117.天人
「おじいさま……? いったい何をやってるんですか……?」
ややあって、ブラントが引きつった顔で口を開く。
「儂が望んだわけではない。押しつけられたのだ」
ところが、エリシオンは動じることなく、堂々と答えた。
「あれから儂は、アナスタシアに危害を加えたと思しき者を殴り、真偽を確かめた。すると、奴自身は関与していないと言ったが、奴の運営する組織に関わる人間たちが暗殺者を放ったのは事実だという。ならば、その人間たちを殴れば良いのかとなると、そちらへの罰が望みなら悪事の証拠品を用意しようと言われたのだ」
エリシオンが説明を始める。
どうやら、暗殺組織の運営者が魔族だったようだ。
しかも、関わる人間たちというのはドイブラー伯爵たちのことだろう。魔族は魔王エリシオンに媚びるため、彼らを売り渡すことにしたらしい。
「そなたたちにとっては、単純に殴って壊滅させるよりも、そういった証拠品のほうが好ましいのであろう? だから儂は、そうしろと命じた」
意外なことに、エリシオンはアナスタシアたちの都合を考えてくれていたようだ。
殴るだけではなかったことに、アナスタシアは感動がわき上がってくる。
「すると、証拠品を用意するので少し待ってほしいと言われ、宴会が開かれた。そして、おなごたちが群がってきたのだ」
「あたしは組織に戻ったら、最優先の命令が出ました。大切な客人の接待で……もしうまいこと子を孕めば、一生遊んで暮らせるだけの報酬を出そう、と……」
エリシオンの語る内容を補完するように、ベラドンナが口を開く。
それでアナスタシアは、魔族が魔王の因子を狙っているのかと納得した。
黒い翼の魔王を次期魔王に据えるため、過去にもエリシオンに魔族の女たちが言い寄ってきたという話は聞いたことがある。
それからずっと引きこもって眠っていた魔王が、ようやく出てきたのだ。
状況を利用して、これ幸いとばかりに女たちを宛がったのだろう。
「接待は珍しいことでもありませんが、子を孕めなどというのは初めてで……どこかのお家騒動でも狙っているのかと、同僚たちも不思議がっていました。素性はわからないけれど、凄い美形の年寄りだと話題になっていて、どこかで聞いたような外見だと思ったら、本当に見た顔で……」
そう言って、ベラドンナはちらりとブラントに視線を向ける。
「それで、あたしはお姉さまたちの名前を出してみました。すると、やっぱりお姉さまが言っていたおじいちゃんだったようで……」
「ちょうどよいので、儂はこのおなごが気に入ったと言って、宴会から抜けてきたのだ。だんだん困ってきたところだったので、助かった。証拠品を受け取ったら去ろうと思っても、小出しにされて、なかなか宴会が終わらなくてな……」
エリシオンは、疲れたように長い息を吐き出す。
「というわけで、儂が望んでおなごを侍らせ、宴会に興じていたわけではない。毒花のような美しいおなごたちに囲まれ、悪くない時間ではあったが、証拠品を待っていただけだ」
わずかに本音が漏れているようで、アナスタシアはそっと額を押さえる。
ブラントも宙を仰いでいた。
「あの……いったい、何者なんですか? 余計な詮索はしないとは言いましたが、あまりにも極端すぎます。暗殺組織の運営者が媚びるくらいの相手で、しかもどうやら子種を狙われているって……」
おそるおそる、イゾルフが質問を投げかけてくる。
「ええと……おじいさまは……」
「確か、魔族に詳しいようなことを言っていたような記憶がありますが……まさか……もしかして……ご本人が魔族……ということは……ありませんよね?」
ブラントはごまかそうとするものの、言葉がうまく出てこないでいるうちに、イゾルフが怯えを滲ませながら問いかける。
どう答えるべきか、アナスタシアは迷う。
はっきりと、その通り魔族です、それどころか魔王です、とは答えにくい。
「ふむ……口で言うより見たほうが早かろう」
アナスタシアとブラントが悩んでいるうちに、エリシオンは一人で頷く。
そして、ばさりと銀色の翼を広げた。
大きな銀色の翼が、窓からの光を受けて輝く。
「……!? て……天人……?」
「え……ちょっ……これ、何……?」
イゾルフとベラドンナが、驚愕に目を見開く。
「こういうことだ。わかってもらえたか」
静かに言い放つと、エリシオンは翼を引っ込めた。
「あ……は……はい……全部、納得しました……そりゃあ、天人ともなれば媚びるでしょうし、子種も欲しがるでしょうね……。あれ……ということは、もしかしてブラントさんも天人……?」
愕然とした表情を貼り付けながら、イゾルフは呻く。
「……俺は人間。おじいさまの血は引いているけれど」
「ああ……天人の血が混じった人間ということですか……いや、あのとんでもない魔力とか、納得ですね……」
実際のところ、ブラントは種族的にどうなるのだろうかとアナスタシアは疑問に思ったが、白黒つける必要もないかと考えを打ち消す。
イゾルフは納得したようで、呆然としながらも頷いていた。
「そういうわけだが、孫のためにはあまり口外しないでもらいたいものだな。強制的に言えないようにしてもよいが」
「は……話しません! 黙っています!」
「あ……あたしも……」
エリシオンが冷淡な声でお願いすると、イゾルフもベラドンナも怯えながら、快く同意していた。






