#071b テッド・クレイン
数時間が過ぎたいまも、あのときの悔しさがよみがえる。明かりを消したブリーフィングルームにいる全員が、きっと同じ気持ちだ。
テッドを抑えられないまま、そして彼の思惑のまま、ボイドは遷移事象を迎えてしまった。ロラは十五次遷移のダメージが酷かったのか、いまだに動きをみせない。現実世界の被害も広がり続けていた。
ハワードが口をあけた。
「改めて言わせてくれ。……皆、よく帰還した。立ち向かうべき相手を見つけたことは大きな成果だ。時間はある、……そう信じて現状を整理しよう」
スクリーンをマヤが操作する。地図の大通りを『赤い点』が突き進む様子が映っている。右下の端にはタイムスタンプがあり、『2:05:00』の羅列が目に入った。
マヤが言う。
「遷移事象後の街の地図だ。テッドは遷移に巻き込まれるのを避けるためいちどダイブアウト、二分後に再ダイブしている。ワタシたちは三〇分以上待たないとダイブできない。この差は大きい」
テッドの点は一〇分が経過したところで、地図から消えた。これ以降テッドの消息は不明だ。
「遷移前も含めた今回の襲撃で、いくつかの建造物は壊れてしまった。それからボイドノイドが抹消された合計数は……いや、やめよう」
マヤは僕をみて黙った。
ハワードが言う。
「……まさかテッド・クレインが生きていたとは。正直いまも信じられん」
「『ミンカル社の残党が存在する』というマヤ博士の予想は当たっていたわけか。オメガチームはテッドが操るロボット。……レン・ユーイングを含む社員がどこにいるかはわからんが、ロボットに作戦を任せていることから人員が足りないのは明らかだろう」
ハワードが話すなか、マヤの表情が曇ったのを感じていた。
スクリーン画面はつぎに、謁見の間にいたテッドをうつしだした。これはセニアの視点経由で録画された映像。エドモントが振りおろす剣を『歪む空間』が受けとめた瞬間だった。
マヤが映像を一時停止する。
「見てのとおりテッドの周囲には『攻撃を無効化する領域』が存在するみたいだね。物理的な攻撃はここで防がれると考えていい。アレクが増幅剣の熱線で不意打ちをしたときも防御が働いたから、おそらくこの領域は常にテッドを守っている」
「……マジか。コイツどこにも隙がねぇのかよ」
ジャンが弱音を吐いた。
遠距離と中距離は『黒い裂け目から現れる兵器』と『黒鎧』。近距離は『歪む空間』――
すべての範囲をカバーできるいわば鉄の布陣だ。ジャンの言うとおり、隙はまったくないように思える。
「そうだね。でも――」マヤは口角をあげた。
「ワタシは『ある』と思う。彼の弱みは『ダイブ環境』だから」
彼女は「これを見て」と映像を切り替えた。黒鎧たちが現れる際に三体が機能不全をおこした瞬間だ。テッドの舌打ちも音声に入っていた。
「二体は発現途中に、もう一体は発現後に機能を停止してる。ここから黒鎧は一定の確率で不良をおこすとみて良いはずで、一気にだせる数も限られるのかもしれない」マヤは続けた。
「前にオーロラは『人物――テッドのダイブ環境が不安定』と伝えてきたよね。……黒鎧はテッドが操るロボット。同じく裂け目から現れる兵器もテッド経由で、歪む空間も――」
「あーったく! なにが言いたいんだよ博士! どうしたらあいつに勝てる」
ジャンにマヤは応えた。
「――飽和攻撃さ」
スクリーンに作戦図が映しだされた。
「ワタシたちが、テッドの処理できる速度と能力を超えて攻撃するんだ。謁見の間で不良をおこした黒鎧三体は、廃棄されるのに四秒かかった。……少なく感じるけど、相手は情報処理に苦戦してる。すべての黒鎧が不良をおこせば廃棄の処理が追いつかず、ビジー状態になるはずだ。裂け目の兵器も歪む空間も、おなじと考えていいだろう。――テッドの手駒を無力化するまで叩く――これが、ワタシの思いついた作戦だ。ハワードさんも認めてくれた」
映像がうごきだす。黒鎧や裂け目の兵器をあらわす記号にバツ印がつけられていき、最後は中心にいるテッドにもバツ印がつけられた。
「はあ。『なるはず』だとか『考えていいだろう』とか、力押しのうえに根拠なしかよ……。第一にテッドの戦力を、俺たちミラージュが上回ることに無理がある」
「アレクの増幅剣がだす熱線なら」
「だから論理がムチャクチャだって」
「静かにしろジャン!」ケネスがジャンを諌める。
不満げに従うジャンに目を配り、ケネスはマヤに言った。
「マヤ博士、……『これ以外に我われが勝つ方法はない』。そう仰りたいのではないですか」
「ああ。これしか、もう道はない」
マヤが映像を切り、部屋が明るくなった。ハワードさんが僕のほうに顔を向ける。
「アレク、君をミラージュの主戦力にしたい。やってくれるか」
「……。わかりました。全力を尽くします」
一度つばを飲み、覚悟を決めた。ラルフさんと戦ったときは躊躇していたが、僕はあのときとは違う。
かならず、あいつを倒す。捕まえることが前提でも手加減なんてしない。
ハワードさんは僕に小さく頷く。そして、こんどは娘であるセニアを見た。
「こんな不甲斐ない私が、口にしてよい言葉ではないのかもしれん。だがセニア、お前は私の大切な娘だ。どうか無理はしないでくれ」
セニアは無言のまま。けれども表情は柔らかで、
「ありがとう。ハワード」
一言を、彼女は返した。
「……現状の整理は以上だ。しかし詰めるべき部分はまだ多い。休憩のあと、陣形を考えよう」ハワードはため息をはく。
「まるで皮肉だな。黒幕が顔を出したおかげで、『ミラージュの解体日が無し』になるとは」
――
――
ブリーフィングルームでの話し合いが終わり、全員が帰路につく。ハワードも自室に戻るためにひとりで廊下を歩いていた。緩やかにカーブしたこの廊下は静かだ。
「……ん?」
向こうから足音が聞こえる。みればVRA局長、ルイが反対方向から来る。ハワードの友であった男は肩を落とし、歩みはどこか重たげ。
ルイはハワードのそばまで来て、ようやく彼に気がつく。
わずかな沈黙。力なく口をひらいた。
「ああハワード……。貴様か」
ルイは言った。
「さきほど俺の部下たちに、テッド・クレインを確保するため人員を募った。『世界を守るために協力してくれ』とな。どうなったと思う?」
「……だれひとり、手を挙げなかった。だれもだ。解体派のみなが口をそろえて言うんだ『危ないことはしたくない』と。世界が壊れゆくさなかでも俺が集めた隊員たちは、自分の保身にしか興味がない。最初から彼らは俺という『看板』を、ただ利用していただけだった」
「つくづく俺はバカだと思い知ったよ……。仲間を得たつもりでいたが孤独のなかにいた。まるで裸の王様じゃないか」
ハワードはうなだれたルイをただみつめる。ルイが沈んだ口調でふたたび言った。
「ハワード……。ミラージュを守った貴様は、正しかった。俺がしたことは、もはや赦されるものではない。だが言わせてくれ」
「本当に、すまな……」
「ルイ」ハワードはルイをとめた。
「詫びはいらん。……いや、すべて終えてからにしよう。この時間さえ惜しいと、お前もわかるはずだ」
ルイは細い眼鏡ごしに、目を見ひらく。彼はその言葉をゆっくり飲み込むように黙り、応えた。
「ああ、そうだな……。ありがとう」
ハワードは廊下を歩きはじめた。ルイを背にして、とまる。
「いまお前はVRAの局長だ。トップに立つものとして、ミラージュを支援してくれ。死んだ仲間も、エリーも、きっとそれを望んでいるはずだ」
廊下を進む足音。
ルイが振り返ったときには、ハワードの姿はもう見えなかった。
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