#060b 片霧 真彩
ミラージュでウソを?
疑問に思うなか、マヤは言葉を続けた。
「ワタシがミラージュに参加できたきっかけは、VRAにボイド世界に人を送れる装置『キャスケット』を提案したからだ。それまではマトモな調査方法がなかったからね、VRA関係者はみなもろ手をあげて喜んでいたよ」だが下を向いたマヤは「でもね」と言った。
「……じつはね、ワタシは『あの装置』を発明していない。キャスケットという名前すら土壇場で決めたものだ。装置をお披露目したときに関係者が『棺おけのようだ』と呟いたから、とっさに思いついただけさ」
彼女は口を閉じると、手元にあるニセ酒を飲んだ。
――セニアたちが任務で使う『キャスケット』。はじめてこの世界に迷い込んだときにハワードは言っていた。『キャスケットを開発したのはマヤ博士だ』と。
つまりマヤはミラージュ結成の最初期から『みんなを騙していた』事になる。
驚いた。なぜそんな事を。
……いや、まずはこの疑問からだ。
「あんたに装置を教えたのは、いったい誰なんだよ」
「……五〇年以上も顔を合わせていない人だ。彼は突然メールで、あの装置の設計図とプログラムを送ってきたんだ。文章さえないメールだったけど、懐かしいメールアドレスをみたとき、ワタシは嬉しかった」
そんなマヤの顔にはしかし、単純な嬉しさとは違った、別の感情が混じっているように思えた。
「彼の名は『レン・ユーイング』。レンはワタシのホログラム研究を助けてくれた、パートナーだった」
マヤは言葉を紡いだ。
「もともとワタシはね、『出葉電機』に雇われた技術開発部門の研究員だったんだよ。憶えているかなアレク? 『特異点データ』のなかに、出葉とミンカル社が交わした文書が出てきたこと」
「……あ」
思い出す。はじめて特異点のデータを詳しく解読したとき、イズハという企業名が記された書類があった。たしかイズハは、ミンカルに取り込まれたと――
「そういうコトさ」と、マヤは続けた。
「買収される直前、経営難の出葉はすこしでも『ミンカル社のご機嫌をとるため』ムダと判断した事業を捨てた。……それがワタシの研究だった」
マヤは出葉電機に在籍した当時を語りはじめた。
彼女が研究していたのは、自身の専門である『ホログラム工学』を用いた新技術の開発。出葉はすでにホログラム受像装置を製品化しており、この技術をいっそう広い分野に使おうと考えていた。多方面で研究を続けるなか、とくにマヤが情熱を燃やしたのは医療分野。次世代の技術として『実体化するホログラム』の基礎研究と、それを用いた再生医療を目指した。
「飛び級と早々に研究論文を出したおかげでワタシは他の人よりもはやく独立できてね。研究は先手が一番だ。あのころは『ホロ工学の風雲児』なんて言われてたっけ」
すこしだけ誇らしそうに笑んだマヤは語りを続けた。
「……そんな時だったよ。『彼』が研究室に来たのは」
――レン・ユーイング。彼は合衆国の大学で研究員をしていた。そもそも互いに面識はなく、レンが突如マヤの研究室を訪れたのが双方にとって最初の出会いだった。
レンはマヤの研究に強い関心をよせていた。
「レンはホログラム研究者ではなかったんだ。専門は『ホールブレイン・エミュレーション』。精神転送とも呼ばれる技術を研究していた。彼の研究は行き詰っていて、そんなときにワタシを知ったらしい」
――人間の脳にあるとされる精神や意識をコンピューター上に移し、機械内に脳を再現する――数十年前から幾多の人々が挑み、挫折した研究。誰しもが諦めたそれを二九歳の彼はひとり取り組んでいた。
実績を積み、研究の成功に道筋がつき始めた。けれど叶えるための『要素』が足らない。どうか協力して欲しいと、当時の彼は言ったらしい。
「ワタシが研究するホログラムのデータは、元になる物質のすべてを再現するものだ。原子や分子の構造、それらがどう動くかも忠実にね。『味噌ラーメン』を食べたアレクにはわかるでしょう。……レンはデジタル化された物体情報、厳密に言えばデータ化した人体組織のモデルを求めていた」
この協力はマヤにも利点があった。当時のホログラムデータ化した生体モデルは神経組織が機能せず死亡する。現実のものをホログラム化する技術はいまだ発展途上であり研究に他分野の視点を欲していたのだ。
脳機能など神経の振る舞いに知見があるレンにマヤ自身からも協力を求める。互いの利が一致し、ともにホログラム研究をする間柄になった。
レンの協力により、マヤの研究は飛躍的に進歩する事になる。
ホログラムのバーカウンターで、遠くを眺めるマヤ。「楽しかったなあ」と、柔らかい笑みを浮かべた。
「ワタシはレンと研究を続けるうちにね、彼がのことが好きになったんだ。まあ彼がワタシをどう思っていたかは全然知らないけども。告白もできず仕舞いだったし――」
と、
「……ん、なぁにアレク『マヤにも好きな人いたんだー、意外!』みたいな目つきは? んん!?」
「いやいや僕そんなこと思ってない」、そう僕は反論したがマヤは疑いの目でふくれっ面をした。
彼女はゴホンと咳払い。「話がズレたね」と頭をかいた。
「研究が進むさなか、出葉の経営陣たちが研究部門を廃止する通達をおくってきた。彼らの本心はどうあれ、肝心の実体化装置は失敗続きだし研究費もかさんでいた。反論はできない。でもやっぱり、悔しかったよ……」
実体化を抜きにすれば、マヤの研究は臓器など人体をホログラムで再現するほどに完成していた。ただし脳組織のホログラム化は間に合わなかった。
「出葉を追い出されたワタシは、やけ酒を繰り返したんだ。付き添ってくれるレンに正直甘えていたと思う……。彼はそれを叱責したした置き手紙を残してワタシから去った。『君が酒におぼれる姿をみたくない。ホログラム研究を諦めないでほしい』とね。複製した研究データを手に、彼は二度とワタシのもとに姿を現さなくなった。風のウワサで聞いたけど結婚したとか何とか」
それ以後マヤは、ただひとりホログラム研究に邁進する事となる。協力者も賛同者もおらず、孤独のなか黙々と――
マヤはグラスに目をやった。
「あれからワタシは酒を飲まないと決めた。いつかもし彼と出会えたら、研究の成果を誇れるように長生きしたかった。けど、孤独はつらいね……」
「フェイク・リカーに『酔い』の成分はないんだアレク。匂いはあってもニセ酒はただのニセ酒。でも――」マヤはニセ酒で喉をうるおす。
元気を装うその声は、涙に震えていた。
「『酔わない酒』に酔わないと、もうワタシはやっていけないんだよ……。いつしか気分だけで本当に酔うようになった。まったく、バカみたいでしょう」
問うともなく、マヤは語りかけてくる。悲しげな目をした彼女に返す言葉がなかった。
マヤは、ずっと秘密を抱えながら苦しんできたんだ。酔わないニセモノに溺れなければならないほどに。
彼――レンとふたたび逢うために生きている。その言葉が胸にささった。
彼女はもう一度ニセ酒を飲む。氷だけになったグラスを置いた。
「四五年前の厄災から生き延びて、二九年後。AIオーロラ内に確認されていたボイドが『世界』をつくった。そんなとき『レンのメール』がきたんだ。あの装置――キャスケットは『精神転送装置』の一種といえる。レンはワタシと別れたあと、自らの研究を成功させたんだろう。……彼の存在に嬉しく思いながら、どうしてこのメールをワタシに送ってきたか尋ねてみたけど、反応はなかった」
ボイド世界に入り込める画期的な装置は当時の人類が切望していたものだ。なぜレンはVRAではなく知人に送るという『回りくどい』方法をとったのかと、当初マヤは困惑していた。
だが、マヤはある仮説をたて、それを確かめるために行動をとった。厄災時の混乱により証明ができなくなった経歴は自称するしかなく、『キャスケットの発案者』という嘘をつきVRA・ミラージュの信頼を得る。
それから一六年後、
彼女の仮説は、正しかった。
「アレク、キミがこの世界にはじめてやってきたときのこと憶えてる? ワタシはキミの衣装――従装具データを調べた。ボイド世界の構成物をはじめて詳細に調べたあのとき、ワタシは言葉を失った」
「……そのままだった。ホログラム工学との互換性云々を超えて、『ワタシとレンがつくりあげたホログラムのデータ規格』が、そっくりそのまま使われていた。研究データはレン意外には渡してない。これが意味するものは、」
――ボイド世界の成り立ちには、レンが強く関わっている、ということだ。
そう語ったマヤは、静かに言葉を継いだ。
「……キミはワタシの研究の被害者なんだよアレク。だからミラージュ全体に話すまえに、まずはキミに事実を伝えたかった」
「特異点データの解析では言わずもがなミンカル社に関する情報もたくさん出てきた。レンはミンカルに入り、研究を続けたんだろう『プロジェクト・エオスブルク』という名前でね」表情を険しくした。
「……そしてレンは、生きている。CEOのテッド・クレインが焼死した四五年前の厄災を彼は生き残り、一六年前に意図不明なメールを送ってきた。ワタシは彼が二〇九四年のいまも生きていると、信じてる。ワタシはレンに会うためにミラージュを保とうとしてきたんだ。ファーストコンタクトでメンバーが大勢死んだときも、予算が削られても……必死に食い止めようとした」
マヤの言葉に思い出す。統合会議でみせた必死な様子に、二〇九四年の街でホログラムの研究成果が詰まったクリスタルを『インテリア』として売り払う姿を――
「謎の部隊オメガチームにはレンがいるはず。そして『彼ら』の正体はおそらく、消えたと思われていた覇権企業ミンカルの社員だ」
息をいちど吸い、マヤはうつむいた。
「……これが、ワタシが秘密にしていたすべてだよ。でも皆にレンのことを打ち明けたら、彼への追求ばかりがやり玉にあがるはず。結果として彼と会えたときにまともに話せる機会がなくなる――それがどうしようもなく怖かった。人類が危機に瀕している状態なのに、ずっと曲げられなかった」
声を震わせた彼女は、ふたたびフェイク・リカーをこしらえ始める。
きっと、こういった事も彼女を追いつめた原因のひとつなのだろう。グラスを傾けるマヤが、不憫だった。
僕が暮らす暁の街、そして僕自身……すべては彼女――片霧真彩の『夢』、『ホログラム工学』が原点だった。そしてもうひとり、レンという人物の存在も。
驚くような出来事ばかり。けれど彼女の憔悴した姿には、抱くはずの困惑や、憤りは訪れなくて、ただ安堵のような気持ちが浮かび上がっていた。
だから、
「ねえマヤ。話してくれて、ありがとう」
ひとりで、つらかったね。
マヤは振り向く。
かすかに、涙を滲ませながら。
ぎこちない笑みをする彼女に、尋ねた。
「もしレンと会えたら、マヤはなにをしたいの?」
「……うん。そう、だね」綺麗な笑みだった。
「彼とはゆっくり、積もる話をしたいかな? だって、五〇年ぶん以上あるんだもの」
――
――
テーブルに伏していた顔をあげる。状況を理解して、自分の事ながらあきれた。
「……また居眠りか」
あれから、マヤともう少し一緒にいたいという気持ちから彼女と談笑を続けたのだった。そうしていつしか、眠たくなり――
四〇三号室の居眠りとあわせ、これが二度目。
「はあ。こんな調子で今夜まともに寝られるのかな」
自嘲気味な独り言をいう。けれど後悔の気持ちはあまり感じていなかった。
となりで、いびきをかく女性に目がいく。マヤも同じように居眠り中。「メンバーのみんなにも伝える」と言っていたけど、もう少しだけあとになりそうだ。
無防備な顔でぐっすり寝るマヤ。よだれを垂らすその表情が、なんだかかわいらしく思えた。
でもそろそろ本当に寝よう。この世界に僕の寝室はないのだ。
眠る彼女の肩にそっと手を置いた。
「マヤ、きょうはありがとね」
寝言をいうマヤから離れる。
と、
「ん? ……これは」
テーブルのうえに、なにかが置かれていた。
白い、紙きれ?
目を凝らしてみると、
「これ、手紙――?」
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