#020b 我が家にて
見慣れた窓から見る暁の街は、柔らかな夕暮れ色に染まっている。昼の出来事がまるで幻のように思えてしまう。
アレクは我が家に帰っていた。
ひとりではない。
「どうセニア、痛みとか残ってない?」
セニアはベッドに腰掛けている。
「大丈夫もう痛くないわ。……あなたの魔術凄い、他に外傷もないから元どおりよ」
人目を避けて家に帰りしばらく経っているが、彼女は驚きを隠せないようで、傷のあった場所をずっとさすっていた。
「でも一か八かだったんだけどね、セニアに効いてくれてホントよかった……」
ボイドノイドでなく、出自が違うミラージュ隊員に使ってしまい悪影響を心配したが、今のところ大丈夫そうだ。
デルタチームのケネスが言うとおり、僕は確かに弱い。セニアのように高く跳べないし武器も扱えない。だけど僕には地の利と魔術札がある。セニアと共に、ミラージュの一員として協力できる自信がもてていた。
しかし、セニアの『あること』が気になる。
「ねえ、なんでまだエンゲージウェアを着てるの? もう着替えていいのに」
セニアはいまだに、脇腹が切れたエンゲージウェアを着ていた。
一瞬の間をおいて、「えぇそれね」とセニアは口ごもりつつ言った。
「確かにこのウェアでいる必要はないし、コピー衣装に切り替えることもできる。けど……」恥じらうように目を伏せ、セニアは両腕を回し自らを抱き締めた。
「……。あの感触を、忘れたくなくって……」
――その姿に、文字通り息を呑んだ。
ほのかに頬を色づかせたセニアの、力の入った腕や腕から覗く肢体は、彼女の引き締まった肉感をありありと教えてくる。
セニアと抱擁した感触が、よみがえっていた。
しがみつく腕のちから、隙間なく密着されて伝わる彼女の鼓動。薄い布地から感じる肌の温もりに、小さな胸のふんわりとした柔らかさ――
自分の心臓の音がだんだんと強く、耳のあたりも熱くなりだして、
「……えっと、その……」まともに見れない。
結局、話題をそらした。
「デルタチームのほうは、どうしてるかな。セニアわかる?」
「調べるわ……、ちょっと待って」
抱き締める腕をぎこちなく解き、耳に手をあてた。
「えっとデルタチームの通信チャンネルは、……ふぅん。いまの彼ら『すごいことに』なってるみたい。まぁ自業自得ね」
「そっか……」
セニアを守るため、彼らの居場所を街中に広めた。今のデルタチームは窮地だろう。やはり罪悪感が募ってくる。
「……大丈夫なの? 無事に帰れればいいんだけど」
セニアは微笑した。
「アイツらはしぶといから大丈夫よ、これまで何度も死線をくぐり抜けてる」通信を切った。
「逆に、ケネス個人はあなたを認めるんじゃない? いままで『情報工作』ができる隊員はいなかった訳だし」
「……そんなすごいことしたつもりは、『情報工作』だなんて」
「いいえ。あなたの存在は充分にわたしたち『存続派』の戦力になる。でも他部署異動を望むデルタチームとしては、目障りなのかもしれないわね。……それと」
まるで何かをいいあぐねるようにベッドのシーツに触れていたが、口を開けた。
「『ハワードの件』……、心に留めておく。あんな男も、一応は保護者だから……あと」
それでも彼女は落ち着かない。
気持ちを切り替えたいのかふるふると頭を横に振ると、ベッドからはみ出した両脚を引き寄せて、あぐらをかき、
「あのね……。あなたに、いっぱい助けられたの。こんな言い方しかできなくて、何のことか分からないかもしれないけど……ありがとう」
夕陽の色に染まる部屋で、セニアのまっすぐな瞳は輝いていた。
――と、不意に小さな音がした。少女の、お腹の音――
自然と、お互い笑っていた。
「セニア、いろいろとあってお腹すいたでしょ。シチュー温めるから待っててね」
ベッドのそばを離れ、アレクはかまどのある調理場へ向かった。
薪に火をおこし、鍋のシチューを煮立たせる。発熱する魔術札も貼り付け、すぐに野菜と肉が入ったシチューの香りが広がってきた。
「よし! できたよ」
木皿によそい、セニアへ持っていく。
が、知らぬ間に彼女はベッドを立ち、木棚の前いた。そこには母のペンダントがある。
極光色に輝くガラスの装飾を、セニアはうっとりと眺めていた。
「……綺麗ね、このペンダント」
「母さんがよく着けてたんだ。これを見ると、あの頃を思い出す」
やはりセニアは女の子、興味があるようだ。「触っていいよ」と言ってみたが、「母親の形見だもの、やめとくわ」と遠慮された。
「けどアレク……。あなたの母親の話は、できればもう少し詳しく聞きたい。『前に教えてくれたこと』だけじゃなくて……」
「……そうだね、いつかは言おうとは思ってた。『僕の母さんに何があったか』を――」
テーブルのイスに向かいあって座り、シチューで体を温めたあと、すべてを語った。
――母が病気になったこと、助けられなかったこと、その発端は自分にあることを――
セニアは聞き終わると、小さくうつむいた。
「教えてくれてありがとう……。ごめんね、おいしいシチューつくってくれたのに」
「いいや、気にしなくていいよ。セニアには何もかも伝えたかったんだ」
彼女に、飾らない笑みを返せた。
「……わたしの母は、AIのオーロラ。もしも聖堂のビジョンがオーロラなら、わたしは初めて『あの人』と真の意味でふれあうことになる。……逢っても大丈夫よね、嫌われてなくて、あなたのお母さんみたいにあの人はわたしを愛してくれているのよね……」
「うん、セニアはオーロラに愛されているよ。『彼女』もきっと待ってるさ」
セニアを励ます。
根拠はない。けれどその言葉に、アレクは不思議と自信を持てていた。
――
――夜更け。
アレクはひとり、ベッドで眠りに就こうとしていた。セニアが四〇三号室に帰って数時間は経つ。彼女は一緒に帰って欲しいようだったが、今回は断った。
久し振りの我が家なのだ、もう少しゆっくりしたかった。
寝返りのついでに周りを見渡す。ここはなんにも変わっていない。
月光に浮かび上がる窓のゆがみ、床板の隙間。変化したものといえば女神像と絵ぐらいだ。四〇三号室で嗅覚がなかったせいか、木の匂いさえ随分と懐かしい――
十日前。僕はエオスブルクつまりはボイドを飛び出し、セニアの部屋で街の真実を知った。何もかも失ったと思ったけど、それ以上に得られるものがあった、守りたいものができたのだ。
――僕は、まだ生きていたい。
そう考えが変わるほどに、あの日々は鮮烈に心に刻まれていた。
今の僕を、母さんはどう思っているのだろう。
しかしそんな中でも、眠気がやってくる。間抜けにあくびが出た。
また日は昇るんだ、きっと明日も何かある。
だから、……寝よう。
「うわっ!!」
――光が差す。
優しい月明かりではなく、まばゆいほどの閃光。
突然の事でアレクは目が眩む。
そして、光は加速度的にしぼんでいき――
人物が立っていた。
月夜に照らされ、独特な色彩で輝く金髪に白いキトン。薄暗くてもハッキリわかる碧眼と、おっとりとした美貌。
昼に見た、あの『聖堂のビジョン』、オーロラがこちらに優しく微笑んでいる。
だが『彼女』に対して、なにか不思議な感情がわいてくる。聖堂で初めて会った時にも感じた、どこか懐かしいような、嬉しくも切ない、捉えようのない気持ち。
そして、もうひとつあの時気づけなかった『こと』を、感じている。
微笑みが柔らかく解け、彼女は口を開けようとしていた。
――彼女の容姿や雰囲気は明らかに『違う部分』が多い。
けどなぜか思ってしまう。心の奥底が勝手に動き、あの人と『重ねて』しまう。
もう、抑えきれない。
「……母さんっ!?」
◇関連話◇
ペンダント
(一章#18a 〜魔術札〜)(一章#01a 暁の街と少年)(二章#001b 銃口)
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セニアに以前教えた時
(一章#24a 翌朝)
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