#025b 午後のひととき
「あれから、もう三日も経ったんだ……」
ベッドで天井を眺めつつ、あの光景を思い出していた。部屋の空気も、いつもよりどこかさっぱりとした感じがする。何度も頭の中で繰り返す。喜びは色褪せず、飽きない。
ゆったりとした午後のひととき。アレクはひとり我が家にいた。今日分の手伝いの仕事は『とある理由』で少なめだ。
三日前、セニアとロラが出逢った夜。ミラージュメンバーとも顔合わせがしたく、ロラにその旨を提案した。だが彼女は首を横に振った。
実体化の限界がきたらしい。
「三日後なら可能です。聖堂で役割をこなしたのち、また来ますね――」
ロラはそう言い残して、光の粒子となって消えた。
結局、ハワードからお叱りをうけた。
ミラージュ全体として『オーロラと接触する機会』を奪うかたちになり、特にデルタチームから厳しい視線を浴びせられた。
セニアが事情を説明してくれたおかげで、ハワードら『存続派』のほうは溜飲を下げてくれた。この事がせめてもの救いだろう。
そして、今日が『再会の日』。おそらく昼のロラは聖堂で女神役を済ませたはずだ。もういつやって来てもおかしくない――
しかし彼女の出現は不安定で不確実。アレクがひとりで待ち、現れた際にメンバーを呼び寄せる手はずとなった。
正午からすでに二時間、
もの思いに耽り続けていた。
「……セニア、嬉しそうでよかった」
涙を溜めつつ、幸せそうな笑顔だったセニア。彼女はずっと孤独でいた。そしてようやく願いを叶えたんだ。
彼女と出逢ってからの、これまでを思い出す。……命を狙われ、喧嘩もして、でも仲良くなって――
いろんな表情が目に浮かんだ。彼女の怒ったり泣いたり、笑ったりした顔を。
心の奥がじんわりと温かくなった。なぜだろうか。いや、理由はわかっている。
ずっと一緒にいたい。心惹かれる想いを、僕は感じているんだ。
でも、
「……これ、夜まで待つのかな」
ロラの出現までこのままだと、まったく何もできない。そろそろ食事の支度も考えないと。
そんなとき――
「あっ! きた!」
――光が現れる。
だんだんと女性の姿にまとまって、
「――アレク、こんにちは!」
無邪気な笑顔で、ロラがいた。今の彼女は女神ではなく、単なる金髪の人間の姿だ。
「よかった。もう来られたんだね、ロラ」
すると、ロラは子供みたいに「はい!」と元気な返事をした。
「以前より今回の実体化は長続きしそうです。よろしくお願いしますね」
「うん、よろしく! 他の人にも連絡するよ。みんなきみに会いたがってるから」
意識を集中し、ミラージュ側へ急いで合図となるシグナルを送った。主な通信行為はセニアがいないと駄目だが、この程度ならアレクにもできる。
ミラージュメンバーのダイブインは、スーツ着用など諸々で時間が掛かるはず。だいたい一〇分ほどだろう。
そう、一〇分もあれば、彼女からいろいろ訊けるはず。
三日前の真相を。
ロラに近寄った。
「ねえロラ。この前さ、セニアを抱き締めたよね? どうして」
あの時の仕草、表情の穏やかさは、まるで自らがセニアの母親だと名乗ったかのようだった。もし、セニアを生み育てたという『記憶』をロラが思い出してくれたのなら――
「申し訳ございません。わたくしは、あの行動の理由をうまく説明できないのです」彼女から予想と反した言葉が出てきた。
が、
「ですがあの少女――セニアが近づいてきた際……、どのような表現が適切かは決めかねますが、あの少女がとても稀有な存在に思えました。そして、包み込みたくなって、動作を」
やさしく瞳を閉じ、重ねた手を胸に当てている。
ロラはセニアを知らない――
これは揺るがない事実だ。しかし、ロラの『どこか』にセニアに対する想いがある。
素直に嬉しかったが、当人のセニアが受け入れてくれるか判断するのは、まだ早急な気もした。
「ありがとう、セニアを抱き締めてくれて。彼女をこれからもよろしくね」
「はい! セニアはわたくしの『友達』なのですから」
みせる笑顔には一点の曇りもない。清らかな青空のように、どこまでも澄んでいる。
「わたくしは興味をもっています。セニアもその一つですが、現実世界、ボイドの世界やボイドノイドたちの営み、そしてなにより、アレク……あなた様のことを、もっと知りたいのです……」
言葉をしぼませ、伏し目がちになったロラ。恥ずかしいのだろうか。たどたどしい姿で、なんだか可愛いく思えた。
「ですからあの、まずはお部屋を拝見してもよろしいでしょうか? 見て回りたいのです」
「えっ。いいけど、とくに何もないよ……?」
「わぁっ! よろしいのですね!? 嬉しいです、嬉しい!」
パッと顔をほころばせ、ロラは小さくジャンプした。
そんなに喜ばなくても……。
――
――
「なるほど、こんな物もあるのですね!」
「う、うん……」
ロラが部屋中をうろつく様子を、アレクは遠巻きに見ていた。
はじめは一緒に回ったものの、彼女は知らない小物を見つけると、「これはなんでしょう。アレクはどう使うんですか」と質問攻めの嵐。特に台所が酷かった。
刺激させないため、距離を置こうと決めた。
無邪気な裸足の音が響く。興味を持つ存在を見つけては、そこへと駆けるロラ。まるで幼子のように、纏ったキトンの裾はヒラヒラとなびいていた。
途端、足が止まった――
「アレク? これ、なんでしょうか」
視線には『母のペンダント』がある。
「ああ、それは母さんのペンダントだよ。形見なんだ」
「『形見』? なのですか……?」
急に静かになる。
興味津々と、顔を近づけながら。
極光色のガラス球がはめ込まれた銀のペンダント。
ロラは、それに手を伸ばし――
「ちょっ! ロラっ!?」
ペンダントを持っていた。
「わぁ……。とっても綺麗。ガラス球の意匠がすばらしいです」
母が遺した宝物を眼前でこねくり回される光景。もし落とされたらと思うと、まったく生きた心地がしない。
なのに、――どうしてだろう。
うっとりと目を細め、ペンダントを夢中で眺め入るロラ。彼女を見るうちになぜか乱れた心が、焦燥感がすうっと鎮まって、
不思議と、懐かしさを憶えた。
この感覚は三日前と同じだ。そして、いま思えば四〇三号室で見た『謎の夢』にも、この感覚はあった。
彼女――ロラに僕は、いったい何を感じているのだろうか。
でも、いまは。
「……頼むからペンダントを戻してくれないかな? 母さんの形見だから」
「えっ、なぜですか? 『形見』の意味は存じております。亡くなった人物の品物、ですよね?」
彼女は首をかしげ、『形見』を持ったまま。おそらくロラは、それに含まれた意味を知らないのだ。
「それは僕の大切なものなんだ。あまり乱暴に扱わないで欲しいよ」
「……。わかりました」
理解をしたようで、ロラはペンダントをそっと木棚に置いてくれた。
「考えが及びませんでした、謝罪します。『形見』というのは遺族にとって大切な存在、アレクの宝物なのですね。以後気をつけます」
目を瞑り、反省の表情。
なんとか危機を脱せられた。無意識にため息が出る。
――が、
「その。あなた様にお詫びがしたいです。……『抱きしめても』いいですか?」
ロラが頬を染めていた。
「……は?」
「セニアを抱擁して理解したのですが、あの行為は互いの『友好』を確かめ合うものですよね。きょうアレクが肯定したことで、さらに確信いたしました。ならばわたくしはアレクへ確固たる『友好』を示します。……あなた様に抱きつかせてくださいっ!」
いきなりバタバタと駆けてきて、気づけば背の高い彼女が目の前にいる。
――まずい。
「えええっ!? ちょ、まって、まってロラ!」
「うふふっ、大丈夫ですよ。力加減は覚えていますから。わたくしはあなた様に『友好』を示したいだけなのです」
ロラは目を細め、慈しむように頬笑む。キトンを盛り上がらせるふくよかな胸が、だんだんと近づいてきた。
「力加減とかじゃないってば! ロラ落ち着いて」
彼女の言うとおりに抱擁なんてしていたら、ミラージュメンバーに見られるかもしれない。
つまり、セニアにも――
両腕を突き出してロラを止めようとした。
「ダメだって! うわぁっ!?」
急に身体が傾く。突き放そうと前のめりになったせいで、キトンの裾で右足をすくわれる格好になっていた。
そのまま――柔らかな感触が顔を埋める。
ロラの大きな胸のなかへ飛び込んでいた。
くすぐったそうな声が聞こえる。
「もう、ふふっ。嫌がるそぶりをしても、アレクはやはり抱きつきたかったのですね。知っていましたよ、セニアが抱擁したとき、あなた様はずっと、わたくしを見ていましたもの」
なんだろう。
柔らかくて、あったかい感触が心地いい。
すこし甘いようないい匂いも……。
そういえば、ミラージュ訪問にまだ時間はあるんだ。
考えるのをやめよう。
もうちょっと、このままでいたいから。
――背後から、視線を感じる。
「アレク! あんた何やってるの!!」
「ふぇ……、セニア?」
振り向けば、セニアがいた。
◇関連話◇
母のペンダント
(一章#18a 〜魔術札〜)
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(一章#20a 〜返してくれるひと〜)
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『謎の夢』
(一章#12a 再会)
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(一章#24a 翌朝)
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(一章#26a 消失)
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