#059b Door
暗い、暗い、闇のなか。
無の世界をただ、ひた駆ける。
足が前へすすむ。
ひとりでに、
どこに向かうのか、知らぬまま。
――僕はなぜ駆けているのだろう。ここは、どこだろう。
ぼくは、
だれだろう。
遠く暗闇に浮かびあがった、スライドドア。足は一直線にそこへ向かう。
ドアが開き、左側へと曲がったとき、
黒塗りの世界に、
誰かの気配と、
深い、深い哀しみをみつけた。
――
――
「……、ここは? ……そっか、」
いまだぼんやりとした視界に広がるのは、現実世界だ。
またあの『謎の夢』をみた。はじめは闇を走る感覚だけだったのに、いまでは足音やドアやらいろいろなモノを感じるようになった。思えば、この夢は現実世界でしかみていない。
――繰り返し。
この夢は僕に、同じ光景を、瞬間を繰り返しみせ続けている、不意にそんな飛躍したような考えがよぎった。
僕はいま、なぜかとても寂しい。いいやこの感情は寂しいというやわな言葉じゃ片付けられなかった。まるでこころを満たしていた大切なものがぽっかり抜け落ちたような、そんな虚しくつらい気持ちが、自分の芯を覆っている――
なにかを、忘れている気がする。
あの夢は僕に、なにを伝えているのだろう。
想いを巡らすうち眠気は薄れ、巨大窓にうつる夜の摩天楼がはっきりとみえるようになった。展望ルームのソファーベッドで僕はうたた寝をしていたらしい。上の階には人がいる物音。夜の更け具合から、セニアがこっそり夕食をとっているのだろう。
眠る前におきた出来事が頭をよぎり、ため息がでた。
「……これから、どうなるんだ」
恐れていた事態がついに起きた。VRA局長ルイはミラージュの強制解体を告げたのだ。二週間の猶予があるがそれは『組織を片付ける時間を与えた』という意味しかない。
ルイの告知後すぐ、ミラージュは今後の方針を決めるべくブリーフィングルームに集う。ケネスたちはルイの言動に不信感を抱いた事で僕たち存続派側についてくれた。
それでもVRAの一組織であるミラージュにできる策は限られ、しかもルイに先手を打たれていた。いくつか案はでたものの焼け石に水程度。議論は打ち切りとなった。
僕はといえば飛びかう議論を聞くだけで精いっぱい。二ヶ月しか現実世界を知らないせいか内容にまったく付いていけず疲れきり、四〇三号室で寝た始末だ。
ソファーベッドの背もたれに身をあずけ、都市の真っ暗な夜空を見あげた。ミラージュがルイに消されるまで、残すは一四日。
それはあまりに短い、けれどやるしかない。
僕たちはわずかな時間のなかで、横たわる問題すべてを解決できるだろうか。
――そんなときだった。
部屋の電子ノックが鳴る。こんな時間にいったい誰だろう。
気になって展望ルームの階段を上がると、すでにセニアがスライドドアを開けていた。
「……イヤハヤ、夜分遅くにごめんねセニアちゃん」
姿をみせたのは、マヤ。黒の長髪をわしゃわしゃと掻きながら、白衣を着崩した格好の彼女はバツが悪いように苦笑いを浮かべている。
まったく、この人は――そう思いながら対面する二人に近寄った。やはり酒臭い。
しかし、なぜだろう。オカシな能天気人間――いつもそうとしか思えなかったマヤが、
いまはとても弱々しくて、寂しげにうつった。
セニアが訊いた。
「マヤ博士、なに用ですか?」
「うん……。チョット話さなければいけないことがあってね」マヤはいちど口をとじ、視線をうごかす。
僕をみた。
「アレク、ワタシの部屋にきてくれないか」
――
――
――
五〇四号室、マヤの自室。
ケーブルだらけの無骨な空間は相変わらず。以前と違う部分があるとすれば、いま僕とマヤが座っている場所がラーメン屋台ではなく『酒場のカウンター』のホログラムである事だ。彼女の気持ち的にコレが良かったらしい。
またカウンターの内側にはラーメン屋台でみかけた『ホログラムの中年男性』がおり、バーの制服を着ている。さもベテランの雰囲気で手にもったグラスを磨いていた。
エオスブルクにて酒場の手伝いをやった経験はあるが客として座るのは初めてだ。
すこし緊張しつつ手前に置かれた水入りグラスに目を落とす。
マヤに話しかけた。
「ねえ、マヤは『ルイ局長が襲撃に関わっている』議論、どう思った」
「……。ワタシはあのひとが犯人じゃないと考えてるよ」
小さな声でマヤは返した。
あの議論中に、謎の部隊『オメガチーム』はルイが操っているのではという意見がでた。しかし同時に、おそらく彼は嘘をついていないという意見も。ハワードは後者であり頭を抱える。それは逆説的にオメガチームが何者かを、いっそう不明にしてしまうからだ。どちらも明確な証拠を示せず結論は先送りになっていた。
「そっか、僕も違う気が……。いや、それよりまずは」グラスから顔をあげ、マヤをみた。
「マヤはさ、僕になにを話したいの?」
グラスに浮かぶ氷が、カランと音をたてる。
「……そうだね。どれから話そう」
バーテーブルに頬づえをつき、マヤは僕をみつめてきた。しっとりとした雰囲気、細い吐息をはいた彼女に対して、少しだけ胸がざわつく。その目は穏やかでいる反面、まるでなにかを懐かしんでいるような。
彼女は無言のまま。だが僕をみていた視線が、下におりる。
考えがついたのか口をひらいた。
「だな……。アレク、ワタシのお酒を、いちど飲んでほしい」
「……は? なに馬鹿なことを言っているの。僕は未成年で」
「待って」
マヤが僕の反論をとめた。
彼女はふたたび語りだす。内容に驚いた。
「じつはね。……ワタシは、ずっと『お酒を飲んでいないんだ』。ここ五〇年来ほど、ワタシはアルコールを摂っていない」
「えっ?」
言葉の意味を理解できない。
どういう事だ。いつもあれだけ呑んでいるじゃないか。今夜だって酒臭いにおいが――
「これさ」
マヤがポケットから、なにかを取り出す。
それは銀色の小袋。表面にはパッケージデザインが施されていた。
「『フェイク・リカー』という商品だ。名前のとおり『ニセ酒』。アルコール成分は一切ナシなうえ、内臓への負担は清涼飲料より低い」
するとマヤは僕のグラスをそっと奪い、フェイク・リカーの小袋を破る。袋からこぼれ出た白い顆粒状の粉末が、グラスの水にとけていった。
マヤは軽くグラスを回す。グラスが僕の手元に戻ったとき、その水は、アルコール特有の芳香をただよわせていた。
「どうアレク? これは『日本酒風フレーバー』だよ。他にもイロイロ種類がね――」
「ふざけるなよ、マヤ」グラスを遠ざけた。飲む気なんて無い。それより、
「あんた、どうしてこんなヘンな代物を飲むんだ。現実世界のお店には普通のお酒がたくさんあっただろ」
セニアそしてマヤと現実世界で買い物に出かけたとき、僕は酒類を売る店を見かけた。値札を見るかぎり安い価格の酒はいくらでもあった。こんな代用品に頼らなくても良いはず。
だが、彼女は首を横に振る。
「アレク、……ワタシは『お酒』を飲むわけにいかないんだよ」
「どんな人間にもかならず寿命がある。こんなオカシイ歳の取りかたをしているワタシも例外じゃないはずで、とくに危ういのが肝臓だった。アルコールは適量でも多量でも肝臓を傷つけ、死を早める。……当時はそれで良いと思っていた。本物のお酒をたくさん飲んでいたあの頃は、太く短くても……。でもあのときから、ワタシは早死にするわけにいかなくなったんだ。……あいつにもう一度会うまで、ワタシは死なないと決めた」
マヤは瞼を閉じる。二〇代後半の若々しい姿をした七六歳の女性は、ゆっくりと目をひらくと、優しく僕に頬笑んだ。
「ワタシはあいつ……『彼』を見つけるためミラージュに入った。そのために今までつき続けたウソを、すべて打ち明けたい」
◇関連話◇
謎の夢
(一章#12a 再会)
https://ncode.syosetu.com/n3531ej/12
(一章#24a 翌朝)
https://ncode.syosetu.com/n3531ej/24
(二章#042b マヤの部屋)
https://ncode.syosetu.com/n3531ej/70
展望ルーム
(一章#12a 再会)
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(一章#24a 翌朝)
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(二章#014b 展望ルーム)
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マヤの部屋
(二章#042b マヤの部屋)
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現実世界で買い物
(二章#041b A.D.2094)
https://ncode.syosetu.com/n3531ej/69





