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第四章 愚者なる道化の反逆譚 chapter 6 絶望に狂い嗤うは道化の衝動

 敗北の感触が消えない。

 胸に穴なんて開いてないのに、心臓が貫かれたようにきりきり痛む。

 幻なのに、幻じゃない。この胸を苛む激痛、喪失感は、紛れもなく本物だった。


 ドッと力が抜けたようにその場に崩れ落ちる瑠奈に駆け寄り、僕は彼女を腕に抱いた。


 既に胸の穴は半分以上塞がり、血も止まっている。顔色も悪くない。なのに、今にも壊れてしまいそうな程、瑠奈=ローリエの存在に致命的な綻びが生じ始めているのが分かる。

 絶望も抱けず未だ曖昧な笑みを浮かべる僕に、冷たい現実の刃が忍び寄る。


「瑠、奈……?」

「……災葉くん。何度も裏切ってごめんね。嘘をついてごめんね。でも、私。やっぱりこれしか出来ないから。誰かを裏切ることでしか、生きていけないから。だから……また、アナタの気持ちを裏切る事になって……ごめんね?」


 震える僕の声に顔を上げ、申し訳なさそうに苦笑する瑠奈の言葉の理解を拒む。

 だって、だって! そんな、今わの際みたいな、やめろ。やめろよ! 謝るなよ……ッ!


 いやいやと虚構の笑みを張り付けたまま首を横に振り震える僕を安心させるみたいに、瑠奈は朗らかで満足げな、自分の偉業を大切な人に自慢する子供のように笑う。

 視界に移る瑠奈の足元。爪先から何かが侵食してくるみたいに、瑠奈の小さな足が白く、白く、無機質な白に染まっていく。

 少しずつ、大切な何かが失われていく。

 白の浸食を押さえようと染まっていく部位を必死で押さえる。

 けれど浸食は止まらない。


「……でもね、私。やっと、自分に勝てたの。神様に決めつけられた自分に。だから、この終わりはそう悪い気分じゃないわ。だってそうでしょ災葉くん。神様に言われるがままに大切な人を裏切り傷つけてきた私が、最後の最後に大切な人を守る為に裏切る事が出来たんですもの」

「……分からない。僕は、……僕は愚かだから、君が何を言っているのか、全然分からないよッ、瑠奈ちゃん。だって、これから君は僕とハネムーンに行くんだぜ? 神様にだって沢山逆らって好き勝手に生きてやろうよ。毎日。沢山、沢山、楽しい事が、ねえ、だって、この先に待ってるんだよ? 楽しいは続くんだ。明日も、明後日も、来年も、その先だって……僕は、君と……だからッ」

「……ハネムーン、か。言ったでしょ? アナタとなんてお断りだって。でも、そうね……私、お父様の生まれ故郷に行ってみたいな。お父様とお母様と一度だけ旅行に行った海にも行きたい。南の島にも、北の雪国にも、小さな国も大きな国も。色んな所へ行きたい。日輪を出て、見た事ない景色をこの目で沢山見てみたい。自由に、自分の足で、生きたい」


 遠い記憶へ思いを馳せるように、瑠奈はその薄紫の綺麗な瞳を楽しげに細める。

 まるで、叶うことのない奇跡を夢見て想像し楽しく語らう子供のような、無垢な諦観。

 白の侵食が、止まらない。

 呪いは既に瑠奈の下半身を犯し、彼女の綺麗な細い足は、異質なマネキン人形じみた無機物へと変わっている。


 もう、瑠奈は自分の足で歩くことも出来ない。

 そんな簡単な事を理解しようともせずに、僕は狂ったように明るい声を上げている。道化みたいに滑稽で、愚者みたいに分からず屋。

 現実を見ようともしない愚か者に世界は容赦をしない。

 道化の僕を、無力な愚者を嘲笑う。


「それが君の願いなら……僕が、僕がきっと叶えるから。ほら、知ってるだろ? 僕は嘘をつかないんだ。嘘つきでしょうもない君と違って僕は清く正しい正直者だからね。だから、ね? 瑠奈ちゃん。行こうよ、二人で一緒に。どこまでもさぁ……っ」


 瑠奈は、優しくほほ笑むばかりで答えない。

 ふと、小さな手が伸びて、歪な笑みを浮かべ続ける僕の頬に恐る恐る、けれど尊く大切なモノに触れるように優しく、触れた。


「ねえ、災葉くん。名前で呼んでも、いい?」

「……うん。これから先、何度だって」


 止まれ……。


「……。ねえ、グレン」

「なんだい、瑠奈ちゃん」


 止まれ、止まれ、止まれ……。


「……、私さ、神様をぎゃふんと言わせられたかな? ムカつくあいつに、一泡吹かせてやれたかな?」

「……ああ! 神様もびっくりしたに決まってるよ。それでさ、瑠奈ちゃんはこれから先もあいつを驚かせ続けるんだ! そう、勿論この僕と一緒にね!」


 止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ……ッ。


「……お父様もお母様も、お義父さんもお母義さんも、こんな私を許してくれるかな?」

「……許すもなにも、こんな可愛い子に、怒ってなんかいない。きっと、君を誇らしげに思ってる」


 止まれッ! 止まれッ! 止まれッ! 止まれッ! 止まれ……ッ!


「ねえ、グレン。アナタは、こんな……こんな私を許してくれる……?」

「……、」


 止まれ! 止まれよォッ! ……頼むから、お願いだから、止まれって言ってるだろッ!


「グレン……?」


 不思議そうに首を傾げる少女を、気づけば僕は力の限りに抱きしめていた。

 どこにも行かないでくれと、縋るように。

 必死で愛する少女を抱き留める。

 温かい。柔らかく燃えるような少女の熱は、その鼓動は、まだちゃんと此処にある。瑠奈は僕の腕の中で、ちゃんと生きている。

 なのに……尊厳を奪う白の浸食が、止まらない。


 僕を優しく抱き返す少女の腕は肘から先しか温度を感じない。

 この腕に抱きとめる愛おしい少女の身体は、既に胸から下までが虚無な白で上書きされている。


「……嫌だ。嫌だ! 僕は許さない! 一生、君が幸せでいてくれなきゃ……ちゃんと生きてくれなきゃ僕は瑠奈ちゃんを許さないっ! こんなところで終わったらそんなの勝ったなんて呼べない。設定に……自分に勝つんだろ! 神様の思い通りになるのは嫌だって言ったじゃないか。勝手に押し付けられた瑠奈=ローリエに、神様のヤツに完勝するんだろ!? だったらまだ何も終わってない。君の旅は今やっと始まったばかりじゃないか! 諦めるなよ。一回勝ったくらいで、そんな満足そうに笑うなよ。お願いだから――っ」


 聞き分けのない子供を言い聞かすように少女の手が優しく僕の肩を掴み、引きはがす。

 そのまま、子供みたいな我儘を喚き散らす僕の唇を、儚く柔らかな感触が塞いだ。


 驚愕に、目を見開いた。

 熱が、伝播する。

 彼女の命の灯が、触れる柔らかで温かな感触を通して、僕に流れ込む。


 僕を慈しみ愛おしく思う感情が、震える僕を優しく撫でつけ勇気づけるように抱きしめる。

 心と心が繋がり溶け合い混ざり合うような、甘く心地の良い刹那は永遠にも一瞬にも感じられて、やがて名残惜しむようにゆっくりと離れる熱い吐息が、僕の頭を白熱させて硬直させた。


 見つめ合う瞳と瞳。道化ではなくその仮面の奥の奥。本当の僕を真っすぐに見つめる少女が、目尻に涙を浮かべイタズラげな満面の笑みを咲かせる。


「――大嫌いよ、グレン。……またね」


 ――ねえ、災葉くん。アナタ知ってるかしら。私ってね、実はとっても嘘つきなの。

 イタズラげに微笑む、そんなあの日の瑠奈の表情と言葉が、リフレインして。


『――大好きよ、グレン。……さようなら』


 そんな嘘の裏側に潜む幻聴(シンジツ)と共に。絶望の白が、少女の笑顔を無に塗り潰した。


「あ、ぁあああ……」


 そうして。抱きしめていたハズの愛おしい少女の身体は、僕の腕の中で満足げな笑みを浮かべながら、白の浸食によってのっぺらとしたマネキン人形へと変貌した。


 そこに瑠奈=ローリエという女の子はもういない。

 瑠奈は死んだ訳ではない。

 でも、これはもう瑠奈じゃない。

 道化の僕を嘲笑うことなく、共に楽しく笑いあった思いやりに溢れた寂しがり屋の不器用な女の子は、もうどこにもいなかった。


 力なく投げ出された人形の右手が水溜まりを指さしている。

 大理石のうえに水で器用に描かれた『逃げて、生きて』の文字が、心を揺らす。

 言葉にならない声が漏れる。


 崩壊する。なにが?

 心が全てが何もかもが。


 絶望と悲しみと喪失感の虚無が、僕の心を塗り潰そうとして――そんな僕を嘲笑うように頭の中で僕の知らない無機質めいた僕の声が無慈悲に鳴り響いて、感情が乖離した。


 ――『エラーコード01。設定値を逸脱した感情を感知。道化の衝動によって修正します』


 設定された感情値。道化の衝動が、湧き上がる想いを蹂躙する。


「ああ、あぁあああああああああ……ッ!!」 


 変だよ。――『エラーコード01。』おかしいんだ。

 大好きな女の子が、大好きだった女の子が目の前で失われたのに――『設定値を逸脱した感情を感知』助けることができなかったのに、心は絶望しているハズなのに。絶望して泣きわめいて――『道化の衝動によって修正します』今にもこの心が折れてしまいそうなハズなのにッ!! 僕は、災葉愚憐は、愚者なる道化は――


 ――『エラーコード01『エラー『エラー『エラー『エラー『エラー『エラー『エラー『――エラーコード01。設定値を逸脱した感情を感知。道化の衝動によって修正します』――


「あ……っは、――ははッ。アハッ、はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっはははははははっッッ!!?」


 笑っているんだ。

 笑いが、笑みが、壊れた哄笑が止まらない! 

 ぎょろついた気味の悪い真っ黒な瞳は涙の一滴流さない。

 感情が崩壊する。壊れていく。確かに得ていたハズの本物が。獲得したハズの恋慕が。


 瑠奈=ローリエという少女に対する思いがまるで嘘だったみたいに、爆笑が止まらない。


 大切な人の喪失を前に、僕の中の『愚者なる道化(フー・クラウン)』は絶望する事を許さなかった。 


 ――感情値の固定化による笑顔の強制。


 僕なんかを大好きだと言ってくれた彼女を、この世の誰よりも災葉愚憐が冒涜していた。


「あははははっ! なんだコレ! 止まらないッ! 止まらないぞォおオオあは、あはは! ちくしょう! 僕は、僕は僕は僕は僕はァ! ハハはッ、あの子が好きだったじゃないのかよッ! はは、あははははは!! なんだよォ! なんなんだコレアハハハハハハハハハハハ!!!」


 真っ白い髪の毛を掻き毟って引き千切る。血が噴き出た。愉快だ。


 片方しかない拳を潰すように地面に叩き付ける。痛くて、楽しイ。


 ふざけた笑いを止めたくて顔面を大理石へ何度も叩き付け転げまわる。潰れて、笑エタ。


 頭の中で鳴り響く『エラーコード』。

 思考がエラーで埋め尽くされ、僕は自分が何なのか分からない。掴み取ったハズの大切な何かが、彼女の喪失と共に掌から零れ落ちていく。


「……アハハハハハハ僕は、何だ!? 楽しいなァ、クソッ!? ははははっ、もう、嫌だ! 僕は瑠奈をあはっ、ハハッハハハハハハハハ、アははははははははははははっっ!!」


 血を流しながら壊れ狂って笑う僕と『設定存在の意味消失(ホワイトアウト)』した瑠奈とを見て、瑠奈の残した水の魔法に未だ囚われる聖道修羅は深々と嘆きを零した。


「……馬鹿な子だ。まさか自ら神の導を手放すなんてね。でもまあ問題はない。瑠奈は瑠奈を失ったが、死んでしまった訳じゃない。これならば俺の魔法で魂を救う事が出来る。『設定表記証(ステータスカード)』が失われたのは残念だが……そこは愚憐くんの物で代用しよう。『潜在発露(ブレイク)』を果たせれば高望みはしないさ。全ては筋書き通り。演武祭を制し『神官騎士』となった少女は殺人鬼の手に掛かり、俺がそれを退治する。悲劇の物語じみた劇的な結末と共に、俺は民によって主席神官に選ばれるだろう。これで世界はより正しい方向へ進んでいく」


 ……失われた瑠奈を、モノのように扱うな。

 必要な犠牲みたいに言うな。


「愚憐くんは壊れてしまったか。これが神に抗い続けた罪人の末路。あまりに惨くあまりに憐れだ。だが彼のような咎人をこそ俺は救おう。それが『嘆きの聖者』である俺の――」

「――もう黙れよォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」


 止まらない笑顔で、僕は怒りを吠えた。

 そうだ、僕は怒っている。胸に宿るこの熱は、紛れもない赫怒の炎だ。――許せない。認められない。こんな事許されていいはずがない。


 失われた瑠奈を、数を数えるみたい処理して前に進もうとする英雄も。

 好きな子を失って絶望一つできない道化も。

 僕とこの男にこんなふざけた設定を押し付けた神も。

 その何かもが許せない。燃え上がる瞋恚の炎は、だけど僕を縛る衝動を焼き殺せない。


「ぷは、くっくく……僕はさ、好きだったんだ。本当に。くはは、いつもの道化の衝動じゃない。僕を見ようとしてくれた彼女に、本当に救われたんだよ。……なのにッ! あははは! 僕は、その命を呈して僕を守ろうとしてくれた彼女の為にッ、涙一つ流せないッ! 絶望すら抱けない! なあ、おかしいだろおかしいよおかしいんだよ……。僕は、僕の心は……アハハハハハ、ウヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハっっ――」


 心と身体が乖離する。

 誰かが勝手に決めつけた僕が僕を縛り突き動かす。

 そんな僕を――虚空より生じた巨大な水晶の剣が、上半身と下半身を二つに分けるように断罪していた。


「え、ぁ?」


 血は噴き出もしなかった。噴き出すだけの量もなく断面からどろりと流れ出る赤。

 状況を理解出来ず、呆然と離れた下半身を眺める僕に、目を伏せた聖道修羅が悲しげに告げた。


「――もう、終わったんだ。君が抗う必要はないんだ。……ゆっくりとお休み。災葉愚憐」


 ……もう、終わり?

 そうか。僕は、もうこれ以上、何かに抗わなくていいのか……?


 痛みはもう、感じない。

 ただ、急速に、何かが冷えていくのが分かる。

 それが何なのか、愚かな僕には分からなくて。ただ、どうしようもなく疲れて眠かった。


 力を失った瞼が落ちるのと、意識が暗闇に落ちるのは、ほぼ同時だった。

 災葉愚憐は少女を救えぬまま、何者にも至れぬまま、予定調和に敗北して――



☆ ☆ ☆ ☆



 ――咀嚼する。

 ……ッ!?


 刹那、若い男――否、金髪の少年が閉じた瞼の裏に映った。

 走馬灯のように駆け巡るその映像は、少年が記憶の底に封じ込めた忌まわしき始まりの記憶。

 愛する子を必死で逃がそうとする両親が少年を隠した押し入れの中、閉じた襖の隙間から眺めてしまった血塗りの地獄。


 金髪の少年が、息子だけはと慈悲を乞う両親を喰い尽す最悪の惨劇だった。


 ……なんだ、これは。こんな記憶は知らない。災葉愚憐は親に捨てられた。愚者なる道化という『設定』をもって生まれたが故に愛を貰えなかった。それが災葉愚憐の過去ではなかったのか――『――知ったような誰かの言葉に耳を貸すな、上から目線で引かれたレールなんざぶち壊せ、自分を決めていいのは他の誰でもない――自分だけだ』


 知らない。知らない筈なのに、聞き覚えのある言葉が蘇る。知らない筈の記憶が溢れ出す。

 それは、周囲に『道化』と馬鹿にされ泣きじゃくって家に帰ってくる息子の頭を揉みくちゃに撫で回しながら、鬱屈した思いを笑い飛ばすように言って聞かされた父の温かい言葉。

 そんな当たり前の、けれどとても尊い言葉を、『僕』は確かにこの魂に刻み付け生きてきた。


 走馬灯のように巡る記憶の中。『僕』は道化の笑みではなく、親から愛される子供の笑みを浮かべて父と母と手を繋ぎ、三人の真ん中でブランコのように揺れていた。

 何気ない会話が繰り返される。

 今日のご飯はカレーライスよと母が言って、四日連続のカレーを父がからかうのだ。そうして母に怒られる父を見て、『僕』は楽しそうに笑っている。そこにあったのはどこにでもあるような家族の団欒。

 確かに『僕』は――災葉愚憐は、あの温かな空間の住人だった。


 ……あぁ、そうだ。思い出した。父と母は……僕を捨ててなんかいなかった。生まれた僕を見て母が流したのは、忌み子への悲嘆の涙じゃない。愛おしい命への嬉し涙だ。


 僕は……災葉愚憐は。この世界に生まれた時からちゃんと愛されていたんだ……。


 己を守る為、親の愛情に包まれて幸福だった幼少期を含めた眼前の地獄全てを忘却した少年は――僕は、それでもソレを知っている。確かにこの魂に刻み付けたものがある。


 魂に刻まれたソレを思い出す――……約束したんだ。掴み取るって。

 誰に何を言われようが関係ない。

 後ろ指を指されて笑われても、カッコ悪いと陰口を叩かれても、努力を馬鹿にされ、どうせ無理だと蔑まれ、お前には似合わないとからかわれ、現実を見ろと呆れられ、分不相応だとか、らしくないとか、身の程を知れとか、調子に乗るなとか、上から目線のご高説も、知ったような事をほざく誰かの言葉もッ、その全てを笑い飛ばし蹴り飛ばして僕という存在を僕のこの手で掴み取るって……ッッ!


 終わってない。まだ、終わっていいはずがない。〝次こそは〟と誓ったのだ。

 頭の中に響く知ったような誰かの声に、僕の心を縛り付ける上から目線のふざけたこのレールに、僕という存在を勝手に決めつける神とやらに。僕はまだ、一度だって勝っていないッ!


 魂に刻まれた約束が、折れた心を立ち上がらせた。唇に、僕を突き動かす熱があったから。


 僕の感情も、僕という存在も、その在り方も、その全てを定義付け決定できるのは僕だけだ。

 涙も絶望も悲しみも笑顔も喜びも嬉しさも楽しさも苦しみも愛情も、他の誰にも渡さない。

 僕を誰にも縛らせはしない、奪わせはしない。僕の在り方を、可能性を、その結末を、災葉愚憐をこんな設定表記証(かみきれ)一枚に決めつけさせはしないッ!


 ――刹那、甲高い破砕音と共にリフレインする極彩色が、砕けて、消えた。


 破損した白塗りの世界で、僕の眼前に二つの人影が影を差す。のっぺらぼうのマネキンではない、その二つの人影が誰なのか、顔を見ずとも僕には一瞬で分かってしまう。


『愚憐、そんなに泣いてどうしたんだい? 男の子だろうに、また転んで怪我でもしたか?』


 ……違うんだ、父さん。僕は無知で無謀で無茶苦茶などうしようもない道化で愚か者だったけれど、それでもこんな僕をちゃんと見てくれた子が父さんと母さん以外にもいたんだ。

 その子は僕を好きだって言ってくれたんだよ、母さん。


『あら。それは素敵ね。私と同じで人を見る目があるのね、その子は』


 ……うん。良い子なんだ。僕にはもったいないくらいのいい子なんだ。理不尽な設定に縛られ、助けを求めて泣き叫んだっていい筈なのに弱音も吐かずに抗い続けて。寂しがり屋の癖に誰も傷つけないようにってずっと独りで戦って……あの子が僕に抗う意味を教えてくれたんだ。

 この心に、僕がちゃんといるってことを証明して、熱を灯してくれたんだ。だから……ッ!


『そうか。なら、やるべき事は――やりたい事は、分かっているんだな?』


 ……うん。


『『なら、いつまでもこんな所で立ち止まってちゃいけないよな? 愚憐』』


 ……うん、だから僕は一緒にはいられない。行ってきます。お父さん、お母さん。世界で初めて僕を愛してくれた人達――さようなら。


 前を向く。二人に泣き顔を見せたくなかったから、一度も顔を見ずに背を向けた。

 でも大丈夫。二人の愛を、言葉を、温もりを、この魂が覚えている。

 振り返る必要だってない。

 だって、独りぼっちで助けを求める彼女の声が僕の歩む先から聞こえるから。


 ――勝利条件を再確認する。僕が今、心の底からやりたい事は何だ?


 ――打倒すべき敵を認識する。僕が今、抗うべき理不尽は何だ?


 僕は好きな女の子を……瑠奈を助けたくて此処に来た。瑠奈を縛る理不尽な設定が許せなくて、彼女の笑みを曇らせ彼女を泣かせる全てのモノを打ち払いたいと願った。


 そして、聖道修羅に戦いを挑み無様に情けなく敗北した僕を、瑠奈はその身を犠牲に救ってくれた。


 ……また僕は、瑠奈に救われた。瑠奈は、その選択によって自身を縛る設定に、『宵闇に浮かび(ロンリネス・)し狂気の朧月(ルナティック)』に勝利した。彼女は満足そうな顔で消えていって――


 ――それで? 僕は満足か? 


 ふざけるな。そんな訳がない。僕は、瑠奈が好きだ。瑠奈を好きだというこの気持ちを、僕は彼女に伝えたい。この手で瑠奈を幸せにしてやりたい。笑顔にしたい。

 彼女が迎えたその結末は、瑠奈=ローリエという少女にとっては確かに満足のいくものだったのかも知れない。

 神様の糞野郎に一泡吹かせてやれた事、己を縛る設定と英雄サマに抗ってやった事。ああ、確かに爽快だろう。

 でも、それだけだ。


 君の本当の願いはどこにある?

 神様に一泡吹かせて自分の設定に一度でいいから抗って、人を助ける為にその裏切りを行使する。そんな事で君は本当に満足したってそう言うのか!? 


 そんなの嘘だ。それこそが、君が君自身についた最大の嘘だろうがッ!!


 だって、僕に話しかけられて君は嬉しそうだった!


 学校で独りぼっちの君はとても辛そうだった!


 おどける僕に声を荒げる君はなんだか楽しそうだった!


 日輪を出て自由に旅をしたいと告げた君の横顔は嬉しそうに夢を見ていた!


 僕を大嫌いだと言って告げたさよならは苦しそうだった!


 瑠奈=ローリエ。君は人を愛したいと願っている。愛されたいと願っている。己を縛る嘘から抜け出して、自由に生きてみたいとそう願っている。


 そして、そう思ってしまう自分を罪深いと断じて、思いに嘘をついて、ずっとずっと独りぼっちで自分を罰しながら生きてきた君は、確かにどうしようもない大嘘つきだ。


 でも、僕にはそんな嘘は通用しない。

 君が道化の仮面の内側を覗き込んできたように、僕だって君の嘘に隠れた本心を見つけ出す。

 君の嘘を暴いて、そして、君を笑い殺すくらいに笑わせてやるんだ。

 だから僕は。僕が全てに逆らって抗ってでもやりたい事は――



 ――だから僕は、……もう一度、瑠奈=ローリエに会いたい。



 確認するまでもなく、最初から分かり切った話だった。

 何とも単純で、分かりやすい願い。でも、分かりやすいくらいが丁度いい。

 敵は『設定存在の意味消失(ホワイトアウト)』なんて物で瑠奈を奪った神とやらが定めた世界の設定(システム)そのもの。


 敵は強大僕は貧弱。何がどう転べば勝てるのか、見当だってつきやしない。

 そのうえ僕だけで勝っても意味がない。勝手に満足したつもりになっている嘘つき姫と一緒にお手々を繋いでゴールインする必要があるとかいう鬼畜難易度設定だ。


 無茶で無謀で、到底不可能だとしか思えない絶壁に、僕らは挑まなければならない。


 で、それが何だって言うんだ? 無茶も無謀も僕にとっては日常茶飯事。いつもの事だ。

 この身に刻むは何百何千何万の試行錯誤。

 積み重ねたのは失敗と敗北と挫折の残骸。

 けれど、僕が抗う事を諦めない限り、次の勝利はまだこの手の中に――結末がまだ誰の手にも渡ってはいないのなら、諦めるには早すぎる。


 瑠奈=ローリエは大切な者の為にその身を捧げ犠牲になった。

 実に美しい、悲劇の物語じみたビターエンド。だけど……予定調和の結末には、もう飽いただろう。


 なら、さあ、笑え!


 強制される狂った笑みじゃない。僕が、僕自身の意思で心の底から笑え。


 逆境を、失敗を、敗北を、挫折を、絶望を、笑い飛ばして跳ね除けろ。

 未知なる未来の可能性に手を伸ばす時、僕はいつだって、心の底から笑ってきた。

 そうすることが、まだ見ぬ希望を手にする結末を手繰り寄せる。未来を――運命を変えるって事なのだから。


 分かたれた半身。残った右手が芋虫のように蠕動し、真っ青な唇がその誓いを紡ぐ。


「ああ……、約束する。僕は絶対にヤツラの思い通りになんてなってやらないっ。どれだけ無謀で愚かでも、不可能だって笑われて馬鹿にされても最後まで抗い続けてやるッ。そして――自分の手で自分を掴(、、、、、、、、、)み取ってみせるから(、、、、、、、、、)―――」


 徐々に弱まる己の命の鼓動を耳にしながら。それでも僕は笑っていた。

 残された体力。その全てを総動員して、震える右手をゆっくり這わせそれを探り当てる。


 歪んだ笑みに抗う。

 狂った笑みは僕にはもう必要ない。

 僕らしい呑気で軽薄な笑顔で逆境に立ち向かおう。

 忍び寄る無機質なエラーコード、神の与えた『道化の衝動』によって僕を縛りつけ狂った笑みを強制させる『設定』を嘲笑うように、そして、一度の勝利如きで勝手に満足した気分になっている瑠奈に見せつけるように、僕は蛮行に打って出た。


「――だから君も、自分の願いを諦めるな! 瑠奈ッ、ローリエ……ッ!」


 ボロボロの学生服の内側。

 首から紐で吊るした僕の『設定表記証(ステータスカード)』を右手に持ったまま口に咥え、僕自身の手で僕の物語の結末を掴み取るべくそれを――全力で噛み千切った。


 ……へへ、どうだ。見たかよ神様とやら。これでお前は僕を縛れない。ざまあみろッ! そして瑠奈。今から僕が君に見せてやる。人は、いつだって、その気になれば今いる場所から次の一歩を踏み出せるって事を! 君の旅に、終わりなんてないッ!


 どくん。と。僕という存在に深々と根を張った何かが気味悪く脈動して――


 ――『設定存在の意味消失(ホワイトアウト)』の浸食が、僕を一気に呑み込んだ。



★ ★ ★ ★



 ――エラーコード01。設定値を逸脱した異常な感情を感知。『道化の衝動』によって修正――失敗。強烈な自己により、修正はキャンセルされました。役回り(キャラクター):『愚者なる道化(フー・クラウン)』。小アルカナ:――。大アルカナ:0番・『愚者』(正位置/逆位置)。『アニマ』の干渉を確認。『自己実現への旅(フールズ・ジャーニー)』の過程にて『潜在発露(ブレイク)』発生。『役回り終演猶予期間(叛逆的モラトリアム)』における『自己同一性(アイデンティティ)』の獲得に成功。『超人神度(レベル)』評価をB→Aへ上方修正。よって『設定表記証(ステータスカード)』の破棄に伴う自己の喪失の回避に――ガッガガガ、ジジ、じざざざざざざッ! ががgざジジジイザザザザザザザザザザザザザザザ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――ッッッ!!! 

 ――【警告】。【警告】。深刻なエラーが発生しました。看過不能の異常を確認。空欄の小札に読み取り不能な絵札が現出。呼称(コード)は『joker』。不正なアクセスによる『潜在発露(ブレイク)』発生。『超人神度(レベル)』測定不能。『自己実現への旅(フールズ・ジャーニー)』に致命的な破損。

 無限に分かれる未来の可能性の大樹、その枝葉の一つ『世界』への到達とその終焉によって限定的な『自己実現』を果たしました。

 役回り(キャラクター):『愚者なる道化(フー・クラウン)』の崩壊と共に、不確定因子『joker』の活性化、起動を確認。未来の可能性『世界』の一つの不可逆的焼却を代償とし『勝利に嗤う(クラウン・)叛逆の道化(ジョーカー)』として再起動――
























 ――遠い未来で災葉愚憐がその手に掴み取ったかもしれない結末、その可能性の『世界』を一八〇秒間限定で再現。再構築を開始します。

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