110.裏切りの道
アナスタシアはベラドンナの服を戻した後、ブラントとイゾルフにもう大丈夫だと声をかけた。
見てはいなくても、魔力の流れで何が起こったのか、二人ともわかったようだ。
「絡みつく蛇って……暗殺組織じゃないですか。どうして姫さまがそんなのをご存知なんですか?」
「ええと……絡みつく蛇の刺青みたいなものがあったのですけれど……それが組織の名前でもあるのですか?」
驚愕するイゾルフの問いに対し、アナスタシアは問い返す。
本当は前回の人生の知識で、組織の名前も知っていたが、今知っているのは不自然だ。
「あ……はい、所属する暗殺者には絡みつく蛇の呪いがかけられていることから、そう呼ばれています。どうやらその呪いを解いたようですが……」
「呪いを解除したのはわかったけれど、よく呪いに気づいたね。俺は何もわからなかったよ」
イゾルフとブラントは、アナスタシアとベラドンナを交互に眺める。
「前に何かで、情報を漏らさないよう呪いをかけられている暗殺者の話を聞いたことがあって。もしかしたらと思って調べてみたら、本当にありました」
前回の人生でベラドンナ本人から聞いたことなので、嘘ではない。
ブラントとイゾルフは疑った様子もなく、感心したような眼差しを向けてきた。
「それよりも、これで情報を漏らしても死なないはずなので、話を聞いていきましょう」
不審がられる前に、アナスタシアは話を変えることにした。
アナスタシアはベラドンナの麻痺を、会話ができる程度に解除する。念のために、体はまだまともに動かないようにしておく。
「さて、質問に答えてもらえますか? 嫌でしたら、それなりの手段を使いますが」
淡々と声をかけると、ベラドンナがびくりと身をすくませた。
その目からはすでに反抗的な光は消えており、怯えきった様子でアナスタシアを見つめながら、おずおずと頷く。
アナスタシアは【嘘感知】の魔術を使用して、これからベラドンナが嘘をつけばわかるようにする。
「名前は?」
「ベラドンナ……」
「所属する組織の名前は?」
「絡みつく蛇……」
まずは、すでに答えを知っている質問を投げかけてみるが、ベラドンナは従順に答えた。
【嘘感知】も反応していない。
「私を狙った理由は?」
「……殺せと依頼を受けたから……」
本題に入ると、ベラドンナはためらいを見せる。
答えも、答えになっていないようなものだ。
「依頼者は?」
「それは……」
口ごもり、ベラドンナは俯く。
おそらく、暗殺者としての矜恃と現実との間で葛藤しているのだろう。
その気になれば、アナスタシアはベラドンナの意思など関係なく情報を引き出すことが可能だ。
ベラドンナもそのことは予想がついているだろう。
どう抗おうが、情報は渡ってしまうのだと気づいているはずだ。
しかし、自分から情報を話すことは、言い訳の余地もない明らかな裏切りとなる。
逡巡するベラドンナを、アナスタシアはじっと待つ。
呪いを解除していなければ、もうとっくにベラドンナは命尽きていただろう。
だが、死んで逃げることは許されない。
自分から情報を話して少しでも慈悲を請うか、抗って無理やり情報を奪われるか。選べるのは、どちらにせよ閉ざされた未来にしか繋がらない道だ。
それでいて、ここがベラドンナにとっての分水嶺となる。
「……ジグヴァルド帝国の……ドイブラー伯爵……です」
やがて、ベラドンナは組織を裏切る道を選んだ。
【嘘感知】は反応せず、彼女が本当のことを話していると証明していた。
「ああ……やっぱりその辺ですか」
納得したように、イゾルフが呟く。
「……ドイブラー伯爵たちは裏取引をしていて、そのためのルートを第三皇子が潰そうとしているそうです。でも、第三皇子を始末するのはリスクが高すぎます。そもそも、第三皇子は婚約者のセレスティア聖王国の姫のためにそれをしようとしているとかで、ならばその姫を殺してしまえと……」
一度道を踏み越えたベラドンナは、素直に話し出す。
内容にはアナスタシアがエドヴィンの婚約者であるという、正しくないものもあったが、【嘘感知】は反応しない。
【嘘感知】は本人がそれを嘘だと思っていない場合は反応せず、本当の真実を見抜ける魔術ではないのだ。
「姫は自国では疎まれているというので、国元のせいに見せかけて殺してしまえばよいとのことでした。そうすれば、第三皇子も必要がなくなって、ルートから手を引くだろうと」
やはり【嘘感知】は反応しないが、アナスタシアが自国で疎まれていたのは少し前までの話だ。
今は状況が変わっているのだが、そのあたりの情報は古いらしい。
「その裏取引の内容は?」
「そこまでは……ただ、ある場所でしかできないことで、その場所を第三皇子に取り上げられそうになっているとか」
どうやら、マルガリテスで何らかの裏取引が行われているらしい。
閉鎖されて瘴気すら漂う場所だというのだから、人目につかないように裏取引をするには格好の場所なのだろう。
ただ、普通の人間が瘴気の漂う場所にいるのは危険だ。
そこはどうしているのだろうと考えたとき、アナスタシアの頭にはある存在のことが浮かぶ。
「もしかして、魔族が何か関わっているということは?」
「魔族……? いえ……そんな話は……あ、でも、優れた魔術の使い手がいるといった話はしていたかもしれません。呪いの蛇も、組織と繋がりのある魔術師によるもので、ドイブラー伯爵は組織そのものとも関わりがあるみたいです」
ベラドンナの答えを聞き、アナスタシアはおそらく魔族が関わっているだろうと判断する。
呪いの蛇は並大抵の魔術師に扱えるようなものではない。
ドイブラー伯爵が魔族との関わりを隠しているのか、それとも魔族が正体を隠しているのかはわからないが、魔族の影は確かに感じられた。
「……ところで、どうしてそんなに詳しく知ってる? 一介の暗殺者に与える情報にしては多すぎるような気がするが」
眉根を寄せながら、イゾルフが問いかける。
確かに、アナスタシアの記憶でもベラドンナは上層部というわけでもない、一介の暗殺者だったはずだ。
それにしては細かいことまで知っているとは、アナスタシアも思う。
情報を漏らそうとすれば呪いの蛇が発動するので、多くのことを知らせても構わないという油断があるのだろうか。
「……あたしは、ドイブラー伯爵に気に入られているみたいで、指名されて接待もしていましたから。あの後って男はやたら口が軽くなるし……」
「あー……そういう……」
ベラドンナの答えに、イゾルフは深く納得したようだった。
その視線がベラドンナの盛り上がった胸に注がれているようだ。
アナスタシアはブラントの様子も窺ってみるが、気まずそうにあらぬ方向を見ながらも、納得しているようだった。
どうやらベラドンナはドイブラー伯爵に気に入られていて、色々と教えてもらったということらしい。
それにしても、ここまで細かく語るだろうかという疑問は残ったが、何故かイゾルフとブラントは完全に納得しているようで、アナスタシアは首を傾げた。






