#041b A.D.2094
「じゃ、ふたりともここで待っててネ。足を用意するから」
マヤが、後方奥にある扉に消えていった。
『場所が場所』だけに、ちょっとした待ち時間もそわそわしてしまう。一緒に待つセニアが、話しかけてきた。
「アレク。どういまの感じは?」
「そう、だね」
彼女を見たあと、背にした光景をもう一度眺めた。返す言葉を、忘れてしまうほどに。
首を上に反らす。ここは屋外、ビル群の谷間から見上げた『二〇九四年の世界』の青空はとても狭く、眼前には燻し銀の超高層ビル『VRAビル』がどこまでも高く空にそびえていた。
まるで建物が反り返っているようだ。目を凝らせば、ずっと高いところのビル側面には『ふくらみ』が幾つもあった。
指をさした。
「もしかして、あのふくらみのどれかが『四〇三号室の展望ルーム』なの?」
「そう、わたしの部屋はあの高さにある。案外遠いのね」頬笑みながらセニアは言った。
「アレク、わたしたちが暮らす『この世界』、一緒に楽しみましょう」
四〇三号室の窓から遠巻きに眺めるだけだった、エオスブルクとは異なる世界。実体化したこの身体なら、僕はどこにでも行ける。
顔をひんやりとした風が通り過ぎた。エオスブルクではありえない『ビル風』。マヤ博士からは聞いていたが、実際に感じる未知の世界に、いっそう期待が膨らんだ。
と、急に後ろから風を切るような音が聞こえ、振り返ると濃い赤の『箱状の物体』にマヤが乗っていた。小さな車輪も付いている。
彼女は弾んだ口調で「おまたせ」と言いながら、物体のドアを開け降りてきた。
「ワタシの愛車なんだ。さあ乗って」
「……え、これに乗るんですか?」
――
――
「わあっ! すごい。ほんとすごいよ!」
窓越しに流れゆく外の景色は、どれだけ見ても飽きない。むしろ道路に継ぎ目がない事に気づいたり、形状の違うビルが次々に現れたりと、この世界への興味はさらに膨らみ続けていた。ビルの隙間から、一瞬ポトマック川のきらめきが見えた。巨大な橋も目に入る。あれだけの大きな橋、一体どうやって造るんだろう。
となりに座るセニアが半分あきれたように言った。
「アレク。もう一〇分も『すごい』しか言ってないけど、大丈夫?」
「うん、見てて楽しいんだ。……でもちょっと目が回ってきたかな。またあとで見よう」
外の景色から、車内に目を向けた。
つや消しの黒を基調とする落ち着いた空間、座る後部座席のシートは固すぎず柔らかすぎずで心地良い。速度があの『暴走した馬車』以上ではじめはびっくりしていたけど、騒音や振動はほとんどなく、すぐに怖さは消えてしまった。
この乗り物は『車』というものらしい。動力は電気だ。
「すごいなあ。セニアの世界では、こんな乗り物があたり前なのか」
「そう。でもわたしが車に乗るのは久し振りね。じつを言うと、わたしも楽しいの」
セニアが穏やかに目を細める。きょうの彼女は薄黄色の『パーカー』なる服とミニスカート姿だ。店で新しい衣服を買う用事があるらしい。また僕自身の服装もそろえる必要もあった。
この世界から見て、僕がいたエオスブルクの服は『一〇〇〇年ほど前の時代』のものだ。周りの目を誤魔化すために、今回はマヤ博士が丈を直した(ずさんな仕立ての)コートを羽織っていた。
外の景色も気になるが、車内にも知りたい事がたくさんある。
とくに、マヤ博士。
「マヤ博士、車は馬車と同じように乗り物の一種ですよね。……お酒、大丈夫ですか」
「おっ『飲酒運転』のことかな? フフッ、心配ご無用!」前方の座席にすわるマヤが、ハンドルを離して振り向いた。
「これは『自動運転車』だ。運転行為は車内のコンピュータとAIオーロラの簡易モードが行なってる。ワタシは『目的地』を選んだだけだ。けどこの車も古くてハンドル付きの車はまず見ないな。ワタシは見かけによらず昔人間だから、こだわるんだヨ」
「この車の運転を、オーロラがですか」
するとマヤは、笑顔で『うんうん』と頷いた。
意識的ではないにしても、ロラがこの車を動かしていることになる。外のすれ違う車たちも同じはずだ。AIオーロラが、現実世界の生活に欠かせない存在である一端を感じた気がした。さらにマヤの話を聞くと、この世界の多くの仕事が、ミンカル社製のAIオーロラがこなしているらしい。人口が尋常でないほど多いのに、暮らしていけるのか不思議だったが、『ある理由』で問題ないそうだ。
「AIの活動によって、人類が勤める仕事はずいぶんと限られたんだ。でもネ、一部の人は他の業務に就ける。それにあぶれた人も生きていける制度があるんだ。『オーロラを管理するミンカル社側に、自らの個人情報や生活情報を提供して賃金代わりのポイントをもらう』制度だ。ミンカル社にとってビッグデータの充実は、欠かせないからね」
「え、そんな制度に参加するひとがいるんですか」
「ウン。いっぱいいるよ。この世界で『プライバシー』という言葉は、ある意味死語だからね」
「はぁ……」
迷いなくマヤに答えられ、中途半端な返ししかできなかった。
ふと、ハンドル中央のロゴをみた。描かれていたのは『ミンカル社のロゴ』。
「えっ。この車もミンカル製ですか」
「ウン。……というより、この世界はあらゆるものがミンカル製だからね。車もモバイル機器も、VRAの設備さえもミンカルのロゴが入っている。もちろんミンカルは『あの厄災』がおきて事実上消滅した。でも人類を生き長らえさせるオーロラが過去の命令を繰り返す以上、ワタシたちが手にする製品は『実体をなくした企業ミンカル社製の製品』なんだよ」
「そうでしたね」
窓の景色に目を向けた。平和にみえる世界は、四五年前に『太陽嵐の厄災』をうけ壊滅的な被害を被ったのだ。思えばミンカル社のテッド・クレインは、自家用車の火にのまれ死亡したと聞いている。死ぬ間際の彼も、車から外を見ていたのだろうか。
「あっ。アレク、いま外にドでかい塔がみえるでしょ」
マヤがミンカル社製品の話を続けようとしていた。
すぐ目に入った。周囲のビルよりも遥かに高く、裾野が広がる形状をした白い塔。『四本の柱が中央に隙間をあけた』状態で刺さるオブジェのような塔だ。
「あの塔もミンカル製。『クラスタイオン・ジェネレータ』だ。大気汚染を解消するためにミンカルが厄災前に立案した装置なんだけど、各国がその巨大さに建造を渋ってね。厄災でオーロラが勝手に建てるまで、この塔は――」
マヤの語りを聞きながら、ミンカルの技術者が遺した『巨大な塔』を、静かに眺めていた。
――
――
車はスピードを落とし、道路脇の駐車スペースに停まった。どうやら最初の目的地に着いたらしい。
「まずは服を買おうか。ハイ降りて降りて」
セニアが車のドアを開けてくれた。目の前に、エオスブルクの商店を五つ並べたような大きな店舗が広がっている。ガラス張りの『ショーウィンドウ』に、セニアの服装に似た衣装を等身大の人形が着ていた。
「ここが、服屋?」
「そうよ、さあ行きましょうアレク」
笑顔のセニアに手を引かれ、店内に入った。
――
――
――
――
三時間後、車内。
「いやー、たくさん買ったネ!」マヤが満足そうに笑いながら言った。
「すこし出費が痛いけど、きょうは特別だ。ああ楽しかったあ」
「は、はい……」
車内は、息苦しいほど窮屈になっていた。衣服入りの袋が四つと、さらにハシゴした『ショッピングモール』の食品類や日用品。となりのセニアも思いのほか買いすぎたようで、表情が曇っていた。
――『服屋』に足を踏み入れたが最後。まるで着せ替え人形のように、僕はセニアとマヤから様々な衣服を試着させられた。数が多すぎてもうほとんど憶えていない。最終的な服装は幾何学模様の入った白Tシャツにジーンズなる青いズボンと、黒い薄手の襟なしジャケットに決まる。この姿で『ショッピングモール』へ買い物に行った。
そこの品揃えは、エオスブルクの大通りをまるまる巨大な建物に押し込んだような豊かさ。いろいろ連れまわされた僕は、ダシに使われていたのかもしれない。
ひざの上に乗せた食品入りの袋をこっそりあけた。包装された『インスタント・フード』や『擬似食材』など僕の街にはない。興味は尽きなかった。
と、
「あの、さ。ふたりとも」マヤが振り向いた。
「ワタシまだ用事があるんだ。すこしだけ、付き合ってくれないかな」
彼女の表情は、なぜか寂しげだった。
車は道路を進んだ。途中、橋のように上空に架かる『ハイウェイ』のしたをくぐったり、空を飛ぶ『飛行機』を見たりした。気がつくと、いつの間にか周りの風景が異なっていた。商店が建ち並んだ――という街並みよりは、少し寂れた場所。
車が停まる。そばには小さな建物があった。
「着いた。ココは『物品の取引』ができる施設だよ。換金してミラージュの運営資金にしているんだ」
「えっ、博士。わたし初耳ですが」
「あ、セニアちゃんに言うのは初めてだっけ。実はミラージュの活動資金のほとんどは現在、ワタシの個人資産でやりくりしてる。VRA上層部から予算を削られているからね」
不思議そうな顔のセニアに、マヤが答えた。
「物品は車の『トランク』のなかだ。重いから手伝って欲しい。お願いできるかな」
「僕は大丈夫ですよ。セニアは」
セニアも頷いた。
三人で車の後方、トランクと呼ばれる収納に向かった。マヤがトランクの蓋を開ける。クッション材だろうかスポンジをどかすと、そこには『ガラスの柱』が幾つも寝かされていた。
マヤが口をあける。
「これは『クリスタルストレージ』だ。特殊なガラス内に、膨大な量のデジタルデータが保存されている。あと、見た目もキレイでしょ」
マヤの説明を聞きながら、静かに並ぶガラスの柱たちを見下ろした。その断面は整った円形で、表面には小さなキズさえ見当たらない。ガラスの内部にはデータとして書き込まれた『白い部分』が、層状に浮かんでいた。『マヤが若いころにまとめたホログラム研究のデータ』が、このなかに入っているらしい。
「博士。そんな大切なものを、売ってしまっていいんですか」
「ああ。ミラージュを維持するほうが大事さ」マヤは迷いなく言った。しかしその声色は、虚しさが入っているように感じる。
彼女は、わかりやすくカラ元気になった。
「ま、まあね! ストレージはまだワタシの部屋にいっぱいあるし、『あの厄災』で読み取り装置は世界からぜんぶ消えたから、盗み見れるひとはぜったいイナイよ。物好きな取引相手も『インテリア』用途ってメールしてきたもん」
マヤはぐぐっ、と背伸びをしたあと「んじゃ、運ぶの手伝ってネ」と、僕の髪をかき乱した。
※マヤの年齢を七六→七九歳に変更(2019/08/29)
◇関連話◇
二〇九四年の街の光景
(一章#24a 翌朝)
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(二章#005b MINCAL Inc.)
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