#006b 前日
夕焼けが柔らかく部屋を照らすなか、『ポトマック川』の金色にきらめく流れを、アレクは眺めていた。
マヤが部屋を去ってから数時間が経つ。
話が尽きたマヤは、ゴキゲンで部屋を去っていった。
「ハワードさんにあの会社の勘違いでも改めてもらおう」と言っていた気もする。
あまり憶えていない。
きっと、彼女が詰め込んだ情報の多さと――
『年齢』が原因だ。
あの人のせいでまた謎が増えた。
そう思いつつ、腰掛けている簡易ベッドから曲面を帯びた窓越しに『二〇九四年の世界』をボンヤリと見ていた。
高層ビル群の向こう、西日に輝く粒のような光は、川面にひたすら流されていく。
明日はVRA統合会議。
『ミラージュ』と、ボイドを潰したがっている『VRA上層部』が僕の所有権を争う日――
スライド式のドアが開く。
セニアだ。
「おかえり、セニア」
「……はあ。ただいま」
ため息に苛立ちが混ざっている。
「ハワードさんとの話、どうだった」
「一応部屋に行ったわ。でもハワードが急におし黙っちゃって、あの人の目的はさっぱりね」肩をすくめた。
「でもあなたの件は、もう大丈夫――」
きりりとした瞳を細めたセニア。
見せる笑みはやさしく、彼女の端正な顔をより可憐にさせている。
――なぜだろう。気分がソワソワした。
「アレク、どうしてまだ『簡易ベッド』にいるの? 好きに動けるはずなのに」
「えっ。……あ、そうだったね」少しの間、固まっていたようだ。
目線をセニアの後ろへずらした。
「どこに……座っても感触が同じだから、結局このベッドに来ちゃったよ。『ホログラム』の姿だといろいろ不便だね、あはは……」
そのまま後ろ手に頭を掻く。
セニアは「ふうん」と、少しだけ残念そうな顔をした。
夕焼けへ顔を向けた。
「あーあ……。こんな時間まで会話の乏しいティータイムに付き合わされるなんて、……もうご免よ」
やはりふたりの溝は深いようだ。
ハワードの不器用さ、長年のすれ違いが彼女の心を逆なでする――
疲れた表情で彼女は遠くを眺めていた。
あの人の本音を伝えれば、セニアは幸せになれるのだろうか。
その時、
「いま考えごとしてたでしょ」目は外に向けられたままだ。
「もともと、わたしの周辺視野は広いの。あとは気配」
横顔は涼しげな表情に変わっていた。
「明日は『会議』なのよアレク。これで勝たなきゃ何も始まらない。それが済んでから、考えましょう」
そう、――まだ済んでいない。受けるべき試練があるのだ。
それからでも間に合う。
彼女は強い人だ。
――
――翌朝。
「心の準備はいいな、アレク」
「はい」
決意を持って返事をする。
ハワードを含む全員が集められた。
『VRA統合会議』へ、これから向かう。
ホログラムは部屋の移動ができない。これを解消するために、四〇三号室の位置情報をコピーした装置で会議所まで運ばれる。丸いお立ち台のような装置に乗った。
マヤがキャスター付きの台を押し――
初めて部屋を出た。
――静かな廊下、車輪とミラージュたちの足音が響いている。
白と灰色の順路と下降する部屋を抜け進む。台のそばにセニアとハワードが立ち、後方にはマヤ。
デルタチームは存続派から距離を置き、後ろを歩いていた。
統合会議は、いわばVRA局内の『裁判』。双方の意見をぶつけ合い、どちらが妥当かをもうひとつのグループが裁定する。
この結果が、僕の運命を決めるのだ。
前方から人が来た。
細い眼鏡をかけたスキンヘッドの男。アレクは知らない顔だが、ミラージュたちは誰か分かっているようだ。
特にハワードの顔は引きつっていた。
台が止められる。
男が話しかけてきた。
「ここで会うとは奇遇だオーウェン大尉。いや、ハワード」
「ルイ、貴様わざわざ『のぞき』に来たのか。局長補佐も大変だな」
鋭い目つきでハワードが言う。
「用を足しに来ただけさ。……統合会議の『審理』は重要だ、特に今回はな」
そう言ってアレクを冷たく睨んだ。
『ルイ』と呼ばれる男から感じた敵意。
おそらく、彼と戦うのだ。
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ハワードとルイ
(一章#21a 局長室)
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