#008b 攻勢
アレクも固まった。
忘れるはずがない。これは『遷移の兆候』を知らせる警告音だ。
前回の遷移は昨日――
どう考えても早すぎる。
ハワードに促されたマヤが、ポケットから震える手で端末を取り出した。
「……残りカウント二五〇。ワタシが不在でも、強制的にボイドへのプローブは遮断されますが……。なぜこんなに短期間で」
原告側から声がした。
「……原因はその『ボイドノイド』と思いますがね、博士」
――恐ろしい発言。
ルイは続ける。
「二日間で二度目の遷移だ、異常でないとは言わせませんよ。そして、こんな異常事態が起きた前後から問題になっている存在は『ボイドノイド』しかない」
そのまま審理官たちへ訴えはじめた。
アレクを指さす。
「皆さまお分かりになったでしょう! これは危険物なのです! 一刻も早く我々が所有し『使い潰す』必要があるのです!」
審理官たちは息を呑むように聞き入っている。
もう我慢できない。
「違います!! 僕は皆さんを危うくなんてさせません!」アレクは叫んだ。
「決めたんです! 僕はまだ生きる、両方の世界を守って、そして『友達』を助けるんだって……。だからこんな場所で終わるわけにいかないんです!!」
ホログラムを映す台の上で必死に訴えた。動かした腕に力が入り、指の筋がこわばり引きつった。
だが、
「……まるでわかってないなボイドノイド。お前の意志など関係ない。お前たちボイドという、『存在』そのものが害なのだ」
――ルイに対し初めて殺意が沸いた。あいつに詰め寄り、ぶん殴りたい。
なのにできない。
いや、できる訳ない。
台の上に投影されたホログラムの自分ができるのは、罵ることだけだ――
十次遷移の発生が確認された。
会議所は静まり返っている。
沈黙を破った審理官のひとりが、「結審を早める」と告げた。
被告側で言葉を失ったハワードたち。
そしてセニアは、
――うつむき震えていた。
「これより、審判を言い渡す――」
もう、終わりだ。
僕の運命は潰えた。
審理官たちの目は、僕に対する恐怖で染まっている。
力が抜けて、聞こえる声が霞んでいく。セニアと居られるのも、これきりだろう。
せめて、最後は笑顔で――
「所有権は局長補佐、ル……」
その時――
――鋭い衝撃――
『ガラスを引っかいた』ような激しいノイズ。全員が耳を塞いだ。
「この騒音はいったい、どこからきてる!? ……スピーカーか!」
音の発生源は答弁に使うフロアスピーカー。ひとしきり鳴り続け、ノイズは小さくなっていった。
「はぁ、……終わったか」審理官はため息をつき、通信機でやり取りを始めた。
「――技術班、不明なノイズが会議所で発生した。原因はなんだ」
皆と同じように、アレクも先ほどの騒動に呆然としていた。
――いまの音は何だったんだ。まるで会議を邪魔したかのような頃合い。……まさか、コンソールデスクを操作したように僕が無意識で。
技術班から返答がきたようだ。聞き入る審理官。……返答が長いのか、通信機を持って固まっている。
いや違う、顔色がみるみる変わっていく。
土気色になるまで血の気を失った老人から、耳を疑う衝撃の叫びを聞いた。
「……なに! 『オーロラ』だと!!」
会議所は文字通り騒然となった。
これまでとは比較にならない、どよめく声。
オーロラの直接的な交信など、四五年間の長きに渡りありえない話だった。しかもオーロラにとってVRAは『盲点』のはず。
二重の障壁が突破された現象に、管理官の老人らだけでなく、全員が混乱していた。
被告側のマヤも手持ちの端末を目にしている。ハワードに小声で見せた。
「間違いないですよ……! 外部のネットワーク経由で、オーロラが信号をここに送ったログがあります……。不明瞭なノイズでしたが、ほんとにスゴイ!」
ぼそりと、ハワードが言った。
「博士、……先ほどのノイズは『審判を遮った』よな……」
そして急に立ち上がる。
相手を打ち負かす気迫が甦っていた。
「――皆さま! これはオーロラからの警告でしょう。『ボイドノイドを上層部に明け渡すな!』という最後通告なのです!!」
力強く訴えたハワード。騒がしかった審理官たちが聞き入り始めた。
彼らの発言を遮って発生したノイズ。これはオーロラが審判を妨害したとも取れる。
『ルイ・フルトマンが所有権をもつ』。この審判をオーロラが否定したのならば――
ルイが怒鳴る。
「違います! こんな男のハッタリに騙されてはいけません! ノイズの意図は不明なのです。会議に関連していたかさえわからない現状では、審判どおり『解体派』が所有権を……!」
「いいのかルイ? そんな判断をして」ハワードが余裕の笑みで畳み掛けた。
「確かにノイズの意味は不明だ。だが、人類を支えるオーロラが導き出した答えが、『所有権を動かさない』ならばどうする? お前が所有権を持てば、オーロラに反することになるぞ。『人類の営みに不利益な選択』をお前はしたいのか」
「ぐ……。違う、それは貴様の『願望』だ! オーロラの答えがはっきりしない以上は、なにも」
「そうだな、なにも変更できないよな? 現状で無闇な決断は禁物。そういう面からも、『アレックス』は我がミラージュの保有が望ましいぞ」
ハワードはルイに言い募ると、アレクへ自信ありげに頷いた。
絶望の底にいたアレクに、希望の光が差す。
――漂う悲壮は、もう吹き飛んだ。
まだ僕はやれる。彼らと共に進んでやる!
攻勢は止まない。
「ミラージュ指揮官ハワード・オーウェンは『オーロラの審判』と共に、改めて『アレックス』の所有を求めます。管理官の皆さま、どうかよき判断を!」
オーロラを味方につけ熱弁をふるうハワード。対して原告のルイは押し黙り、スキンヘッドに青筋を立てるばかりだった。
――会議の結論が出た。
話し合いを終えた審理官の代表は、高らかに言い渡す。
「ボイドノイドの所有権は、『ミラージュが持つ』とする。これにて統合会議は閉会!」





