#070b 疾走
城を飛びだし、街の屋根をセニアと走る。
宙を駆けた瞬間、脳裏にロラの声が響いた。
〔あらたな黒鎧、一四秒後に発現。位置をマーキング。同期完了――〕
頭のなかにある『感覚として存在する』目印と街を俯瞰した地図が、更新された。
ロラが解放した『任務支援能力』に僕たちは驚くばかりだ。
――街をほぼ覆える探知範囲。
――黒鎧たちの行動予測や出現地点の予知。
――地図や目標地点を直接脳内に送り、つくりだす『拡張された感覚』。
繰り返された遷移によって、ロラの『介入能力』は飛躍的にあがっていた。ミンカルのCEOテッドはこれを抑えていたのか。
彼女からの支援はとても心強い。でもそれはロラがボイド世界に消える『極相』の一歩手前だからだ。
極相までのこり三回……。彼女をもう傷つけたくないという気持ちが湧きあがってくる。
ハワードからも通信がはいった。
〔セニア、そしてアレク。ケネスたち実動部隊デルタチームが君たちの援護にむかっている。あの男、テッド・クレインを無力化、可能ならば生きたまま捕らえてほしい。……やつはこの世界について、あらいざらい話してもらう必要がある〕
「了解」
セニアは淡々と応え、屋根を蹴る脚力が強くなったようにみえた。
僕も全力でセニアに続く。
テッドを、あいつを絶対に許さない。思惑はわからないが、好き勝手にさせてたまるか。
謁見の間でテッドが言った『亡霊』も気になる。あれはいったい、どういう意味なんだ。
城から打ち鳴らされ、街へと響きわたる信号鐘の音。そのなかでさえ聞こえる、一番近い発砲音に僕たちは向かった。
――
――二分前。衛兵団の南西分隊十二人は『ふたつの異音』を耳にしていた。
ひとつは発砲音。遠いようだが連続で放たれる音からして、黒魔術団が使う武器で間違いない。
そしてもうひとつは、エオスブルク城が鳴らす『信号鐘の音色』だ。
「分隊長、あの鐘は……」
「ああ。教習で叩き込まれる『信号鐘』だな。まさか聞く日がくるとは」
城が響かせる『信号鐘』とは、エオスブルク全体の有事にそなえ準備された四つの鐘の事だ。大きさが違う四つの鐘を用い、城下の隅々に命令をつたえる。これまで黒魔術団の攻撃は局所的であり使われてこなかった。
埃をかぶっていた鐘を鳴らすほどの事態だと、衛兵ふたりは身を固まらせる。
信号鐘の内容は――
「〔援軍来タリ。共闘セヨ〕……。援軍とはだれだ」
「となり街から兵が派遣されたとか?」
そのとき背後から絶叫が聞こえた。みれば仲間の兵たちが『黒い鎧姿の人物』二体に殺された瞬間だった。
一体はマチェット、もう一体は突撃銃をち、黒い胴体には返り血がついている。
「なんだこいつら、いつのまに!」
「怯むな! 掛かれ」
残る衛兵たちが黒鎧に刃を向ける。しかし力の差は一瞬で露わになった。銃弾の雨に倒れる者、マチェットの刀身に貫かれる者――
生きている兵は、三人となっていた。
「ぐっ。これまでか」
黒鎧が、冷徹に短機関銃を構える。だが引き金が絞られるより早く、
セニアの拳銃が火を噴いた。
黒鎧の手が銃弾に粉砕される。短くなった腕部がセニアを襲うが、彼女の身のこなしには敵わない。
あっけなく背後をとられた黒鎧の足もと――黒い線に、ナイフが深く突き刺さる。
マチェットをもつ別の黒鎧にも人影が迫った。黒線がロングソードにより断ち切られ、二体の黒鎧は崩れ去っていった。
――
――
「怪我はありませんか!」
青い火の粉とともに消えゆく黒鎧を確認したあと、生き残った三人の衛兵たちに尋ねた。
急いだが、間に合わなかった。目にはいる衛兵たちの死体。みな無残だった。
衛兵の三人は、いまだ緊張を緩めていない。
ひとりが言った
「あんたその剣……もしや『ラルフ卿の弟子』とかいう」
「はい。アレックスです」
衛兵はつぎに、セニアに目をやる。
彼女が纏うエンゲージウェアに衛兵は、すぐさま顔を引きつらせた。
「『黒魔術団の娘』!? 貴様なぜこの少年と……まさか仲間か。我われを騙したな!」
「僕たちはエドモント陛下から、街を守れと勅命をうけています。どうか協力を」
「ふざけるな! これまでの悪行を差し置いてヌケヌケと。証拠をだせ」
衛兵は怒鳴る。
だがつぎの瞬間。少年の顔つきは一変し、
突き立てる刃が、衛兵のうしろ――
黒鎧の首に刺さった。
あらたに出現した黒鎧をアレクは行動不能にした。セニアも動き、黒線を斬る。
「……これが証拠です!」
三人の衛兵たちは黙る。ふたりを認めるしかなかった。
衛兵たちには黒鎧の弱点である黒線と『親玉の男』が街で暴れている事を伝えた。
と、
「承知した。ならば我われは、ほかの分隊へ赴き兵団全体でこの情報を共有する。陛下の名のもと、お前たちと共に街を守ろう。『我らは信号鐘の命とともに』」
衛兵たちは『信号鐘に同意する』ために、ホイッスルを吹いた。
笛の音を背中に聞きながら、僕たちはふたたび街を駆ける。
ロラの声が耳にはいった。
〔テッド・クレインは、つぎの遷移事象を起こすつもりです。彼は前回より早期に遷移を起こすために、ボイド世界への介入――ボイドノイドの抹消や街の破壊を行っていると思われます〕
屋根を走るなか、視界に商人らしき男性の死体がみえた。
「あいつ……。ロラ、いまテッドは!」
〔地図のとおり直線距離で北に一八六〇ヤード(約一七〇〇メートル)、北東に移動中です。……テッドの移動速度が上昇。距離を一八九〇ヤードに修正〕
意識内の地図が、速度を速めるテッドを点で示していた。護衛なのか周りには並走する黒鎧の点が三つと、そしてテッドの点と重なるもうひとつの点。
速さも考えると黒鎧の背中に乗っているのか。城を逃げ出したときの姿が頭をよぎった。
ロラから、ほかの地点に黒鎧があらたに出現した知らせもはいる。テッドを優先すれば街の犠牲者が増えかねない。
そんなとき、通信が入った。
デルタチームだ。
〔こちらケネス。援護の準備はもうできているぞ。力になれることはあるか〕
「ケネスさん! では発現した黒鎧の排除を。僕たちはテッドを追います!」
〔任せろ。ジャン、黒鎧の狙撃にまわれ。オニールとリオは俺と一緒にこい!〕
ケネスが仲間たちに伝えている声が聞こえた。
頼もしく感じるが、不安もあった。
「あの、ケネスさんは大丈夫なのですか。……黒鎧と対峙しても」
黒鎧に瀕死の重傷を負わされたケネス。が、彼の声はいつもどおり落ち着いていた。
〔大丈夫だ。俺は当時をもうほとんど憶えていない。安心してくれ〕
言葉の端から、彼がにやりと笑っている事が伝わってくる。
「わかりました。みなさんご無事で!」
通信を切り、僕たちはテッドへ向かうため足を速めた。
街じゅうで、信号鐘に応えるように甲高いホイッスルの音が鳴り響いていた。あの衛兵三人が、情報を衛兵団の連絡網にのせた結果に違いない。デルタチームの活躍も、情報の信憑性をあげているはずだ。
――信号鐘の命とともに――
いまエオスブルクは、ひとつになっている。
〔テッド・クレインとの距離、のこり六〇〇ヤード(約五五〇メートル)です〕
先頭を走っているセニアがエンゲージウェアの全力をだす。不完全なウェアを着る僕は地の利を生かして先回りをし、テッドを挟み討ちにする。
遠くなったセニアから離れ、ひとり路地を駆けた。地図にある彼女の点がテッドたちを追う様子が映る。
剣を握りしめる。
狭い路地を抜けた瞬間、
大通りを逃げるテッドの、横顔が通りすぎた。
挟み討ちするタイミングが、僅かに遅かった。
「……っ!」
急いで方向転換し追いすがる。セニアが後ろからきた。人々が騒然と逃げるなか、黒鎧の背に乗るテッドは、僕たちに振り返った。
「邪魔だ!!」
護衛の黒鎧三体がきびすを返し、こちらに迫ってくる。突撃銃をもつ二体とマチェット持ちが一体。
魔術札を、剣に咬ませる。
増幅剣から熱線を放ち、薙いだ。銃を構える一体を完全に溶かし、もう一体の腕を銃ごと溶かした。
迫るマチェットのほうが刀身を振りおろす。
それを横に回りながら避け、剣を横腹に突き刺す。動きが鈍った隙に背中側へ剣を振りぬく。足元の線を切った。
セニアも片腕の一体を倒した。
ふたたびテッドを追う。
だが、
〔上空に無人機の発現を確認。攻撃、来ます〕
上空に黒い裂け目がふたつ。そして裂け目から伸びる線のさきには無人航空機。
次の瞬間、二機の翼下――パイロンからミサイルが射出された。
四本のミサイルが襲ってきた。エンゲージウェアの加速で回避。瞬く間に背後から衝撃波と炸裂音が轟く。同じくセニアも逃げきっていた。
あの威力、……後ろがどうなっているか想像に難くない。叫び声も聞こえた。ここは活気ある大通りだ。
〔次の攻撃が来ます、……いま!〕
「させないっ!」
放つ熱線を空へむけ、二機の無人機に伸びる黒線を斬りおとす。
無人機は力なく落ちはじめ、青い火の粉を纏いだす。ミサイルも火の粉に包まれる。両者とも僕たちにぶつかる寸前で塵になった。
走りながら熱線を逃げるテッドに叩きつける。しかしそれは『歪んだ空間』に防がれた。
テッドが、こちらをうかがっているのが見える。顔色ひとつ変えずに。
だんだんと距離が離されていく。セニアは追いつけているが僕のウェアはもう無理だ。
……歯が立たない。あいつを、ここまで追い詰めているはずなのに。
テッドの手もとに、光るディスプレイが現れた。
そのとき――
けたたましいアラートが頭に響いた。
これは、……最悪だ。
マヤの通信がはいる。
〔『遷移の兆候』を確認……。みんな、もうダイブアウトして。残り一七三カウントしかないよ〕
「……いやだ、マヤ」
〔アレク、キミも。ここで死にたいの〕
「でも、」
〔戻りなさい! すぐに〕
……あと少し、あと少しかも、しれないのに。
けれど、マヤの大声に僕は言い返せなかった。振り向くセニアも唇を噛んでいる。
僕たちは、テッドを止められないまま、ボイド世界から帰還した。





