#08a 暁の戦士
助けてくれた戦士は剣を置き、十字路の壁に座り込んでいた。
曲がり角にも衛兵は待機していた様で、一人が戦士に駆け寄っている。
「お礼、言おう」
アレクは立ち上がり、服の煤を払った。二人に駆け寄る。
戦士と衛兵は話していた。
「俺のことは構わず、奴を追ってくれ。ただし深追いはしなくていい。これ以上犠牲を増やしたくない」
「承知しました。お任せください」
「城に戻るしかないか……力になれず悪い。この傷では……」
戦士の右腕、手元から血が流れ出ていた。
「だっ、大丈夫ですか!」
アレクの声に二人は振り向いたが、戦士が衛兵に目配せすると、衛兵は小さくお辞儀をして離れていった。衛兵団の上官だったのだろう。十字路や広い道にいる兵達に、少女を追うように伝え、あっという間に彼らは去っていった。
残ったのは、倒れた者を救護、搬送する少数の衛兵達と腕を怪我した戦士、それにアレクだけ。
戦士が声をかけてきた。
「大事無いか? 少年」
「はっ、はい……」
「そうか。……良かった」
緊張でアレクは言葉に詰まっていた。
『暁の戦士達』はエオスブルクを守護する者たちの頂点、市民の憧れの的だ。しかし、彼らの名前や人柄は、ほとんど知られていない。
多くの人々が知っているのは、年初めの祭りである『黎明日祭』のクライマックス。パレード行進を歩く、黒いローブと布で顔を隠した彼ら三人の背格好だけだ。
そんな、皆が憧れる勇者が顔をさらけ出したまま、話しかけているのだ。
くたびれた黒髪、やつれを隠せない顔の皮膚、だが生気を失わない黒い瞳。
「そう硬くなるな。今俺はただの怪我人だ。何もできんぞ」
皮肉を混ぜて戦士は笑みを浮かべた。それでも、痛いのか表情はぎこちない。
「あ、あの……。腕が」
右腕には刃物で切られたような傷がぱっくりと口を開けていた。大量、という訳ではないが血は流れ、滴り落ちている。
「小娘め……、手負いの腕でナイフを持っていやがった。剣で止めた方は囮だったか」
あの短い間にそんなことをしてたのか、あいつ。
「そのまま後ろの道に行ったようだ。もしもの為に、前後の道を衛兵団が塞いでいたんだがな」
戦士の後ろの道をのぞく。意識のない兵が救護されるのが見えた。最後の一人が運ばれていく。
「右腕……なんですよね、怪我……」
傷をじっと見る。重厚な魔剣を掴む腕に大怪我。しかもそれが――
「フッ、安心しろ。俺の利き腕は左だ。傷もそこまで深くない」
「じゃあ、あいつは利き腕が右だと思って――」
「いいや、アレはわざとだ……」
戦士は咳払いすると、そのまま黙ってしまった。
「あの……っ。――ごめんなさいっ! 僕のせいで、皆さんが」
お礼なんて、言えたものじゃなかった。
利き手であろうとなかろうと、人質になったせいで、街の勇者に怪我をさせてしまった。しかも衛兵の人たちには死者まで……。
頭を下げたが、謝り切れる事ではない。いつの間にか、涙が滲んでいた。
「顔を上げろ、少年」戦士は穏やかだった。
「いいか、俺達は命を賭けてこの街を守ってきた。そういう勤めだからだ。だから謝らなくていい」少年に諭した。
「家族に言うんだ。心配を掛けるような事をしたのだからな」
「……家族」
アレクの表情を見て、戦士は気付かされた。
「そうか。俺の方が謝らねばならんな」
「そ、そんな! やめてください」
顔を曇らせた戦士に、両手を突き出し必死に止める。
「えーと……。他のお二人はどうされてますか? 近いならば、あいさつを……」
話題を逸らした。
「……あいつらは別件で動いていてな。野暮用が済めば合流する」
「そうでしたか」
いつの間にか、道には戦士とアレクしか居なかった。
「さてと、俺も城へ帰ると――うぐっ」
「大丈夫ですか」
「これぐらいじゃヘタばらんよ。なあに、城で縫って休めばすぐに――っ!」
「……ちょっと待ってくださいね」
こんな怪我人見過ごせない。立ち上がろうとする戦士にアレクはバッグを開けた。
「それは何だ?」
「お札です」
――「そうなのか。君は魔術師で、札を使うのか」
「はい!」
自分の能力を戦士に伝え、元気に返事をする。その手には治療用の魔術札、傷を治す効果を持つ札があった。
「今日これを持っていて良かったです。治療用の中で、一番傷に効くやつだから」ここまでひどい傷には使ったことはないが、いけるはず。
「座ったままでいいです。腕を出してください」
まずは消毒。これをやらないと病気の元になる。きれいなハンカチと薬効の札で血と汚れを取り去る。
「じゃあ、いきますね」
「ああ、頼む」
アレクは、戦士の右腕の傷口に治療用の札を貼りつけた。
魔術札は塵になる。すると傷口の外側から肉芽が現れ、すぐに傷を覆っていく。
更に傷自らも口を閉じだし、――瞬く間に戦士の怪我は治ってしまった。
「……おぉ」
「痛みは残ってませんか?」
「ああ、全くない。すごいな」
戦士は目を丸くしながら手元をさすっている。
「いえいえ、それほどでもないです」
そう言ったものの、つい「えへへ」と本音が漏れていた。
「……お前みたいな奴がいればな……」
「何か、言いました?」
「いや、なんでもない……。『治療用』と言っていたな、他にも種類があるのか」
「はい! いっぱいあります。……ただ――」
「うん? ただ、何だ?」
「ただ、この札術を必死に覚えたきっかけがこの、『治療用』だったんです」
戦士は、少年の話を静かに受け止めた。
「……治してくれてありがとう。ええと、名前は」
「アレックスっていいます。『アレク』と呼んでください」
「『アレク』だな。……うん? 変だな……」首をかしげた。
「アレックス《Alex》のあだ名ならば、『アル《Al》』か『アレック《Alec》』のはずだが……。なぜ『アレク』なんだ?」
「あ、それですか」アレクは頭を掻く。
「それは、小さい頃に『アレック』を舌足らずに『アレク』と言い続けていたからなんですよ。今となっては良い思い出です」
懐かしむように顔をほころばせた。
「フフッ、それを言うのは十年、いや二十年はやいぞ」
戦士の笑みは、どこか若々しかった。
先ほどまでの苦痛が嘘のように、男は立ち上がる。
街を守る者の勇姿がそこにあった。
「俺の名は、ラルフ・ドーン《Dawn》。『ラルフ』でいい。宜しくな、アレク」
「こ、こちらこそ! ラルフさん!」
輝く瞳で見上げる少年に握手をした戦士――ラルフ――は顔を崩し、笑みで歯をのぞかせる。
「俺の名前は言いふらすなよ。秘密、だからな」
「はい! ……あの」
「どうした?」
「助けて下さり、ありがとうございました! できれば衛兵さんにも……」
「ああ、もちろんだ。伝えておく」右腕をアレクに見せた。
「ありがとう。君のおかげで『奴』を追えそうだ。今から合流しに向かう。他に聞きたいことはあるか」
――アレクは、ラルフから路地の抜け出し方を教えてもらった。
「やっぱり、このまま歩けば大通りに着いたんですか」
「ああ、すぐに着く。では……」
ラルフが走り出す――と、急に足を止めた。
「おっと、俺も言うことがあったな」
振り向くと、優しく頬笑んでいた。
「君は札以外にも『抱えているもの』があるようだが、俺も似たようなもんだ。君は一人じゃない……。それに、君に助けられた人はきっと大勢いるだろう。俺も感謝している」少年に言う。
「自らを誇って生きろよ! 札使いのアレク」
「はい!」
ラルフはアレクの明るい声を聞くと、勢い良く路地の奥へ走り去っていった。
「……かっこいいな。やっぱすごいや」
感嘆の声が小さく漏れていた。
ついさっきまで怒声と戦慄に包まれていた路地は、少年が一人残されるだけになった。
「なんか、全部夢だったみたいだなぁ」
嵐のように訪れた事件の記憶と様々な感情が、アレクの心からなかなか離れない。
街の憧れの戦士に助けられて、名前を教えてくれた上に励ましてくれて……。こんな凄い一日、体験した人は僕だけかもしれない。ただ、約束を破りかねないから誰にもいえないけど。
ちょっと前まで、僕は殺されそうだったのに――
「……あっ!」
そうだ、僕は殺されそうだったんだ、『あいつ』に……。
そして、あいつを追う『きっかけ』になった、逃げる時にあいつから隠した――落し物!
「『タンマツ』! ラルフさんに渡せばよかったぁぁっ!!」
うっかり忘れていた。
正体が全く分からない『黒魔術団』の持ち物を彼に渡せば、奴等の正体を暴く手がかりになったかも知れないのに。
大声で「ラルフさん!」と呼んでみたが帰ってきたのは、こだまだけ。
「また会えればいいんだけど……。仕方ないか」
城に行こう。招待状もないから門前払いだろうが、あいつの落し物を渡せば済む話だ。
アレクは『タンマツ』を隠した場所――袋小路に向かった。





