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#042b マヤの部屋



 駆け続けている――

 暗闇の、『無の世界』を。

 自らの意志と関係なく、ただ足が動く感覚がする。

 あの『謎の夢』? でも、違う事があった。


 ――足音――

 無の世界に、進む足音(・・)が聞こえていた。ひた駆ける自身の足の音。その調子はまるで、何かに焦るようで。

 足がとまる。音もとまる。なにも見えない、でも目の前には『ドア』があるのがわかる。

 そうして、意志の通じない僕の身体は、ドアを開けるために、ボタンを押した。

――

 ――


 瞼をあける。やっと身体がいう事をきいてくれた。いつもの簡易ベッドで、背伸びとあくびをした。


 セニアたちと『二〇九四年の世界』へ買い物に行き、四〇三号室に帰ったのは暮れだった。マヤは自室へ。セニアと残った僕はというと、外の世界で疲れが溜まり、簡易ベッドで休憩するうち眠ってしまっていた。


 実体化のせいか、生身の人間と同じく疲労も蓄積するらしい。外の世界は楽しいけど、僕にはまだ刺激が強かったのかもしれない。少しずつ慣らしていこう。

 窓の外は夜景。セニアが気を利かせてくれたのか、部屋はやさしい間接照明の薄明かりだ。しかし、まわりを見ても彼女の姿はなかった。



 だんだんと頭がすっきりしてきた。やはり『あの夢』が気になる。

「……変な夢。あれ、一体なんだろう」


 何も見えない世界で、走り続ける夢――セニアの部屋(四〇三号室)に初めて来たときも見た夢だ。同じ感覚を、ロラに対して得た事さえある。

 どこか寂しく、つらい感覚。心の奥が締め付けられる。――でも、なぜか既視感もあって。

 ……。考えると頭がもやもやしてきた。やめておこう。

 と、

「あれ? お腹が――」


 急に部屋のスライドドアが開いた。入ってきたのは、

 マヤ博士だった。


「おっ! アレク丁度イイね、おはよー」

 勝手に照明のボタンを押して、薄暗かった部屋が途端にまぶしくなる。何も言わないで照かりをつけるのやめてほしい。


「うぅ、なんですか急に」


「『疲れた』って? セニアちゃんから聞いたよ。『実体化の影響』をこの目で見たかったんだ。どう疲労の感覚は? ボイドで活動するときと同じかな」


「はい。おなじですよ」まさかこのひとは、僕を無理やり起こすつもりだったのか。そう考えるとイライラしてきた。

「言いましたよ博士、もう帰ってください」


 あしらおうとした、そのとき。

 ――音が鳴った。体の真んなかで響き、ぐぅぅと鳴る、

 つまりは『おなかの音』。

 目が覚めたときから、僕は空腹を感じていたのだ。


 マヤはこの音を聞き逃さなかった。「おおお」と興奮して、彼女は続ける。

「やっぱり! あれだけ出歩いたわけだから。お腹が空いてもおかしくない。疲労の件でワタシはピンときた。キミはいま『生身の人間と同じ』ように、腹が減っている!」


 いままでの僕は『実体がない映像』で、この世界で視覚以外の感覚情報を得られなかった。代謝もストップしているため疲労や空腹もない。だがロラの装置のおかげで、この世界の人間と同じになれる。知らない事が多い僕でも、ロラのプレゼントは画期的な装置だと思う。

 けど、自信満々に人差し指をビシッと向けてくるマヤにあきれて、頷く気分になれなかった。

 マヤはお構いなしに、にやりと笑った。

「では本題(・・)に移ろうか。アレク、ワタシと一緒に、ごはん(・・・)食べない?」



――

 ――

 マヤと四〇三号室を出て、廊下を歩く。今の彼女から酒の匂いがしない。呑んで(・・・)いないのだろう。

 結局は彼女の話に乗るしかない。なぜなら、セニアはしばらく四〇三号室に帰らないからだ。僕が寝ている間にセニアはハワードさんから呼び出されたらしい。『実体化したアレク、つまり僕の現状を知りたい』という内容だが、マヤはニッと歯を見せ、「まあハワードさんもお父さん(・・・・)だからね」と独り言のように言った。余計に意味がわからない。

 セニアがマヤに『呼び出しの経緯』を教え、『アレクを見ていてほしい』と頼んだのが、事の始まりらしかった。

 エレベーターを出て、すこし歩き――


「ハイ! ここがワタシの部屋、『五〇四号室』だ。さあ入って」

 スライドドアが開き、マヤの部屋が広がっていた。

 清潔感のあるセニアの四〇三号室とは、まるで違う。弱い照明、打ちっぱなしのコンクリート、天井や壁には配線やらパイプやらが無造作に這わされ、一部は垂れていた。

 かすかな機械音が聞こえる。奥にみえたのは、いくつも並ぶ本棚に似た装置。おそらく『コンピュータ』の部類だろう。ガラスの柱、『クリスタルストレージ』も大量に寝かされている。

 無骨、そんな言葉がふさわしい空間だった。


 マヤが口をひらく。

「自宅、兼研究室だよ。ボイドで得た特異点の情報もここで分析する。ある意味ミラージュの中核かもね」


「中核? ここで生活を」


「あたり前じゃない。ワタシのマイホームだもん!」両腕を広げたマヤはにっこり笑った。

「ではアレクくん(・・)。左側を、ごらんなさい」


 わざとらしい言いかたに、半ばあきれつつ左を見た。

 あるのは銀色の長テーブル。

 と、

 ――パチン――マヤが指を鳴らした。


 次の瞬間、おきた出来事に目が離せなかった。


「えっ。これはどういう!?」

 長テーブルに変化が起きている。

 テーブルの輪郭が次第にあいまいになり、今度は色がつき、形状が歪む。

 輪郭が戻ったとき、あるのは銀のテーブルではなく別の物体があった。


 『木製のテーブル』と言えばいいのか。しかし荷車のように車輪がついていて、隙間だらけの屋根もある。つるされた筒状の灯りは、やさしげな赤い光を放ち、みたことのない文字がそこに記されていた。


 マヤが得意な笑みで、肩に手を回してきた。

「どう、ワタシの自信作『ホログラムオブジェクト・No125のラーメン屋台(・・・・・・)』。すべてがリアルでしょ」


「……お店? これがですか」


「うん! さあ入ろ。ほら」

 マヤに肩を組まれたまま、『ラーメン屋台』なる店のイスに腰をかけさせられた。となりのマヤは、別の種類のイスをもってきて座る。


 屋台には、店の制服か独特な服装の中年男性がひとり立っていた。屋台が現れる前には、いなかったはず。

「いらっしゃい。ご注文は」


「ワタシはいらない。この子(アレク)は初心者だから、あっさりしたものをお願い」


「んじゃ醤油、いや味噌ラーメンにしておく。坊ちゃんそれでいいか」


「は、はい」


 男性はぎこちない笑みを向けたあと、無表情で調理をはじめた。スープの類なのか、いい匂いもしてくる。


「どうアレク。雰囲気、出てるでしょ」黙々と男性が調理をするなか、マヤが話しかけてきた。

「ワタシがホログラム工学者なのは知ってるよね。研究の成果、つまり設計したホログラムデータは多岐にわたる。建物や道具、動物に人体――この屋台もそのひとつ。当時の界隈の常識は『ガワ(・・)だけ精巧につくればいい』だった。でもそれは間違い。やるならもっと忠実に、分子や原子、はたまた素粒子のレベルでデータをつくり込まなきゃ……」


「このおじさんもホログラムですか。……あっ、たしかボイドノイド(エオスブルクの住人)の僕も、ホログラム工学と互換性が」


「おお、するどいねアレク。でも()とキミは大きく違うんだ」マヤがにししと笑った。

「キミたちボイドノイドには意志が存在する。思考する活動が人類と変わらない。でも彼は、与えられた命令から既存のプログラムを実行するいわば『ロボット』だ。ワタシも若いころ(・・・・)は、脳細胞や神経系をそのままホログラムデータにすれば『ホログラムの人間』が生まれると考えていたけれど、動物実験の段階で不可能とわかった。『脳を動かす』には、ワタシがつくりあげた技術じゃ、まだ無理だった」

 マヤはそう言うと、調理を続けるホログラムに顔を向ける。遠い過去を、眺めるような表情で。


「ホログラムデータはみな、処理するプログラムと一緒にクリスタルストレージに保管した。屋台セットのデータも、ほらあそこに」

 指を指した場所――屋台から少し離れた所には『クリスタルストレージ』が、傷だらけの装置にはめ込まれていた。


「あれ、マヤ博士。クリスタルを読む装置は厄災で消えたのでは?」


「ふふ、カンタンなことさ」歯を見せた。

「『イチからつくった』。がらくたやミンカル社製品をばらしてね。こんな芸当できるのは、厄災を生き残った工学者のワタシぐらいだなきっと。あはは」



「ほい坊ちゃん、できたぜ」

 調理が終わったらしい。店の男性が料理を出してきた。

 白の映える、底がふかい皿に注がれたスープと野菜に……、

 なんだ? この細いモノは。


「キミは初めて見るはず。ラーメンだよ。炭水化物で、スープと一緒にすする(・・・)んだ。今回はフォークを使ってね」


「……すする、このホログラムを、ですか」


 マヤは続けた。

「ワタシはふと閃いた。『キミはホログラムと互換性がある。ならばホログラムデータの食べ物を口にできるかもしれない』とね。いまキミは実体化してるけど、ホログラム屋台のイスに座れた。人間のワタシだと、すり抜けるだけ。もうわかるよね、『ワタシがつくった』ラーメン、さあ食べてみて」


 マヤがつくった、『食べ物』――ヘンでオカシなこの人がつくる料理をもし食べたらどうなるか、いっそう心配になる。

 でも、立ちのぼる湯気に混じった『いい匂い』は、魅惑的で、お腹もペコペコで――

 そばのフォークを使い、麺を持ちあげる。スープに絡まる麺を、思いきりすすった。

 ホログラムのラーメンが喉を下りていくのがわかる。


 一瞬で、言葉を失った。


「……っ、これ! おいしい!」

 温かなスープは絶妙な塩味。しかも深い風味とコクがあり、滋味が舌に広がる。麺の独特の触感やのどごしもクセになりそうだった。


「お! 予想通り。食べられたネ」マヤが明るい声を出す。

「味噌ラーメン旨いでしょう。アミノ酸の構造を再現するの、大変だったんだから」

 いつの間にか、手にもつグラスに酒らしき液体を注ぎ、マヤがしたり顔(・・・・)で言う。でも彼女に返事をするより、このおいしい食べ物をもっと味わいたかった。

 無心に麺をすすった。音なんて気にしない。皿(ラーメン鉢)を両手でつかみ、口にスープを流し込んだ。


「おっ、威勢いい! 嬉しいよ どんどん食べて」酒に酔い、顔を赤らめるマヤが言った。

「『おでん』も考えたけど、日本の食べ物の初心者はラーメンがいいかなと思って、コレを出したんだ。ほかにお寿司とかどんぶり物とか、いろいろある。食べたいなら遠慮なく言ってね」


 ラーメンを口に含みつつ「はい」と応える。まだ他にも『おいしいもの』があるのかと、食べながら期待が膨らんだ。

 最近はミラージュの任務に時間を割いていたので駄賃稼ぎはしにくく、正直なところエオスブルクでの生活が危うかった。腹持ちも感じているので、食事に困ったときはここに来よう――


 ホログラムの屋台に、麺をすする音が続いていた。


――

 ――三〇分後。

 食べ過ぎた……。

 勢いでラーメンのほかに『親子丼の並』も食してしまった。

 おなかはもうパンパン。消化するまで、動かないでおこう。


 でも、いま一番困っているのは、

 となりの、このひと。


「……ヒック、ぎゃはは! 愉快愉快、いっぱい食べたね。キミはホログラムも現実の物も触れるし、機械さえも念じて動かせるし何でもできちゃうなあ! いやあスゴイ、まいった。アヒャヒャ」

 マヤ博士はひどく酔っぱらっていた。この一〇分間、ずっと大声を聞かされ続けている。

 きょうはよほど嬉しかったのか、はたまた自室の日常なのか。どちらにしても、今の僕には迷惑きわまりない。


 彼女が肩をよせてくる。絡まれて、酔っ払い特有の臭気が鼻腔にはいる。

 ろれつの回らない声で耳元にささやかれた。

「アレクどう。近頃セニアちゃんと仲良くしてる? 大切にしなきゃだーめ。でないと、ワタシみたいにネ……。ぐすっ」鼻をすする音がした。かと思えば、白い歯をみせ不器用な笑顔になる。

 背中をバンバン叩いてきた。

「……ぷっ、ぎゃはは! そんな辛気臭い顔(・・・・・)しないの」


「い、痛いです。やめてくださいよ『博士』」


「……あのさぁ、ワタシはキミに『マヤ』って呼ばれたいと、何度も言ってるでしょうに……ヒック。ああっ! キミまだ緊張してるのか。ならば」

 差し出したのは、液体の入ったグラス。


「緊張には、おサケ(・・・)。どうキミも? あ、けど未青年か。『発現して二年とすこし(・・・・・・)』……そうキミは二歳(・・)だったヨ! ダメだこりゃ、ぎゃはは」

 そう言いながらも、グラスを顔に押し付けようとする。


「やめっ! やめてください博士……ちょ、マヤ博士。……って、この馬鹿!!」もう、限界だ。

「マヤ! いい加減にしろっ!!」

 実年齢が七六歳の酔っ払いに対し、本気でどなる。

 以降、僕は彼女に博士(・・)の敬称をつけなくなった。




――

 ――深夜・マヤの部屋(五〇四号室)前の廊下。

 アレクが去って久しい時間帯に、マヤはある人物と話していた。

 相手はミラージュ実動部隊、デルタチームの隊長ケネス。


「――つまりケネスさん、局長のルイさんはミラージュのシステムに(バックドア)を開けた行為を、『偶然』だと?」


「はい。『偶然』と、局長は仰っていました。嘘ではないのでしょう」


「……おかしいな。ワタシのシステムは、簡単には穴が開かないハズ。攻撃(アタック)が意図的としても相当の技量が、……。うーん」


 首をひねるマヤに、ケネスは続けた。

「また、局長はAIオーロラに強く不満をもたれています。『ボイド破壊システム』をやめる考えは、なさそうです」


「……だよね。わかり合える日は遠そう」ため息をついた。

「ありがとケネスさん。あなただって、『存続派』に良い感情はないはずなのに」


「いいえ、我々デルタチームはあなた方(存続派)と敵対はいたしません、味方にもなりませんが……。今回は『交換条件』であります。そちらが望まれた情報を提供したまでです」


「ふふっ、真面目だねぇ、ケネスさんは」頭を掻いたマヤが頬笑む。

「それで? あなたは、()が望みなのさ」


「はい」

 ケネスは一度息をはき、マヤを見据えた。

 問いただすかのように。


「我々ミラージュ、いやVRA(ボイド調査局)全体が疑問に感じていることです。『マヤ博士』――あなたの素性、そして提供するキャスケット(ダイブポッド)についてだ」ケネスは眉をひそめる。

「十六年前……、ボイド調査局VRAが結成できた最大の理由は、あなたが突如表舞台に現れ、キャスケットとそれに関するシステムを提供したからだ。現在に至るいまもキャスケットの仕組みはあなたしか知らない。我々はそれらを、仕組みもわからずに使っているのです」


「経歴も『ホログラム工学者』という肩書き以外、謎が多い。歳をとらない身体もだ。……あなたは、『何者』ですか」


 廊下に、沈黙が流れた。


「……ワタシ、分析の作業があるから」

 後ろのドアに振り返る。


「マヤ博士!」


 ケネスを無視し、ドアが開かれた。

()かすつもりはない。コレがワタシの答えだ。……少なくともあなたには(・・・・・)、ね」


 マヤが部屋に入り、スライドするドアが閉じられていく。

 ケネスがみた、わずかに振り向くマヤは、

 怯えたような表情だった。




◇関連話◇


アレクが見る夢

(一章#24a 翌朝)

https://ncode.syosetu.com/n3531ej/24


マヤ博士とキャスケット

(一章#15a 極光の回廊(コリドール) Ⅰ. AURORA)

https://ncode.syosetu.com/n3531ej/15


ルイがシステムに穴をあけた

(二章#028b 六日後)(二章#037b 未来)

https://ncode.syosetu.com/n3531ej/56

https://ncode.syosetu.com/n3531ej/65

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