#017b 特異点
「――はい、……わかりましたハワードさん。セニアと向かいます」
通信を閉じる。
――『特異点』が発生した。
ボイド調査の貴重な接点、出現数は三つ。
「セニア、行こう!」
うなずくセニアと共に、アルム街道を走った。
特異点三つのうち、一箇所は十次遷移で初めて発現したエリアにある。未だマッピングされていない場所まで、地の利があるアレクが案内するのが新たな任務だった。
まずはマッピング済みの特異点に向かう。デルタチームともそこで合流するらしい。
ふたりで大通りを駆ける。
ただ、心残りなのは久し振りである店の手伝いだ。聖堂に行く用事も踏まえ午後に約束していたが、任務がいつ終わるのか見当もつかない。
特に虚しいのは『害虫駆除』の仕事。ぼそりと独り言さえでた。
「煙札……いっぱい持ってきたのに」
それでも、無愛想なセニアの横顔がやはり気になる。今度こそ面と向かって話したくて、
我慢できなかった。
「セニア、ちょっと待って」
「……なによ」道の真ん中で振り向く。
「早くして、……あれが、消えちゃうじゃない!」
目を吊りあげ苛立つセニア。
けれどその表情を見るに、『立ち止まらせたから』だけではなさそうで、
まるで憂いのような、苦しみのような――
「……ええっと。……ここ近道だから」
思いがけない顔に、結局言えず仕舞いだった――
――
アムル街道の脇道をふたりで抜ける。
特異点第一箇所目、『レイネ通り』の地点に着いた。
そこはある飲食店の裏口近く。すでにデルタチーム四人が到着している。彼らもセニアと同じように、街の住人と同じ服装をしていた。
「やっと来たか。あんたらおせぇよ」
ジャンが嫌味を掛けてきた。
他のメンバーも歓迎ムードとは程遠く、隊員二名からうんざりだと言わんばかりに、冷たい視線を送られた。
空気に実感させられる。
デルタームは『ミラージュ解体派』。ハワードの命令を、本音では快く思っていないのだ。
リーダー格のケネスがやって来た。
「君たち、悪いがこの地点の分析はもう終わらせた」手にもつ端末を見せてきた。
「第一地点の分析は我々の手柄だ。次の特異点でがんばってくれ」
セニアが噛み付いた。
「おかしいじゃないの! ハワードから『共同作戦』と言われたでしょ!」
「いいや、我々はキャップから『合流してくれ』としか聞いていないぞ。……この手柄、将来の部署異動を有利にするために使わせてもらう」
真面目そうだったケネスから悪意を感じた。彼らは『別の意図』で任務に参加しているようだ。
隣のジャンが喋りだす。
「なあボイドノイド。街で偶然聞いたんだが、『湖を眺めながら飲める』酒場があるそうだな。場所は岬で合ってるか? お、図星だな」にんまりとケネスを見た。
「そんじゃ隊長、次は南の『セクション7』の特異点でも行きませんか? 新たに発現したエリアは、こいつ等に任せちゃって。そのあとで一杯を」
「うむ、承知した。お前たちには苦労をかけているからな、息抜きぐらいさせてやろう」
ジャンが他二人と喜びあっていた。
彼らの態度に、セニアは怒りの形相で息を殺している。
いまにも飛び掛かりそうな彼女を腕で制止した。
「……わかりました皆さん。行ってください」
目を伏せ言うしかなかった。こんな所でいがみ合っている場合じゃない。
デルタチームがもと来た通りへ帰っていく。ジャンの嬉しそうな顔が横目で見えた。
「おい」
後ろからケネスが話しかけてきた。
「この地点に来た際、裏口にいたボイドノイドを拳銃で脅しておいた。もうじきこの付近は衛兵に占拠されるだろう」声色が低くなる。
「任務を諦めて家に帰れ、アレックス。訓練もなし、エンゲージウェアの着用もできないガキに一体何ができる。……貴様は仲間を守れるか」
そう言うと、仲間と共に去っていた。
僕はミラージュ隊員と違い実体がないので、エンゲージウェアや武器を発現できないなど制限があった。これはどうしようもない。
「あぁもうっ! 悔しいわね」
「……我慢しようセニア。僕も嫌だったけど、今は任務をこなすしかないよ」
いまだ感情的でいるセニアに、改めて違和感を感じる。実働部隊とは付き合いが長く、あしらわれ方にも慣れているはず。普段ならばすぐ冷静になれるだろう。
だが今の彼女には、どこか『危うい』印象があった。
ケネスの言葉が脳裏に浮かんだ。
――『貴様は仲間を守れるか』――
仲間とは、セニアの事――
僕は発現できる武器もなく、身体能力さえ大人に劣る。
『ひとりで任務を遂げてきた少女の足手まといになる』と、ケネスは言いたかったのだろう。
ハワードからの依頼以前に考えが及ばなかった。一瞬想像しただけで、自分の甘さを思い知らされる。
――もし僕に『なにか』が起きれば、セニアも危険な目に――
「アレク! なにボーっとしてるの。ここから逃げましょ」
「う、うん。わかった」
レイネ通りを離れた。
特異点のある、遷移で新たに発現したエリアは北東にあった。閑散とした住宅街に着き、驚きが隠せない。
この場所は、仲良くしてもらっている酒場の従業員が暮らす地域のはずだ。思わず家屋の漆喰を触ってしまう。
「本当にここが、前まで無かったなんて……」
その人の家で食事をごちそうになった記憶がある。住宅街の記憶が幻だったかと思うと、不気味さと一緒に変な気持ちになった。
実感を得られないまま、セニアに道を教えながら進んだ。彼女はマッピング端末を手に、黙々と地図データを更新している。
時折、交差路から何人もの衛兵たちがレイネ通りへ駆けていく。『黒魔術団出現』の一報は街中に知れ渡ったようだ。
そして、恐らく動いてるのは衛兵だけじゃないはずだ。『暁の戦士』の三人、つまりラルフさんも『敵』を探している……。
あの尊敬する人が、今は怖い。
衛兵の列が過ぎるのを待つ――
そのうち、彼女の様子に疑問を感じた。セニアは身を隠さず、光景をただ眺めていたのだ。
「隠れなくて大丈夫なの? セニアはあの人たちに顔を見られているよね」
「……えぇ。でも彼らは少なくとも『わたしの顔立ち』は憶えてないわ」セニアは続けた。
「隊員がボイドからダイブアウトした場合、その顔を彼らは思い出せないの。記憶に残るのは体格とかもっとボンヤリしたものだから、逆に隠れていたりすると怪しまれる。……アレクはたぶん、遷移時にボイドにいなかったせいとかで、わたしの事を憶えていられるんだと思う」
「そっか、……僕の身体は『八次遷移』のままだったもんね……」
――四〇三号室でセニアを怒らせ、仕方なく街に帰る直前、マヤが『念のため』と言って身体の組成データをスキャンしてきた。
そして分かったのは、僕のデータの『遷移による情報更新が行なわれていない』事だ。
更新が止まっていても、『ボイドの一部』なので人々に敵視されない。しかし、『ボイドの流れ』に取り残された影響は未知数だった。
衛兵たちはすでに見えない。
先を進もうとした、その時――
セニアに通信が入る。
「はい。……了解しました」彼女は焦っていた。
「アレク、『セクション7』の特異点が消失した。急ぎましょ!」
デルタチーム側の特異点が消えらしい。
「わかった。……けど」
「けど、なによ」
「この先は入り組んでるから、……すぐに着けるかどうか」
「……。もういいわ、『一番早い方法』でいく!」
セニアの衣服の中が光った気がした。見上げた先は三階建ての家屋の屋根――
一瞬だった。
ひざを曲げると、目にも留まらぬ勢いで身体が宙を飛び、地面の空気を乱れさす。屋根の縁を掴むと慣れた手つきで一回転し、悠々とその場に立っていた。
常人とはかけ離れた身体能力に、ただポカンと見上げるしかない。服の下でエンゲージウェアが補助をしているのは分かるが、やはりもって生まれた器量があるのだ。
マヤの言う『血筋』を、思い出していた。
「なにしてるのよ!! 来て!」
腰に手を当てたセニアが言っている。確かに特異点まで一直線だ。
けど、
「えっ、……ここ登るの!?」
『冗談じゃない』と続けようとしたがケネスの言葉がよぎった――
……セニアの足手まといには、なりたくない。
返事もそこそこに家の壁に手を掛けた。セニアと初めて会ったときだって、壁をよじ登ったのだ。三階分だっていける、はず。
レンガ面、漆喰に埋め込まれた木の筋交いを足場によじ登っていく。気付くと二階分の高さにいた。三階分を登る最中、だんだんと指が辛くなってきた。もしも落ちれば、かすり傷では済まされない。
セニアの「はやくして!」という声が聞こえた。これでも急いでいるのに……。
自らの装備を棚に上げてせかす彼女に苛立ってしまう。僕だってエンゲージウェアが着れれば、絶対跳べるはずなんだ――
――
「あとちょっと、……うわっ!」
屋根の縁を掴んだ瞬間、足元が滑った。
バランスを崩しかけたが気合いで持ち直し、腕を引き寄せて――
「はぁ……はぁ……」
上にきた。
息が整わない。ひっくり返ると、視界には青空と雲ひとつ。
が、
「……遅いわね、行きましょ」
しかめっ面が見下ろしていた。
落ちかけたときに、セニアが手をさし伸べてくれた気がしたが、この雰囲気では思い違いのようだ。
途端、セニアは屋根の上を走りだした。追いかけようと走ったが、あの身体能力にかなうはずなく距離が開いていく。
――街で再会してから、ずっとセニアは苛立っていた。いまの僕は、彼女にどう見えているだろうか。
どんどんと離された。まるで拒絶されているかのように。
そして――
「……はやく来なさいよ!」
路地を隔てた屋根の上でセニアが叫んでいる。向こうとの距離は通常の人間なら飛び越えるのは不可能だ。
彼女が難なくこなせる事を、僕はできない。
「……もういい」声を張り上げていた。
「もういいよ!! きみとは一緒に行けない、別の順路で僕は行く!」
心の中では、自分に向けた怒りと情けなさでいっぱいだった。
僕は『足手まとい』、それを目の前で教えられた。セニアが僕を嫌っているのなら、こちらも怒ったふりをして離れた方が気も楽だろう。
道へ降りるため踵をかえす。
だが、一瞬だけ見えたセニアは、どこか悲しそうだった。
◇関連話◇
未マッピング
(一章#15a 極光の回廊 Ⅰ. AURORA)
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(一章#08a 暁の戦士)
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