#03a 裏路地
入った小道はどこまでも入り組み、閑散としている。
大通りの喧騒はもう聞こえない。
――コツリ――コツリ――小さな足音だけが響いていた。
「なんで、来ちゃったかなぁ……」
アレクはフードの人物を探しながら自分の行動にあきれていた。
――何も考えたくなかった――
それなのに、落とし物を見つければ相変わらずのおせっかいで、ここまで来てしまったからだ。
しかも探せど探せど、フードの人物も尋ねられる人さえも見つからない。
ここは寂れた裏路地。
誰もいない路地は人なら行き交えるが、馬車には厳しい道幅だ。家は隙間なく建ち並び、落ちる影がより窮屈に思わせる。家屋の裏口も使われているように思えない。
ドアも道も建物の外壁も、まるで時の経過だけがこの場所に居座っているようだった。
「もう諦めようかな。でも、やっぱり……」
ふと持っていた落し物に目をやる。
それはアレクにとって今まで見た事のない代物。記憶の引き出しをまさぐっても、答えに辿り着けない。そんな物体だった。
「一体なんなんだろう、これ」
白の様な灰色の様な色をした板状のそれは手のひらが隠れるくらいの大きさ。
焚き木ほどの軽さだ。
見れば更に小さな板も貼られていたり、区分けされた部分もある。
傷や汚れも無く、得も言われぬ清潔感があった。
「うーん、さっぱり分からないな」
行商人が売る渡来品だろうか?
歩きながら興味本位で、くるりとひっくり返したり平べったい側面を舐める様に見ていたが、これは落し物であることを思い出してやめた。
壊してしまっては元も子もないし、相手に申し訳が立たない。
相手はどんな姿をしていたか、思い出そうとしてみた。
「えーと」
フードを被っていたな。茶色だったかな……。
顔は……覚えてないや。目しか覚えてない。
背たけは、僕と同じ位だったっけか……。
ん? 僕と同じ!?
「……ということは!」
その時、向こうに気配を感じた。人の声がかすかに聞こえる。
アレクは急いでそこへ向かった。
通って来た太い道と細い道が交差する十字路。
向こう側の道に人影。横を向き立ち止まっているのが見える。
栗色のフード付きマントの人物。ぶつかってきたあの人だ。
『やっと見つけた!』
声を掛けようと近づくその瞬間、相手の声が風に乗って聞こえてきた。
「……はい。……追っ手の衛兵は撒きました。大丈夫です」
「えっ……」
――まるで、背筋に氷を這わされた気分だった。
すぐさま息を殺し、足音を立てないように裏口のくぼみへしゃがんで身を隠す。隠れても呼吸と心臓のリズムはちぐはぐで、なかなか元に戻らない。
心の中で叫んだ。
『黒魔術団だったのか、あいつ!』
今思い返せば、怪しい節は幾つもあった。
おばさんと一緒に「『奴等』が衛兵から逃げている」と周りの人が噂しているのを聞いた。そして慌てて急ぐあいつとぶつかって、人気の無い所へ逃げるように走っていったのだ。
平静ならきっと気付けただろうに、思い詰めていたせいで疑いもせず、のこのこ来てしまった。
呆れもしたが、このまま隠れ続けるのも危うく感じる。いつ逃げようかと手を強張らせながら、壁の端から恐々と覗いた。
幸い、フードの人物はこちらに気付いていなかった。そのまま喋っているのが聞こえる。
――やはりあいつの落とし物だ。
「……ただ、----を落としました。……心配には及びません。……--------------」
「……やっぱりそうだ」
姿を思い出していた時に気が付いた。『あいつは自分と同じ、子供なんだ』と。それは、しっかりと声を聞き確信に変わった。
この歳で黒魔術師である事に驚いたが、更に気付いた事がもう一つある。
――少女の声。
男の角張ったような声質ではなく、女性特有のしなやかで清らかさを感じる声だった。
「あいつ、いったい誰と……?」
気になった事はまだある。
独り彼女は喋っているが、目の前にあるのは家の壁で誰もいないのだ。
家の中に仲間が居て窓越しに話すというのは不自然だし、相手の声も聞こえない。目線も下過ぎる。
……いや、壁も見ていないのか? なら誰を、何を見ているんだ。
逃げる機会を探る為に見ていたはずが、おかしな出来事が多すぎて見入ってしまう。
すると、少女は言った。
「……わかりました。……では始めます」
少女は突然ひざを曲げ、屈んで地面付近の壁に顔を近づける。
マントの中から何かを取り出し、持っている――
――アレクは動揺した。
あいつは、ここで何かをするつもりだ。黒魔術団がやる事だ。破壊工作に違いない。
『巻き込まれるなんてゴメンだ……!』
逃げないと、と必死に経路を思い描く。そばの裏口は使えない。ドアを開けたとしてもその先は密室。
そっと離れて、大通りに辿り着こうか。でもどの道を通れば帰れるのか、半分うわの空でやってきて全く見当が付かない。
そもそも、二度も『こっそり』逃げられる自体が疑わしい。
くぼみから抜け出そうとしたらあいつに見つかって、右も左も分からない道を逃げ惑う内に……。今すぐ逃げたいのに嫌な想像ばかりが頭をよぎって、手汗と指の握力だけが増していく。
落し物を片手に持ちながら、緊張の糸はぎりぎりまで張り詰めていた。
――突如、手元で音がした。風化した外壁を掴みすぎ、部分的に崩れてボロボロ落ちる。
散らばる破片の音が否応なく、静かな路地に響いた。
――気配が、変わった。
「誰だっ!」
気付かれた!
慌てて引っ込んだが、もうあとの祭り。
「そこにいるのは判っているぞ。姿を見せろ」
「出て来い!」
声は更に語気を強め、鬼気迫るものになっていく。
あたふたと、落し物をポケットにしまった。もうパニックだ。
心臓は叩く様に脈打ち続け、冷や汗が止まらない。
あいつに見つかった!
もう逃げられない。
殺されてしまう。
どうしよう……。
「……ん?」
『どうしよう……』?
なぜかこの感情に引っかかり、反芻する。
前も思っていたよな? いつだっけか。
――ぶつかる前だ。
あいつとぶつかる前だった。
――そうだ、僕は……。
自分の力だけで生きていこうとして。
頑張って元気に振舞って。
――だけど本当は悲しくて。つらくて。
それでも、どうしても曲げる事が出来なくて、おばさんの気持ちにも背を向けてしまったんだった。
もうどうしようもなくなった。
何も考えたくないと思ったんだ。ぜんぶ投げ出したいとも。
それなら……。それならば……。
今日が、その日だ。
暴れていた心臓は徐々に平静へと向かい、吹き出る汗は引いていく。
――彼女に『終わらせて貰おう』。
もう僕は、――進み続けたくないのだから。