#065b 英雄の役割
覆う沈黙。
誰も、なにも、音を発しない。
耐えかねて、――アレクは息を吸い込んだ。
肺に新鮮な空気がとどく。まちがない、これは現実だ。
「……生き、てる?」
首はもちろん繋がっている。目前をみれば無残に破壊された石の床と、大剣。
さっきの『落ちた音』は、大剣が床に振り下ろされた音だ。まさかあの瞬間、ラルフさんは振り下ろす方向をかえたのか。
セニアに目を向けると、これは放心状態と表せば良いのだろうか。腕を下ろし呆然とこちらを眺めていた。拳銃はすでに消滅している。
彼女も同じ気持ちのはず。
殺されなかった。あの状況で――
どうして。
彼に顔をあげた。
「ラルフさん?」
ラルフは、石の床に半ばめり込んだ大剣をじっと見据えていた。そしてゆっくりと大剣を引き抜く。
翻り、黒コートの背中を向けて彼は言った。
「鍛錬は終わりだ。この城から去れ。二度とくるな」
靴音が鳴る。一歩、また一歩。ラルフさんは僕たちから離れていく。
「……っ! アレク」
セニアが駆け寄ってきた。しゃがみこみ肩を貸そうとしてくれる。心配する彼女に「大丈夫」と伝え、自分の力で立ちあがった。思いのほか怪我は軽くすんだようだ。
いまの彼が行おうとしている事はひとつだ。ラルフさんは、僕たちを見逃そうとしている。
でも、おかしい。助けるつもりならば僕をここまで追い詰める理由がわからない。『鍛錬』という言葉を耳にしたが、すべてがあまりにも危険だった。
なにを考えているんだ、この人は――
「ちょっと待ってくださいよ!」
苛立つ感情を彼にぶつけた。
ラルフは足をとめる。
振り向かずに応えた。おもむろに天井を仰ぎながら。
「おやおや、いまだ死に気付けぬ『幽霊』がいるとは」言葉を継いだ。
「消えろ。戦士ならば散り際くらい、潔くしたらどうだ」
歩きだす。僕たちを顧みずゆったりとした足取りで。共同部屋に靴音を響かせながら、彼は廊下につながる扉をあける。
廊下にでた瞬間、
――ラルフは無数の銃声を浴びた。
「……え、」
おきた事が、理解できない。スローで流れゆく瞬間がただ目に焼き付けられる。
足元の力を失いかけ、しかしラルフはかろうじて堪える。だがさらに押し寄せた銃弾の雨に『街の英雄』は横へよろめき、大剣を落とし、扉からみえない場所へと倒れていった。
セニアは発砲していない。銃弾の出処は、廊下――
「ら、ラルフさんっ!!」
自分の剣とバッグを拾い、走った。助けなきゃという焦る感情のなかでも、冷静な考えがよぎる。
――銃撃は城のマスケット銃もできる。けどあの発砲数、あの命中精度は、まさか――
「アレクだめ!」
廊下に飛び出す寸前、後ろから腕を引っ張られる。
同時に銃撃がそばの扉へ襲いかかった。激しく木っ端がとび散る。
「うわっ!」
「さがって」
落ち着いた口調でセニアは僕を後ろに追いやり突撃銃を発現する。遮蔽物である扉に空いた穴から相手を見計らい、身体と銃身を最小限に露出し反撃した。
射撃を続けるなかセニアは叫んだ。
「アレク! いまのうちにラルフを!」
「……わ、わかった」
攻撃を受ける反対側の廊下、ラルフさんは五歩程度の距離で仰向けに倒れている。床に血も流れていた。
耳をつんざく銃声音に身体がこわばる。
それでも、足は駆け出した。
「……っ!」
ラルフさんに駆け寄った瞬間に耳もとを銃弾の風が通り過ぎる。共同部屋まで引きずるため、バッグを剣とおなじ右手にもちかえ両脇をかかえようとした――
そのとき、手元のバッグを銃弾が撃ち抜く。バッグは宙を舞い、ふたたび撃ち抜いた銃弾により廊下の後ろへ飛ばされた。ラルフさんの右肩にも数発の鉛弾が貫通した。
「くっ……! アレク待ってて」
セニアが応戦しつつ駆け寄ってきた。
右側を確認した彼女は、僕たちを右の『隠れられる場所』へ誘導する。ラルフさんの大剣を廊下に置き去りにして、セニアとともにラルフさんのコートをつかんで引きよせた。
隠れた場所は廊下の『ニッチ』――装飾用の黒鎧が置かれていた窪みだ。反対側のニッチも含め、なぜかそこに黒鎧はなく銃撃をやり過ごせる空間がうまれていた。増幅剣はなんとか手元に持ってこれた。ひとまず切迫した危機は脱している。
けれど……。
「ラルフさん! しっかりしてください」
街の英雄である彼の姿はひどいものだった。胴や手足は流れる血にまみれ、黒コートは銃弾の雨をもろに受けボロボロ。穴だらけだ。血の鉄くささと硝煙の臭いが鼻をかすめる。
息も絶え絶えで咳き込み、虚ろな目をしたラルフは小さな声をだした。
「……お前たち。来ては困る」
「なに馬鹿なことを言うんですか!?」
大声で怒鳴りかかった。その罵声も、応戦をつづけるセニアの銃声に埋もれかけていた。
「いま治療しますからね。札を……、あっ」
腰に手をまわした瞬間に思い出す。治療用のほか魔術札が入った腰巻きのバッグは、さっきの銃撃で飛ばされている。
取りに行こうと動いた瞬間、セニアが背中のまま止めに入る。「バッグの距離が遠くてまともに銃撃を受けてしまう」と。
それに、
「……わかるだろ、小僧。……いまの俺を、お前は治せない」
発せられた苦しそうな声。
そう、ラルフさんの言うとおりだった。もしバッグが手元にあるとしても、これほど広範囲の怪我では治療用の札が絶対的に不足している。
「……もう、助からん。ここまで刺客が来るのが早いとはな。考えが甘かった」
「そん、な」
助けられない――突きつけられた現実は、どれほど認めたくないものでも、これ以外に存在しない。
生きている、まだ生きている。なのに僕は、無力だった。
「どうして、どうしてですかラルフさん。どうしてこんなことを。……『刺客』って、いったいなんですか?」
ラルフは口をあけた。
「……俺が、お前たちを殺さなかったときの、『奴』が仕掛けた保険だよ。俺を殺し、お前たちも道ずれにするつもりだろう」苦しそうに息を吸った。
「もともと俺は腹のうちで、お前たちが事件の犯人ではないと考えていたんだ。そして今日、お前たちを見て確信した。……急ぎエドモントのもとに行こうとしたらこのザマだ。お前たちを逃がす機会も失った。だが、」
「やはり強くなったな……小僧、いやアレク。安心したぞ。俺以上だ」
「……まさかラルフさん。さっきの戦いは、本当に」
尋ねた言葉に、ラルフは小さく咳き込んだ。
――最後の鍛錬。彼は、僕が死なないと信じて剣を振るっていた。つまりそれは僕の力量が、信じるにふさわしい水準であるという事になる。
「アレク。……お前にあとを託したい。すこしばかり若いが、『暁の戦士』として。……そのために伝えねばならん――」
「……っ! い、いやだ。まってくださいラルフさん! まだ、僕はもっとあなたと……!」
冷たくなりかけた、血だらけの手を握った。
――街の英雄、市民の憧れ。
あの裏路地でラルフさんと出逢ったとき、僕はその想いを強くした。どれだけ想像とかけ離れた人でも、嫌われ者でも、抱いた想いは変わらなかった。振り返れば『暁の戦士たち』というより、ラルフさん個人に憧れていたのかもしれない。
目が熱くなり、あふれるものに視界は滲んでいく。
その途端、握る手から強い握力を感じた。
「いいから聞け……! もう時間が、ない」
搾り出された、けれど力強い言葉が、滲みきった思考を取り払う。冷たい手に感じたものは、彼の最後の意志だ。
彼に、頷いた。
ラルフは言った。
「俺は、『ある人物』と密談を重ねていた。襲撃事件のあと、奴は、犯人がお前たちふたりだと俺に発言し、対応を求めた。まだ誰にも話していないらしい。刺客を考えれば、奴こそが事件の真犯人だ。……エドモントに、伝えてくれ――」
彼の言葉を、脳裏に刻む。犯人が誰かを――
そしてこの証言を、城の王エドモントが信用してくれる『言葉』も教わった。
自分の耳を疑う驚きの発言だったが、復唱したときにラルフはゆっくりと同意の頷きをみせた。
咳き込みが弱々しい。
「……ハハッ、これだけ伝えたあげく、生き残ったなら滑稽のきわみだな。それも良いが、すこしばかり、英雄の役割は休みたい」
「また、旅がしたい。あの頃みたいに放浪をして。……あの頃と同じように、……ふたたび、このまち、に……」
握る手が急に重たくなった。彼の口から、息のかたまりが漏れていく。穏やかに。
命の灯火を燃やし尽くした英雄の表情は、優しいものだった。





