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第三章 拝啓、虚構症候群の皆様へ~アナタの愚者より愛を籠めて~ chapter 3 正義は必ず勝つんだよ

「……地上も上空もダメなら地下から、か。なるほど。ありがちだけど確かに盲点だった。流石は瑠奈ちゃん、神楽坂学園の誇る超美少女優等生なだけはあるね!」

「災葉くん、静かに。この地下道を知るのは私たち聖道家の人間のみよ。でも、『神官騎士』にお兄様がいる以上、ここにまで捜索の手が及んでもおかしくないわ」


 大勢の『神官騎士』から追われている誘拐犯こと僕は、下水道から隠し扉を潜り抜け、僕に誘拐された被害者である瑠奈の案内で秘密の地下道を進んでいた。


 高さ二メートル、道幅およそ一・五メートル。人が歩くだけで窮屈な狭い道だが、頭上にはカンテラの明かりが薄く灯り、通気口でもあるのか空気も澄んでいる。下水道を通るより遥かにマシなルートであると言えるだろう。


 僕は興味深げに周囲をキョロキョロと見回しながら、


「ところで瑠奈ちゃん、どうして君は僕を助けてくれる気になったんだい? こんな事を僕が今更言うのもアレだけどさ、僕は君を攫った誘拐犯の犯罪者で、君は攫われた被害者なうえ目的の為とは言え表面上は『神官騎士』を目指してる優等生ちゃんだ。散々君の目的を邪魔した僕を殺すならまだしも、法を破ってまで僕を助けようとする意味が分からないんだけど。もしかして僕に惚れた? ストックホルム症候群的な吊り橋効果?」

「……ほんとにアナタがそれを言うのはアレね」


 呆れ蔑むような視線に背筋が震える。こんな薄暗闇でその目つき、興奮しちゃうぜ。


 そんな僕のピンク色の思考回路などお見通しだとばかりに瑠奈はさらに大きくため息を一つ吐き出して、心の底から嫌そうな声色で言った。


「理由なんて別にないわ。強いて言うならこれは私の甘さよ。アナタみたいな頭のおかしな変態でもそれなり以上に言葉を交わしたせいで少しだけ、ほんの少しだけ……スプーン一杯分くらいの情が移ったの。目の前で死なれては私が迷惑するというだけよ。それに、もし途中で捕まっても、アナタに脅されていたとか適当な理由をでっちあげれば私はどうとでもなるもの」

「それは、騎士団にお義兄さんがいるからかい?」

「……。ええ、そうよ」


 僕の問いに微妙な間を経てそう答えてそれきり。

 あからさまに機嫌を悪くした瑠奈は、それ以上一言も喋ろうとせず、黙々と地下道を歩き続ける。

 全身から拒絶のオーラを噴出させる瑠奈。僕は気にせず話しかけるも返事はない。

 キャッチボールの成り立たない、一方的な壁打ちを僕はしばらく続けた。


 ぽつり。ぽつり。

 どこからとなく響く水滴の落ちる音を、手持ち無沙汰な僕は数え歩く。

 先の見えない狭い道はそれだけで精神的な圧迫感を与え、この地下迷宮から外に出る事は一生ないのだと、そんな無意味な不安に襲われる。

 前を歩く小さな背中も、同じような不安に襲われているのだろうか。

 もしそうだとしたら、今すぐ後ろから抱きしめてやりたいと思う。

 けれど愚かな僕には瑠奈の気持ちが分からず、道化師の癖に何をすれば彼女が笑ってくれるのかも分からなかった。


 そうしてあちこち入り組んだ地下道を一時間近く歩いた頃だろうか。

 視線の先、十メートルほど前方に茜に染まる光が見える。どうやら、天窓のように頭上から外の光が差し込んでいるようだ。


 瑠奈も光に気づいたのだろう。

 近寄りがたい雰囲気は霧散したみたいだが、相変わらずこちらを振り向こうともせずに、


「ついた。グレンくん、あそこから外に出られるわ」

「それじゃあ、あれが」

「ええ、私が案内出来るのもここまでね。……心配せずとも外までは送ってあげるから、ほら、ついてらっしゃいな」


 瑠奈は光の元へ駆け込むと、壁に取り付けられたステップを昇ろうとして――自分の履いているスカートと、後ろに続く僕のことをジロリとねめつける。


 ……そんな怖い顔をしなくても下から舐め回すようにパンツ覗いたりしないよ、と僕がジャスチャーで告げるも、瑠奈の疑心を孕んだ瞳はしばらく注意深く僕を観察していた。


 少しすると諦めたように息を吐き、ステップに足をかけて秘密の扉から外へと出ていく。

 ……果たして僕は彼女に何回ため息を吐かせるんだろう、なんて下らない事を考えつつも、瑠奈が昇り終わったことを確認した僕もステップを昇った。


 秘密の扉から外に出るとそこは『東楽』の郊外。新寧町の住宅地に隣接する林の中へと繋がっていた。

 少し小高くなっている林から睥睨する夕焼けに沈む街並みは、それを見る者に幾ばくかの寂寥感を抱かせる。ノスタルジーとか言うヤツだ。

 太陽が沈みゆくのと入れ替わりで、頭の欠けた月がその存在感を徐々に色濃くしていた。


 この風景も僕にとっては少し見覚えのある物だ。というのも、この辺りの住宅地は僕と瑠奈が二度目に会った場所。全身タイツマンと死体遺棄少女が鉢合わせたあの場所に近い。

 僕と瑠奈の最悪の再会の地。僕にとっては、呆気なく打ち砕かれた恋をまた新たにスタートさせた再起の地でもあり、本当の意味での彼女との出会いの場だ。


 新しい旅立ちの出発点としては上出来。

 だけどその前に、僕にはやらなければならない事がある。


 なんてったって僕がここに来たのは瑠奈、君の願い叶える為なんだから。

 時間がなかった為に有耶無耶になっていた話の続きを、僕は口にする。


「ねえ、瑠奈ちゃん。さっきの話の続きなんだけどさ。本当に僕とこの国から逃げるつもりはない――」


 ――かい? そう、最後まで僕が言い切る前に、それは起きた。


 瑠奈=ローリエの儚い温もりが、僕の胸に飛び込んできたのだ。


 不意打ちも良いところだ。

 まるで予期していなかった出来事に、僕の脳ミソはショート寸前、動作不良を起こしている。僕の胸に顔を埋める儚く華奢な少女を、受け入れるだけで精一杯だった。


 瑠奈の小さな手が縋るように僕の胸元を掴む。その身体は迷子の子供のように震えている。行き場を失った僕の両腕が迷えるように彷徨って、震える少女の背中を抱き留めようとして――失敗。不自然に宙を泳ぐ両腕が、なんとも情けない。


「ごめんなさい、ごめんなさい災葉くん。少しだけ……少しだけでいいから、このままでいさせて。お願い……」

「瑠奈、ちゃん……?」


 彼女の豹変具合に困惑する。道化の僕は、愚かにもこういう時にどんな言葉を掛けるべきなのか。どうすれば震える瑠奈を安心させてやれるのか、その方法が分からない。

 困惑する僕を置き去りに謝罪の言葉を繰り返す瑠奈、不安定な状態の彼女をどうにか安心させようと声を掛けようとして――


「え、ぁ」


 ――瞬間、僕<の%思&考が@ヒ・ビ/割rえTあ……?


「……ごめんなさい。でも言ったでしょう、災葉くん。私、体内に直接干渉する治癒魔法が得意だって。触れた相手の体内の水分を操ることくらい、造作もないことなのよ。例えば、アナタの脳内の水分を操作して、身体の自由を奪うとか」


 頭の神経が断絶したように、つま先立ちで耳元で囁かれる音の羅列を理解できない。

 彼女の言葉が、発せられたその音の持つ意味が。文字の並びが表す単語が、分からない。

 すべての言葉が僕の耳を上滑りして、頭の中で詰まるような不快感だけが残る。

 瑠奈の温もりが、離れていく。

 冷たい凍える風のような音が、耳を打つ。


「――我が名は瑠奈=ローリエ。誇り高き聖道家の長女にして、今日より『神官騎士』として救済神ヴィ・クワイザーに仕える者。……災葉くん、アナタのような神に背きし罪人をこの私が見逃すわけがないでしょう?」


 崩れ落ちることも出来ず、硬直する僕を見つめる瑠奈の表情。その意味が掴めない。

 思考を失い身体の制御を失った僕は、だから彼女の背後に立つその男が何者であるのか、それすらも最初は理解することが出来なかった。

 瑠奈は、耳の中に入れていた極小のイヤホン型無線機を鬱陶しげに取り外しながら、


「――これでいいですか? お兄様」

「ああ、よくやってくれた。手筈通りの誘導ご苦労様。流石は俺の妹だな、瑠奈」


 振り向いた瑠奈の視線の先、その男は立っていた。


 燃えるような金髪にきりりとした柳眉と、透徹に透き通った大きな青い瞳が僕を――災葉愚憐を射抜いている。

 人を引き寄せるオーラを纏い、柔らかで誠実そうな微笑みを常に浮かべているその好青年は、しかし今は祭服を脱ぎ捨て、白を基調とした赤いラインがまぶしい騎士服に身を包み、剣の切っ先のような近寄りがたい鋭さを携えていた。

 近づくだけで肌が痺れ燃え溶けるような圧倒的な威圧感は、男の正義感の発露。邪悪を一刀のもとに打ち滅ぼす意思の具現に他ならない。


 聖道修羅。


 嘆きの聖者(ラメント・セインツ)という役割(キャラクター)を神より与えられた正義の英雄――

 ――そして、そいつを視界に入れたその瞬間だった。


 身体中に電流が駆け回るような衝撃が走り抜け、瑠奈の魔法によって失われていた僕の思考力、そして身体の自由が少しだけ復活した。

 魔法の効力が切れた訳ではないのだろう。未だ思考は阻害され、身体は思うように動かない。普段を十全とするなら今の僕は三割未満。磨きが掛かっているのは愚かさくらいだ。

 ただ、この英雄こそが■であると、たとえ思考力を奪われ何もかも分からなくなろうと。身体の自由を奪われ脳が正常に機能せずとも。いいやむしろ脳の機能が麻痺している今だからこそ、僕という人間の本質。魂の奥深くに刻み込まれた疵跡が、強く訴え掛けてくる。


 ――抗え、と。


 僅かであれ思考力を取り戻すことが出来たのは、この魂に刻まれた正体不明の感覚に原因があることは間違いない。それが何なのかは、愚かな僕には分からなかったけれど、


 ……それでも、今はこの拳を握り締められるだけで十分だった。


「……嘆かわしい。心の底から残念だよ、愚憐くん。俺は君ならば瑠奈のいい友人でいてくれると思っていた。それがまさか瑠奈をかどわかし、神の意思に背こうとするなんて。どうやら俺が間違っていたらしい」


 何が残念だ、白々しい。僕が今日『演武祭』に現れること、そして瑠奈を攫おうとする事、その全てを予測していたのだろうが。

 試合を中止にしなかったのも、瑠奈が僕に攫われる事すら予定通りだったからなのだろう?

 この結末は、演武祭が始まるその前からシナリオの中に組み込まれている。この英雄は僕という罪人を今日捕えるつもりなのだ。


 しかし、それは僕も同じ事。


 だって、分かっていたハズだ。瑠奈を連れ去ろうとする以上、何がどう転がろうとも最終的にこの男が僕の敵となって立ち塞がるという事くらい。

 僕らは初めて出会ったその瞬間から、互いが互いの仇敵であると認め合っていた。


 そしてそんな因縁関係なく、こいつを倒せば僕と瑠奈の道を塞ぐ敵はいなくなる。

 なら、きわめて個人的な私情で申し訳ないけれど、邪魔者でしかないお義兄さんには退場してもらうに限る。

 何より僕は、この男の瑠奈に対するあの発言を許していないのだから。


「お……義兄さん。妹、さんは。僕が、貰い……す。だから、邪魔、者は……引っ込んでてください……ッ!」


 目の前の英雄を、僕の仇敵を打倒すべく、拳を硬く握りしめて今出せる全力を振り絞って勢いよく地面を蹴りつけて――


「その状態で動けるのか、すごいな。でも駄目だろう。――罪人が俺の許可なく動くなよ」


 ――ずぷり。


 その場に縫い止められるような抵抗を感じると同時、生々しい音が僕のお腹の中心で咲いた。立ち止まった僕は、怪訝げな表情を浮かべながら音源を見やる。

 すると、僕のお腹から半透明の水晶のような巨大な杭が生えていた。背中を突き破りお腹から飛び出した水晶の剣は、僕の血に塗れ半透明な表面を深紅に濡らしている。

 不思議なくらい痛みは感じなかった。


「げふっ」


 吐血すると同時、何の前触れもなく僕の頭上に杭のような水晶の剣が多数生じそれが膨張した。僕の肩口、背中、腿、両腕目掛け伸長する水晶が一斉に降り注ぐ。

 昆虫の死骸をピン止めし標本にするように、杭は僕の身体を串刺しにして地面に縫い止める。

 同時に、酸素がふいに消滅したような息苦しさに襲われた。そして追い打ちを掛けるように不可視の斬撃が僕の身体を幾重にも切りつけ血が飛散する。


 ここまで、最初の水晶が胸に生じてから僅か三秒。一瞬で死体のようになった僕の肉体から血が溢れ、視界が霞む。

 相変わらず痛みはなく、身体からすべての力が抜けていくのを感じる。


 ――息を呑むような誰かの悲鳴が、聞こえた気がした。


「災葉愚憐。君は罪を犯した罪人だ。咎人だ。神の救いを拒む背神者だ。誰が喋ることを許した? 君には呼吸以外の一切を認めた覚えはないぞ」


 意識が朦朧とし始めた僕に、まるで別人のような底冷えする声色で告げ、聖道修羅は僕の足元に一枚の写真を投げ放った。


「……これは、俺の部下が撮った写真だ。見たまえ」


 そこに写っていたのは、廃工場にて僕がマネ子ちゃんと名付けた不気味なマネキンを抱える僕の姿。床に倒れていたマネ子ちゃんを起き上がらせた瞬間を撮った写真だった。


 瑠奈が僕に声を掛ける前、僕を消すべく待ち伏せしていた『誰か』が撮ったのだろうか。


「――『設定存在の意味消失(ホワイトアウト)』。俺達『信道教会』の人間はそう呼んでいる。人間の役回り(キャラクター)が消失する怪現象だ。この現象に襲われた者は自我を失い人間性が崩壊し、のっぺらとしたマネキン人形のような存在へと化してしまう。君と共に写っている彼女も『設定存在の意味消失(ホワイトアウト)』した女性である事はもう調べが付いている。……だが、この怪現象は偶然起きるような代物じゃないんだ。これはね、愚憐くん。生きる為の(かみ)を失った者――『設定表記証(ステータスカード)』を破壊されるか、奪われた状態で殺された人間にのみ起きる現象なんだよ。そして、近頃世間を騒がせている連続殺人事件には世間に公表されていないとある事実があるんだが……人の口に戸は建てられない。突飛な噂話として世間に広まることは流石に避けられなかった」


 ……この男は、一体何が言いたいんだ?


 分からない。瑠奈の魔法で思考力が奪われているからとか、朦朧とする意識がどうのこうのとか、そういう話じゃない。

 僕こと災葉愚憐が大勢の『神官騎士』に追われていたのは、『演武祭』をぶち壊し、優勝者である瑠奈=ローリエを誘拐したからであるはずだ。

 それがどうして、連続殺人事件の方へと広がっているんだ?


 連続殺人事件というワードが、唐突に告げられた『設定存在の意味消失(ホワイトアウト)』という悍ましい現象に対する恐怖が、写真に写ったマネ子ちゃんが、嫌な想像を掻きたてる。

 冷や汗が止まらない。


 愚者でも分かる、踏み込んではいけない流れへとレールが切り替わっていく感覚に危機感が募り頭がクラクラする。

 これ以上この男に何かを喋らせてはいけない。

 そう思うのに、針の筵となり身体の自由を奪われている今の僕には、聖道の言葉を黙って聞き届ける事しかできない。


「俺はずっと連続殺人事件の犯人を追っていた。必死の捜査で遺体の一部も見つけたが、誰の犯行か特定する事ができなかった。見つかった遺体は、魔法で切り刻んだにしては切り口があまりに鋭利。かと言って魔法で鑑定しても肝心の凶器が見つからない。けれど高度な変身魔法であれば、いくらでも存在しない凶器を作り出す事が出来る。……盲点だったよ、愚憐くん。それとも、連続殺人鬼と呼んだ方が分かりやすいか?」


 ……、ああ。そうか。つまりこれは、そういう事なのか。


 僕の中で、これまで点と点でしかなかったバラバラに点在していたそれぞれのキーワード。その全てが線で繋がったような、そんな気がした。


 例えば、連続バラバラ殺人事件から派生した突飛な噂の一つに、こんなものがあった。

 道端に血まみれのマネキンのパーツが落ちているのを見ると、その晩マネキン人形が失ったパーツの代わりを奪いに来る。そんな不気味なマネキン人形に関する噂話を。


 もしこれが単なる噂話ではなく、事実がねじ曲がって広まった類の現実なのだとしたら。

 今この新寧町で起きている連続殺人事件の全ての被害者が、『設定存在の意味消失(ホワイトアウト)』の被害者でもあるのだとしたら。


 あの夜、瑠奈が運んでいた、あのやけに人工物めいた血まみれの右腕は……。


 ……否、それだけではない。真偽不明の都市伝説と化している十数年前の事件から遡り、前代の『主席神官』の殺害、義父母の死、瑠奈の目的、復讐鬼、『神官騎士』という手段、『宵闇に浮かび(ロンリネス・)し狂気の朧月(ルナティック)』、次代の『主席神官』を目指す『嘆きの聖者(ラメント・セインツ)』。

 それらが意味することは一体――


「き、み……、は……」


 ただ、分からない事だらけの今でも、確かに言える事がある。

 これをやったのは僕じゃない。

 僕は愚かで無知で情けない道化だけれど、だからこそ人を殺すなんて事はしない。だってそれじゃ、誰も笑ってくれない事を僕は知っている。


 僕に全ての罪を着せようとしている真犯人がいる。

 そいつは、僕がこれまで出会って来たどの人間よりも僕を僕らしく扱い、道化という役割をそっくりそのまま僕に演じさせた。


 瑠奈=ローリエ、彼女を使って。


 何も知らずに掌のうえで滑稽に踊る道化さながらに、僕を華麗に罠に嵌めて見せたそいつは今頃僕の惨めな姿を見て高笑いしているのだろう。

 それは別に構わない。

 でも、瑠奈を使ったことだけは、絶対に許せない。


 眼球を動かすことすら億劫な状態で、それでも最後の力を振り絞り喉を震わせる。

 死力を尽くして擦れたような声をあげ、沈黙を貫き続けている彼女へと問いかけた。


「る、な……。きみ、は。なに……を、しっ、……て……る?」

「……」


 瑠奈は何も答えない。応えてくれない。

 少なくともマネ子さんを殺したのが僕ではないことを知るはずの瑠奈は、けれども聖道の言葉に一つの否定すら交えない。

 売られた。切り捨てられた。利用された。裏切られた。そんな言葉が僕の脳裏に幾度となく過って、そんな愚かな僕を僕は嘲笑った。

 何を的外れなことを言ってるんだ僕は、思い上がりも甚だしい。僕らの関係は、あの夜から何一つ変わっていないじゃないか。


 結局僕は瑠奈のことを、何一つだって知る事が出来なかった。

 瑠奈と勝手に仲良くなった気になって、彼女の信頼を少しでも勝ち取った気になって、苦悩する彼女を少しでも救ったつもりになって、勘違いに勘違いを重ねた挙句に勝手に裏切られたような気になっている。

 ああ、馬鹿馬鹿しい。道化もここに極まれりだ。ほんと、自分で自分を笑っちゃうぜ。


「愚憐くん。君は罪を犯し神に背いた。神に救われたこの国で君の行動は重罪だ。そして、知ってはならない事をも知ってしまった。『設定存在の意味消失(ホワイトアウト)』は秘匿されるべき国の重要機密事項。信道教会の上層部では、君を見つけ次第殺害すべきだという意見も出ている」


 聖道はそこで一度言葉を区切ると指を鳴らす。

 小気味のいい音と共に、僕の身体を針の筵にしていた水晶の剣が空気に溶け入るように掻き消え、支えを失った僕はそのまま地面に倒れて込む。

 ついで柔らかな若草色をした風が心地いい音色を伴って僕を撫で、五体に生じた幾重もの風穴を塞いでいく。

 朦朧としていた意識が、確たる芯を取り戻していくのを感じる。


 かなり高位の回復魔法のようだが、僕を穴だらけにした水晶の魔法とはずいぶん毛色が異なっている。

 魔法は原則一人に一つ。瑠奈のように水の魔法の応用発展という形で様々な効果を発揮するなら理解できるけど、これは一体……。


「だが俺は君を殺さない。俺は俺の正義を成し、君を法に則り正当に処罰する。災葉愚憐、未成年者略奪及び誘拐罪の現行犯及び連続殺人の容疑で君を逮捕する。……捕縛しろ」


 最後。ゾッとする程冷淡な声に応じて、修羅の後ろに控えていた神官騎士たちがいっせいに僕を取り囲むと、倒れた僕を強引に抱き起し、両腕に手錠を嵌めようとする。

 逃げ場も打開策も何もない。抵抗した所で、すぐに取り押さえられるのがオチだろう。


 ――でもさ、だからって素直に捕まってやれるくらいなら、十六年間も愚者なんてやってないんだよね……ッ!


「――変質(オートレイト):『全員痺れろ糞ッたれ(スタンガン)』……ッ!」


 瞬間。ボロボロの笑みらしきもの浮かべた僕は、体内で練っていた魔力を一気に爆発させ自身を巨大なスタンガンへと変貌させた。


 甲高い音と共に目蓋を焼く真っ白い閃光が弾け、青白い火花が地面を焼く。

 僕渾身の騙し討ち、その一撃は――しかし人外の反射神経を持つ『神官騎士』達が大きく一歩後ろに飛び退くだけで容易に回避されてしまう。

 そして、聖道修羅に関しては僕の電撃を躱しもしなかった。雷に焼かれながら平然と僕を見下ろすその冷めた瞳は、僕の一撃にまるでこたえていない。

 三十秒を待つことなく、力を使い果たした僕の変身が解ける。最後の反撃が終わる。

 歯を食い縛り行き場のない感情に、爪の中に土が食い込む程に大地に五指を突き立てた。

 今のが正真正銘のラスト、起死回生の一撃だった。


 できることは全てやった。死力を尽くし知力を尽くし気力を捻り出し勇気を出して持てる全てを振り絞ってなお――届かない。


 愚者なる道化は、筋書き通りの無様な敗北を晒す。

 次などない。これで終わりだ。

 一度の失敗で、敗北で、絶望に伏せよ。それこそがお前の義務だ役割だと運命が嘲笑う。


 そんな僕の最後っ屁に、聖道は少しだけ驚いたような感心したような表情を浮かべて、


「元気がいいな、君は。しかし……残念だがその程度の魔法じゃ俺はおろか俺の部下も倒せないと思うよ。何というか――弱いな、驚く程に、どうしようもなく」

「……」


 抵抗する気力も、身体を動かす体力も、戦うための魔力すらもう残ってはいなかった。

 光が収まり、今度こそぐったりとした僕の腕に『神官騎士』たちは手錠を嵌めた。

 魔封石で出来た手錠だ。これでもう、変身魔法も使えない。


「愚憐くん。俺は君をも救って見せよう。だから安心して敗北してくれ。君にはそれがお似合いだ」


 いつも調子よく回る僕の舌さえ戦意喪失だ。僕は聖道の勝利宣言を狂い乾いた笑みを張り付けたまま聞いていた。


「最後に一つ、無知な君に教えてあげよう。――道化(きみ)正義(おれ)には敵わない」


 聖道修羅は自分の勝利が常識であるようにそう告げると踵を返し、呆然と座り込む僕の元から瑠奈を従え離れていく。


 ぐったりする僕は騎士兵団の護送車両に放り込まれるように乗せられ、扉が閉められる。

 僕の視界から、二人の姿が消える。


 そうして文字通り、僕の目の前はまっくらになった。


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