#036b 特異点データ
十一次遷移後のエオスブルクは、穏やかな夕暮れを迎えた。人々がいつもの日常をこなしていく。数時間まえに『街が変異した』事実など、誰も気がつかないまま。
「アレク。どうかした?」
「あっ、いや」我が家の窓から街を眺めるうち、セニアに声をかけられた。
「僕もむかしは、あの人たちと同じで遷移を経験したときは何も知らなかったんだよな、って」
セニアも窓の先を見つめる。
「そうね。彼らはなにも知らない。この世界の実態も、置かれた立場も……」顔をアレクに向ける。
「けど、あなたは知った。いまはそれだけよ。さあ、任務を仕上げましょう」
「そうだね」
窓から離れた。
アレクの自宅にはすでにミラージュメンバーが集まり、画面のハワードがロラに話しかけていた。内容はロラの想定から逸脱した今回の遷移についてだ。
未だに原因は不明。アレクとセニアを含め、みなロラの言葉を信じるしかなかった。
〔まあ、我々が文句をつけて事態が動くとは思えん。オーロラ、短期間の遷移事象は人類にとって脅威だ。原因と解決策を将来的に示すことを約束してくれ〕
「承知いたしました。ハワード司令官」
ハワードはカメラ越しに部屋を見る。
〔では、始めよう〕
ミラージュがふたたびボイドにきた理由は、『特異点のデータ』の再解析のためだ。デルタチームが取得したデータと、アレク自身が手に入れたデータ。ふたつともロラの解析を通した代物だが、現実世界でデータを読み取れなかったのだ。
もういちど、ロラの能力が必要になった。
ロラが口を開ける。
「双方のデータとも、やはり損失が多い状態でした。しかし、このふたつはもともと『同じ内容のデータ』ではないかと、わたくしは考えております。『データ同士を用い、補完。修復させる』ことが最善です」
すると、デルタチームのリオが不満そうに口を曲げた。
「なに? データがミラージュ全体に『共有』されるのか。それは困る」
デルタチームはもう隠す気もない。彼らはVRA上層部『ミラージュ解体派』のルイ局長と結託している。これまでの行動は、調査の成果を横取りし、ミラージュの任務を妨害するための算段だった。データが共有されれば意味がなくなる。
が、
「……私は、データの共有に賛成する」
賛成したのは、ケネスだった。
「隊長、なぜですか。データが存続派に渡るのですよ。局長との約束が」
「リオ、我々は第一地点の特異点でオーロラに分析を支援してもらった。つまりオーロラは我々のデータをすでに覗いている。複製もできるだろう。……オーロラ、あんたは試したのではないか? 我々ミラージュ解体派が己の立場に固執するか、まともなデータを得るために存続派と協力するかを」
ロラは表情を変えない。
「確かにケネスさまが仰った内容は、わたくしの行動を説明するのに、一定の説得力がありますね」少しだけ頬が緩んだ。
「ですがケネスさまのお考えは、わたくしの行動により、結果的にうまれた『洞察』であります。わたくしは人類のために動く存在。データの共有、占有、どちらの判断でも構いませんよ」
「私の考えは変わらん。得る情報は正確なほうがいいからな」
そう言ったケネスは、データの共有に賛同してくれるよう、デルタチームに説得を始めた。困った顔をした彼らだったが、ジャンが一番に賛成した事をきっかけに、全員がリーダーのケネスに同意した。
「では、両端末をわたくしの近くに」
ふたつの端末をケネスが持ち、ロラのそばに近寄る。
画面が点灯し、データの修復が始まった。
――
修復開始から三分がたった。ロラの作業はいまだ続いている。
セニアが、アレクに話しかけた。
「アレク、あなたのおかげで特異点のデータが読めるようになるけど、死ななかったのは運が良かっただけ。あんな危険なこと、もうやらないと約束して」
「……うん。反省してる」
視線を下げる。
のこり時間ぎりぎりで四〇三号室に帰還したとき、セニアは目を潤ませながら怒っていた。頬にむけ平手が飛んできたが、ホログラム状態の僕には手がすり抜けるだけで効かない。でも、彼女の気持ちを思うと胸の奥が痛んだ。
「どうしてあなたは、そんな危険なことばかりするの。はじめてあなたと会ったときもだけど、自分が死んでも構わないような行動をしてる。……アレク、あなたが心配なの」
セニアは眉をよせて、見つめてきた。
その通りだった。いままでの行動を思い返す。
遷移事象のカウントダウンの時も、マント姿のセニアに殺されようと路地で挑発した時も、僕は自分の命を捨てようとした。あの瞬間はまるで、なにかに突き動かされるよう動いていた。そして、僕は亡き母への罪滅ぼしという意志と記憶を持ちながら、二年前のこの世界に発現したんだ。
――死ぬこと。死を選ぶこと。それは僕にとって、どんな意味をもつのだろうか。
「……わたくしも『心配』でありますね」ロラが言った。
「アレク、あのとき声を荒らげてしまい申し訳ありませんでした。あれがきっと『苛立ち』や『怒り』なのでしょう。ふたたびあの感情を、あなたさまに抱きたくありません。お体をどうか大事にしてください。……データの修復、完了しました。正常に閲覧可能です」
両端末の画面から光が消え、ロラ近くの空間上に画面が出現した。ふたつのデータが、ひとつの『読み取れる情報』に直された瞬間だった。
ハワードが感慨深く声を低くする。
〔ついに、だな。感謝するぞオーロラ。マヤ博士、データを開いてくれ〕
〔ハイ! おまかせを〕画面が二分割され、マヤが顔をだす。
〔ミラージュの一員として、はや十七年……。このときを待ってたよ。んじゃ、やりましょうか!〕
マヤの指令のもと、空間に浮かぶ画面に文字や数字の羅列が走った。解析が続く。
〔……おお、読める。読めるよ。うんうん! 破損している領域も存在するけど、大体の箇所が理解できる。こりゃスゴイっ!!〕マヤが興奮した様子で続けた。
〔このデータはいくつかのファイルとプログラムが結合しているみたいだ。綺麗にくっつけたというよりは、不規則に分割されたデータ同士をごちゃ混ぜに繋げたような感じかな。でもワタシには分かる。……ファイル情報だけに絞れば、これは『動画』と『文書』だ。ようし、振り分けてファイルを再結合させよう!〕
画面が、文字と数字の羅列から二枚のウィンドウを表示する映像に変化した。
各データが少しずつ結合されていき、
ついに閲覧できる情報として表示された。
〔……やった。やったヨ! ついに特異点のデータが覗ける!〕
マヤの目に、わずかな涙があった。
ファイルを開く作業に移る。全員が固唾を呑んだ。まずは、動画ファイル。
映像や音声にノイズが走るものの、なにが映されているかは判別できた。
〔……これ、ミンカル社がAIオーロラを発表したときのプレゼンじゃない!? なぜこんなモノが〕
ノイズに乱れつつ記録映像は続く。女性の声と、プレゼン用の大画面スクリーンにミンカル社の変遷の図が流れていた。
『――そして起業から四六年のいま、ミンカル社は次世代のAIシステムを公開いたします! ミンカルはいつもあなたのそばにいます。いつでもどこでも、どんなときも。我々は未来に向かって、これからも革新を続け、皆さまと共にあるのです』スクリーンが暗くなった。
『では登場していただきましょう。わが社のCEOでありオーロラ開発の総責任者、テッド・クレインです』
拍手に満ちたステージに、ひとりの男が現れた。
背は高く、短髪。彫りの深い顔と鷹のような鋭い目が特徴的な男。堂々とした立ち姿と相まり、会場は彼のスピーチを聞き逃さまいと静まりかえった。
――テッド・クレイン。
いまや形だけとなったミンカル社の、死亡したCEOの過去の姿がそこにあった。
『皆さま。お集まりいただき、ありがとうございます』テッドは丁寧な言い回しでスピーチを続けた。
『わが社の英知を結集した人工知能。混迷の世界の夜を照らす、新たな光――オーロラをきょう皆さまにお見せします』
手に持ったリモコンのスイッチが押され、AIオーロラのロゴが表示される。
ふたたびの拍手。
――が、
記録映像が大きく乱れた。
そして嵐のようなブロックノイズが去ったとき、映像はプレゼン会場のものではなかった。
暗闇の映像。被写体も不明で、本当に暗い場所か映像に問題があるのかさえわからない。だが、演説のような音声が途切れ途切れに聞こえてくる。
『わ……れ……、ここ……。……のだ。…じ……なる。ふる……みはな……。われわ……う、……たな……だい……!』
映像が停止する。動画が終了した。
「なんだ、これ……」ジャンが声を漏らすように言った。
「俺たちが必死に集めてきた『特異点』は、こんな『ガラクタ』だったのかよ。……いままでの苦労は、ぜんぶ無駄に」
「まだ悲観するな、ジャン」ケネスがジャンの肩をたたく。
「私たちは第一歩を踏み出した。このデータがダメでも、また他の特異点を探ろう。望みを捨てるのはまだ早い」
ゆっくりと頷くジャン。ケネスは乗せた手をおろした。
一方、アレクはマヤと話していた。映像に映っていた人物について。
「博士、あのひとが」
〔そう。テッド・クレイン。ミンカル社二代目CEO。業績が滞った一代目に代わって、ミンカルをふたたび急成長させたカリスマだよ〕マヤがため息をついた。
〔でも、まさかこの後の厄災で、黒こげ死体になるとは思ってなかっただろうね。……次は文書ファイルだ。開くよ〕
画面に、文書が表示された。
〔うーん、と。この文書は……オーロラの使用部品に関する契約書だね。……ああ、そうか〕声が小さくなった。
〔『オーロラの演算用、メモリ用素子に、旧出葉電機のASI―500IZを使用する』。これは、出葉の旧経営陣に送られた書類の写しだ〕
「イズハ……?」
マヤが頭を掻きながら応える。
〔ワタシの故郷、日本にあった大手電機メーカーだ。昔は世界中でその製品が使われていたけど、経営が悪化してから旗色が悪くなってね。ミンカルに吸収されることを選んだ。……出葉の経営陣たちは吸収されることで、世界的企業ミンカルの上層部役員になる目論みだったけど、彼らはみんなクビ。そして出葉のほとんどの社員は職を失ったんだ〕
「マヤ博士、お詳しいんですね」
〔えっ! イヤ。その……〕マヤの顔が、急にこわばった。
〔に、日本でニュースとかで流れていたし、ある程度はワタシだって知ってたからっ!〕
声を上ずらせマヤは言う。その様子は明らかに動揺していた。
統合会議のときもそうだが、彼女は何かを隠していると思えてならない。実年齢が七九歳の『片霧・真彩』は、いったいなにを抱えているのだろうか。
〔ハイハイ、この話は終わり終わり! 残ったデータのプログラム部分は、ワタシが手元に置いて分析する。ハワードさん、そろそろ解散しましょう〕
ハワードは困惑しつつ、マヤに同意した。
〔……まあ、長居する必要もないか。では特異点の再分析はいったん終了とする。ミラージュ隊員はダイブアウトしろ。みなご苦労だった〕
そのとき、
「キャップ。私はもう少しボイドにいます。アレックスと話がしたいのです。許可を」
意見したのは、ケネスだった。
※マヤの年齢を七六→七九歳に変更(2019/08/29)
◇関連話◇
ミンカル社について
(二章#005b MINCAL Inc.)
https://ncode.syosetu.com/n3531ej/33
────
※2019/1/12
『起業から五九年』を、『起業から四六年』に変更しました。
ご了承をお願いいたします。





