#019b ふたりだけの場所
――……仕留めたか。
――まだ息はあるが、そうだな。我々の勝ちだ。
よどんだ意識に、衛兵の声が響く。
わたしは、うつ伏せの姿で力尽きていた。
衛兵が突き出した剣の直撃は全身をよじり免れたが、避けきれず削ぐような形の深い傷を負わされた。場所はナイフで刺された位置に近い。
地面の衝撃をまともに受け、傷口が広がる音が聞こえた。頭を打ち、骨や内臓も押しつぶされた。痛みや苦しさを超えた、消え入る寸前の意識に、わたしは何もできない。衛兵の足音が、コツリコツリとわたしの前へ来るのを、目で追う気力もなかった。
「おい息の根を止めないのか、コイツどうすんだ?」
「ああ、仲間を散々殺してきたこの娘を生かす気はないさ。『見せしめ』もこの傷じゃ難しいが、やっと大人しくなったんだ。バケモノの面をじっくり見たい」
髪の毛を掴まれ、頭が持ち上げられる。衛兵に覗き込まれた。
「……おぉ、随分とべっぴんだぞ。……簡単に忘れてしまうのは惜しいな」
衛兵の男が見せた、薄笑いに滲むおぞましい悪意。生まれて初めて衛兵に恐怖を感じる。
アレクの満面の笑顔が心に浮かんだ。
彼に、逢いたい――
「さわ……るな……」
「何だ娘?」
「貴様が……、わたしに触るな!!」
動かなかった身体に、力が入った。髪をつかむ手を引き剥がし相手にぶつかる。衛兵が倒れた隙を突いて地面を蹴り、気だけで走る。
なくなりかける意識を必死に保ち、立ち塞がる衛兵を、ひとりまたひとり、ぎりぎりの高さで飛び越える。わたしは狭い道を、駆け続けていった――
――
――もう、どれだけ経つのか。
足はとうに限界を過ぎ、傷の苦痛に侵されまともに動かせない。走れずふらつくだけになっても、迷路の出口は見えない。
そして、
「血の跡があったぞ! 殺せ、俺について来い!」
衛兵たちの足音が聞こえてくる。逃れようと進むうち、横腹から流れる血が奴らを引き寄せていた。
足を一歩踏みしめると激痛が全身を襲う。息は絶えかけ、意識さえ一瞬とぶ――それでも、諦めたくない。わたしは、まだアレクにかける言葉を見つけてないのだから。
彼に逢う。何を言えば良いかはわからなくて、許してもらえないかもしれない。
でも逢いたい。もう一度話したい。わたしの、大切な――
――道の先が開けていた。
自らを奮い立たせ、力を絞る。
あと少し、もうちょっとで、外へ……。
開けた場所にあったのは――迷路のような道が集中する、中心に小さな噴水がある空間。
ここは出口ではない、円状の『憩いの場』。隠れる場所もなかった。
「……見つけたぞ、娘!」
後ろの道に衛兵たちがいた。じりじりと、まるで走れないわたしを弄ぶかのように歩いてくる。
さらに、前方の道や斜め右の道からも衛兵が見えた。殺気立つ男たちが迫り、剣を鞘から抜いた。
真ん中へと追いつめられ、最後は噴水の縁に背中から転ぶ。痛みでかすれ声が漏れて、
わたしは、動けなくなった。
衛兵のひとりが冷笑する。
「なんとも無様だな、黒魔術団の娘よ」持つ剣を構え直した。
「ついにこの時がきたか……。仲間の弔いだ、覚悟しろ!!」
『ボイドでの死』に、身が震える。
ミラージュの隊員がボイドで死ぬという事は、『遷移に巻き込まれるよりマシだ』と聞いている。だがそれは、現実世界で必ず死亡する『遷移事故』よりは、というだけ。
ボイド潜入時に死亡状態になれば対象者は廃人化し、その後意識が戻っても、任務復帰どころか日常生活もできない。
ここで死ぬと、オーロラに逢えず、アレクの笑顔さえもわからなくなる――
けど、……わたしはもう抗えない。
せめて最期は顔を見たかった。最初に仲直りしたように、彼に素直になりたかった。
何と言ったら、許してもらえたんだろう。
ゆっくり近づく衛兵が、世界が涙で滲んでいく……。
その時、
「――ウッ。痛いな……なんだこれ」衛兵に何かが当たった。
「石か? ……うわっ!!」
――突如、地面の一点から大量の煙が立ちのぼる。近くにいた衛兵は目をやられ、手で顔を覆っている。
呆気に取られていると次は至る所で煙が噴きだした。白い煙は煙幕に近い。衛兵たちは戸惑いの声を上げている。
視界がだんだん遮られていく。空気と一緒に吸ってしまい、苦しくて咳き込む。
いまここで、いったい何が起きてるの――
煙が立つ直前の光景が、偶然目に入った。
どこからともなく石が投げ込まれている。けど煙を出すのは、石じゃなくて、
包んである――
――魔術札――
「セニア! 大丈夫!?」
煙の中から現れたのは彼だった。
まっすぐな目をしている。迷いなく、ただひたすらにわたしを救おうとして……。
わたしは、いままで何を考えていたのか。アレクは勘違いなんてしてない。勝手にわたしが嫌われたと思い込んだだけ。
こんなに彼は素直なのに、……逃げていたわたしは、ばかだ――
「逃げよう! はやく!」
アレクは刀傷のない右脇から身体を支えてくれた。噴水をふたりで離れた瞬間、さっきまで倒れていた場所に衛兵が手を伸ばす光景が、煙の隙間から見えた。
彼らの目をすり抜け、着実に先へと進んでいく。
「この辺りを僕はよく知っているんだ、……ほらそこ」
前に現れたのはレンガの壁と、大きめな木箱がいくつも積まれた場所。
「食糧箱を置くスペースだ。けど実は箱をどかすと、――ね、道がある。他のより狭くてもう誰も憶えてない。さぁ行こう!」
木箱にできた隙間、その先に伸びる細い道は、くっきりと輝いている。
アレクに手を引かれ、木箱の隙間を抜け――
――『死地』を脱した。
――
ふたりは、隙間を抜けたすぐそばで腰を下ろしていた。木箱はアレクがもとに戻し、道を隠した状態にしている。
しかし、
「……はやく遠くに。血の跡で、みつかる」
流れる血痕をセニアは気にしていた。
「そっちは大丈夫だから。セニアの怪我のほうが危ない……」
アレクは腰巻のバッグから魔術札を取り出す。持つのは『治療用の札』、これまで『街の住人』つまりボイドノイドにしか使っていない代物だが、命の危機に瀕するセニアを救えるのは、この札術だけ。
「お願いだ、……ちゃんと効いて!」
血だらけの脇腹へ札を貼りつけた。
途端、セニアの傷口が強い光に包まれる。光は一瞬で弱まり、傷は瞬く間に塞がっていく――
切れたエンゲージウェアから、傷ひとつない白肌が覗いていた。
表情も落ち着いている。
「……よかった」
魔術札はきちんと効果を発揮してくれたようだ。ホッとして肩の力が少し抜けた。
セニアはいまだ地面にへたり込んで、なぜかじっとこちらを見つめてきている。
まるで何かを言いたげに――
「……セニア、遅れてごめん。こんなことになって許してもらえるとは思っていない、けどできる限り『衛兵の数は減らした』つもりなんだ……」
アレクは、セニアに事情を伝えた。
セニアと別れて屋根を降り、アレクは街路から特異点を目指していた。その最中すれ違う衛兵たちの会話を聞き、背筋が凍った。
――『黒魔術団の娘』らしき少女が屋根伝いに北東へ向かっている。娘を見つけ次第、殺せ――
情報を聞いた衛兵たちが、セニアが消えた方角へ次々と走っていく。特異点付近の地理はアレクしか知らない。狭苦しい道で多くの衛兵たちに見つかれば、ミラージュで一番優秀な彼女でも苦戦する。
――セニアが危ない。彼女を守ろうと『あること』を思いついた。
「街全体に『ニセの情報』を流したんだ。あの時の衛兵たちは動きがバラバラ、たぶん上官の指示じゃなくて『現場の判断』で勝手に動いていたんだと思う。……僕は街中の店で手伝いをしていたから、信じてくれる人が大勢いる。だから店をまわって『大変なことが起きるから他の人にも伝えて』と言ったんだ」アレクは続けた。
「『人づてに聞いた話だけど、リビ湖岬の酒場に集まった黒魔術団が、襲撃をたくらんでいる。気を引かせる囮が北東へ屋根伝いに跳んでいった』とね……。半分は本当だし、どの人も信用してくれた」
情報はすぐに広がり、多くの衛兵たちは南へ向かった。セニアを追う者たちも伝令に引き止められた。その証拠に、さっきまで噴水周りいた衛兵の気配を今は感じない。彼らも伝令に連れて行かれたのだろう。
「やっとこの場所に来たときに、衛兵たちがセニアを囲んでいるのが見えたんだ。今日『煙札』を持ってて良かったよ、……本当に」
「でもセニア、……遅れてごめん」
『怖かったよね』。そう続けようとした。が、
「……ばか」
――彼女は、泣いていた。
「ばか……、ばかバカぁぁ――!」
飛びつかれ、思い切り抱き締められた。
背中に回された手はこわばり、叫ぶように泣く声が、肺にじんじんと伝わってくる。
頬をくすぐる柔らかい髪に、汗と混じった、少女の甘い匂い――
そこに勝ち気なセニアはいない。
いつしか、その小さな背中に腕を優しく回して、頭をなでていた。
このままでいい――
僕が幻で、彼女が黒魔術団で、住む場所が違う存在同士なのだとしても、関係ない。
大切に思う、彼女が落ち着くまで、ずっとこのままでいたい。
誰からも忘れられた、細い道の一角――
太陽が、ふたりに降り注いでいた。
◇関連話◇
煙札
(一章#06a 窮地の場)(二章#017b 特異点)
https://ncode.syosetu.com/n3531ej/6
https://ncode.syosetu.com/n3531ej/45
治療用の札
(一章#08a 暁の戦士)
https://ncode.syosetu.com/n3531ej/8
リビ湖の酒場へ向かう黒魔術団
(二章#017b 特異点)
https://ncode.syosetu.com/n3531ej/45





