#032b 逃走と
衛兵団が気づき、彼らの怒号と足音が迫るのが解る。セニアは組み締めた衛兵を再度気絶させる。
反対の道に隠れるアレクを呼んだ。
「逃げましょう!」
「ああ急ごう」
ロラが姿を現した。
「状況が落ち着くまで実体化を控えます。おふたりとも、どうかご無事で……!」
ふたたび消えるロラ。残るはアレクとセニアだけ。
残されたふたりは路地を走る。だが、衛兵団は曲がり角に入る人物の影を見逃さない。
「いたぞ。全兵、手持ちのホイッスルを吹け!! 周辺の衛兵団に知らせろ!」
――
――
道を走る。右へ左へと衛兵から逃げるために。いまの追っ手はおよそ一五人、勢いはまったく衰えない。彼らは三方から『黒魔術団』を捕らえようと執拗に追いまわしてくる。
「足音がしたぞ! 逃がすな!」
「セニアこっち!」
アレクが先にたち、逃げ道を教えた。路地の細かいところまで知るからこその離れ業。けれどこの逃走がもう長く続けられないのは分かっていた。
何度となく、すれ違いざまに衛兵たちが通るのを見ている。まともに出くわすのも時間の問題だ。
さらに吐く息も荒れだす。セニアと違いエンゲージウェアを着られず、体力の消耗に大きな差があった。後方の角から怒声が響く。――はやく衛兵たちを遠ざけないと。
後ろを振り向く。もうやるしかない。
「セニア! 先頭を走って」
セニアは目で応え、追い越すかたちになった。
バッグに手をいれ、『魔術札』を掴む。
『一枚目の札』をいくつか落とし、さらに『二枚目』のあと『三枚目』を石畳に叩きつけ、路地を走り続けた。
後ろで衛兵の一団が魔術札に苦しんでいた。
一枚目の札は『煙札』。視界は濃い煙に遮られるうえ、刺激のある薬効で目をまともに開けられない。ばら撒いた枚数が多いせいで路地に煙が満ちた。二枚目の札は『物質を溜め込み、取り出す札』。今回は水(H2O)用。路地の真ん中に湧き出る水溜りができ、三枚目の『冷却する札』で水溜りを完全に凍らせる。
煙に視界を奪われた衛兵たちは、咳き込みながらよたよたと歩き、ついに凍った石畳で足を滑らした。なにが起きたのか理解できぬまま、うしろからさらに仲間が押し寄せる。路地はうめき声と混乱の渦だった。
「へえ。やるじゃないのアレク」
いたずらっ子のような笑みで、セニアは走りつつ煙幕を見た。
「ま、まあね」
彼女に笑顔を返したが、これは苦笑いだ。正直、気分は複雑だった。
ひとまず後ろの衛兵たちは遠ざけられた。けれども煙札を使ったせいで、
「全兵あの煙を目指すぞ! 黒魔術団を打ち倒せ!」
路地の前方から喊声。別の衛兵団に気づかれた。
「セニア今度は右に」
離れるため交差路を曲がる。
まるで埒が明かない。その後も逃げ回り続けたが、衛兵団の追跡は一向にやまなかった。
――
――
「あそこ、入ろう」
息も絶え絶えになって、建物とのあいだ、路地裏へ逃げた。そこは薄暗く狭い場所。奥のほうはレンガの壁で行き止まりだ。セニアのほうはいつでも衛兵と戦えるよう、路地裏に隠れ周囲に神経を尖らせている。衛兵たちの声が遠くから聞こえた。このままだと見つかるのは時間の問題かもしれない。
走った疲労が和らぐうちに、感じ始めたものがあった。心臓の拍動、胸の苦しさが呼吸を浅く速くさせ、落ち着こうと努めても意識が掻き乱される。
『恐怖』。そんな感情が心を蝕んでいた。
「アレク、大丈夫?」
気がつくとセニアがそばにいた。心配した表情をこちらに向けながら。
「う、うん。僕は、大丈夫だから」
セニアが眉根を寄せた。
「うそ。無理してるでしょ。顔を見ればわかる」
すべてお見通しだった。いや、ただ顔に表れやすいだけか。そう思うと少し恥ずかしい。
「えっと。うん……そうだね」
正直にうなずくと、すうっと不安が和らいだ気がした。彼女の存在はやはり心強い。
――急に光が差す。
粒子から現れたのはロラだった。しゅんとした顔。彼女も、セニアと同じく心配をしてくれていた。
「我慢できませんでした。アレク、ご気分のほうは大丈夫ですか」
「ありがとう、ふたりとも……」
セニアとロラ。ふたりの優しさに、乱れた心が落ち着いていくのがわかった。
が、
「……ねえアレク? いま、どこ見てるの?」
「えっ? あっその」
狭苦しい路地で横に並ぶセニアとロラ。何と表せばよいか、『無意識に意識』でもしてしまったのだろうか。ふたりの顔を見ていたはずの視線がいつの間にか下へ降りていて、彼女たちの小さな胸とふくよかな胸を、見比べる格好に――
「あなた! こんな状況でなに考えてるの!」
「ち、ちがう! セニア誤解しないで!」
顔を赤らめ、セニアは「うるさい」と怒鳴った。ロラの方をぎこちなく見て、小さなうめき声を漏らす。ロラ本人はというと、よく分からないのか、ポカーンとしていた。
「……。まぁいいわ。アレクがそのぐらいの気分で済んでいるなら、ある意味安心だし」あきれ顔でため息をつき、セニアの表情は変わった。
きりりとした瞳が鋭い。
「わたしが衛兵の気をそらす。南に拠点がありそうだから、その近くで暴れるつもり。アレクは特異点のところへ」
マッピング端末と分析端末を取り出して渡そうとしてきた。
つまり、
「セニアが囮になるってこと?」
「ええ、そうよ」
迷いなくセニアは言った。
「……でも、さ」
目の前にある端末を、手に取れなかった。
分かっている。
彼女がもつ能力はずば抜けていて、幼い頃から戦闘の経験をし、衛兵との戦いに長けている事を。でも、セニアはこれまで実動部隊から囮役を無理強いさせられてきたはずだ。それから、
「もし、いまきみが囮役をしたら僕は助けに行けない。正直いうと、セニアが心配なんだ」
セニアは目を見開いたと思えば、ふふっと笑った。
「もう。『わたしの力を見くびらないで』、っていうのは冗談。ありがとアレク、嬉しい」微笑みながら言葉を続けた。
「今回はしくじらない。必ず生きて帰るから。……初めてかな、囮をやりたいって思えたの。だから、わたしのこと信じて」
彼女がみせてきたのは強い決意、瞳には自信が満ちている。
そうだ、僕はいままでずっとなにを迷っていたのだろう。
端末を、手に取った。
「わかった。でもセニア、くれぐれも無理はしないでね」
「ええ、まかせて。ロラはアレクの支援をお願い」
「はい! わたくしがんばります」
ハキハキと応えたロラにセニアは頬を緩ませる。
そして、彼女は振り向いた。
「ねえアレク。あなたに訊きたいの。わたしはこれから衛兵たちと戦うのだけど、彼らに手加減なんてしない。彼らを傷つけ、最後には殺めることもいとわないつもり。でないとこの世界で生き残れないから。……あなたは、そんなわたしを赦してくれる?」
「そうだね」目を閉じ、ゆっくり言葉を選んだあと、彼女に言った。
「簡単に、『わかってる』とか言うのは、僕にはまだ早い気はする。これから起きることに、しっかりとした実感を持てていないから。でも――」
「セニア、僕はきみの味方だよ。これからなにが起ころうとも」
憂いだ表情はしずかに解けていく。
「ありがとう」
セニアの笑みは、凛々しかった。
走る靴音が聞こえだす。右からだ。
「そろそろ時間切れね。ロラ、数わかる?」
「はい。人数は五人、うちひとりが手前の壁沿いに先頭を走っています」
「ふふっ、わたしのカンと同じね。とくに今日は冴えてる」アレクの方を見た。
「じゃあ、いきましょう!」
路地裏からセニアは飛び出した。
目標の衛兵はすでに目と鼻の先。相手の判断が追いつかないうちに腕を掴み、勢いそのまま後続のひとりへ投げ飛ばす。
五人のうち、二人の衛兵は動かなくなった。
が、
「敵襲っ! 『黒魔術団の娘』か、殺せ!」
残る衛兵たちがホイッスルを鳴らした。
ロングソードで襲うひとりを躱し壁を駆けあがる。反対の壁へ飛ぶ間に発現させた拳銃を轟かせ、衛兵ふたりを地に堕とした。
遠くから喊声が聞こえる。想定どおり『黒魔術団』の位置を他の衛兵に知らせる事ができた。
セニアは、ひとり生き残った衛兵を睨む。
「ふん。お前たちの力はこの程度か。わたしを殺してみろ!」
南へと路地を走る。途中、衛兵団を見つければ銃と体術で牽制し、相手を引き付けながら、セニアは地を蹴り続けた。
一方セニアと分かれたアレクは行き止まりのレンガの壁を登りきり、衛兵の目を逃れ南西にある第三特異点へと向かっていた。
――
――エオスブルク南方。リビ湖を望める行政施設の一角。
そこには『包囲網作戦』を指揮する衛兵団の拠点があった。指令を下す衛兵長のほか、『暁の戦士達』の一人、ラルフも作戦の経過をここで見守っていた。
平時、役人が使うはずの大きな卓上には暁の街の大地図が限界まで広げられ、色をつけた小石が並ぶ。伝令から『四人の黒魔術団を発見した』という報告になぞらえ、戦闘地域に赤塗りの石を四つ、味方を示す青の石二〇個が配置された。
伝令や怪我人を報告する衛兵らで拠点内は騒々しい。黒魔術団との戦闘からすでにしばらくが経つが、戦況は一向に動かなかった。
そのうえ、
「『あの娘』がいませんね」衛兵長は言った。
「敏捷かつ攻撃的。我が衛兵団一番の脅威を、まだ見つけられていないのは、やはり危ういです」
「ああ、俺も同意見だ」ラルフは衛兵長の横で地図を見下ろしていた。
「ヤツはたったひとりで戦況を変えてくる。この前の怪我も癒えているはずだ。小娘め、いったいどこから現れるか」
「はあ、厭なものですな。『負わせた傷は後日の出没時に癒えている』、『顔を正確に憶えられない』等々……。やつらの黒魔術にはもう辟易します」
ため息をついた衛兵長だが、すぐに顔をラルフに向けた。
「ですが、もしかするとラルフ卿。あの娘は、もう……。傷も深かったようですし」
ラルフは静かに目をつむると、口を開けた。
「ヤツはまだ死んでいない。いいや、死なせてなるか。あの小娘は、俺の獲物だ」
ラルフの横で衛兵長は黙り込むだけだった。長く間があき、やっと話しかけた。
「……予想より敵四人との戦闘が長引いています。急襲のリスクはありますが、こうなれば我が味方陣営へ赴き援護を――」
ドアが開き、衛兵が駆け込んできた。
「伝令、伝令であります!」
「どうした」
伝令は衛兵長に伝えた。
「戦闘地域の西方で黒魔術団らしき人物を発見! 現在散開中の捜索班が追跡を続けております。人数は不明ですが少数。相手は煙幕など、奇怪な術を使用し逃走中です」
「煙幕!? まさか北で立ちのぼった煙のことか。他の兵からは一〇分ほど前に『民家の火事』だと聞いているぞ」
「ですが、煙幕は事実であります。申し訳ありません! 道が入り組んでいたため到着が遅れてしまいました」
するとふたたび、ドアが開け放たれた。
「伝令、伝令ッ!!」
その顔は、血の気が失せていた。
「『娘』がっ、『黒魔術団の娘』が南より現れました! 現在リビ湖の二番埠頭で交戦中。味方の負傷者が増え続けています! どうか、どうか増援を!!」
「なにっ! 娘が」
「ついに現れたか」
ラルフは口角を僅かにつり上がせる。
そばに立てかけた重厚な大剣を掴んだ。小さな金音を鳴らして。
「俺がいく。……よかろうぞ小娘、何度でも相手してやる。『貴様を打ち負かす』。これが、いまの俺が戦い続けるすべてなのだ」
部屋を去る。暁の戦士ラルフはひとり拠点を抜け、リビ湖二番埠頭へと駆けていく。
たったひとりの黒魔術団の娘により混乱に落とされたその場所は、阿鼻叫喚の声がこだましていた。
だがそれも、たった二〇分ほど前には衛兵たちの呑気な笑いが聞こえていたのである。
――
――
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セニアの過去
(二章#010b 少女の記憶)
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