#27a アカツキ ノ マチ/あるいは少女の決心
強い光に目を閉じた。
光が薄らぎ見えてきたのは、
――レンガの壁。
周りを見渡す。ここは裏路地の行き止まり。
間違いない。
「本当に……、帰ってきたんだ」
エオスブルク、――僕のすべてがあった街に。
行き止まりを飛び出し、大通りに繋がる道を駆けた。
乱れる息が頭の中に響く。
あいつ等が言った『真実』は嘘だ。それを確かめてやる。
僕の街は、幻じゃない――
暁の戦士のラルフさんが教えてくれたとおり、大通りの『アムル街道』と繋がっていた。
交差する道に人々の姿が見える。
力の限り走った。大通りの景色がだんだんと近づいてくる。
僕の街、母さんとの思い出がある街の景色が――
「おわっ! ……ジャマだ小僧!! 飛び出してくるな」
「あっ、ごめんなさい」
大通りに着いた。
ぶつかった事を謝ると、男は怪訝そうな顔をして喧噪に混じっていく。
そこにはいつもと同じ、活気に満ちた『暁の街』の光景があった。
「僕の街だ……。街は幻じゃない!」
嬉しさで声を上げた。周りが驚いてしまったがこの気持ちは抑えられない。
その場で何度も跳ねた。
もう一度見渡す。
街は僕が知っている通りの姿だ。『遷移』なんて起きてない、変わったりしていないじゃないか。
やはり、
「あいつ等が言っていたことは、ぜんぶ――」
「おお、アレクじゃないか。おはよう」
後ろの声に振り向く。
声の主は白髪の男。知らない顔だった。
「えっと……。どちらさまでしょうか?」
男は不思議そうな顔をした。
「朝から冗談とはやめてくれよ、はは。ホラ、時計修理屋の――」
この街の『時計』はとても貴重で王様しか持てない代物だったはず。
時計の見方も四〇三号室でセニアから初めて聞いた。ただし『デジタル表記』という物だったが。
関係する人へ手伝いをした憶えがない。
返事に迷っていると男が続ける。
「一昨日、ウチに来てくれたじゃないか。荷物を運んでくれた上に魔術札で部品を熱してくれてさ、とても助かったぞ」
……ない。
そんな憶えはない。
どういうことだ。なぜ僕の記憶がないんだ。
いや、まさか――
あいさつもそこそこにアレクは大通りを走った。
おかしい。
何かがおかしい。
街は、本当に――
石畳を見る。知っていた石畳は自然のままの石が敷かれる『がたがたとした』ものだった。
なのに今は石が四角く切り揃えられ、どこまでも平らな道を生み出している。
短い期間で石畳は換えられない。陽の照り返し具合からも長い間敷かれていた事を感じさせる。
建てられている家々も変化していた。使われているレンガは見るからに質がよく、作る技術が進んでいる。木造の家には滑らかな漆喰が塗られていた。
「……いやだ」
違う、……違う! 何かの間違いだ。街は幻じゃない、嘘なわけない!
アムル街道からエオスブルク城とそれを支える丘陵が見えた。
丘陵は、高く広く巨大さを増していた。
城郭の白塗りはそのままだが、丘陵に合わせ大きく、城壁もより堅牢に変わっている。空に伸びる尖り屋根は、二本に増えていた。
聖エオス大聖堂が目に入った。
聖堂にはあの時より豪華な彫刻がふんだんに加えられ、建物を金の飾り線が引き立たせている。
――そして、一際目を引く彫刻。
なびくベールを身に纏う、長い髪の美しい女の像。
エオスブルクは今や紋様でなく、直接的な女神像を崇拝していた。
崩れ去っていった。
願望が。
僕の、すべてが――
「……あ、あ。うう……」
走りをやめた。力なく大通りを歩く。
――そう、僕の街は、
消えた――
想像と違った。
最初に街を見渡した時、目の前に知っていた道のりや喧噪が存在するから、『変わってない』と考えた。
確かに街の大まかな姿は以前と変わらなかった。しかしそれは間違いだ。
『暁の街』は別モノへと変質し、あの頃の街はもはやない。
そして人々はその異変に何も感じる事なく、この世界を活気で満たしている。
今日も、その先も、ずっと――
ミラージュは本当の事を言っていた。なのに僕は認めなかった。
彼らを裏切って、セニアをまた『ひとり』にさせた。
そうして僕に残ったのは、『ボイド』だけ。
何もかも変わってしまった僕の街。
いや、僕の街はもうないんだ。
みんな、幻だった。
うそ。ニセモノ。
ぜんぶ実在しない。僕の思い出も、
母さんの存在も――
『石畳』に沿って足は動く。心のすべてを打ち捨てたまま。
僕の『行き先』は、
――もうない。
◇◇◇
「どういうことだ博士、アレックスに何が起きた!」
「……『九次遷移のボイドへ帰った』。ワタシに分かるのは、これだけです」
マヤが声を落としコンソールデスクに手をつく。
――四〇三号室。
アレクがいなくなった部屋にミラージュの隊員たちは立ちすくんでいた。
ブリーフィングが終了し、ハワードの命で全員がこの部屋に戻った。しかしドアを開けれてみれば、ボイドノイドの少年は消えていた。
「アレク……」
セニアは小さく声を漏らす。
その声に誰も気付かない。
「これはまずいことになった……」ハワードは続けた。
「我々の正体を彼は完全に知っている。もし我々が話したことを、街で言いふらしでもすれば……」
「『――つぎの遷移が起きる。しかもこれまでとは比べ物にならない〔ファーストコンタクト級〕が』とでも言いたいでんすかねぇ? ハワードさんよお!!」ジャンだった。
「どーしてくれるんだよ! あんたらの小手先の思惑でオーロラが壊れるんだぞ、このザマでまだボイドを守ろうとするのかよ!?」
部屋は静まり返る。
ハワードは思い悩み、そして拳を握った。
「……ジャン、今回は君の意見に賛成しよう」唇を噛みしめる。
「アレックスを、『抹消』する」
「マッテくださいよハワードさん! 探せば方法は」
「オーロラを失わないのが最優先だ博士。ボイドノイドの少年は、……もう諦めよう」
ハワードの拳は、解かれていた。
――
――抹消。それは、わたしが裏路地でしようとしたことだ。
……あの子はあるべき場所へ帰った。
街の地図を眺めてから、アレクはずっと落ち込んでいた。
『街に帰りたい』――
わたしは知っている。
ここは、アレクにとって自らを否定されるだけのつらい場所。あの子の居場所はあの世界だ。
でも、わたしはアレクと話し合えなかった。慰めはすべて嘘になる。だけど『現実』も言葉にできない。
怖かった。
帰れないとわたしの口で伝える事が。
目の前の『友達』を失いたくない、悲しませたくなかったから。
けれどそれはわたしの身勝手。逆にアレクは苦しみ、最後は『帰れない現実』と『遷移』から同時に打ちのめされた。
そして部屋にとり残され、アレクは街へ帰っていった。
あるべき場所、あるべき運命――
きっと、これが正しいのだ。わたしとあの子では住む世界が違うのだから。
「キャップ、わたしに行かせてください」ハワードに言った。
「アレク……アレックスの抹消に失敗したことが今事案の始まりでした。後始末を行なうのはわたしの役目です。今度こそ抹消を完遂し、すべて終わらせます」
――そう、これが本来の『かたち』。
わたしの母親を危機にさらすモノを、わたしは許せない。
「……。承知した。今作戦をセニアに一任する。だが、どうやって彼を探す」
「見当はついています」コンソールデスクへ向かい、マヤに街の地図を出してもらう。
「ここが、アレックスの自宅です」
――
――ダイブ決行時刻をひとりで待つ。
あれからハワードたちは部屋を去った。
簡易ベッドに腰をかければ、短かったあの日々が甦る。
あの姿、あの声、あの笑顔――
すべては幻なのだ。あの子は、存在しない。
ダイブまで十分を切った。
準備を始める。
キャスケットルームに行き衣服をすべて脱ぐ。収納ブースから洗浄済みのコネクトスーツを着用し、定着ブースで隙間をなくす。
起動したキャスケットに身を預け、キャスケットが傾いていく。なだらかな傾斜で落ち着くと、ハッチが覆いかぶさり外気を遮断した。
補助ユニットのアームが身体の各部位に張り付きリンクされる。キャスケットから湧き出る触媒液が全身を浸し、白蝋色のコネクトスーツとアッシュブロンドの髪にしみこんでいく。
両端から頭部ユニットが目の前を囲み、青ランプが点灯した。
ダイブ時刻となった。
重い機械音がキャスケット内に響きだす。
もうすぐ始まる。
わたしは、任務を遂行する。
――あるべき場所へ帰る――
短い夢だった。儚い幻だった。
あの子は『ボイド』という幻、わたしは『道具』。
そうわたしは、これからもずっと――
ひとりだ――
思考は吸われ、ランプが赤に切り替わる。
遠く、遠く――意識は引き波のように離れていった――
――





