一
アラビアンナイトな世界の姫君の話です。
美しい衣装、彩り鮮やかな食事、明るく親切な女官たち、枯れた部分が徹底的に除去された、染み一つない白薔薇の花壇。―それが私の住む世界。
王女の物語
幼い頃は、そんな生活が当たり前だと思っていた。身の回りの全てが完璧に整えられているのが当然だった。
母からも女官たちからも香水の良い香りが漂い、誰もが私に笑顔を向け、姫様姫様ともてはやす。
金や象牙で飾り立てられた後宮≪ハリーム≫の奥の奥で、私は宝石で細工された宝石箱の中の宝石のようにいっとう大切にされ、蝶よ花よと愛でられて過ごしていた。
浮世離れした後宮で暮らす私に、最初に外の世界の存在を知らせてくれたのは鳥たちだった。警護の堅い後宮の壁を軽々飛び越えて、外界と後宮を自在に行き来できる、鳥。
多様な花々が競い合うように咲き乱れ、果実が実り、竜血樹にレバノン杉、異国の珍しい香木が生い茂る後宮の庭園は、人ならざる者の棲家でもある。
住人の姿は様々―黄金色の長い裳裾を垂らし、豪奢な冠を頂いた者もいれば、青や赤の羽毛で派手に着飾ってダンスを踊る者、艶やかな緑の巨大な扇を持つ者もいるといった風に。
庭園は朝から晩まで、彼らの鳴きかわす声でピイピイと騒がしいほどだ。
一時、彼らを追いかけまわしてその羽根を集め、種類ごとに分ける作業に没頭していたことがある。
コレクションした羽根の多くは色鮮やかで、縞模様や目の文様が入った派手なもの。
こうした羽根は刺繍糸で撚り合わせて羽飾りをこしらえるのに丁度良かったが、時折、明らかにそれらとは毛色の異なるものが手に入った。
その羽根は真っ黒で色彩に欠けていて、色とりどりの庭園の中で明らかに浮いていた。顔を近付けると微かに饐えたような匂いがした。
…一体何の鳥のもちものだったのだろう?こんなに地味な色の子がいたかしら?
と気になったので毎日庭園に通って、噴水の側の涼しい木陰に座り込んで長い時間果樹園を眺めるようになった。
持ち主は割とすぐに見つかった。全身真っ黒でギャアギャアと鳴く鳥だ。後に烏と呼ばれるのだと知った。
鳥類の例に漏れず彼らは甘い物が好きなようで、果樹園に来てはオレンジや葡萄をついばんでいく。しかし奇妙なことに、庭師の宦官は他の鳥が果物を食べてもほとんど何もしないのに、その真っ黒な鳥が来た時は別で杖を振りかざして追い立てようとするのだった。一方の黒い鳥は、果物を食べている最中に杖を持った庭師が走り寄ってくると、ほんの少しだけ離れた木に飛び移ってギャアギャア鳴いてみせる。
どうやら「ここまでおいで」とからかっているらしかった。
私はその黒い鳥が好きだった。黒一色の鳥は珍しかったし、庭師との追いかけっこは見ていて飽きなかったから。
けれどなぜ黒い鳥だけ邪険にされるのかが気になって、あるとき庭師を捕まえて尋ねてみた。
「こんにちは!」
「おお…!姫様。これはこれは、こんにちは。」
「きょうもいいお天気ね。」「ええ、ええ。本当に。姫様は今日は、どうなされたのですかな?」
「あのね、鳥さんを見に来たの。」「鳥ですか。」「ええ。」「今日もたくさん、この庭に来ましたなあ。鸚鵡に極楽鳥に、ハチドリも。私めの育てた果物を食べて行きましたわい。わっはっは。」
「黒い鳥も来たでしょう。」「ああ、来ましたなあ。」「あなたと追いかけっこしてた。」「これは、見られておりましたか。お恥ずかしい。」
「どうして、黒い鳥だけ追いかけるの?ほかの鳥にはそんなことしないのに。」
「あれはですね、姫様、悪い鳥なのですよ。」「そうなの?」「はい。見た目が悪いですし、庭に住む他の鳥をいじめますから。だから追い返さないとならんのです。」「どこに?」
「あの大きな壁の向こう、ここ後宮の外にですよ。」