01.絶望の死(挿絵あり)
「おや、まだ生きているんだ。もう魔王を倒したし、用済みなんだよね。早く死んでくれないかな」
ベッドから起き上がることもできず、咳き込むアナスタシアを見下ろすと、まるで世間話でもするかのような気軽さで勇者シンが呟いた。
一瞬、全身を苛む苦痛のことも忘れ、アナスタシアは呆然と勇者シンの顔を見つめる。
アナスタシアは勇者率いるパーティーの魔術師として、魔王との戦いに多大な貢献をした。
それは、恋人でもある勇者シンのためだった。
これまで誰にも顧みられず、地味、みっともない、出来損ないなどと言われ続けてきたアナスタシアを、勇者シンだけはそのままの君が好きだと言ってくれたのだ。
魔王を倒したら結婚しようと約束もしていた。
勇者シンに、きみしかできないからと言われ、体に多大な負担のかかる禁呪を惜しみなく連発して体も魔力回路もボロボロになり、魔王が最期に残した呪いも一人で受けた。
その結果、体には常に痛みが走り、重苦しさに押しつぶされそうで、起き上がることもままならない状態になってしまった。もう長くはないことが自分でもわかっている。
だが、それだけ貢献したのに、いったい何の仕打ちだろうか。アナスタシアは聞き間違いであったことを願う。
「もともと枯れ木みたいなお姉さまでしたけれど、今はもっとひどいですわね。骨に醜い皮が貼り付いているだけとでもいうのかしら。私なら、こんなみっともない姿になるくらいなら自害しますわぁ」
しかし、シンの言葉に続くように、嘲りが増える。
シンの後ろから、アナスタシアの妹であるジェイミーがひょいと顔を出したのだ。そしてシンにべったりと寄り添う。
ひょろ長いだけの枯れ木と陰口を叩かれていたアナスタシアとは違う、小柄でかわいらしく、可憐な花と呼ばれていた妹。
「勇者シン様は私と結婚しますのよ。私の美貌でしたらお姉さまと違って、シン様の隣に立っても恥ずかしくありませんもの。だから、お姉様は安心して死んでくださいね」
愛らしい妹が小鳥のさえずるような声で、冷酷な言葉を放つ。
胸を抉られるようだったが、アナスタシアにとっては半ば予想していたことでもあった。アナスタシアのものを欲しがる妹が、世界を救った勇者という極上の獲物を逃すはずがない。
だが、それを聞きたくはなかった。何も知らないまま、死なせてほしかった。
「うん、もうすぐ死にそうだね。魔王を倒したときに死ななかったから、おかしいなと思ったんだけど、ちょっとずれているだけみたいだね。安心したよ」
何も言うことができず、固まるアナスタシアを見て、シンは柔らかく微笑む。
聞きたくない、というよりも、何を言っているのか理解ができない。
「そ……れは……どう……いう……」
「やっぱり初回は禁呪を連発してもらうため、きみと恋人になっておかないといけなかったんだよね。無事に魔王の呪いも受けてくれたし、十分に役割を果たしてくれたよ。どうもありがとう」
最初からアナスタシアを捨て石として利用するつもりだったような口ぶりだ。恋人にかける言葉ではないどころか、恋人となったことすら計算ずくだったらしい。
シンの隣では、ジェイミーが侮蔑や優越感を浮かべてアナスタシアを見下ろしている。
利用されただけだったのだと、アナスタシアは気づいた。
悔しさや情けなさがわきあがってくるが、次にシンの顔を見たとき、それらの感情は底知れぬ恐怖に取って代わられた。
シンの顔に浮かんでいるのは、慈愛や感謝といったものだったのだ。それでいて、温かみが何も感じられない。
そういえばシンは心ない言葉をかけてはきたが、あくまでも気軽でにこやかだった。
もしこれが、ジェイミーのように負の感情が浮かんでいたのだったら、悲しく、怒りも覚えたかもしれないが、利用していた相手の愚かさを嘲笑うものとして理解できた。
また、慈愛や感謝でも共に罪悪感があれば、納得できただろう。だが、それもない。後ろめたさや申し訳なさといったものは、一切感じられなかった。
よく見れば、アナスタシアを見つめるシンの目は、人に向けるものとは思えない冷淡さがあった。物を見る目だ。
ふと、アナスタシアは魔術の勉強を始めた頃に使っていた、練習用の杖を思い出す。
いつか不要になるのは最初からわかっていたが、そのときは必要で、長く使って壊れたときには『今までありがとう』という感謝と共に捨てた。
自分は、その杖と同じなのだ。
「きみの役目は終わったよ。ご苦労様。きみが命を削って獲得してくれたものは有効活用するよ。次はフォスターくん仲間にするし、もうきみの出番はないかな。もし会ったとしても、きみはきみじゃないだろうし、さようならだね」
「これからは私が『セレスティアの魔術姫』となりますの。消えるはずだった名が引き継がれて、お姉さまも嬉しいですわよね。シン様も私が責任持って妻としてお仕えいたしますので、感謝してくださいませね」
そして練習用の杖は捨てられ、本番用の妹の登場というわけだ。
勇者と共に魔王を討伐した『セレスティアの魔術姫』は、アナスタシアではなく、ジェイミーだったということになるのだろう。
ジェイミーにそれほどの力はないが、魔王との戦いで魔力を失ったということにすればよいだけだ。実際にアナスタシアは魔力回路が傷つき、魔術を使うことができないのだから、信憑性がある。
アナスタシアは歴史の闇に葬られるのだろう。
誰にも望まれていない、誰にも必要とされていない。
全て奪い取られ、利用され尽くして、そんなものが自分の人生だったのかと、アナスタシアは口惜しさに苛まれる。
「ぐっ……」
そのとき全身を激しい痛みが貫く。呼吸ができなくなっていき、目の前がかすみ始めた。
もともと残りわずかだった命の灯火が、今の衝撃でとうとう消えてしまうようだ。
「あ、とうとうおしまいかな。じゃあ、もう……す……で……はじ……かな……早く……楽しみ……」
薄れゆく意識に、シンの嬉しそうな声がとぎれとぎれに聞こえてくる。
最期にアナスタシアの心を占めためのは、悔しさだ。
こんな男だとは気づかず、恋人だと浮かれていた己の不甲斐なさが情けなく、悔しい。
「……っ! ……っ! ……っ!」
内側から全身を焼き尽くすような激情に突き動かされ、アナスタシアは裏切り者と叫ぼうとするが、それすら叶わない。口から漏れたのは、苦しげな息を吐き出す音だけだ。
たったそれだけの小さな望みすら通らず、アナスタシアは息絶えようとしている。
もし願いが叶うならば、彼と出会う前に戻りたい。そして、言いなりになってばかりだった己を改めたい。
だが、もう遅いのだと絶望に閉ざされながら、最期にシンの腰に下げられた聖剣を映して、アナスタシアの意識は途切れた。
猫又小町様から主人公アナスタシアのイラストを頂きました。
右が死に戻り前、左が死に戻り後のビフォーアフターです。






