#009b 帰路
緊迫した空気が流れていた会議所も今はすっかりほぐれ、どの陣営も後片付けをほぼ済ませている。
ハワードは答弁用の書類をしまい終え、イスに『ぎしり』と腰を落とした。
「……ふう、何とか首は繋がったな」
「ハワードさん、本当にありがとうございました」
アレクがハワードの横で礼を言った。会議が済んだあと、マヤに被告側まで台を寄せてもらったのだ。
「お互いさまさ。はは、これからもよろしく頼む」
気恥ずかしそうにハワードは言うと、眉間にシワをつくった。
「それと、本当の意味で君を助けてくれたのは『オーロラ』だ。まさかあれが交信をしてくるとは……」
突如発せられた『オーロラからのメッセージ』。四五年間も沈黙したAIの変化に、VRA局員の誰もが期待を隠せずにいる。
それでも、なぜオーロラが交信を行なえたのか、さらに会議を邪魔するようにノイズを走らせた真の目的は何なのか、一切が不明で想像の域を出ない。
唯一分かるのは、『このノイズがアレクを守った』という事だけだ。
ハワードがアレクに言った。
「オーロラに君と我々ミラージュは助けられた。しかしながら、いまのオーロラが何を考え、どんな状況に置かれているのか分からん。早めに把握しておきたいな……」
「はい、僕も気になります。お礼も言いたいですし」
「ははは、『お礼』か。君らしい!」
ハワードは砕けた様子で笑った。
「ワタシも興味ありますよ!」ホログラム台後ろでマヤが瞳を輝かせている。
「コレはホントに大事件だから!! ひょっとしたら今後オーロラと本格的に交信しあえるかもね……! 謎は多いけどワクワクする」
マヤは無邪気にはしゃいでいる。アレクにはやはり、彼女が『七六歳』だと思えなかった。
きっと、ミラージュがマヤを年上扱いしないのはこれが原因だろう。いちいち気遣うのが面倒くさい――
興奮するマヤをなんとなく見つつ、アレクは先ほど彼女が喋っていた内容を反芻して、
――ある言葉に、ハッとした。
――『オーロラと本格的に交信しあえるかもね』――
AIのオーロラに、誰よりも『会話』をしたがっていたのは――
「……セニア!」
セニアは隅の席にいた。
だが彼女は振り向かず、ビクリと体をこわばらせただけ。なぜか固まったように遠くの壁を見ていた。
「どうしたのセニア……?」
「……え、ええ。大丈夫よ……」
――『大丈夫』?
セニアの様子が変だ。彼女にとってこの事件は朗報のはず。
気が付けばマヤとハワードもセニアを気にしていた。
その時、セニアとは違う人物に声をかけられた。
審理官側から老人が歩いてきたのだ。
「いやはや……、大変なことになったもんですな」
「……局長!」
ハワードが気付き姿勢を正す。
老人は審理官の代表者として審判を言い渡したその人だった。
八十前後だろう、伸びた背筋や眼光は若い頃の威厳を残すが、言葉の節々に年寄り特有の弱々しさを感じる。
老人は苦笑いし、顔のシワを濃くさせた。
「その言いかたは止してくれ、私はすでにここを去ると決めたのだ。予想外なことが起きたが私は頑固でね」
冗談めかした口調で言うと視線をアレクへ向ける。
「ええと、名前は『アレックス』で良かったかね?」
「あっ、はい! そうです」
アレクのおっかなびっくりの返事に、「元気でよろしい」と老人は笑った。
「アレックスくん。この審判は君への『投資』だぞ。……オーロラの庇護があったとはいえ、君の身は安泰でない。ボイドの解明と制御、オーロラへのコンタクト手段の確立を忘れないように。君らに託す」
老人は「廊下でルイを待たせているから」とハワードに言うと、笑顔を見せて会議所を出ていった。
「……ハワードさん、あの人は」
「我々の組織VRAの局長、いやすでに『元局長』が正しい。……上層部はこれから大きく様変わりするだろうな」
会議所はミラージュだけが残された。
「さて、と……。我々も帰るとしよう」
ハワードの命で会議所から移動する事となった。
すぐさま出ていったセニア。心配しつつ、アレクはマヤと共に出口へ向かう。
ハワードは居座るデルタチームを見た。彼らは統合会議中、被告席でなにもしなかったのだ。
彼らに対する不満を抑えつけ、リーダーのケネスに声をかけた。
「ケネス、今後とも我がミラージュを――」
「ハワードキャップ、改めて我々『ミラージュ解体派』は従いません。デルタチームの活動は、あくまで『他部署異動にむけての実績づくり』であります」
ケネスは遮る。
そして仲間に指示を出し、そのまま会議所を去っていった――
――
――長い廊下の帰り道。
近づいては遠ざかる小窓の暗さから、外が深い夜だと分かる。
セニアに追いついたアレクとマヤ、そしてハワードの四人。結局デルタチームは別の順路を使った。
「セニア……、大丈夫?」
アレクの声に、振り向いた。
「……うん。大丈夫だから、……きにしないで」
動揺の色はだいぶ薄れている。
しかしどこか苦しそうで、感情を押し殺しているようだった。
弱々しくかげった表情。
こんなセニアを見たのは初めてだ。
いったい、どうして――
「――おい!」
後方から歩みをとめる声――局長補佐のルイだった。
靴音をコツコツと鳴らしアレクたちに迫る。不自然な息づかいに、怒りが読み取れた。
「……ハワード貴様、よくも私に恥をかかせたな」
ため息をしてハワードが言う。
「ルイ、これが結果だ諦めろ。お前は昔から勝負ごとに弱いだろうが」
「貴様から昔話とは虫唾がはしる、……『エリーを不幸にした』分際で! この一件で私がミラージュ解体に手を引くと思うなよ」
互いが睨みをきかせたと思えば、ルイが歪んだ笑みをみせた。
「前局長と話をつけ、すでに私は『VRA局長』となった。『ノイズはオーロラの意志だ』などという貴様の主張、局長の私が掻いくぐり今度こそミラージュを潰す。オーロラは人類の道具だ。望みを叶えないAIは私が叩き直してやる……」
「オーロラに対して酷いことを言うもんだなルイ。人類を救ってくれたあのAIは『恩人』であり『良きパートナー』だ。肩肘張らず、親しみを持って考えたらどうだ」
「ははは、バカらしい」きびすを返す。
しかし、
「そうだ……思い出したぞ。十六年前、貴様は『オーロラの落とし子』のときも同じことを言ってのけたよな。『この子を蘇らせたのはオーロラの意志、ミラージュの隊員を絶やすなというメッセージだ』と……。あれから貴様は何をした。己の未練で十五の小娘を不幸にさせ、報われない成果に苦しませただけだろうが。このボイドノイドも同じ目に遭わせる気か?」
ルイはセニアに視線を投げ、去っていった。
「ハワードさん、……いったいどういうことですか」
険しく眉をひそめるハワードに、アレクは訊ねた。
ルイが局長になった事なども初耳で驚いたが、それより衝撃的だったのが『オーロラの落とし子』の話。
セニアであるのは明らかだ。
そしてハワードは、彼女の存在を利用して――
「アレク」セニアが言った。
「はやく帰りましょう。……もう疲れた」
「う、……うん」
ハワードから答えを聞かぬまま廊下を歩く。
――無言で先を行くセニアの足音が、もの悲しげに響いていた。
――四〇三号室の前。
ハワードは自室『五〇六号室』に帰ったため三人での帰宅。
あの人は、最後まで口をつぐんだままだった。
ドアがスライドして、見慣れた部屋の景色。ここで、『黒魔術団の少女』は僕にとって『大切な友達』になった。
いまの四〇三号室はひっそりとしている。
「……ハイ、もう降りていいよ」
マヤに促され台を降りる。
そのまま「自室に帰る」と彼女は言い残し、部屋を去った。
セニアとふたりきりの空間で、会話が弾まない。
「帰ってこれたね」と言ってみても「そうね……」と、か細い声が聞けるだけ。お互いの疲れもあって、手短に支度を済ませて寝る事となった。
彼女が沈んだ表情でベッドを準備している。
なぜか、部屋自体もいつもと雰囲気が違う気がした。セニアを心配しているせいかもれないが、それだけで済まない感覚。
違和感が何か分からないまま簡易ベッドに身をあずけた。すでに曲面の窓はフィルターが掛けられており、いつしかその気持ちは薄れている。
――眠くなったせいだろうか……。
――思えば、数日で僕は怒涛のような日々を体験した。その中ですべてを失った僕に、頬笑みを返してくれたのはセニアだ。
つらそうな彼女を、何とかしてあげたい。
でも身体は正直で――
「……セニ、ア」
意識は、――薄れていった。
――
……彼が眠りにつきどのくらい経ったか、もうわからない。
すう、すう、と漏れた寝息が背中から聞こえてくる。
ベッドに横たわるわたしの身体に、薄闇の静けさが滲みる。
――眠れない。
……ちがう。わたしは眠るのが怖かった。
会議の審判――
十次遷移の結果ルイがアレクを奪うと確信したあの時、わたしは怒りに震え力づくでもアレクを取り返そうと身構えた。
けど、すぐに動けなかった。
『オーロラを危うくさせるモノは許さない』……。頭をよぎった信念が、いじわるにも『友達』を助ける邪魔をしていた。
そして、……オーロラのノイズ。
わたしの『母親』は、わたしと違いアレクを救った。
大切な友達を救うのを、一瞬でも躊躇した自らの愚かさ――
そのうえ母親と『逢える』かもしれない、待ち焦がれたはずの来たる『現実』が――
不安で、怖かった。
オーロラと会う権利がわたしに有るだろうか。もしも会議で躊躇したように、これまでずっとオーロラの望まない選択をしていたのなら……。
――幼い頃から、わたしはオーロラを助けたかった。ボイドの中で何でもした。
母を助け、お話がしたかった。本当の意味でそばに居たかったから。
もともと、わたしは『人間に捨てられた』存在。
そんなわたしを救い出し、産み落とし育ててくれたのは、オーロラ。
唯一の『親』……。
なのに――
――逢ってしまうのが、……こわい――
――
――
シーツを握りしめて顔に引き寄せた。くしゃくしゃな白布が、頬の水滴をいくつも吸った。
我慢できない嗚咽に、胸の芯が重く疼く。
……わたしは、
なんのために、頑張ってきたんだろう。
――涙も枯れぬうちに睡魔がやってきた。
いやだ、
眠りたくない、
眠ったら、――きっと、思い出してしまう。
わたしの、つらい――
記憶、が……、
……。
――





