺者が毒を盛ることには成功したが、怪しまれている可能性があり、報復されるかもしれないと知らせがあったのだ。一時、誰の手も届かない場所に避難していたほうがよいと、マルガリテスに来たのだが……普段、我々を襲わないはずの魔物が、いたぶるように追いかけてきて……」
おそるおそる語るドイブラー伯爵の言葉に、アナスタシアは眉根を寄せる。
ベラドンナが毒を盛ることには成功したが、怪しまれて逃げてきたというのは、設定の通りだ。
だが、報復されるかもしれないとまでは言っていないだろう。
どこからそういった知らせがきたのだろうか。
「その知らせというのは、誰からきたのですか?」
「暗殺組織の運営者の使いだ」
暗殺組織の運営者は、エリシオンを接待していた魔族のはずだ。
ドイブラー伯爵たちの悪事の証拠を出しながら、時間稼ぎをして逃がしたということだろうか。
だが、そうだとしてもマルガリテスに逃がす理由がよくわからない。
もしかしたら、始末しようということだろうか。
普段はドイブラー伯爵たちを襲うことがなかった魔物が襲ってくるというのも、始末するというのならばあり得る。
いたぶるように追いかけてきたというのは、じわじわと苦しめるためだろうか。
そういった絶望や恐怖から、瘴気を得ているのかもしれない。
「それは魔族ですか?」
「魔族……? そんな……まさか……本当に……そんなはずがないとは思ったが……やはり魔族だったのか……」
ドイブラー伯爵は愕然とした表情を浮かべながら、ぶつぶつと呟く。
その様子から察するに、魔族が関わっていることに薄々勘付いてはいたが、確証はなかったらしい。
魔族と知りながら手を組むほどの覚悟があったわけではなく、魔族かもしれないとは思いつつ、甘い汁を吸うために目をそらしていたようだ。
「……思ったよりも早いお着きでしたね。まだ歓迎の準備が整っていないというのに」
そこに、ひび割れたような声が空から降ってきた。






