#018b 思いの先には
赤茶色の屋根の上を、ひとり駆け続けた。風を切る音が耳元で鳴り、頬をかすめる空気はひたすら冷たい。
これで何度目か、屋根を飛び越えるたび、彼の怒った顔が心に浮かぶ。
――胸が苦しくなる。
『ひとりで特異点に向かう』。そんなことわたしは思ってない。
本当は、アレクと仲直りがしたかったのに……。
今日ボイドへダイブしたのは、何も任務だけじゃない。アレクに会って謝りたい。『言い過ぎてしまってごめんなさい』と、言いたかった。
けれど出た言葉は愛想がなくて、態度は彼をあしらうようにしてしまう。
四〇三号室で、ひどい言葉をわたしは投げた。だから『そんな一言』で許してもらえるのか不安で仕方なくて、正直に言えなかった。過ぎる時間が腹立たしいのに何もせず、屋根から落ちそうな時は手を差し伸べたものの、見つかるまえに引っ込めてしまって――
わたしが塞ぎ込んでいたとき、アレクは励ましてくれた。彼の本当の気持ち、わたしを大事に思ってくれている。言葉のアヤでも『好き』って言ってくれたっけ。
それなのに、彼を怒らせた。
どうすれば素直になれるだろう。
特異点はまだ遠い――
思い切り屋根を蹴り、次の屋根に飛び移る――
だがその光景を、衛兵たちが見ていた。
――
特異点付近に到着しセニアは屋根を降りる。陽の届かない、薄暗い場所へ――
そこは、まるで迷路のよう。
家屋どうしが生んだ『隙間』が延々と広がる光景。道は交差を繰り返し、どこもかしこも同じ姿をしている。
この近くに特異点があるはず、だった。
けれどマッピング端末から『赤い印』が消えている。特異点の反応はない。
「――こちらセニア。いまの特異点は、……了解です。任務を中止します」
特異点調査は間に合わなかった。
ため息が漏れた。任務についてではなく、アレクのこと――
怒らせた挙句に調査もできなかった。彼になんて言えばいいのか。
とにかく、いまは待とう。
――来ない。
しばらく待機しても、姿を現す気配もない。通信の同期も不完全で繋がらず、いつしか不安と後悔が募っていた。
怒らせたから、言い過ぎたから、来るのをやめてしまったかも。本当に、嫌われたのかも――
「……アレク、どこ」
探しに戻る事にした。
高い壁に囲われた道を進んでいく。焦りも加わり、セニアの視野は知らずうちに狭まっていた。
そして、交差路に差しかかる時、
「……うっ」
横からきた男とぶつかった。人物の生温かさが、着ているブラウス越しに伝わってくる。
鉢合わせしたのは四人の男たち。彼らは――
――衛兵――だった。
「……っ! ごめんなさい、わたし急いでますので……」
市民を装い離れようとした。
が、
「おい! 待て、娘」
ひとりに腕を強く握られた。相手はぶつかった男。
残りの衛兵たちがセニアの周りを囲みだす。逃げ場は塞がれた。
「この娘であってるな」
「はい。私も顔は思い出せないですが、体格と何よりあの跳躍が証拠です」
「……よし」
男は掴んだ腕に力を入れ、セニアの背中を強く引き寄せた。
耳元に息がかかった。
「……今日逢えて何よりだ『黒魔術団の娘』。 死んだ仲間が世話になった!」
セニアの呼吸は荒くなり、額を脂汗が濡らしていく。白のブラウスは、左脇腹から朱に染まった――
男はセニアに、ナイフを刺していた。
男がナイフをひねる。セニアはびくんと慄いた。
「ははっ痛いか。何か言ってみたらどうだ! 仲間の痛みはこの比じゃなかっただろうな」
嘲るように衛兵たちが笑みを浮かべる。その姿は、敵に対する憎悪で満ちていた。
だがセニアは口角を上げた。
――黒魔術団の、少女として。
「……バレたなら、仕方ない!」
――衣服が光に消え、エンゲージウェアを露わにした。
背後の男は目が眩んで拘束が緩む。その隙にセニアは片脚に力を溜め――スネめがけ振り下ろした。骨の折れる音が鈍く響き、絶叫を上げた男はぐらついた。
囲む男たちがセニアを捕らえようと迫るがもう遅い。背後の男を土台に後ろへ舞い跳ぶと、一瞬のうちに彼らから距離をとった。
石畳で転げまわる仲間の衛兵を見て、ひとりが剣を抜く。
「貴様……! よくもセバスを!」
セニアは態勢を低くして体を支えていた。
左脇腹の傷が深い。エンゲージウェアの止血効果も間に合わず、全身を蝕むような痛みに呼吸もままならない。
相手の怒り狂う顔を見据え、セニアは耐えていた。
剣を構えた衛兵が一歩踏み出す。
震えの混じった怒声が上がる。
「覚悟しろ娘! ……貴様は『暁の戦士』ラルフ卿のお気に入りだが、辛酸をなめさせられているのは俺たち衛兵団のほうだ。……もう我慢ならん」切っ先をセニアに向けた。
「貴様を殺す!! ヤツには悔しい思いをしてもらう……!」
「……やってみろ、剣が震えているぞ」
眉間にしわを刻みながら、セニアは勝ち気に相手を睨み続ける。
剣身の光は、不規則にちらついていた。
「……このっ! 馬鹿にするな!!」
叫んだ衛兵が、襲い掛かろうと走りだした――
セニアは石畳から短機関銃を発現させる。衛兵との距離に余裕があり、武器発現の時間差もまかなえる。
一瞬で勝負を終わらせる、
――はずだった。
構えた照準が、青い火の粉をたてて崩れ去った。引き金をかける暇もなく短機関銃は完全に消える。発現武器の『消失』が、想定外に短時間で起きていた。
衛兵の接近を許し、切っ先が迫る。
セニアはとっさに攻撃手段を変えた。やって来た衛兵の剣をかわして腕を掴むと、体術の要領で後方へ引き倒す。
背中から落ちた衛兵は咳き込み苦しんだ。
が、
「……すでに織り込み済みだ、カバー!」
背後の気配、もうひとりの剣が真近に迫る。位置は心臓。
近すぎて、体術では避けられない――
セニアは宙へと跳んだ。
脇腹の損傷を考えてもこれ以上の戦闘は危険。
もう、逃げよう。手練の衛兵たちに構うより、急いでアレクに……。
「――逃がすな。撃て、撃ち落とせ!!」
空気を切り裂く音。飛び上がってゆくわずかな時間さえ許さないように、尋常でない速度の矢が掠めていく。
意識していた道の反対側、衛兵がさらに四人いた。手には『クロスボウ』、過去のボイドにはない『十次遷移で使われだした武器』だ。
そして矢の一本が、足場にしようとした壁を崩した。駆けのぼる拠りどころを失って、
落ちていく――
受け身もできないまま。
地面が迫るなか、わたしに向かって真下の衛兵は剣を突き出して――
肉が、潰れる音がした。
◇関連話◇
武器が脆い
(一章#22a Re-Debriefing)
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