#014b 展望ルーム
――ひとりだけの四〇三号室。
セニアの帰りを、アレクはじっと待ち続けていた。いつしか外は夜。ハワードが部屋を抜け数時間が経っている。
提案に乗った彼は、セニアに思いのたけを伝えると約束してくれた。しかし彼女と話すには勇気がいるようで、明日の朝までに言葉を選び、部屋を訪れる予定だ。
簡易ベッドに腰をかけて、動かないスライドドアを見つめる。
それまでに、僕ができることは――
ドアが開く。
セニアは朝と変わらず、ひどく落ち込んでいる。話の取っ掛かりで迷ってしまう。
しかし、
「……アレク、もうハワードから聞いたんでしょ。『わたしの生まれ』について」
彼女にはお見通しだった。
「……ああ、そうだよ」言いたかった言葉がやっと出せる。
「セニア、君と話がしたいんだ。一緒に来てくれない?」
『展望ルーム』そばの手すりに誘う。曲面の大きな窓のあるここがふさわしいと思ったから。なぜなら、遷移で停電した街はいま――
「え、……綺麗!」
美しい月夜だから。
人工照明とは違う、満月の繊細で涼しげな光。静寂に包まれたビル群へと降り注ぎ、闇であるはずの世界にくっきりとしたコントラストを作りだしていた。
まるで時が止まったかように神秘的。ポトマック川のキラキラと輝く光のほかに、動くものはない。
「月って、こんなに綺麗なのね」
セニアから感嘆の声が漏れる。
やはりこの夜景は新鮮らしい。彼女の心を癒してあげたかった。
ふたりで階段を降りていき、展望ルームの大きなソファーベッドに並んで座る。
ホログラムの体ではソファーが沈まず、柔らかそうな感触も味わえない。けれどその不快感は、隣の光景にいともたやすく消えた。
月を見上げる一人の少女――
照らされた横顔は、息を呑むほどに美しかった。
白く瑞々しい肌、長いまつげに大きな瞳。しかし彼女から感じるのは、いつ壊れてもおかしくないような儚さと、脆さだ。
今度こそセニアを楽にしてあげたい。
息を吸った。
「セニア、聞いたよ。君の母親がなぜオーロラなのかって。……聞くだけでもつらかった」
「……。わたしから言えたら良かったのに、あんな男に先越されて、間抜けね……」
セニアは髪をかきあげると、ソファーへもたれた。小さな吐息に虚しさを感じる。
「そのとおりよ……わたしはデザイナー・ベビー、人間の身勝手でつくられた存在。わたしは人間を好きになれない。味方だったのは生み出してくれた母親のオーロラ……、なのに――」
みるみるうちに表情は固くなり、声が湿った。
「わたしには、きっと母親と逢う権利がない……ずっと逆らった行動をしてきたかもしれないの。……アレクごめんなさい。統合会議であなたを助けるか迷って、わたしは何もできなかったの。結果的に見殺しの選択をしてしまった……。そしてオーロラがあなたを救った。わたしと母の選択は真逆だったの」言葉に詰まりながら、セニアは続けた。
「わたしは母を守りたくて、逢いたくて頑張ってきたのに……あなたも助けたかったのに……」
「……そうかな。僕は、権利がないと思わない」彼女をしっかりと見つめた。
「オーロラは、君が決断できなかったことを、代わりにしてくれたのかもしれない。きっとセニアを見守ってきたんだ」自然に笑みが出せた。
「君はオーロラの愛娘。逢う権利はあるよ」
悲痛だった表情が、ゆるんでいく。
「……ほんとうに? 母に嫌われてない? あなたを見殺しにしかけたのも許してくれる?」
「うん。オーロラは君と話すのを待っているさ。……あと『見殺し』は大げさかな、僕は気にしてない」
あの状況で迷うのは当然で、抵抗してもその場しのぎだ。オーロラの介入なしに僕は助からなかっただろう。
月の光が照らす展望ルーム。
彼女に笑顔が戻っている。
「ありがとうアレク、わたし嬉しい」
セニアは幸せそうだった。
「セニア、伝えたいことがあるんだ。……ハワードさんの気持ち――」
ずっとあの人が言えなかったもの。自らの口で語れなかった事の侘び、過去のトラウマ。そして、わが子としてセニアを深く愛している事を――
「……そうなの、嘘じゃない?」
いまだ疑うように、セニアは眉をひそめていた。
「ハワードさんは不器用なんだ。あの人につらい思いをさせられたと思うけど、実は同じく苦しんでる。君を『道具』だなんて思ってない。父親で、味方だよ」言い聞かせるように続けた。
「初めて僕がこの世界に来たときも、あの人は『オーロラを守る』と言っていた。これはミラージュ一般の考えじゃなくて、セニアの母親を守りたいんだ。『オーロラを守る』という考えは僕と一緒。あの人も僕も、セニアが好きなんだよ」
うん?
――セニアが、好きなんだよ――
「わわっ……! いまのは言葉のアヤで、その」
雰囲気のままに言ってしまった。
しどろもどろでいるうち、クスリと声がする。
「はあい。わかったわ、アヤよね」
冗談ぽく笑うセニア。気を持ち直してくれてよかったと、心の底から思えた。
と、急に窓の外が明るむ。あらゆるビルが光を纏い、煌々とした街が広がっていく。オーロラの機能復旧によりバージニア州に電気が戻ったのだ。
まるでオーロラが、説得に賛同したかのように――
輝く世界を、ふたりでずっと眺めた。
「明日、ハワードさんがここにやってくるんだ。『もう逃げない』とあの人は言っていたから、許してあげて」
「アレクがそんなに言うのなら信じるわ。ふふっ、明日が楽しみ」
そう言うと、セニアはあくびをした。口を隠さなかったが、かわいらしいあくびだった。
「……なんだか眠くなっちゃって、……はぁ。もうだめ」
「えっ、ちょっとセニア、……おわっ!」
まるで気絶したかのように、セニアはこちらへ倒れてくる。だがホログラムの身体では受け止められず、彼女の上半身がめり込んだ。
異様な瞬間に背筋がぞわっとした。やはり、『この感覚』には慣れない。
穏やかな寝息が聞こえる。
立ち上がって振り向けば、セニアは安心しきった寝顔を浮かべていた。
やっとまともに眠れたんだ。そっとしておこう。
疲れを取ってほしい。明日はもっと良い事があるのだから――
――
――翌朝。
……呆れて口が塞がらなかった。
確かにハワードは部屋に来た。セニアと僕の前に立った。わだかまりが解ける瞬間を、彼の言葉を期待した。
だが――
「……アレク、ボイドに向かってほしい。君の『初任務』だ。……では失礼する」
――それだけ。
一瞬、セニアを見て口をまごつかせたが、たったのそれだけ。
不器用でも、これはダメだ。
「ちょっとハワードさん!!」
背中へ浴びせつけた。
思いつめたセニアを、今度こそ助けると約束してくれて、説得も引き受けた。わだかまりが解けるまであと少し、だったのに……。
「……スマン」
消え入るような声を残し、ハワードは去っていった。
セニアは失望と怒りの顔をしている。しかし矛先は、ハワードでなく――
「……アレクどういうことなのよ!! わたしを騙したの!?」
「ち、ちがうんだ! 本当にハワードさんは『セニアと話す』ってきのう――」
「なにが『きのう』よ。あの男はいつも通りだったじゃない!」途端に、顔色が変わった。
「ふぅん、わかったわ……。あの男と結託したのね『わたしがまた作戦に出られるように』。……そうでしょ? 『あなたとハワードの考えは一緒』なんだから!」
彼女の怒りは収まらない。「違うんだ」と弁解もさせてもらえず、
「もうボイドに帰ったらどうなのよ! 顔も見たくない……!」
――最高の一日になると思ったのに……。
ハワードが嫌われる理由が、またひとつ分かった気がした。
プロットの矛盾点を解消する為に、乱暴な展開となってしまいました……。
この場を借りてお詫びいたします。
次回からは、アレクがエオスブルク(暁の街)で活躍をします。
以後もよろしくお願いいたします。
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◇関連話◇
展望ルーム
(一章#24a 翌朝)
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外の異変
(二章#011b 義父と少年)
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セニアの後悔
(二章#007b VRA統合会議)
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(二章#009b 帰路)
https://ncode.syosetu.com/n3531ej/37





