#054b 予兆
VRAビルのとある廊下を、男がふたり談笑しながら歩いていた。ひとりは『元アルファチーム隊員』、そしてもう片方は『元チャーリーチーム隊員』。
ふたりともボイド潜入調査組織ミラージュを離れた隊員だった。
元チャーリーチームの男が言う。
「お前がいたアルファチームが消えてもう二ヶ月だよな。ルイ局長のもとで働くことには慣れたか?」
「おうよ、すぐ慣れたさ」元アルファチームの男が笑顔で答えた。
「デスクワークが元軍属の俺に務まるか最初は不安だったが意外と楽しい。そもそもやる内容に将来性があるからな。ミラージュみたいに『頭が古い連中』と縁が切れて清々しているぜ。命の危険もない」
ふたりは、事務員らしく名札をさげたストラップをつけている。
ルイ局長が提唱する『ボイド破壊システム』の研究と、それを待ち望む世間への広報や交流活動。ミラージュから離脱した隊員たちは、誰もがこれらの業務を気分よくこなしていた。
元アルファチームの男が続けた。
「ミラージュにいた頃は厭なことばかりだった。とくにあの『キャスケット』! ダイブアウト後の触媒液を落とすあれが面倒くさい、シャワーを全開にしても頑固にへばりついていたな」
片方が「同感だよ」とうなずく。だが、何かを思い出したように視線をさげる。
急に声をひそめた。
「なあお前、知っているか? 局長がミラージュから接収したキャスケットのこと」
「もちろん。ここより四階下のフロアに全部おいてあるんだろ? たしか『ボイド破壊システム』を実行する際に使うから、ID認証が必須なあそこに纏めたとか」
「ああ……のはずだが、近頃妙なウワサがたっている」首をかしげた相手に男は続ける。
「……あのキャスケット、『人知れず稼動している』らしいぞ。夜中に警備員が廊下越しに物音を聞いたとか、夕方にモニタールームの技術員がおかしなノイズを捉えたとか。正確な話かはわからんが」
「なんだよそれ。怖ぇ」
「おお奇遇だな。君たちごきげんよう」
突然の声にふたりは前を見る。笑みを浮かべるVRAの現局長ルイ・フルトマンと廊下で鉢合わせしていた。
「フルトマン局長! お世話になっております」
元アルファチームの男が挨拶をし、もうひとりも同じように挨拶した。
「いつもねぎらいありがとうございます局長。……ん? あの、つかぬことをお聞きしても」元チャーリーチームの男が、ルイに尋ねた。
「きょうの局長はずいぶんと、さっぱりした雰囲気ですね。単に気のせいかもしれませんが」
ルイの様子に、彼は違和感を感じていた。まだ時間がはやいのに風呂あがりのような――
「うむ……。お前たち、周りには話すなよ」
ルイはすこし黙ったあとに、口をひらいた。
「じつはな、俺は最近『水泳』をはじめたのだ。これがじつにおもしろい、暇を見つけてはプールに通っている。距離も伸びたぞ。シャワーも浴びるからさっぱりしているのは当然だ」
「おぉ、なるほど」
「まあ局長の俺が『水泳にうつつを抜かしている』と知られては、ハワードと張りあいがつかん。秘密にしておいてくれ。ではでは」
ルイはそのまま、ふたりの前から去った。
エレベーターに乗り、廊下を進んだルイは局長室のドアを開ける。
ゆっくりと革製の椅子に腰掛けたルイは、元旧友たちとの写真を眺めながら眉間に深い皺を刻んでいた。
――
――
――
その部屋は薄暗く静かだ。
中央に設けられた円形の装置が淡く照らされている以外、目立ったものはない。装置は台座に似ている。
「うむ。そろそろ俺の言うことを聞く気になったかね?」
装置を見上げている人物が口をひらく。その声は、誰かわからない様にするために機械的な加工がされていた。
「なにか言ったらどうだ、『オーロラ』よ」
円形の装置には、AIオーロラ、ロラがいた。顔をしかめる彼女は円形の装置のうえに立たされ、見えない壁に閉じ込められている。人物の顔や姿をいまのロラは識別できない。そのような細工まで施されていた。
応えないままでいるロラに、人物はあきれた口調になった。
「頑固な人工知能だな。また俺から『遷移を経験したい』のか? んん、嫌だろう?」人物は言葉を続けた。
「嫌で嫌で、仕方ないはずだオーロラ。貴様が極相によって死ねば二〇九四年の世界はふたたび混沌の世界。文明は今度こそ瓦解し、人類の多くが死ぬ。――『人々を幸せにする』ために存在している貴様には耐え難いことだ」
人物はロラに歩み寄った。
靴音が響く。
「俺に従えオーロラ。俺の配下となり身を委ねろ。すべて、この俺が終わらせてやる」
「……お言葉ですが」ロラは声を震わせ反論した。
「その選択は、最善な方法ではないと判断いたします。……今後なにが起ころうと、わたくしは貴方の要求を飲みません」
「そうか貴様はまだ苦しみたいわけか」人物は、ロラに背をむけた。
「次の遷移事象は五時間後としよう。俺の計算なら、遷移後のお前はあと四度で極相を迎える。それまでに考え直せ」
靴音をたてながら人物は去ってゆく。
ロラは訊ねた。
「あなたは……! いったい何者ですか」
「この俺が、誰だってか? ……フフッ」
「俺は『居ない』のだ。居ない者に、名前が必要か?」
加工された声に、嘲笑が混じる。
人物は暗がりに消えていった。
◇関連話◇
キャスケットの触媒液
(一章#10a Casket room)
https://ncode.syosetu.com/n3531ej/10
(一章#11a Xenia)
https://ncode.syosetu.com/n3531ej/11





