#010b 少女の記憶
――大粒の雨がすべてを濡らしている。
街の路地も、
佇むだけのわたしにも、
みんな分け隔てなく、冷たく降り落ちてくれる雨――
石畳の路地に満ちた、水の匂い。
身体の凍えなんて、ずっと前に忘れた。
わたしはいま――
ボイドノイド一体を抹消した。
使用した拳銃はすでに消失。倒れたボイドノイドの男は、数歩先で水溜りを血の色に染めた。敵として強い方だったが、わたしには及ばない。
こと切れても、彼の傍らに仲間の男がいる。
『死体』を揺さぶり、動く口――
雨音は響いている。
わたしは、彼を『ひとり』にさせた。
彼らは母親を壊す『バグデータ』、憎い存在……。なのに、じわじわと胸の底から湧くこの虚しさは、どうして――
解はすぐ出た。
――孤独だから――
十四歳のわたしは、人生すべてを作戦に捧げてきた。
見ることも逢うことも叶わない、『ただひとつの味方』のオーロラ。大切な存在へ愛情を伝えたかった。
でも、亡骸と男を前に、わたしは虚しく佇むだけ。
どんなに頑張っても、ひとり。
雨は止まない。
――あの決意から、もう四年が経った。
――四年前。
〔作戦を開始する。ブラボーチームとセニア、特異点へ向かえ〕
「ブラボーチーム了解。……はぁ、セニア行くぞ!」
駆けていくブラボーチームのリーダーに促され、九歳のセニアが路地を走る。
彼女は身軽なうえ足が速い。汎用版と異なり、カスタムされたエンゲージウェアのアシストも相まって、瞬く間にチームと並走した。
チームのひとりが嫌そうに横目で睨むなか、彼女は駆け続ける。瞳は覇気なく路地を捉えていた。
セニアは生まれた時からミラージュに所属している。ボイドへの初ダイブは五歳の頃。初めはキャスケットの狭苦しさを拒んだが、担当のマヤ博士が半ば強引にコネクトスーツを着させ、彼女を『暁の街』へ飛ばした。
実動部隊に加入したのは七歳。
訓練を積み、正式な作戦参加は九歳の二〇八八年。
初任務からすでに二ヶ月。セニアは持ち前の身体能力の高さで、ボイド調査の最優秀人材と評価されていた。
目的地に到着した四人一組のブラボーチームと少女ひとり。
特異点の分析が終了した。
ブラボーチームはその場で、だらだらと休憩を取りはじめた。
彼らにとってボイド調査の任務やミラージュの存在はそれ自体が忌々しく、真面目に取り組みたくないからだ。
メンバーが喋りだす。ミラージュに関する愚痴だ。
「あーあ今日の調査も『脈なし』かよ。ほんと嫌な仕事だぜ」
「まったくだな。ファーストコンタクトの遷移事故でこんな組織消えると思ったんだが、――『この娘』のせいで……!」
彼らはそう言うと、セニアを白い目で見た。
セニアは生まれてからずっと、ミラージュ解体派のアルファからデルタまで、すべての実動部隊に嫌われていた。理由は『オーロラの落とし子』である事、ミラージュ存続の重要な駒なのだ。
彼らに長年浴びせらたこの視線に、「ふんっ」とそっぽを向いて立ち去った。彼女にとってはもう慣れっこだ。
それでも、大人たちに必要とされず疎まれる日々に、もやもやした思いを持っていた。
――どうして、わたしは『この場所』に居るの……。
◇◇◇
――四〇三号室。
ダイブアウトから五時間以上が経っている。外はもう夜だ。
セニアはコンソールデスクに触れた。起動させたのはAI『オーロラ』、その簡易モード。彼女の育児はこれまでオーロラが担っていた。
〔オーロラのパーソナルサービスへようこそセニア様。――ご用件はなんですか?〕
「オーロラ、聞いてほしいことがあるの」
〔発言内容から『悩みごとの相談』と判断しました。『トークサービス』を開始いたします――〕
オーロラのホーム画面がトークサービスのロゴに切り替わる。セニアはコンソールデスクに刺さっていた端末を引き抜き、リビングに相当するエリアのソファーに腰掛けた。
柔らかいソファーへ沈むとともに、セニアはため息をつく。
「……オーロラ。わたしは、何のために生きてるの?」仰向けになり、両手で持つディスプレイを天井に掲げた。
「わたしが『オーロラの落とし子』なのは知ってる。『保護者役のハワード』やたくさんの人から聞いてるから。……でも、詳しいことを知りたくても、みんな何も言ってくれない……。あなたはどうやってわたしを産んだの?」
なぜ皆が『オーロラの落とし子』呼ばわりするのか、セニアは未だ知らない。保護者役のハワードも部屋に帰るのは夜遅くであり、存続派の駒となった経緯を含め多くを語ろうとしなかった。
「ねえ、わたしを産んだのは何のため? チームに嫌われてまで、ボイドに行かなきゃいけない存在なの? それから――」
聞きたいことは山ほどある。それでも、ひとつの言葉に収斂した。
「オーロラ、……わたしは、どう生きていけば良いの……」
返事を返すはずのディスプレイは、黙り続けている。
セニアも沈黙の理由はわかっていた。いま悩みを伝えたオーロラは『簡易モード』。第二の脳ともいえるサブシステムを使って、ありきたりな『会話』をしている。オーロラ本来の処理はしない――
ようやく、音声が発せられた。
〔申し訳ございません。セニア様のお悩みを解決できませんでした。ですが――〕
――〔わたくしオーロラは、セニア様の味方ですよ〕――
これが、プリセットのありきたりな『会話の答え』なのは理解している。
それでもセニアにとって、この言葉は何よりの力となった。
その日の夜は、ディスプレイと共に眠った。
――翌朝。
朝食を済ませたセニアは、遠くで身支度をする人物を見ていた。
保護者役のハワードだ。
「もう、出かけるの?」
ハワードがビクリと身を震わせる。
目が合ったのは、一瞬だけ。
「あ……、あぁ。実働部隊の全チームと話し合う約束があってな。今日は、遅くなる」
「そう……」
ハワードの『今日は』。
毎朝この言葉が繰り返される。
早く帰る日は、無いに等しかった。
◇◇◇
ある任務の日。
暗い路地だった。
「……くそっ! キャップこちらブラボーチームリーダー。敵兵複数に発見された! TCはイエロー。攻撃を受けている!」
悲痛なリーダーの通信が響く。
ブラボーチームとセニアは、衛兵の集団に『黒魔術団』と識別された。
特異点へ移動中、鉢合わせしたのが事の発端。ボイドノイドはふとしたきっかけで、外部のミラージュ隊員を敵と認知する。
五人のいる場所は丁字路の行き止まり。夕方の陽が差し込まない、狭い場所だ。
開けた道の衛兵らが、矢を絶え間なく放ち曲がり角へ打ち込んでくる。奥に届かない浅い角度でも、空を切り裂く矢と彼らの怒声は、隊員たちに恐怖を抱かせていた。
耐え切れなくなったチームの一人がリーダーに詰め寄った。
「……隊長! はやくこんな所から逃げましょう! 短機関銃で正面突破を」
「いやダメだ! あの量の矢を集団で抜けるのは危険すぎる。安全なダイブアウトの条件は『集中力を維持できるバイオリズム』と『ボイドノイドの意識から外れた場所』の二つ、遷移の危険性を除いてもバイオリズムが残る。我々が重傷を負うのは避けたい」
提案を退けたリーダー。
だが策を練らない以上、状況は変わらない。このままだと衛兵が押し寄せてくる可能性さえあった。
その時、
「この娘を囮に使いませんか」
「その手があったか……。フッ、いい案だ」
リーダーの口角が歪む。
皆の視線が、セニアに集まっていた。
「えっ、なにする気……!」
セニアを遮り、リーダーが拳銃の銃口を向けた。
静かな口調に憎しみが込められていた。
「貴様は疫病神だセニア、いや『オーロラの落とし子』め……。俺たちは未だに成果のない、危険な役目を負わされている。その始まりは産まれるはずのなかった貴様が『産声を上げた』からだ。貴様さえ居なければ、ハワードの策略も叶わなかった」銃口がじりじりと迫った。
「いいだろう? 一度ぐらい俺たちの役に立ってくれても。貴様をハワードだけの道具にするのは惜しい」
「……ハワードの道具? いったいどういう意味――」
「今だ眠らせろ!」
銃口を近づけたのは気を引かせるためだった。背後からセニアの首に巻きつくもう一人の腕。
一気に締められ首元で軋む音。身体は動かなくなって、
――リーダーの冷笑を最後に、
意識は途絶えた。
――
――気が付くと、開けた道で横たわり、衛兵たちに囲まれている。
頭が痛くて動けない。恐らく気絶したあと、外の道に投げ飛ばされた。意識がない敵に動揺した衛兵たちの隙を突き、奴らは路地を脱したのだろう。
そして取り残されたのは、わたしひとり。
見下ろす衛兵たちの蔑む目。
会話が聞こえた。
「――こんな小さな娘も『黒魔術団』とはな」
「歳にだまされるな。コイツは善良な人間と仲間を大勢殺してきた組織の一人、憎き世界の敵だ」目の据わった顔が近寄る。
「お前は我々の城で洗いざらい吐かされる。……せいぜい楽しむがいい」
――
夕方の風が夜の冷たさを纏い始めている。
視界の石畳は薄暗く、ゆらゆらと揺れる。わたしは成されるがまま、城へ向かう道を衛兵に担がれ運ばれていた。
痛みと絶望で動けず、後ろ手に縛られ自由もきかない。
大勢いた衛兵も今は六人。捕虜のわたしを連れて行くために人数が絞られ、市民が黒魔術団に騒がないよう脇道が選ばれた。
静かな路地に足音と冷えた風、その風の冷たさよりもわたしは恐ろしさに震えた。これから城で酷い目に遭わされる。
苦痛に負け、彼らに真実を言えば遷移が起きて、
わたしは死ぬ。
思い返せば、つらい日々だった。
ブラボーチームに嫌われ、ボイドノイドに恨まれ、そして今、ハワードさえ駆けつけず、誰も守ってくれない。
チームリーダーの言うとおり、わたしは使い捨ての『道具』。
味方になってくれる人なんて、
誰ひとり――
『わたくしオーロラは、セニア様の味方ですよ』
……ひとり、いた。
オーロラ――わたしの母親。
わたしを育て、励まし、ずっと見守ってくれる、『逢えないひと』。
わたしが遷移を起こせばオーロラは傷つく。『大切なひと』が苦しむ。
そんなの、いや。
「……おろして」
うしろの衛兵が気づいた。
「うん? 目を覚ましたか。動かないからもしや死んだかと」
「……お願い。降ろしてくれない? トイレ……おしっこがしたくて」
「なっ! いまここでか!? 我慢し……、その目はやめろ! 仕方ないやつだな、みんな止まってくれ!」
衛兵全員が止まり、事情が話される。周りからの視線が突き刺さった。
担いでいた男から石畳に転がされる。顔の擦り傷がしみた。
「よし、用を足してくれ、スマンが縄は解かせん。うん……どうした?」
――ぜんぶウソ――
石畳からナイフを発現し、縄と担いできた男の喉笛を裂く。縄切りで自分の手が切れたがどうでもいい。
血を飛ばし、倒れる仲間におののくボイドノイドたち。臨戦態勢が整われる前に壁から拳銃を引き出す。
彼らの悲鳴よりも大きな銃声。
暗い路地で幾度も光った。
息のある対象に銃口を向けた。母を苦しませる幻に、情けはいらない――
静かな脇道。
役目を終えた拳銃を落とす。
空っぽの世界で、わたしの痺れきった手は血の色をしていた。
「……こちらセニア。無事です、ダイブアウトします」
◇◇◇
四〇三号室の柔らかいソファーが今は居心地が悪い。命の危機を脱し、抜け殻のような身体でも、意識はあの男に向く。
そばに立つハワードは、わたしを見下ろすのみで黙っている。彼は話しかけたいのか、違うのか、
わからない。
だけど、わたしは訊くことがある。
「ねえハワード、なぜわたしを助けに来なかったの。わたしから隠していることも教えて」
『ハワードの道具』、『存続派の駒』――
経緯を教えられず、ただ言葉だけがわたしを苦しめてきた。
わたしが存在する意味――この男が持っているはずの、それを知りたい。
ハワードがやっと口を開けた。
「……こちらも言おうと思っていたんだ。セニア、渡したいものがある。私は君を――」
ハワードの通信機が鳴った。
「すまん」と通話を始めた。相手は上層部だ。
通話が終わる。
「すまない。この騒動に関する会議を引き延ばしてもらっている。私が行かねば始まらん。……早めに戻る」
ハワードは出て行き、
わたしはまた、ひとりになった。
ふと床を見ると、あの男がいた場所に何かが落ちていた。薄茶色の小さな包み。
「……封筒?」
ソファーから無理やり離れて、重い身体を動かし拾う。封のされていない口から、手に『メモリーチップ』が滑り落ちた。
「これなの? 『渡したいもの』って」
少し迷ったが気持ちは抑えきれない。コンソールデスクの前に立ち、チップを読み込ませる。データに記されていたのは、
わたしの出生の『すべて』だった。
――『人工母胎プロジェクト・オプションDB01プラスエム』、及び『オーロラの落とし子発生に関する統合議議事録』――
――わたしは、この世に生を受ける前から人間に『もて遊ばれた』存在だった。
そして厄災前の人間たちに、無責任に廃棄されかけた存在。
――AIのオーロラが救ってくれても、人間は都合よくわたしを使う。ハワードは自らの願望のため、わたしの命を利用して……。
ドアが開く。ハワードだった。
荒い息づかいで声をかけてくる。
「セニア! ここに封筒が落ちていなかったか。……まさか!」
焦る『人間』を怒りのまま睨みつけた。わたしがわたしを知ったいま、たどり着いた答えを、変える気はない。
わたしの『仲間』は、人間じゃない。
仲間であるのは、親であるのは――
わたしを『産んでくれた』母、オーロラだけ。
わたしはひとりだ。
オーロラと真の意味で、逢えるまで――
◇関連話◇
セニアとオーロラ
(一章#12a 再会)
https://ncode.syosetu.com/n3531ej/12
以後のハワードとセニア
(一章#11a Xenia)
https://ncode.syosetu.com/n3531ej/11





