114.出発準備
「ブラント先輩……?」
突然のブラントの言葉に驚き、アナスタシアはブラントを見つめる。
「だって……迷子になって、馬車に跳ねられ轢かれるような人だよ。それでいて殴ってから考えるし、やたら強いし……放っておいたらどんなことになるか、恐ろしすぎる」
苦悩を滲ませながら、ブラントは呻く。
確かに、アナスタシアもその通りだと苦笑する。
魔族のみを締め上げるのならまだしも、今回は暗殺組織を壊滅させることにも触れていたのだ。
話の途中で先走ったことなので、もしかしたら暗殺組織のことは取り消されているかもしれないが、確証はない。
何をやらかすかと考えただけで、アナスタシアにも震えが走る。
「……私も行きます」
しばし考え、アナスタシアも決意した。
ブラントだけではなく、イゾルフやベラドンナも驚いた顔でアナスタシアを見つめてくる。
「毒を盛られて、どこかで治療中ということにすれば、姿を消すのもちょうどよいはずです。それに……私の命を狙ってきたのですから、やっぱり私からも直接お返ししてあげたいのですよね」
にっこりと笑いながらアナスタシアがそう言うと、ブラントは納得したように頷く。
イゾルフはそっと視線をそらし、ベラドンナは怯えた顔をしていた。
「そうだね。じゃあ、俺は毒を盛られたアナスタシアさんの解毒薬か、治癒術師を探しに行ったことにすればいいかな」
設定が決まっていき、アナスタシアとブラントはジグヴァルド帝国に向かうことになった。
イゾルフは少し頭が痛そうにしていたが、反対はせず、これからどうするかを考えているようだった。
「あたしは先に出発します。本当はお姉さまと一緒に行きたいところですが……さすがにそれはまずいので」
名残惜しそうではあったが、ベラドンナが立ち上がる。
「あ……もし、組織を壊滅させようとしている人と遭遇したら、ブラント先輩と私の名前を出せば、多分話を聞いてくれる……と思う……」
やや自信がなかったが、アナスタシアは注意しておく。
「どんな外見の人ですか?」
「ブラント先輩にそっくりな、初老の男性だからすぐにわかるはず」
ベラドンナの質問に、こちらは自信をもって答える。
すると、ベラドンナもイゾルフも、じっとブラントの顔を眺めていた。
「このやたら整った顔がもうひとつあるのか……」
苦笑いを浮かべながら、イゾルフがぼそりと呟く。
「……あたし、顔の良い男って女慣れしてるから嫌いなのよね。もっと女に縁がなさそうな、初々しいのが好きなのに」
ベラドンナも小声でぶつぶつぼやいている。
どちらの声もしっかり聞こえているようで、ブラントはややうんざりした顔をしていた。
アナスタシアも、イゾルフの呟きはまだしも、ベラドンナのほうは好みなど尋ねているわけではないと、呆れてしまう。
「あ……じゃあ、あたしはお先に……!」
呆れたアナスタシアの視線に気づいたのか、ベラドンナは焦ったように出ていった。
「では、私も色々と手配してきます。そうだ、お二人とも馬には乗れますか?」
イゾルフに問われ、アナスタシアもブラントも頷く。
「じゃあ心配ありませんね。学院への手続きもしておくので、お二人は旅の準備を整えて下さい。それでは、また後ほど」
慌ただしくイゾルフも出ていき、アナスタシアとブラントの二人が残される。
旅の準備とはいっても、着替えて簡単な荷物をまとめるだけだ。
おそらく時間は余るだろうと思い、アナスタシアは気がかりなことをブラントに話してみることにした。
「朝食の最中でベラドンナが現れて捕まえたのですけれど、その後まっすぐここまで来たので、一緒に食べていたレナに何も説明できていなくて……」
「ああ……じゃあ、俺がレジーナさんを呼んでこようか? アナスタシアさんは寝込んでいる設定になるから、姿を見せないほうがいいだろうし」
「お願いします。ありがとうございます」
ブラントの提案にアナスタシアは頷いて礼を述べると、二人も会議室を後にした。
周囲の様子を窺いながら、そっと寮の部屋に戻る。
着替えて荷物をまとめていると、やがてレジーナがおそるおそるといった様子で部屋を訪れてきた。
「ステイシィ……大丈夫ですの?」
「うん、私は大丈夫。時間がなくて説明できなくてごめんね」
心配そうなレジーナに、アナスタシアはこれまでのことを説明する。
朝食の皿には毒が入っていて、手伝いの女性が実はジグヴァルド帝国の暗殺者で、返り討ちにしたこと。そして、根本を叩きに行くべく、ジグヴァルド帝国に向かうのだと話す。
「それで、私は毒を盛られて治療中ということにして、ブラント先輩は解毒薬か治癒術師を探しに行ったことにしようと」
「そう……ですのね……では、わたくしはもし誰かに尋ねられたら、さりげなくそう答えればよいのですわね」
アナスタシアから願うまでもなく、レジーナは役割を買って出る。
もしかしたら、暗殺が成功したかの確認役がいて、調べに来るかもしれない。レジーナの申し出は、アナスタシアにとって助かるものだった。
「そうしてもらえると助かるわ。ありがとう、レナ」
「本当はわたくしももっと力になれればよいのですけれど……でも、せめてその設定の手助けになれるようにしますわ。どうか、気を付けて……」
心配そうに眉根を寄せながら、レジーナはアナスタシアの手を握ってくる。
アナスタシアは安心させるように微笑み、手を握り返した。






