#039b 暁の街とセニア
御者たちは描画範囲外に消えた。範囲の外に行ったボイドノイドは一旦ボイド世界にプール(溜め込み)される。戻ってきた際には、異物の『黒魔術団』に被害を受けた記憶は無くなるらしい。
だが馬車の暴走は街の住人たちに見られた。いまはひと気が無いこの道もやがて、人が集まってくるかもしれない。
「分析調査も終わったし、すぐここから離れよう」
「そうね。支援ありがとうロラ。ちなみに結果は?」
「はい! 今回は当該データのみで修復ができましたので、マヤ博士が閲覧できるよう端末にインポート中です。――完了しました!」と、ロラが「あっ」と声を出した。
「そろそろ、わたくしの実体化が限界を迎えます。十次遷移後ボイドの頃よりも長時間にはなりましたが、つい経過時間を忘れてしまいました。これが『楽しい』という感情の副作用なのでしょうね」
「それでは、おふたりとも。また――」
ロラの輪郭が、光とともに霞んでいく。
手を振ったロラはついに見えなくなった。ロラことAIオーロラが次にエオスブルクへ介入できるのは、およそ三日後だ。
ボイド潜入調査組織ミラージュが、オーロラと遭遇してすでに二週間が過ぎた。特異点調査は滞りなく進んでいるが、ボイドを知る決定的なデータを構築するには、まだ時間が掛かりそうだった。
「行っちゃったね」
「ええ。明後日にはまた会えるけど、……さみしいわ。もっと一緒にいたい」
アレクがセニアを見ると、ロラが消えたほうを眺めつつ顔を曇らせていた。
――彼女にとってロラは『母親』なのだ。そう改めて思う。『友達』のように振舞うのはロラに求められたからだ。正直な気持ちを表せない今のセニアは、やはり無理をしているのかもしれない。……でも、『真実』を伝えるのはあまりに酷だ。
本当のことをセニアに伝えられる日は、来るのだろうか――
いや。考えるのをやめよう。彼女にわからない程度にとなりで頭を振った。
長い目で見れば、ロラと出逢ってまだ日が浅いのだ。時間をかけ、ふたりがより親しくなってから……、そのほうがうまくいくはず。
だから、僕がいま彼女にできることは、
「ねえセニア。ちょっと提案があるんだけどさ」顔を向けたセニアに、言った。
「街を散歩しない? きみに、見せたいものがたくさんあるんだ」
――
――
馬車が消えた道を離れ、訪れたのは最寄の中通り。大通り『アムル街道』ともさほど離れていない賑やかな通りだ。
その場所で、街の衣装に着替えたセニアは押し殺すような声を出していた。
「まってアレク……ほんとうに、本当に大丈夫なの」
「ああ、絶対大丈夫だよ」セニアに笑ってみせた。
「『ミラージュ隊員も、ボイドノイドに敵対視されない』。この僕がそばにいれば、ね」
――
セニアを含めたミラージュ隊員の常識では、『街の住人ボイドノイドは隊員をいともたやすく敵勢力と判断する』というものだ。これはVRA全体の共通認識で、定説は今後も揺るがないものと考えられてきた。
しかし、アレクは『ある出来事』に引っかかっていた。十次遷移後ボイドでの調査中、衛兵がセニアを『黒魔術団』と怪んだときに、アレクの弁解で急に敵意を示さなくなった事だ。
――もしや、元来ボイドノイドのアレク自らが隊員に味方すれば、街の住人は彼らを敵勢力と思わなくなるのではないか。
自信はあるが、仮説の域を出ていない。でも事実ならボイドでミラージュが動きやすくなる。人通りが多い地域で調査をする場合は特に。
セニアに『この話』と散歩の件を持ちかけ、さらに司令官のハワードにも連絡を取ってもらった。セニアは半信半疑でいたものの、ハワードは〔試す価値があるな。すぐ行動してくれ〕と同意をしてくれた。最後に彼女の父親という立場も意識してか〔セニア。街を楽しんでこい〕と言葉をかけ、通信を終えたのだった。
――
経緯は以上だけど、じつのところセニアには気晴らしをしてほしかった。人目を気にして暁の街を走るより絶対に楽しいはず。この街は、本当にいい所だから。
「セニア、大丈夫だって。ほら」
となりで視線を下げて歩くセニアに、もう一度声をかけた。
いまだに腑に落ちないようで、目線が泳いでいるのがわかる。
もごもごと口を開けた。
「……けどアレク。もしあなたの考えが間違いだったとしたら、あなたが街の人から『黒魔術団』と思われるかも。関連付けられたら、厄介なことに」
「安心してよ、セニア僕を信じて。騙されたと思ってさ」
彼女の目を見て話すと、セニアは「うぅ」と声をしぼませた。
と、
「ひぃ!」
いきなりセニアが身を寄せてきた。人肌の温かさに、心臓がどきりと跳ねてしまった。
原因は――大声。
「おお! アレクじゃねえか。元気にやってるか? ガハハ」
八百屋のおじさんだ。
色とりどりの野菜や果物が並ぶお店。少しだが穀物も販売している。
きょうも売れ行きはいいらしい。新鮮な青物が通行人の目を引き、根菜一本が客の手に渡った。
客に笑みを向けたのち、おじさんは続けた。
「近ごろ忙しそうだなアレク。会えてなくてちょびっと寂しかったぞ」すると、おじさんは『となりの人物』に目をやった。
「ん、あんたは? ……見慣れない子だが」
じいっと見つめられるセニア。不安なのかさらに身体を寄せられた。
が、おじさんは彼女の『ひっつきよう』に、何かを察したようで、
「ああ!! アレクお前、ついに『彼女』ができたのか!? こりゃめでたいぞ、ガハハ――!」
大声の笑いが中通りに響く。周りの人の視線が集まってきた。
……正直、恥ずかしい。
「おじさん、やめてください! そんな大声でいわないでよ」
「なあに寝ぼけたこと言ってんだ。めでたいことをコソコソやっていたら辛気臭いじゃねえか。否定しないなら、やっぱり事実だよな? あってるか嬢ちゃん」
となりで、セニアがコクリと頷いたのが分かった。
おじさんがまたガハハと笑う。多くの住人の視線がセニアに向いても、ボイドノイドの僕と関係がある状態なら大丈夫、という事は証明されたといえるだろう。セニア自身もどこか嬉しそうにみえる。
……思い描いていたものとは、すこし違ったが。
おじさんの八百屋から離れて、中通りをふたりで進んだ。きょうも街は綺麗な青空だった。遠くには新緑の山が見える。輪郭があいまいになる描画範囲外の景色でも、この遠さならば違和感を感じない。
行き交う街のひとや、食料品や衣服を買うひと。『八次遷移後(アレクがいたボイド世界)』の頃と変化したものを見つけても、この街の平穏な活気は、なにも変わらずに続いていた。
中通りを抜けた。大通りのアムル街道は相変わらずの賑わいだ。肉や野菜、魚に布など。品揃えは豊かで、目移りするぐらいに沢山の店と露店が並ぶ。
値切る声、行き交う足音。時おり走り去る馬車に、それを追いかける小さな子供たち。平穏で温かな街の風景は、見ていて心地がよかった。
気がつけばセニアの表情が柔らかい。抱いていた不安はもう消えたようだ。賑やかな商店を横切るたび、彼女は興味津々な様子で店内を眺めている。
と、声をかけてきた。
「アレク、あの人はなにしてるの」
彼女の視線には、紋様が入った水瓶を抱える人が、もうひとりの人物の鍋へ水を注ぐ光景があった。
「ああ、あの水瓶のひとは、水(H20)を『溜め込み』する魔術が使えるひとだね。紋様が入った瓶に、川や湖の水を溜め込ませるんだ」
「普通の水瓶と比べて容積は何十倍もあるし、そのうえ純粋な水だけ溜め込ませられるから、伝染病のもとになる生き物とか腹痛の物質も混じらない。だから、ああやって街のひとに純粋な水をわけているんだよ」
魔術――二〇九四年の世界で言うところの『ユーティリティー能力』を使う街の人は、魔術を使えない人に上下の垣根をつくらず恩恵を分け与える。魔術を使えない人はそれ相応のお返しを行ない、互いが協力して街の文化水準を上げる関係を築いてきた。
セニアが「へえ」と納得の声を出す。
「そうなのね。不思議に思えたから聞いてみたの。注いでも水が枯れないなんて、おもしろい」
彼女は穏やかな笑みを、彼らに向けていた。
――
――夕焼けの街。
セニアとエオスブルクをまわるうち、陽が傾いてしまった。ロラの言葉を借りれば『楽しくて時間を忘れて』いた。
あのあと、セニアは景色を眺めたり自ら店に寄ったりと街を満喫していた。特に目を輝かせたものは首飾りのアクセサリー。もちろん買うお金はないが、彼女はとても楽しそうだった。さらにロジーナおばさんと出くわし、彼女が営む宿屋にも寄る。おばさんはセニアを気に入り、姪のお下がりらしい『シフトドレス』を彼女に贈った。セニアは嬉しそうにドレスを受け取っていた。
よい日に、なったと思う。
「セニア、そろそろ帰ろうか」
「ねえ、アレク……」ゆったりと沈む夕陽の影が、彼女のうつむく顔に差していた。
「いつもはね、この世界のひとと話すときは『気持ちを切り替える』というか、彼らの敵を演じてるの。けど」顔を上げる。
「きょうは、アレクのおかげで気持ちが楽だった。ボイドでこんなにも自然体でいられたのは、きっと初めて」
「アレク、本当にありがとう」
セニアは頬笑んだ。その表情は無邪気で、とても綺麗だった。
◇関連話◇
衛兵がセニアに敵意を示さなくなった瞬間
(二章#031b 南下
https://ncode.syosetu.com/n3531ej/59)
八百屋のおじさん
(一章#01a 暁の街と少年)から以降
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魔術について
(二章#004b 博士の不器用な愛情)
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