第四章 愚者なる道化の反逆譚 chapter 2 ちゃんちゃらおかしいぜ、君ってヤツは
突然だけれど、強敵を倒した直後の少年漫画の主人公の前に突如として現れる新たなボスキャラのような大物強キャラ感を醸し出す為に必要な事ってなんだと思う?
答えは簡単だ。
むやみやたらに喋ることなく、黙して不敵な笑みを浮かべる事。
相手の最強技を受けてなお黙して不動、そして浮かべる不敵な笑み。
超クールで超カッコいい。圧倒的な大物感とどうにもならない絶望感――味方サイドから見れば頼もしさ――を感じさせる絵になること間違いなしだ。
例えその無敵にタネや仕掛け、理屈や理由あるいは弱点なんかがあったとしても、喋らなければ、知られなければ無いと同じ。
手品やマジックと一緒だ。例えどんな陳腐なタネが仕組まれていようとも、判明するまでは奇跡か魔法のように見えてしまうだろう。
丁度今の僕みたいにね! いやー、我ながら超イカしたクールな登場だ。これは瑠奈も惚れ直すね、華麗な僕の登場に惚れ惚れしちゃってるね、間違いない!
「これは……驚いたな。愚憐くん、君は一体どうやってあの手錠を――あの状況から脱出し、此処に辿り着くことが出来たんだ?」
「さて、日頃の行いが良い僕に神様でも味方してくれたんじゃない? いや知らないけど」
そんな訳で僕がどうやって此処にやってきたのか。魔封石の手錠から逃れ、瑠奈のピンチに超カッコよく駆けつける事が出来たのか。その理由をこの男に語ってやる事はない。
聖道修羅の驚愕と疑問の眼差しを堂々と受け流し、不敵に無敵に笑ってやるのだ。
と言ってもホントにそう難しいトリックじゃない。
少し考えれば馬鹿でも分かる単純な手だ。
僕がやったのは、手品に重要な視線誘導という技術を真似た、似非手品。
魔封石の手錠を掛けられる寸前、スタンガンに変身し放電による目眩ましをした僕は、どさくさに紛れて『二連・連結部位変質』を発動。腕のサイズを変化させていたのだ。
魔封石はあくまで魔法の発動を阻害する物。既に発動した魔法に干渉する事はできない。
だったら手錠を掛けられる前に魔法を使うのは当然だろう。
そして、いつもより長くなった腕の手首に手錠を掛けられた僕は護送車内で変身を解除。
腕が元のサイズに戻った結果、手錠は親指を巻き込みつつ手の甲に嵌っていた。
僕は親指をくねくね動かし隙間を作ることで外す事に成功したという訳だ。後はまあド派手に護送車を奪ってカーチェイスをしたりしながら瑠奈たちに追いつき今に至る。
とは言え、僕の話なんて本当はどうでもいい。僕が気になるのは当然彼女の事だ。
瑠奈=ローリエと話をする為に、僕は気になる女の子の為にここに来たのだから。
……さて、そんな訳でまずはこの場の主導権を頂くとしようじゃないか。
僕は懐から一枚のカードを取り出すと、それを見せつけるように二人へ突きつける。
「……ねえ、お義兄さんが欲しがってる物ってもしかしてコレかい?」
ニヤケ顔の僕が取り出したそれに、二人の表情がほぼ同時に固まるのが分かった。
片方は焦燥に。もう片方は絶望へ。
僕は内心で瑠奈に謝りながらも、調子よく回る口を止めようとはしない。
「おっと英雄。動いちゃ駄目だぜ? 僕の手がうっかり滑ってこのカードを破くことになりかねない。これを返して欲しくば……そうだな、まずは瑠奈ちゃんの胸に刺さっている物騒な剣を解いて貰おうかな。そしたらこれは瑠奈ちゃんに返すよ。コレ、重要なんだろ?」
僕の手の中にあるそれは『設定表記証』。それも僕のモノではない。瑠奈のカードだ。
「……わざわざ此処に来た君が、瑠奈のカードを破るとは思えないな」
「あはは、それはどうかな? 僕は瑠奈ちゃんを愛しているからね。君に殺されるくらいなら、僕の手で終わりにしてあげたいと願うのはそんなにおかしい事かな?」
首を傾げ笑う得体の知れない僕の発言に、妙な現実味と説得力を感じたのだろう。
お義兄さんの視線からは、こいつならやりかねないという僕に対する厚い信頼を感じる。
うんうん、いつの世も日頃の行いとか信頼とか大切だよね。勿論ハッタリだけどさ。
聖道が黙ったまま指を鳴らす。すると瑠奈の胸に突き刺さっていた水晶の剣が、空気に解けるように掻き消えた。支えを失った瑠奈の身体がくらりと揺れ、その場に倒れ込む。
僕は聖道を警戒しながらもダッシュで瑠奈の元へ駆け寄った。
大理石の床に落ちる寸前の彼女を滑り込みでキャッチし、聖道から距離を取るように大きく後ろへ飛び退くと、ぐったりした瑠奈を壁に寄りかからせ、傷口の様子を確認した。
……ひとまず瑠奈は大丈夫そうだ。時間は掛るかもだけど、自身に回復魔法の術式を仕込んでいる彼女なら、今すぐに命の危険って事にはならないだろう。傷口も少しずつだが既に閉じ始めているくらいだ。やっぱりすごいな瑠奈=ローリエ。
意識が失われぬよう、カードを瑠奈にしっかりと握らせながら、僕はイタズラげに言う。
「……ダメじゃないか瑠奈ちゃんも。いくら嫌いだからって制服のポケットなんかに入れてちゃ、僕みたいな手癖の悪い人間に盗られちゃうぜ?」
僕らは『設定表記証』を常に肌身離さず持ち歩く。なぜって? 他人に見られると困るから。
例え神様が勝手に決め付けた設定であろうとも、人には絶対に見せられない『その人物の根幹』とも『人生そのもの』とも言える情報が記されているそのカードは、人間にとって命の次に守るべき大切な尊厳と言える代物だ。
その内容は死ぬまで他言無用として死守され、恋人や家族にすらも明かされることはなく、内容を教えることも尋ねることも禁忌とされている。僕は彼女が眠っている隙にそれを奪い中身を見た。
控えめに言って最低の行為をした自信がある。
だからここは男らしく、言い訳などせずに反省の意と真実のみを伝えよう。
「……えー、こほん。実は、その。君が眠っている間にちょっと拝借させて貰ったよ、瑠奈ちゃん。……あ、言っても信じないだろうけど別にえっちなことはしてないからね? ただまあ、その。なに。不可抗力でちょっと胸に指先が当たっちゃったりとかはしたかもしれないけれど別に他意はないというかそういうのはやっぱり合意のうえでやるべきだと思うからさそれに野外とか特殊なのもいいけどやっぱり最初は僕ノーマルなほうが――」
「――災葉、くん。アナタ……見た、の?」
「……うん、瑠奈ちゃんには悪いけど。全部」
早口言葉みたいな言い訳を遮る瑠奈の苦しげな問いに、僕は今度こそ静かにそう答えた。
頷く僕に瑠奈は身体の傷の痛みよりもなお痛そうにはっと目を見開いて、それから何かを諦めたようにそっと震える息を零した。
「そう……、なの。見て、……しまったのね」
そして、俯きながら自嘲するように、
「……あーあ。ほんと、馬鹿、みたいだわ。ええ、いいの。分かってる。私は、生まれつきの、裏切り者ですもの。沢山の人を不幸に、してきたし。……人の恨みも山ほど……買ってきた。アナタが、私に報復しようと思うのも、無理はないわ。……自分を裏切って、犯罪者に仕立て上げようとした、汚い女を助ける……人間なんて、いないものね。アナタも、そのために……此処まで来たのでしょう?」
まるで、僕に糾弾されるのを待っているみたいに、ボロボロの瑠奈は酷薄に擦り切れたような自嘲的な笑みを浮かべて僕を見た。
……否。彼女は待っているのではなく信じていた。
僕が声を荒げ瑠奈を罵り裏切りを糾弾する未来を。彼女は僕に傷つけられたがっていた。自罰的な破滅衝動がそこにはあった。
その瞳に浮かぶ光は酷く霞んでいて、絶望する事にすら疲れたのだと語っているようだ。
……分かっているさ、瑠奈=ローリエ。僕だってそのつもりで此処に来たんだ。
君を眠らせ得ている間、禁忌と知って尚君の『設定』を端から端まで徹底的に目に焼き付けた。
そこに記されていた内容を看過する事が出来なかったから僕はここに立っている。
――まずは真実をはっきりとさせよう。瑠奈=ローリエがひた隠しにしてきたものを、僕がここに暴いてみせよう。
さあ、推理パートは既に終わっている。役者は揃った、ならあとは皆さんお待ちかねの謎解きパート。解決編のお時間だ。
こういうのは第一声が重要だからね。さあ、一丁ビシッと決めてみようか。
「瑠奈ちゃん、君さ――」
いつになく真剣な僕の声に、瑠奈は覚悟を決めたようにその身を震わせて、
「――僕のこと実は大好きだろう?」
「……ふぇ?」
想像だにしない奇襲を受けたような間の抜けた声をあげ目をまん丸くした直後、瑠奈の顔が瞬間湯沸かし器みたいに一瞬で真っ赤になった。
そのまま毛を逆立て猫みたいになって、酷く狼狽えた様子で捲し立てる。
「な、ななな……なんでアナタはこんな時にまでッ、そ、そういうお馬鹿な事しか言わないのよ!? アナタ見たのでしょうっ? 私の『設定』を『役割』を『立ち位置』を! だったらもっと、こう……別の感想が出てくるものじゃないのかしら普通っっ!?」
「えー、そんなこと言われてもなー」
胸に風穴開いてる割に元気じゃないか。流石は回復魔法のスペシャリスト、安心したぜ。
そもそも普通ってのがよく分からない。僕にとってはこれが僕の普通で、人類の平均値を算出したような感想を期待されても困ってしまう。
何故なら僕は僕で、他の人とは違うのだから。
僕は完全に暗記した瑠奈の『設定』を思い出して、
『【設定】
名前:瑠奈=ローリエ 性別:女
小アルカナ:杯の女王(ハートの12)(正位置/逆位置)
大アルカナ:⒙番・月(正位置)
役回り(キャラクター):『宵闇に浮かびし狂気の朧月』
立ち位置:夜闇に浮かぶ朧月の如く、孤独でありながら誰もがその美しさに息を漏らす神秘のヴェールに包まれた孤高の月。しかしてその妖しき偽りの輝きで近づくものを一人残らず惑わせ運命を狂わせる。同性・異性に関わらず人を惹きつける一定の『魅了』を持つ被愛対象にして畏怖の対象。虚言の強化。関わった人間にとって致命的な形で裏切りを実行する。自覚の有無に関わらず自身とその周囲に不幸と破滅を齎す傾国の美女。
≫行動■害・瑠奈■ローリエ■■■■■に対■る『殺傷行為』を禁■
≫行動阻害・瑠■=ロー■エの■■■■に■する『裏切■行為』■■ズ
≫設定■加・瑠奈=ローリ■の聖■■■に対■■『親愛度』■上昇補正
≫■定追加・■■=ローリエ■聖■■■に■す■『命令の拒否権』■削除
≫行■■害・瑠奈=ロー■■の■■■羅に対す■『不利益を与■る■為』を禁ズ
固有魔法:『来たれ、創造の刃。純潔の水龍よ』(『魔力』を消費し周囲の水を一点に収束召喚、命と形を与える。追加で命令式や術式を書き込むことにより様々な効力を発揮。一度に操作可能な水量、魔法の持続時間は『出力』に。書き込める命令式・術式の複雑さ、魔法の制御は『練度』に、詠唱の応用範囲は『才能』に左右される)
魔法適性:ランクB+(才能A+/出力B+/魔力量B+/練度C++)/CT3
職業:『神官騎士』
軛の予言:自らの手で大切なモノを破壊する運命にある。
死因:捕食死。十六歳』
いろいろと言及しなきゃならない部分はあるにせよ、僕的に重要なのは軛の予言だ。
「だって、この『軛の預言』ってそういう事でしょ?」
「だからッ! 今重要なのは、私がアナタを裏切って破滅させる最悪の女だって事で――」
「――そうだね。だから君は必死に僕を遠ざけようとしてきた。冷たい仮面を被り棘のある言葉で他人を突き放して、誰も不幸にしないようにと人と関わる事を避けてきた。それは誰かと関わっているうちにその人が大切な人になってしまうことを恐れたからだ」
涙の滲む瑠奈の絶叫を遮るように僕は頷いた。
そう。重要なのはやっぱりここだ。
生粋の裏切り者である瑠奈=ローリエは、自らの手で大切なモノを破壊する運命にある。
軛の予言が意味するそれはつまり、彼女は愛する者や大切な人にこそ嘘を吐き裏切り破滅させてしまうように『設定』されているという事だ。
確かに彼女は嘘つきで裏切り者だけど、それは彼女が心から望まない裏切りのみを加速させるように神様の野郎が勝手に決めつけたからだ。
そして瑠奈は、心優しき彼女は、それを恐れるが故に独りであろうとした。
何故なら、裏切りとはある程度以上の親密な関係がなければ発生しない。
裏返る程の表が必要な行為だから。大切な誰かを作らなければ、自分は誰も裏切らずに傷つけずに済む。そんな馬鹿な事を考えたのだろう。
誰とも関わろうとせず、孤高を気取り、他人を冷たく拒絶するような態度を取る。
自らを人殺しと名乗ったり、僕に対して魔法で過剰に威嚇を繰り返したのも、僕を傷つけてしまう事を恐れたからに他ならない。学校で常に一人なのもその為だろう。
瑠奈は自分にとって大切な人が出来てしまう事を何よりも恐れている。
自らの手でそれを壊すことになると、分かっているから。
「だからおかしいんだよ、瑠奈ちゃん。君の聖道修羅に対する言動があんなに好意的なのは。兄なんて近しい存在にこそ、君は最も冷淡な態度を取らなきゃならない筈なのに」
だから僕は考えた。僕に話しかけられたくらいで嬉しくなったり、甘々で隙だらけではあるけれど、ある種の一貫性があった瑠奈の言動に生じた矛盾が矛盾でないとするならば。
瑠奈が聖道修羅に対して好意的に接するのは、聖道のことを大切になど思っていないからで。
瑠奈が聖道に好意ではなく敵意を――それも殺意にさえ近い感情を――持っているからではないのか、と。
屋敷に招待された時から極めて私的な理由とはいえ嫌な予感はあった。
予感が根拠ある仮説へ変わったのは、瑠奈を眠らせてる間に僕がカードの中身を覗き見てから。
そして僕の都合のいい仮説は、『演武祭』直後の逃走劇の最中に確信へと変わる。
「あの時、君は僕を裏切り聖道修羅に味方した。その裏切りの意味を、僕も分かってるつもりだよ。だから僕はここにいる。言ったろ瑠奈ちゃん。僕は君を攫いに来たって」
傷つけたくないと、僕を冷たく突き放し続けてくれたから。
道化を笑うのではない、僕との会話を楽しかったと言ってくれたから。
やっぱり嘘をついてくれないのねと、瑠奈は僕の事をずっと信じてくれたから。
裏切りたくないと、僕の胸の中で身体を震わせ君が謝ってくれたから。
そうして最後に、君が僕を大切な人だと裏切ってくれたから。
……『演武祭』直後の逃走劇。
裏切られ水魔法によって思考を奪われ硬直する僕を見つめる瑠奈の表情は、みっともない程に涙と鼻水でボロボロに歪んでいて、今にもポッキリ折れてしまいそうな程に心を痛めていた事を思い出す。
売られた。利用された。裏切られた。それはつまり瑠奈に大切に想って貰えたという証で、その事実に一瞬でも喜びを覚えてしまった自分が僕は心の底から恥ずかしい。
だって違うだろ。そうじゃない。思い上がりも甚だしい。瑠奈の心をこんなにも傷つけておいて、彼女に辛い裏切りを強要させておいて喜ぶなんて僕は馬鹿か? 愚かさも道化もここまで極まると笑えもしないし救い難いにも程がある。
結局僕は瑠奈の事を何一つだって知ることが出来なかった。彼女の苦しみに、大切な人を裏切らねばならない理不尽に、冷たさの裏の温かさの訳に、ちゃんと気付いてあげられなかった。
嘘つきの少女と騙される道化。僕らの関係はあの夜から何一つ変わっていない。
だから、僕はそれを変える為にここに立っている。
仲良くなった気になるのではなく仲良くなろう。
信頼を勝ち取ったつもりでいるのではなく信頼を勝ち取ろう。
勘違いではなくきちんと心を結んで、大切な人を裏切ることで傷ついてしまう彼女をこれ以上傷付けないでいられる。
そんな彼女の大切な人に僕はなろう。
好きな子にここまで想って貰ったんだ。その気持ちに応えてやらなきゃ、男じゃない。
「君はいつか言っていたよね。窮屈で息苦しい身勝手なこの世界の全てが届かない場所へ行きたいって。だったら僕が君を新しい世界に連れ出してやる。鳥籠から出る勇気がないのなら、僕が君の勇気になってやる。僕が君の願いを叶える、君の切り札になってやる」
「でも、でもっ、私は……アナタをきっと、不幸にしてしまうわ。嘘つきな私は、きっとまたあなたを裏切って、運命を狂わせてしまう。破滅させてしまうから……だから……」
瞳に涙を溜め、らしくも無いいじらしさを見せる瑠奈が可愛くておかしくて僕は笑った。
不幸にする? 運命を狂わせる? 破滅させる? ははっ、なんだよソレ。僕を前にそんな事を気にするだなんて、ちゃんちゃらおかしいぜ、君ってヤツは。
そして、『だから』に続く言葉を、僕は瑠奈に言わせるつもりはなかった。
「馬鹿だな、瑠奈ちゃんは」
「……え?」
「僕は『愚者なる道化』だぜ? 元から僕って奴は狂った道化さ。自ら不幸にだって突き進む愚か者さ。僕の運命を狂わせる? 破滅させる? やってみなよ。それ以上の笑いと未知を僕は君に見せてやる。そしてそんな僕だからこそ、君と一緒に歩いて行けるんだ」
「でも。わたっ……ぐずっ、わたし、は……う、ぁあ……」
「だからさ、君の嘘で僕を躍らせておくれよ、面白おかしく道化のように。そうすればほら、僕は君の裏切りを笑って愛せる愚者であれるから」
僕はその場で跪き、ボロボロになって涙と嗚咽を零す瑠奈の手を取った。
まるで女王に誓いを預ける騎士のようだ。似合わないったらありゃしない。
「瑠奈ちゃん。君の願いを教えて欲しい。裏切られても、不幸になっても構わない。ただ僕は、君を助けたい。この気持ちは本物だって思えるから。……だからお願いだ。どうか僕に願っておくれ」
瑠奈は滂沱と涙を流しながら、潤んだ瞳で上目遣いに僕を見つめて――、……あぁ、そんな目で見つめられると、頭がおかしくなりそうだ。
「……災葉、くん。えぐっ、わた……ひっく、わたっ、お願い。わたしを、ひぐっ――」
だが、求めた瑠奈の言葉はなかなか形にならない。
しゃくりあげる瑠奈の嗚咽は収まりそうになく、それどころか過呼吸に陥り掛けている。
びくっびくと身体を震わせるたびに身体の傷が痛むのか、表情は苦悶に染まっている。
瑠奈を安心させ、安静にさせなければならないのに何やってるんだ僕の馬鹿っ! 突然の出来事に心が追いついていないらしい瑠奈を落ち着かせる手を、僕は必死で探して――
――と、衝動じみた閃きが、刹那僕の脳裏に過った。
……え、それマジで言ってんの僕?
天啓じみた閃きに痺れる頭で、僕は何か誤魔化すような飄々とした態度で肩を竦めて、
「僕が信じられない? まあ、確かに。それは僕も同感だ。なら先に証明してみせようか」
他にいい案も思いつかないし、人命救助の為なら仕方がないよね。
瑠奈を落ち着かせる為、僕は彼女の口を塞ぐようにその唇に唇を重ねようとして――うん、無理だ。僕には色々とハードルが高いや!
結局その横、瑠奈のぷにぷにほっぺに不時着した。
「――っ!?」
僕の突然の奇行に、目を見開いた瑠奈の身体が驚愕に一回ビクンと跳ねる。
だがその衝撃は、一周回って彼女を落ち着かせることに成功したらしい。
温かく柔らかな感触が唇から広がり、胸の鼓動が高鳴る。燃えるような熱がどこからか這いより、血が昇って頭がくらくらする。
瑠奈の願いの言葉に先駆けた、フライングの宣誓行為。
騎士の誓いなら彼女の手の甲に口づけをするのだろうけど、生憎僕は道化であって騎士様じゃない。
だから不意打ち気味のその場の勢い任せの誓いのキスだ。ほっぺだけど。
いや別にビビった訳じゃない。ただ、あれだ。彼女を傷つけてしまうであろう道化の衝動に、僕はきちんと抗っただけだ。うん。そうだそうに決まっている。
刹那の邂逅。一瞬にして永遠にも感じられる時間が終わる。
重なる二人の距離がほどけていく。
強引に瑠奈にキスをした僕は、正面。悲哀に満ちた微笑で僕を見つめる瑠奈の潤んだ瞳と目が合って、遅れて彼女の願いが告げられた。
「……お願い災葉くん、私を――助けないで。ここから、逃げて……ッ!?」
懇願するように、耳にするだけで切なくなって胸が張り裂けそうになる哀しい声色で彼女は静かにそう囁いて、
銀と紫を基調とした流麗な瑠奈の細剣が、僕のお腹に突き刺さっていることに、愚かな僕はようやく気が付いた。
……また、失敗してしまったのだ、と。
「……ああ、そりゃまあ、こうなるか」
直後。喉を引き裂くような、瑠奈の壊れた悲痛な慟哭が響き渡る。
マウストゥーマウスを逃した僕のファーストキスは、血生臭い鉄さびの味がした。