#26a 消失
焼け落ちるような夕陽を眺めた。大きな窓の外は、昨日と同じ夕暮れの光景を映している。
この陽はまた無機質な地平へと沈む。
それがつらい。
――あの後、
セニアに思い出を語れなくなった。
虚しかった。
どんなに地図が動いても、拡大されても、そこにエオスブルクはない。
早めに切り上げた。「少し休む」と簡易ベッドに座った。
あれから、何時間か経つ。
――帰りたい――
この感情は抑えられなかった。
「アレク、……大丈夫」
セニアが声をかけてくれた。
ひざを屈ませ顔の高さが近くなって、心配そうに見つめてくれる。
裏のない、まっすぐな眼差しで。
しかし、
「……気にしなくていいよ。大丈夫、だから」
彼女はどう思っているだろう。気分を沈ませた理由に察しは付いているのだろうか。
どっちにしろ、伝える事はできない。「街へ帰りたい」と言えば彼女は悲しむだろう。
似た境遇のセニアを、また『ひとり』にさせたくない。
でも虚しさと街へ帰りたい感情は本物だ。言葉で誤魔化しても、セニアの目をまともに見れなかった。
なにも『応えられない』事に、胸が苦しい。
――陽は落ちた。
セニアと一緒に過ごし、部屋は白い灯りで煌々としているが外は夜。またこの世界で一日が終わろうとしている。
こんな日々が、――いつまで続くのか。
――
――翌朝。
今日もおかしな夢を見た。暗闇の空間で足を動かし進んでいく、終わりのない悪夢。
この夢は一体なんなんだ……。
分からない――
この夢も、僕自身も――
セニアが朝の支度を終え、簡易ベッドの前に来た。
なにも言わない。
顔をうつむかせて、ショートカットのさらりとした髪が際立った。
セニアに尋ねようとしたが、つらい。
お互い、声をかけられずにいた。
――急に電子ノックが鳴る。
セニアがドアを開けると、ミラージュのメンバー全員が待っていた。
――
「――おはよう、アレックス」
全員が部屋に入った事を確認すると、ハワードは言った。
「おはようございます……」
力のない挨拶になった。
ハワードはセニアに顔を向けた。
しかし苛立つ表情が返ってきた事で、すぐに逸らす。
「……アレックス、ここには慣れたか。簡易ベッドの外も動けたはずだが――」
「キャップ。その話よりもまずは用件をお願いします」
セニアがハワードを遮る。僕が落ち込んだ理由は察していたようだ。
ハワードが「わかった」と本題に移る。内容は『会議』の通達だった。
「一昨日、君に伝えていた『会議』、正確には『VRA統合会議』が明日開かれる。通達が遅くなってすまない……。君の心の負担を鑑みて、今日にした」
申し訳そうなハワードやマヤと異なり、デルタチームに詫びるそぶりはなかった。
特にジャンと呼ばれた男は、わずかだが口角を上げている。
他の二人と同じく、ケネスは無表情。
セニアは簡易ベッドの脇で、無言のまま気にかけてくれている。
「アレックス、君を解体派には絶対渡さない。君は存続派の、ボイドを知るための望みなんだ」
彼ら、――セニアも含むミラージュは、エオスブルクを『幻』だという。
僕たち、僕の街はオーロラという道具の一部に過ぎず、しかもソレはサビや汚れのような、人類の『邪魔モノ』なのだと――
証拠はある。
僕が触れられるもの、触れられないもの。それは僕が幻の実像である『ホログラム』の情報だから。
そして僕が一年しか生きていない証拠は、母さんとの記憶以外が曖昧だから――
彼らと話せば話すほど、証拠は出てきてしまうのだろう。
でも、僕は認められない。認めたくない。
――もし認めれば、心の支えだった『すべて』を、僕を生かした『すべて』を、
本当になくしてしまうから。
「会議は君も出席する、備えてもらいたい。そのために知って欲しいこと、逆に聞きたいことがある」ハワードは膝を曲げ、目の高さを合わせた。
「ボイドの調査と直接関係はない。これだけは協力してくれ、頼む」
「……わかりました」
この場所では彼らに従うしかなかった。
――会議に向けた打ち合わせは進んでいった。
「――という訳だ。場所と君を移動させる方法は分かってくれたか。……では次に、君から聞きたいことがある。君の持ち物だ」ハワードがコンソールデスクへ歩く。
「アレックスも来てくれ」
マヤもデスクへ向かい、操作を始めた。
昨日、キャスケットの修復が終わったマヤは、簡易ベッドでうなだれた僕を心配しながら地図を閉じて帰っていった。
まだ気になっているのか、躊躇いながらもチラチラと目を合わせてくる。
セニアもやってきた。
ハワードが説明を再開した。
「会議には君に関係するもの、すべて持って行こうと思う。……ん、博士?」
「あ、いや。少々お待ちを……。ハイできた」
マヤが操作を終えると、魔術札が入っている腰巻きのバッグがデスクに現れた。
「キミに渡さなかったウエストポーチだ。明日はこれを着けて、会議に行こう」
気遣う色があるものの、マヤは笑みを向けていた。
「それでだ、君の持ち物に危険なものが入っているのかを聞きたかったんだ。我々は中身を調べていない、君の口から教えてくれ」
「……はい」中身を思い浮かる。
「バッグには『魔術札』と白紙の札、ペンと畳んだ駄賃袋があります」
病気にしてしまった母さんを治そうと、必死に覚えた魔術札。あの日々が心を横切った。
マヤは、首をかしげた。
「ン? 『魔術札』ってなに?」
どうも知らないらしい。
意外だった。十六年間の調査でミラージュは魔術全般も把握していると思っていた。
詳しく聞かれたので札術の事を話すと、驚いたマヤはこれでもかと目を輝かせた。
「ス、……スゴイ! すごいよ、『いろいろな術が使える魔術』なんて!! 過去に把握していた『ユーティリティー能力』を使えるボイドノイドは、ひとつの術しか使えないのが通説だったんだ!」興奮のあまり鼻息が荒くなった。
「これは新発見だよ!! しかもその張本人がココに……! キミ凄いよ!」
近づいてきたマヤが抱きつこうと腕を回してきて、
すり抜けてしまった。
「あ……。ごめん……」
空を切った腕を見てマヤは我に返り、離れていった。
「――ではアレックス、会議にはバッグを着けて出席してくれ。ただし中の魔術札は使わないことだ、いいか」
「わかっています……」
ハワードに言った。
会議で事を荒らげたくないし、する気もない。僕は無力だ。
「うむ、よろしい。これで大体の情報は共有できた。ありがとう」
――また一歩『裁き』へ近づく。
隣を見れば、静かにうつむくセニアがいた。
「さてと、残りは細々としたことだが――」
ハワードは話を続けようとした。
その時――
突然部屋に音が響く。異様な騒音が断続的に鳴り続けた。
「『アラート』!? どういうことだ!」
音の発生源はコンソールデスク。マヤがデスクに貼り付いた。
顔から血の気が失せている。
「『ボイド遷移の兆候』をシステムが検知、誤作動の可能性はナシ」デスクに映された数字が減り続けている。
「……『ボイド九次遷移』まで、あと一八三カウント」
「なぜだ……。この前の遷移から一週間も経ってないぞ早すぎる! ……まさか!」声を震わせマヤに詰め寄った。
「どういうことだ博士。一昨日の『これ以上の変化はない』とは何だったんだ」
「え、えぇ。あれは四〇三号室への侵食についての見解ですが、一応ボイド側も同じように思ってはいました。ただ……」ぎこちなくハワードに振り向いた。
「『オンナの勘』じゃ、ダメでしたかね……」
「……。」
沈黙の中、カウントはゼロへと向かい続ける。
『遷移』――
僕の街が、変異する――
「街は一体どうなるんですか!?」
「大丈夫だ、ファーストコンタクト時のように壊滅的な遷移じゃない、街の人にも『抹消』は起きない」
安心させようとしたハワードの言葉は本当だろう。それでも、強く動揺していた。
『信じたくない』。
今でも僕の思いは同じ。あの街が、そして僕のすべてが幻だと受け入れたくない。
しかし、目の前で起きている『これ』は夢でも幻でもなく現実だ。
僕の街が、僕と母さんが暮らした『暁の街』が、
別のモノへ変わろうとしている。
アラート音は消されたが、カウント音が小さく鳴り続けていた。
「――残り二八カウントだ、急いでくれ博士!」
マヤがボイドの遷移に備え、全機器の接続を遮断していく。
僕が使う『入り口』は他の機器と分離されているらしい。
つまり、僕と街はまだ繋がっている……。
もう今しかない。
「ハワードさん、帰らせてください……」
「アレク……」
セニアが何か言おうとしたが止められない。
「僕を街へ戻してください、……お願いします。僕の居場所は、今の街なんです……」
喉に力が入らない。それでもすがった。
ハワードは目をつむる。
「……すまない、アレックス」瞼を開ければ嘘の色はなかった。
「……わからないんだ、君の戻し方が。どういう仕組みで君がここに現れたのか我々には見当がつかない」
「君は、……街に帰れない」――
減り続けた数字はゼロになり、小さなカウント音は長音に変わる。
九次遷移が発生した。
ハワードが重く口を開けた。
「……遷移後調査のブリーフィングを行なう。ミラージュ全隊員は、機器の動作確認とメンテナンス完了までブリーフィングルームに待機。オーロラのダメージ報告も情報が集まり次第、そこで伝える」
デルタチームが部屋を出ていった。
「我々も行こう。セニアお前もだ」
「しかし……」
セニアは嫌がるそぶりをみせたが、ハワードはそれを認めない。
無言の圧力に、セニアは命令を受け入れた。
「アレックス、君には静かな時間が必要と思う。……しばし休んでいてくれ」
三人が四〇三号室のドアへ向かう。ドアが開き、セニアが最後になった。
ドアの前でセニアは振り向いた。髪がふわりと舞い、僕に向けた視線はためらっている。
それでも彼女は部屋を出て行く。
そして、僕はまたひとりになった。
――
――嘘だ。
簡易ベッドに腰を下ろしたまま、ひとり思う。
この部屋に残され十分が経つ。
静かに、非情に時は刻まれていく。
『僕の街は消えた』。彼らの言う『遷移』が本当ならば、今までのエオスブルクは別のモノに変わった。
そんな事が起きる理由は、あの街も僕のすべても皆『幻』だから――
いや違う! そんなの、認めない。
……これは全部嘘で、あいつ等が僕を陥れて街に帰らせないための『策略』なんだ。
あいつ等の嘘を、
そして僕の『すべて』、母さんの存在を証明できる方法は、ただひとつ――
もう一度この目で見る。あの街へ僕が帰る事だ。
どうすれば帰れる。僕はどうしてここに来られた。
セニアに怪我をさせたせいか――
タンマツを持っていたからか――
わからない。
あの時、街から消える前に僕は何してた――
「……まさか!」
街の裏路地、行き止まりの場所――
あそこで僕は散らばった魔術札を拾っていた。
タンマツと札を一緒の手に掴みながら――
マヤは『魔術札は新発見』だと言っていた。もしかしたら、この術に彼らが知らない何かがあるかもしれない。
いや、何かある! これがタンマツと反応したんだ。
ベッドから立ち上がった。
「行かなきゃ……!」
バッグが置かれていたコンソールデスクに急ぐ。あいつ等と、……セニアと鉢合わせする前に。
デスクに腰巻のバッグはなかった。
「くそ、なんでだ」
足元を見ても回り込んでもバッグは見当たらない。少し前までマヤがデスクの上に置いていたはず。
思い返せば、『置いていた』よりもデスクの上面から『取り出した』が正しい。
もしやデスクの中にあるのか。
「どうすればいい……」
引き出しやフタはない。デスクには触れられても、セニアと違って反応しない。
時間が過ぎていく――
「……お願いだ! 出てきて……!」
いきなりの事に驚いた。
デスクからバッグが出てきたのだ。もちろん操作した実感はない。
不思議に思ったが、考えるよりも――
「これで、……帰れる!」
バッグに手をかけ、中を開ける。
そして――
――四〇三号室は光に包まれる。
アレクは、消えた。
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